第543話 ニコルが死んだあとの影響は
(ニコルの最期の言葉。あいつに兄なんていたのか? ……もしかして!?)
「ハリファックス子爵、アンディさん」
アイザックが疑問を持ち始めた時、チャールズがハリファックス子爵に話しかけた。
話しかけられた二人は身構える。
アイザックら、この場にいた者達も彼の言葉に耳を傾けた。
「私は取り返しのつかない事をしてしまいました……」
――謝罪の言葉。
それは、つい先ほどまでの様子からは想像できないものであった。
誰もが「やはり、あの女には男を狂わせる力だがあったのではないか?」という考えが頭をよぎる。
「友人としてジェイソン陛下……。いえ、ジェイソンを止めるべきだったというのに……。なぜ止められなかったのか……。ティファニーにも悪い事をしました。確かに不満のあるところもありましたが、それはお互いに直していけばいいだけの事。別れを切り出すほどの事ではありませんでした」
チャールズは涙をにじませ、悔しそうにしていた。
その様子は演技ではなく、本気のようにしか見えなかった。
「ティファニーに、すまなかったと伝えてください」
「それはできない」
チャールズの頼みを、アンディがすぐさま却下する。
だがそれは、彼が憎いからという理由だけではなかった。
「ティファニーは、長い間お前を忘れられずに苦しんでいた。ようやく過去を振り切って、前に踏み出し始めたところだぞ。お前の謝罪を聞き、また過去を引きずるような事になってもらっては困る。謝罪の言葉は伝えられん」
アンディの言葉を聞き、チャールズは寂しそうに「そうですね」と呟いた。
その姿は、ただの命乞いではなく理性を感じられるものだった。
この場にいた者達は、徐々に恐れを抱き始めた。
だが、それは深刻な問題にまでは発展しなかった。
不思議な力でたぶらかされていたとしても、本人の罪を許す事はできない。
たとえジェイソンであろうとも、簒奪行為は許されるものではないのだ。
「殺さずに済んだのでは?」という疑問が頭に浮かぼうとも「結局は死刑を免れなかった」と思えば、動揺の域を越えるものにはならなかったからだ。
自分達の行動を正当化し、一定以上の負荷をかけないよう、心が自動的にブレーキをかけていたのかもしれない。
「もっとも、相手によっては最期の言葉を伝えてやらん事もない」
ハリファックス子爵は、広場に隣接する建物の上階に視線を向ける。
チャールズが釣られてそちらを見ると、窓辺にフードを目深に被った男の姿が目に入った。
その男はチャールズの視線に気付くと、フードを脱ぐ。
「父上……」
チャールズの両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
だが、父に頭を下げたりはしなかった。
親族以外の貴族が処刑を見物するだけなら「悪趣味だな」で話は終わる。
しかし「息子の身を憐れむためにきた」と思われたら、それはアダムス伯爵家にとって仇となる。
ただでさえ反逆者を身内から出したのだ。
致命的な傷になりかねない。
だから、チャールズは父に頭を下げなかった。
――父の存在を誰かに気付かれないように。
――これ以上、家に迷惑をかけぬために。
チャールズは、ハリファックス子爵に視線を戻す。
「私は知性も理性も持たぬ獣でした。それだけお伝え願います」
彼はこの状況であるにも関わらず、非常に落ち着いた声で家族への言伝を頼んだ。
「あぁ……。アダムス伯も、それで理解してくれるだろう。必ず伝えよう」
ハリファックス子爵は、チャールズの覚悟を感じ取っていた。
彼の言葉を捻じ曲げる事なく、アダムス伯爵へ伝える事を約束する。
その気持ちに偽りはない。
今、目の前にいるのは孫娘を安心して預けられると思っていた青年だったからだ。
それだけに、道を踏み外した事を少しだけもったいなく感じていた。
「マイケル、お前の口からは何も言う事はないのか?」
ランカスター伯爵が俯いたままのマイケルに話しかける。
だが、彼は力のない声でフフフと笑い続けるだけで反応を示さなかった。
ダニエルと顔を見合わせ「何も期待できそうにない」と首を振る。
「では、そろそろよろしいか?」
クーパー伯爵が、ランカスター伯爵とハリファックス子爵に尋ねる。
二人とも、うなずく事で同意の意思を伝える。
アイザックの言う通り、元凶がニコルだという事はわかった。
ならば、これ以上話す事はない。
処刑の執行を続けるべきだ。
「アイザック!」
チャールズが、アイザックに話しかける。
彼の両脇にいた騎士が黙らせようとするが、その前に用件を切り出した。
「ティファニーの事を頼む」
「お前に言われるまでもない」
今際の際、チャールズが残した言葉は元婚約者の事だった。
しかしティファニーは、チャールズの事を諦めて新たな道を探し始めている。
もうチャールズが心配する必要などない。
アイザックは、きっぱりと「お前の出る幕ではない」と切り捨てた。
これは胸中に渦巻く不安や恐れによる余裕のなさから出た態度だったが、チャールズはそれを当たり前の事だと受け止め、寂しそうな顔は見せなかった。
「ありがとう」
そう言い残して、処刑台へ連行され、首を切り落とされた。
最後に残ったマイケルは――
「やめろ、離せ」
――連行されようとしたところ、騎士の腕を振り払おうとしていた。
誰もが「最期のあがきか」と思う。
「自分で歩ける。この期に及んで誰が逃げるか」
だが違った。
彼は騎士に連行されるのが嫌だったようだ。
最期には格好をつけようというのだろう。
「謝罪はしない」
処刑台に向かう前、ランカスター伯爵とダニエルに一言だけ残す。
「謝罪で済むものではないからな」
マイケルの背中を見ながら、ランカスター伯爵はダニエルにボソッと話す。
彼の罪は重い。
ジュディスに関して形の上では和解は済んでいるが、心情としては謝罪で済ませられるようなものではなかった。
そこに簒奪行為に加担した罪が加われば、言葉で弁解できるものではない。
マイケルもそれをよく理解し、命乞いとも思われかねない言葉での謝罪をせず、自ら処刑台に向かう覚悟にて謝罪の意を見せようとしているのだろう。
おぼつかない足取りではあったが、自分の足で処刑台へ一歩、また一歩と進んでいく。
断頭台に震えながらも最後の瞬間まで首を差し出して見せた。
近くで様子を見守っていたウリッジ伯爵は、こみ上げてくる感情に戸惑っていた。
チャールズもマイケルも憎い相手だ。
本来ならば、死んでせいせいするはずだった。
なのに、今は彼らの姿を見て泣きそうになっていた。
(たった一人。たった一人の女のために、これほどまで多くの人間の人生が狂わされてしまったのか。彼らも、あの女に惑わされなければ立派な若者に成長していただろうに)
覚悟を決めていても、いざとなると怖気づいてしまう者の方が多かった。
だが、二人は首を刎ねられても口を堅く閉ざしたままだった。
――自分の罪と向き合い、その罰を大人しく受け入れる。
それができる者がどれだけいるだろうか。
その一事だけでも、彼らが非凡な若者だったと感じさせられた。
ウリッジ伯爵は、反逆者だとわかっていても同情を禁じえなかった。
そっと空を見上げ、こみ上げる感情を堪えようとしていた。
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明けましておめでとうございます。
残りわずかですが、今年もよろしくお願いいたします。
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