第538話 セレクションの準備

「ロレッタ殿下はご無事でしょうか? 怪我がないかエルフの方々に調べていただきますか?」


 アイザックは、ヘクターに寄りかかっているロレッタに気付いた。

 だが、それは怖がって腕にすがり付いているというわけではなく、電車で隣に座る人に寄りかかって寝ているかのような様子だった。

 気を失っているのかもしれないと思い、声をかける。


「ドラゴンを前にして気を失っただけのようだから大丈夫だろう。恥ずかしい話だが、私は避難しようとしてドラゴンを不快にさせたりはしないかという恐怖のせいで動けなかった……。エンフィールド公は、よくあのような化け物に話しかけられたものだと感心させられる」


 ヘクターが恥ずかしそうに語る。

 しかし、悔しさは感じていないようだ。

 その理由について、アイザックもわかったような気がした。


「私も初めて会った時は身動きが取れず、そのまま食い殺されるのではないかと怯えておりました。先ほどは話が通じる個体だとわかっていたため、落ち着いて対処できただけです。ドラゴンは嵐や地震といったものと同じで、恐れるのは正常な反応だと思います。人間では対抗できない災害のようなものだと思うべきでしょう」

「災害か。確かにその言葉がピッタリだが……。その災害を被害を出さずに抑えたのは見事。国を救ってもらった事や、王族の血を濃くするという目的を抜きにしても、是非ともロレッタを娶ってもらいたい。そう思う気持ちがより一層強くなった」

「高く評価していただけた事は至極光栄に存じます」


 アイザックは礼を言う。

 だが、この話はしたくないので切り上げようとする。


「ですが、評価をしていただくのはドラゴンの対応が終わってからです。いまだに脅威は去っておりません。ベッドフォード侯も退席された事ですし、この会合は一時中断という事でいかがでしょうか?」


 周囲に同意を求めると、反対意見は出なかった。

 当事者であるテリーとアクセルがいないところで進める話でもない。

 それに安全を確保してほしいという思いも強かったためだ。

 出席者が同意したと見て、アイザックはドラゴン対策に動くと決める。


「あのドラゴンは物の価値がわかります。王宮へ向かってきたのも、他の建物に比べて価値があると思ったからでしょう。壊さなかったのも、同じ理由だと思われます。そのため怒らせない限り、王宮は安全だと思われます。もうしばらくの間、王宮内にてお待ちください」

「ロレッタの目が覚めるまでは、ここにいるつもりだ。慌てる必要もないからな」

「その通り。せっかく集まったのだ。親族でエリアス陛下を偲びつつ、世間話に花を咲かせるのもよかろう」


 ヘクターに賛同する声があがる。

 誰も椅子から立ち上がろうとしていなかったので、もしかしたら腰が抜けていたのかもしれない。

 アイザックも「立てないんですか?」などと、からかったりはしない。


(そこに触れられたら、あとは命の取り合いをするしかないという事態になりかねないからな。特に王族や貴族は)


 目立つほどではないが、ジワリと漏らしている可能性もある。

「乾くまで立ち上がりたくない」という者もいるかもしれないと考えた方がいいだろう。

 余計な事は言わないでおいたほうがいい。


「なにかあれば、レーマン伯にお申し付けください。ではウィルメンテ侯、一緒にきていただけますか?」

「ええ、もちろん。私にできる事があるならば」


 ウィルメンテ侯爵は「全貴族の兵を使ってもあの化け物の相手はできないぞ」と思っていた。

 だが、アイザックが彼に同行を求めたのは違う理由があった。


「4W揃ってドラゴンに挨拶をするだけです。この国の代表としてね」

「なるほど、そういう事でしたか。では参りましょう」


(ここで老人達の話し相手をしていたほうがマシだ)


 そうは思うが、この申し出を断るわけにはいかない。

 ドラゴンに怯えていると思われてしまうからだ。

 それに茶飲み話には、レーマン伯爵が付き合う事になっている。

 自分がこの場に残る理由がないため、ウィルメンテ侯爵は従うしかなかった。


 アイザック達は、一礼をしてから退出する。

 二人がいなくなると、緊張から解放された者達は天を仰いで大きく息を吐いた。


「レディ・ベッドフォードには申し訳ないが、もう決まりだろう。ベッドフォード侯がダメだというのではない。あれが普通の反応だ。残念だが器が違う」

「昔からドラゴンを大人しくさせようと試した者がいたが、討伐以外の方法で成功したと聞いた事はない。エルフ、ドワーフ、そしてドラゴン。何百年も棚上げにしてきた問題を解決したのだ。実績は十分すぎる」

「むしろ、リード王家の血が薄いと渋るよりも、王家の血を引いていると積極的に認めるべきだろう。その方がリード王家の価値もあがる」


 それぞれが、アイザックを認めようという流れになる。


「レディ・ベッドフォード。あなたはどう思われる?」

「……やむを得ないでしょう」


 この流れには、サンドラも反対できなかった。

 二人の息子が恐怖で漏らしたのでは、みっともないと思われても仕方がない。

 それだけならまだしも、アイザックは、へりくだりながらもドラゴンに対応していた。

 比べる相手がいるからこそ、言い訳のしようがなかった。

 彼女も、アイザックが王位に就く事を強く否定できない。


「まぁ、それもこのあと次第だ。ドラゴンに食い殺されでもしたら、また一から話し合わねばならんからな」

「セレクションが、どうなるのか楽しみにしておきましょう。ドラゴンをどう扱うのか見物ですな」


 さすがにドラゴンに対応するアイザックの姿を見てしまえば反対意見が出ようもない。

 王族の間では、アイザックが王になる方向で話が進んでいく。



 ----------


 

「アーヴィン。ウォリック侯のところへいって、すぐ王宮へ連れてきてくれ。ドラゴンへの挨拶のためだが、詳しい話はこちらですると伝えろ。それと――」


 廊下を歩きながら指示を出していると、アイザックはウィンザー侯爵と出会った。

 彼の姿を見て、アイザックの言葉が詰まる。

 彼は派手に漏らしていた――というわけではなく、服がインクで派手に汚れていた。


「窓を開けていたところ、ドラゴンの舞い降りる暴風のせいでインクを浴びてしまった。書類も悲惨な事になっている。あんな化け物が降りてくるのは完全に想定外だ。他のところでも似たような被害が出ているだろう。まったく、いるだけでもなんと迷惑な存在なのだ。だから、湯浴みでもしようとしていたところだ」


 ウィンザー侯爵は、溜息を吐く。 

 彼にしては目先の事に文句を言うばかりで、落ち着きがない。

 アイザックは義理の祖父の手をそっと取る。


「ドラゴンは王宮南側の広場に移動しました。これからウォリック侯も呼び出して、4Wの皆で挨拶に行こうと考えています。街に被害を出さないためにも、機嫌よくいてもらわねば困りますからね」

「あぁ、あぁ、その通りだ。これから先も被害を出さないようにせねばならん。こういう時、エンフィールド公は頼りになるな」


 ウィンザー侯爵も、自分がうろたえていた事に気付き、これから何をしなくてはならないかを思い出した。

 インクの汚れなど些細な問題である。


「湯浴みは避けられた方がいいでしょう」


 二人の会話に、ウィルメンテ侯爵が口を挟む。


「なぜかな?」

「今頃、ベッドフォード侯と弟のアクセルが湯浴みをしている頃でしょうから。それと、エンフィールド公が王位に就かれるのは確定したと思います」


 先ほどまでのウィンザー侯爵なら、ウィルメンテ侯爵の言葉に含まれた意味に気付かなかっただろう。

 だが、落ち着けば違う。

 湯浴みをしている・・・・・・・・の意味を察していた。


「……屋敷から着替えを持ってこさせているところだ。着替えを汚さぬよう、厨房の湯で顔と手を洗うとしよう」

「そうされるのがよろしいかと」


 ――ションベン漏らしの若造と風呂に入りたくはない。


 ウィンザー侯爵は、そう判断した。

 ウィルメンテ侯爵も「アイザックが水をかけた」と説明する手間を省いた。

 これは厳しい言葉を放ったサンドラへのささやかな意趣返しである。

 テリーとアクセルは、母の代わりに代償を支払う事になったのだった。


「では後ほどまた。ドラゴンと直接会うと圧迫感が違いますので、トイレに行っておくのをオススメします」

「そうしよう」


 アイザックに言われるまでもなかった。

 広場という事は、王宮内よりも人目に触れるという事だ。

 醜態を晒す事はできない。

 ドラゴンと会うなら、出すものを出しておくつもりだった。


 アイザック達と別れたあと、ウィンザー侯爵は自分の手を見つめる。


(なるほど、あれが王の器か。この状況で、あれだけの頼もしさを発揮できるのだからな)


 ウィンザー侯爵は手を握り締める。

 本来ならば、自分が対応しているべき状況だった。

 だが、現実にはアイザックが対応している。

 若い頃ならば呆けておらず、誰よりも先に動いていただろう。

 悔しさと共に、世代交代の波を感じていた。



 ----------



 ウォリック侯爵が到着すると、アイザックは四人の当主を連れてドラゴンのもとへ向かう。

 護衛は連れていない。

 ドラゴン相手に、そんなものは無駄だからだ。


「お前が陛下の命令拒否権を求めた理由がよくわかった」


 モーガンが遠い目をしながら、アイザックに語りかける。


「でしょう?」

「あぁ。今にも『ふざけるな!』とお前を殴り飛ばしてしまいそうになる」


 ドラゴンへの挨拶という無茶振りに、モーガンは本音を漏らす。

 これにはアイザックも苦笑を浮かべる。


「外務大臣のおっしゃる事とは思えませんね」

「何事にも限度がある。対話が可能とはいえ、ドラゴンは想定外だ。せめてエルフやドワーフだけにしてくれ」

「私も当時はそう思ってましたよ」


 モーガンの愚痴に付き合いながら歩いていると、周囲の建物の中を覗き込んでいたドラゴンがアイザック達に気付いた。

 体を大きく動かし、こちらへ振り返り、頭をアイザック達へ近づけた。


 悲鳴をあげそうになったが、なんとか嚙み殺したのだろう。

 背後から小さなうめき声が聞こえた。

 本能的な恐怖よりも、面子で悲鳴を堪えたようだ。

 アイザックは背後の様子を感じながら、ドラゴンに声をかける。


「ドラゴン様。背後の四人は、この国を動かす侯爵という立場にある者達です。国王代理である私と共に一言ご挨拶をと思い、参上した次第であります。今後ともお見知りおきを」

「そうか。それで、セレクションはいつ始まる?」


 ドラゴンは彼らの存在を気にしていないようだ。

 それもそのはず、アリのような存在を個別に判別したりはしないだろう。

 だが、こうして国を動かす者達がドラゴンと話している光景が重要なのだ。

 それがわかっているから、モーガン達も逃げ出そうとしたりはしなかった。

 耐えられているのは、アイザックに意識が向けられているというのも大きいかもしれない。


「セレクションは明日開催する予定です。今すぐですと、まともな品物を集められません。この地で集められるものの中でも最上級のものを集めるには、一日は必要ですのでご理解ください」

「期待はしておらん。おらんが、くだらぬものばかりでは困る。一晩くらいは待とう」

「ありがとうございます。それでですが――」


 アイザックは、ドラゴンに対していくつか注文を付ける。


 それは主に――


 ドラゴンの偉大な姿を見ようと、周辺に人が集まるだろうが寛容でいてほしい。


 ――という内容のものだった。


 特に今は周辺国から要人が集まっているところだ。

 暴れられて被害が出れば、アイザックには迷惑だった。

 ドラゴンも一応は暴れるつもりはなさそうなのが救いである。

 他にも「気に入るものがなくとも大目に見てほしい」という事についても念押ししていた。

 最後に、アイザックは大きな頼みをする。


「人間は名を名乗る事が当たり前の行為で、死に行く者に対して名乗るものではありません。その事を前提に覚えておいていただきたいのですが……。セレクションが終わった時に『亡き王エリアスに哀悼の意を捧げる。そして、新王アイザックの即位を祝おう』と言っていただきたいのです。ドラゴン様から、」

「ほう」


 ドラゴンは、アイザックに顔を近づける。

 息で吹き飛びそうになるが、必死に堪えた。


「我を利用しようというのか」

「滅相もない! ただドラゴン様から、その一言があれば、我らもよりよいものをお届けしようと頑張れます。これはドラゴン様のためになる事なのです」


 アイザックは誤魔化すが、しばらくドラゴンはアイザックを見つめ続ける。

 もしトイレに行っていなければ、ありったけのものを出していただろう。


「今回は褒美を持ってきていない。我の気に入ったものがあれば、それを褒美代わりにしてやろう」

「ありがとうございます!」


 ドラゴンは鱗などを持ってきていなかった。

 ドラゴンセレクションが終わったあと、ノリで行動したからだろう。


(褒美を与えると喜んで働くという事を教えておいてよかったぁ!)


 アイザックが対価を要求しても大丈夫だろうと思ったのは、手ぶらだと確認できていたからだ。

 この一言は、アイザックにとって鱗や骨よりもずっと価値がある。

 あとは、無事に言葉を引き出せるように成功させるだけだ。


(商会に総動員をかけないといけないな)


 金に糸目は付けない。

 だが、人間の作った品物をどこまで喜んでくれるかがわからない。

 なんとしてでも、アイザックはセレクションを成功させねばならなかった。

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