第544話 ニコルはもう死んでいる

「エリアス陛下を手にかけた罪人共の処刑は終わった。十日にエンフィールド公が即位される。喪も明けた事でもあるし、今この時から気持ちを切り替え、新たな王を迎え入れる心構えをしておくように」


 処刑は、クーパー伯爵の言葉で締めくくられた。

 この言葉で民衆の心は、公開処刑の熱狂から新王誕生の熱狂へと変わる。

 アイザックが締めくくりの言葉を言わなかったのは、少し様子がおかしかったからである。

 そのため、事前の打ち合わせ通りにクーパー伯爵が行なったのだ。


「アイザック、大丈夫か? やはり影響が……」


 ランドルフが心配して、アイザックに声をかける。

「アイザックが、ニコルの影響を受けているかもしれない」というのは、アルタ会談で懸念されていた事だ。

 やはり影響を受けていたのかもしれない。


 この場にいる者で、もう誰も「ゴメンズは、ただの色ボケ集団」などと思っている者はいなかった。

 チャールズとマイケルの二人の変貌ぶりは、それだけ衝撃的だった。

 魔法か呪術かはわからないが、あれほど強い影響力があったのだ。

 あのアイザックといえども、多少は影響を受けていたに違いない。

 解放されたショックで、体調を壊していてもおかしくはないと思われていた。


「大丈夫です。少し……、モヤモヤとしたものを感じているだけです」

「ならいいのだが。でもやっぱり今日は屋敷に帰って休んだほうがいいんじゃないか?」

「そうですね……。一度王宮へいって、重要な案件がなければ、仕事は明日に回してもいいかもしれません」


 アイザックの足取りは、しっかりとしたものだった。

 しかし、その表情は少し蒼褪めており、気分が優れているとは言い難いものであった。

 ウィルメンテ侯爵やウォリック侯爵が、アイザックとニコルについて話したいと思っていても、遠慮してしまう程度には顔色に出ている。

「二人の変わりようはなんだったのだ!」と語り合いたいと思っていたが、お互いに気まずい相手なので、セオドアやクーパー伯爵と話そうと思っていた。


「即位式が終わるまで忙しくなるでしょう。色々話したい事はあるでしょうが、また後日という事でお願いします」


 アイザックは馬車に乗り込む前に、他の者達が話したそうにしている事に気付いた。

 そこで「また後日」と話し合いから逃げないと約束だけはしておく。

 馬車に乗り込むと、心配したランドルフも同乗してくる。

 後始末はクーパー伯爵に任せ、エンフィールド公爵家の馬車は王宮へと向かう。

 周囲の視線がなくなったところで、アイザックは深く溜息をついた。


(考えたくはない。考えたくはないけど……。やっぱり俺はシックスメンズだったんだ……。今になって確信した。俺もニコルの影響を受けていたと)


 アイザックの目から一筋の涙が流れる。

 ニコルの影響を受けていた事に気付けなかった事が悲しいのではない。

 そのせいで、気付かねばならない大事な事に気付けなかった事が悲しいのだ。


(昌美……。お前がニコルだったんだな……)


 これまで本心を隠してきたアイザックだが、今はあふれる涙が止められなかった。

 自分が生まれ変わっているのだ。

 車の隣に座っていた妹も、事故に遭って生まれ変わっていてもおかしくない。


 ――なぜ、チョコレートを持ってきたのか?

 ――なぜ、エッセンシャルオイルなどというものを思いついたのか?

 ――なぜ、ブラジャーを作ってきたのか?

 ――なぜ、マイケルから彼女を守ると言ってしまったのか?

 ――なぜ、醤油や味噌の事を、お醤油やお味噌と言った時に気付いてやれなかったのか?


 彼女が昌美だと思うチャンスはいくらでもあった。

 自分がニコルの影響を受けていると気付くチャンスもあった。

 なのに「主人公だからだ」と思い、怪しむ事すらしなかった。


 ――いや、できなかった。


 今になって、ようやく気付けたのだ。

 きっとこれも、ニコルの呪いとも呼べる強力な影響力のせいだろう。

 自分がシックスメンズの一員かもしれないと疑った事はある。

 だが「自分は特別な力に操られているのでは?」という疑念すら持てなかった。

 彼女の影響が、これほどまで強いという事すら考えられなかったのだ。


 だが、今ならばわかる。


(ニコルにだけある特別な力のせいだ。本編では攻略キャラが馬鹿になるというシナリオの影響か知らないけど、それは確実に影響を与えていた。……例えそうであっても、俺は大事な妹にも気付いてやれない馬鹿だ。大馬鹿だ……)


 アイザックは落ち込む。

 あれだけヒントがあったのだ。


 ――ニコルの影響を受けていたとしても、兄としてどこかで気付いてやる事ができたのではないか?


 そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。


「お、おい、アイザック。大丈夫か?」


 様子がおかしいアイザックを心配して、ランドルフが声をかける。

 アイザックは仕草で「大丈夫だ」と答える。

 だが、すぐにランドルフを睨む。


(そうだ、親父のせいじゃないか! 親父が俺にニコルに会うなっていうから、最後のチャンスを不意にしたんだ!)


 その事に気付くと、悲しみが一転して憤怒へと変わる。

 アイザックの豹変ぶりに、ランドルフは驚きを通り越して恐怖を感じた。

 しかし、それはわずかな時間の事。

 すぐにアイザックは怒りを抑え、視線を逸らした。


(いや、違う。あの時には、もう手遅れだった。助ける事ができなかった。親父を恨むのは筋違いだ……)


 怒りに身を任せそうになるが、どこか冷静な頭がそれをさせなかった。

 いっその事、感情のままに行動できたほうが楽になれるのにと思わざるを得ない。


 ――世の中には知らないほうが幸せな事がある。


 その言葉を、これほどまでに痛感する時がくるとは思ってもみなかった。

「ニコル=昌美」という事に気付かなければ、こんなに苦しむ事はなかっただろう。

「いっその事、気付かないままならばよかったのに」と考えてしまう。


(ニコルが攻略しやすいようにするという補正なんてもんじゃない。あれは呪いだ。こんなに苦しめられるのだから……。くそっ、なんで、なんで気付かなかったんだ! こんなのって……、こんなのってないだろう!)


 ――転生など、そうそう起こらない。


 あの考えも、ニコルの影響だったのかもしれない。

 そうとしか思えず、アイザックは神を呪った。


 ――ニコルだけを特別な存在としたために、妹を救う機会すら与えられなかった。


 原作主人公だからと贔屓されていた事により、彼女は死ぬ事となった。

 なんという皮肉だろうか。

 アイザックは頭を抱えてうつむく。


 ――もうニコルは死んでいる。


 彼女に事実かどうかを聞く事もできない。

 すべてが手後れになってから気付いた事に、アイザックは深く傷ついていた。


「なぁ、アイザック。なにか言ってくれ」


 アイザックの様子を見て心配したランドルフが、またしても声をかける。

 今のアイザックは、明らかにおかしい。

 睨まれた時は恐ろしかったが、それでも父親として聞いておかねばならなかった。


「私も――」

「私も?」

「――彼女の影響を受けていたようです」


 さすがに「前世ではニコルと兄妹で、妹を殺してヘコんでいます」とは答えられない。

 そんな事をすれば、パメラのときのように頭がおかしくなったと家族に思われてしまうだろう。

 アイザックは、今の段階で答えられる範囲で答えた。 

 ランドルフは「そうか」と答え、アイザックの正面から隣に座り直す。


「辛いな」

「ええ、とても……」

「辛い時は泣いてもいい。いつか立ち直る事ができるかどうかが大切だ。私で頼りなければ、パメラやリサを頼ってもいい。みんな、お前の手助けをするから、今は泣けるだけ泣いて、心中のものを吐き出すといい」


 ランドルフは、アイザックの肩に手を回して抱きしめた。

 アイザックは強い子だ。

 これほどまでに激しく泣くのは、おそらくネイサンを殺した時以来だろう。

 それだけ衝撃的な事だったのだろう。 


(それもそうか。もっと早くに気付けていれば、違った未来もあったのだから)


 ランドルフは、アイザックが「ニコルの危険性に気付けなかった事を悔やんでいる」と思っていた。

 もしもっと早く気付けていれば、エリアス達を助ける事ができただろう。

 いや、ジェイソン達も救えたかもしれない。

 その機会を逃した事を悔やんでいる。

 忠臣と呼ばれた男としての涙だと思い、その胸中を察して、共に涙を流した。

 かつて隣にいてやれなかった分も含めて。

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