第547話 即位前夜

 落ち込んだままのアイザックだったが、即位の準備はしなくてはならない。

 だが、それがまたアイザックの気分を深く沈みこませる。

 即位式で用いられる服の色は純白である。

 似たようなデザインの服をジェイソンが着ていた。

 彼を思い出すと同時に、彼の隣に立っていたニコルの事までも思い出してしまうせいだ。


 もちろん、アイザックも家族のために立ち直らねばならないという事はわかっている。

 わかっていても、やはり簡単には切り替えられなかった。

 ネイサンの時は、まだ相手が敵だったので立ち直る事ができたが、昌美に恨みはなかった。

 昌美ではなく、ニコル相手としても「攻略されたくない」と思うくらいで、特別な恨みはない。

 むしろ、利用させてもらった事に感謝をするべきだろう。


(そうか、そうだったのか。昌美だったから……。ニコルが昌美だったから、攻略されたくないって無意識に思っていたんだ)


 気付くチャンスは何度もあった。

 なのに、不自然に思う事すらできなかった。

 ニコルの事を考えれば考えるほど、アイザックの気分は落ち込んでいく。


 そんな彼が落ち込みながらも挫けなかったのは、愛する妻達がいたからだ。

 パメラもリサも、アイザックから望んで結婚した相手である。

 彼女らを捨てて、自分が教会に入ったりするような事はできない。

 それに子供も生まれてくる。


 ――子供のためにも頑張らないといけない。


 その思いが、アイザックの心を支えていた。

 アイザックはグラスを傾け、琥珀色の液体を喉に流し込む。

 もちろん、アップルジュースである。

 酒ですべてを忘れたいと思っても、絶対に飲む事はできない。

 こういう時、二十歳未満は飲酒の禁止という決まりがもどかしい。

 たとえ次期国王であろうとも、この決まりを破る事はできなかった。


「閣下、少しよろしいでしょうか?」


 ドアをノックする音と共に、入室の許可を求める声が聞こえる。

 ノーマンの声だった。

 まだ一人でいたかったが、彼にも聞いておかねばならない事があったので入室を許可する。


「どうした?」

「その言葉は、こちらの台詞です。どうなされたのですか? それほどまでに落ち込まれるなど、兄君の十歳式以来です」

「お前には関係ない事だ」


 そう答えると、アイザックは顔をそむける。

 これで話は終わりだという態度を見せたのだ。

 だが、いつもなら引き下がるノーマンも、今回は引き下がらなかった。


「関係はございます。閣下がブラーク商会に、偽の伝令を用意するようにと命じたあの日から私も一蓮托生の身です。閣下の心身の健康は心配です」


 偽の伝令を用意した日。

 アイザックはノーマン達に「リード王国に仇なす者を討てという命令を忠実に遂行する」と言って説得していた。


 ――そうリード王国に仇なす者を排除すると。


 その対象は、エリアス達も含まれていた。

 当然である。

 時おり無駄に動いて致命的なミスまで犯す。

 さらにはジェイソンの専横を許し、王位まで奪われたのだ。

 これまでの行動を鑑みれば、立派に国益を損ねていると言えるだろう。

 政治的に無能で大人しくしているだけならばともかく、行動力のある無能は厄介だ。

 だから、アイザックは王族を排除する計画を打ち明けた。


 ノーマンも当初は驚き、戸惑い、苦しんでいた。

 エリアスは囚われていたので、ジェイソンに密告しようかと思ったぐらいである。

 だが、そうはしなかった。


「私はエンフィールド公に、この国の未来を――私や家族の未来を託したのです! 関係ない事などありません! 私の忠義はリード王国ではなく、エンフィールド公にあるのです。誰かに話す事で楽になれるかもしれないのであれば、私にお話ください。ご家族に話せぬ内容であっても、私なら外部に漏らしたりいたしません」


 ――アイザックならば、未来をより良いものに変えていける。


 そう信じたから、ノーマンはアイザックに賭けた。

 彼はもともと王国中枢で働ける立場ではなく、ウェルロッド侯爵家に仕えるしかなかったという事もあり、王家への忠誠が薄かったのも影響していた。

 だから、アイザックの計画を誰かに漏らす事なく、自ら進んで従う道を選んだのだ。

 計画が成功したというのに、そのアイザックが塞ぎ込んでいては従った者達が困る。


 もちろん、困るのはノーマンのような裏の事情を知る者だけではない。

 アイザックに正義があると思い、共に戦ってきた者達も困る。

 すなわち、リード王国の全貴族と全国民である。

 明日は即位式があるので、なんとしてでも立ち直ってもらわねば困るところだった。

 そのため、ノーマンは勇気を出して踏み込んだ質問をする事にしたのだ。


 アイザックにも、ノーマンが心配している事がわかった。

 わかってはいたが、話せる内容でもなかった。


(俺が前世の記憶を持ってゲームの世界に生まれ変わって、前世の妹だったニコルを殺した事を後悔してるって話せってか?)


 アイザックは小さく鼻で笑う。

 そんな事を知られてしまえば、おかしくなったと思われて、即位しても実権を貴族達に奪われてしまうだろう。


 ――かつてのパメラのように。


 できる事なら話したい。

 だが、すべてを正直に話す事などできない。

 そのもどかしさ故に、井戸に秘密を叫ぶ気持ちがわかりそうなくらいだった。


「私がネトルホールズ女男爵の影響を受けていたのは聞いているな?」

「はい、伺っております」


 ノーマンは、アイザックの筆頭秘書官だ。

 ランドルフから、サポートしやすいようにと話を聞いていた。


「そのせいで、絶対に殺してはいけない人を殺してしまった。その事を思うと、どうしても後悔してしまうんだ」

「閣下……」


(私のせいだ……。私が止めて差し上げるべきだった!)


 ノーマンも後悔する。


(あの時の閣下は、やはり操られていたのだ! でなければ、敬愛するエリアス陛下を殺めようなどと思うはずがない!)


 ――アイザックがエリアスを殺そうとした理由。


 本当に「リード王国のためにならない」と思っていた可能性もある。

 だがもしかしたら、あれがニコルの影響を受けていたせいだったとしたらどうだろうか。


 ジェイソン以外の王族がいなくなれば、リード王国の貴族が掲げる旗印が失われる。

「そのような恐ろしい企てに利用されていたのではないか?」と、ノーマンは考えた。


 そばにいたノーマンですら、そう思っていたのだ。

 おそらく、これまでのアイザックを知る者であれば似たような事を考えるだろう。

 それほどまでに、忠臣としての顔は広く知られていた。

 アイザックの擬態は、完璧に成功していたのだった。


「兄上の時もそうだ。私はいつも殺してから……、後戻りできなくなってから後悔する。相手が生きていれば、まだやりようがあるというのに」

「兄君の時は、ああせねば閣下の身が危うい状況でした。今回もそうです。ネトルホールズ女男爵を処刑せねば、いつかは閣下がジェイソンのようになっていたかもしれません。やらねばならない状況に追い込んだ、あちら側に責任があったのです。閣下が悔やむ必要などありません」


 ノーマンは、アイザックを自虐的な考えから庇った。

 その気持ちは、アイザックにも伝わる。


「支え切れると断言はできませんが、立ち直るまでの時間は稼いでみせます。辛い時は、我らに気兼ねなく相談してください」

「ありがとう、ノーマン。どうしてもダメな時はそうするよ」


(今がそうなんだけどな)


 彼の気持ちはありがたい。

 しかし、本当の事を打ち明けられないのは辛い。

 やはり、すべてを打ち明けられる相手がいないというのは残念でならなかった。

 とはいえ、こうして支えようとしてくれる人間がいる事のありがたみを、アイザックは強く実感していた。

 そして、彼に何か報いられないかを考える。


「ノーマン、宰相に興味はあるか?」

「えっ……。ないと言えばウソになりますが……。私では荷が重いでしょう」

「ならば努力しろ。ウィンザー侯のあとは、クーパー伯に任せて、一度は辞任させられたという汚名を返上させる。その次を目指してみろ。チャンスは与える。お前次第だ」


 あまりにも突然現れた大きな機会に、ノーマンは返事ができなかった。

 だが、アイザックは気前がいい。

 嘘ではないという事だけはわかった。


「……その時、力があればという事でお願いいたします」

「あぁ、わかっている。だが、功績には報いると約束する」


 アイザックは、視線を窓の外に移した。

 話は、これで終わりだという意味である。

 ノーマンは一礼をして、退室していった。


(そうだな、俺には家族だけじゃない。付いてきてくれた奴らにも報いてやらねばならない。……でも今だけは)


 夜空にニコルの笑顔が浮かぶ。

 あれほどまでに避けたかった相手の顔だ。

 これまでに、これほど恋しいと思う事などなかった。

 しかし、もう見る事はできない。


 立ち直らねばならない事はわかっている。

 だが今だけは、妹のために悲しみ、冥福を祈る事をやめられはしなかった。

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