第537話 ドラゴンがやってきた理由
窓からではドラゴンの全容が見えない。
それだけ大きいという事だろう。
アイザックは立ち上がり、窓際へ移動しようとする。
だが彼の前にマットが立ちはだかった。
「危険です! 退避してください!」
「カービー男爵。私は次期国王として、あのドラゴンが暴れないように説得しなくてはならない。今は大人しいが暴れ出したらどうする? それに――」
アイザックは窓の外に視線を向ける。
「――あれほど巨大なドラゴン。そうそういるはずがない。おそらく対話できるはずだ」
――とてつもなく巨大なドラゴン。
そんなものがゴロゴロいては困る。
だとすると、あのドラゴンは、アイザック達が知っているドラゴンの可能性が高い。
対話は十分に可能だと思えた。
それに違う個体であっても、いきなり暴れるほど狂暴ではないのなら対処できるだろう。
そのためにも、まずは確認が必要だった。
マットは反対だった。
しかし「アイザックならなんとかするはずだ」という思いから、確認だけは認めようと道を開ける。
アイザックは窓際に近寄ると、ドラゴンの様子を窺う。
(やはり大きい。全長50mクラスとなると……、やっぱりノイアイゼンで会ったドラゴンくらいだろう。マチアス爺さんも、これだけ大きいのは珍しいとか言ってたしな。だとすると、話ができる可能性が高い)
アイザックは、窓を開けてバルコニーへ出る。
マットが止めに行こうとするが、ドラゴンの視線が向けられて足が止まる。
「ドワーフの街でお会いしたドラゴン様でしょうか?」
勇気を出して問いかける。
ドラゴンは問いかけに応える事なく、アイザックのいるバルコニーへ移動してきた。
一歩歩くごとにズシンズシンと地響きがなる。
そのたび背後からヒッという小さな悲鳴が聞こえてくる。
だが、泣き叫ぶような者はいない。
本能的にドラゴンの気を引くような声を出さないよう抑えていたからだ。
ここまではアイザックも耐えられていた。
しかし、ドラゴンがアイザックの前で口を開き、舌を伸ばしてきた時はもうダメだった。
(あっ、死ぬっ)
アイザックの頭に走馬灯が駆け巡る。
一瞬の間ではあるが、パメラと出会い、子供を作るところまでが思い出させられた。
もう逃げるだと抗うだのという事は考えられず、ただ茫然と立っているだけだった。
「ぐえっ」
だが、小さな悲鳴で現実に引き戻される。
アイザックの足元には、よだれでベタベタになった壮年のドワーフがいた。
「だ、大丈夫ですか?」
ドラゴンから目を背け、足元のドワーフに声をかける。
「う、う……」
ドワーフは、うめき声のようなものを漏らしていた。
(そりゃそうだ。ドラゴンの口の中なんて――)
「うぉぉぉ! やったぞーーー! ドラゴンに乗って空を飛んだ初めてのドワーフは俺だぁぁぁ!」
ドワーフは拳を突き上げながら勢いよく立ち上がる。
しぶきがアイザックに当たり「汚なっ」と呟いた。
そのドワーフは、アイザックが声をかけてもはしゃぎ続けている。
「誰か、タオルを持ってきてくれ。それと、マチアスさん。こちらへきてください」
だが、そのおかげで少し冷静になれた。
マチアス達は、アイザックの護衛として付いてくれている。
マットと共に部屋の外まできてくれていた。
彼を呼び、ドワーフに落ち着いてもらおうと考えた。
控室で待っていたマチアス達は、すぐにきてくれた。
マチアスはドラゴンに驚きながらも、はしゃぐドワーフの顔に平手打ちをお見舞いして正気を取り戻させる。
見ていた者達は「魔法ではなく物理で正気に戻した!?」と驚く。
「なにがあった?」
「えっ、あぁ……。あっ、これはこれはエンフィールド公! ご無沙汰しております。このたびは――痛ぁっい」
問いかけに答えず、アイザックへの挨拶を優先しようとしたので、マチアスは再度平手打ちをお見舞いする。
「用件を言わんか。なぜドラゴン様がきているのかをな」
マチアスはベトついた手をハンカチで拭いながら、再度問いかけた。
ドワーフは頬をさすりながら、マチアスの問いに答える。
「実は昨日ですかな。ドラゴンセレクションが終わったあと、受賞者を祝って酒盛りをしておりました。その時、ドラゴン様の前で『最近は人間の職人も腕を上げて、なかなか良い物を作るようになった』と話していたのです。そこで道案内として、私を連れて王都へこられたという次第でございます」
短いながらも、今の話で確定した事が二つある。
――まず一つは、このドラゴンはドワーフの街で出会ったドラゴンだという事。
――もう一つは、このドラゴンを連れてきたのは目の前のドワーフだという事だ。
(お前のせいかぁぁぁ!)
アイザックも平手打ちをお見舞いしたい気分になった。
だが、アイザックの事を知っているようだ。
それに王都へ案内もできる。
王都にきた事があるという事だろう。
ならば、このドワーフは大使館関係者か、ジークハルトの関係者である可能性が高い。
どちらであっても大切にせねばならないし、場合によっては外交のカードとして使う事ができる。
殴ってスッキリするだけでは済ませるにはもったいなかったため、アイザックは我慢する。
ドラゴンがやってきた目的がわかった。
ならば、あとはドラゴン本人に確認するだけだ。
「ドラゴンセレクションを人間の街でも開催する。それがお望みなのでしょうか?」
顔を見ると怖いので、視線はバルコニーの床に向けたまま問いかける。
「そうだ」
ドラゴンが返事をすると、強い鼻息を噴き出した。
間近で受けたアイザックは尻もちをつく。
背後から小さな悲鳴が聞こえた。
かなり勢いのある鼻息だ。
部屋の中にも生臭い息が流れ込んだのだろう。
(まだ避難していなかったのか)
アイザックは、背後の者達の心配をした。
彼らは周辺国の要人でもあるのだ。
万が一があっては困る。
信頼して送り出したのに、遺体となって帰ってきたとあっては恨みを買うだろう。
すぐにでも逃げ出してほしいところだった。
彼らを守るためにも、アイザックは立ち上がる。
鼻息で倒れたのを見て、ドラゴンも少し顔を離してくれていた。
圧迫感がわずかながらも減ったので、アイザックは少しだけ心に余裕ができた。
「それでは、すぐに準備をさせましょう。ですが、一点お忘れなきようお願いします」
「なんだ?」
「人間の職人は、ドワーフほど腕がよくはないという事です。それでも人間にとっては必要な存在なのです。お気に召されるものがございませぬとも、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」
「言われるまでもない。お前との約束は覚えている」
ドラゴンも、アイザックに「人間は素材をドワーフに売っているので殺さないでほしい」と言われた事を覚えていた。
だから、王都で一番目立つ王宮に降り立った時も、破壊したりはしなかったのだ。
疑われた事により、ドラゴンの機嫌が悪くなる。
「人間は数多く存在しております。矮小な存在に過ぎない人間の言葉を覚えてくださった事は無上の喜びでございます」
アイザックは、ドラゴンの感情の変化を機敏に感じ取っていた。
すぐさまフォローに移る。
持ち上げておけば、機嫌を直すだろうと考えたからである。
「我に話しかけてくる人間など他におらぬからな」
「私はドラゴン様に有益な話をお聞かせするべく勇気を振り絞っておりました。ドラゴン様の威厳を前にして、用もなく声をかけられる者などおりますまい」
「うむ。セレクションとやらはなかなかだった」
ドラゴンの機嫌は直ったようだ。
さすがに表情では判別できなかったが、雰囲気で察する事はできる。
だが、ご機嫌取りが終われば、次は頼みをする番である。
逃げ出したくなるが、この要求はしておかねばならなかった。
「この場所は王宮といって王――人間の群れの長が住まう場所なのです。セレクションの準備を整えるまでの間、王宮の外でお待ちいただきたいと思っております」
「我が邪魔だと?」
またしてもドラゴンの態度が険しくなる。
しかし、これは予想の範囲内だった。
「いえ、そうではありません。実は我らの王が亡くなったばかりで、その死を悲しんでいるところでした。ドラゴン様の足元にある草花は庭園というもので、王が愛した場所でございます。ドラゴン様のような偉大な方がおられるだけでも……」
アイザックの言葉に反応し、ドラゴンは周囲を見回した。
その時、尻尾が王宮に触れそうになるが、ギリギリのところで止まる。
建物を壊せば人間は死ぬという事を覚えていてくれたようだ。
「確かに人の手が入っているようだな」
ドラゴンは、ただの野草が生えているわけではない事に気付く。
自分が歩いてできた跡を見て、庭園に大きな傷跡を残した事に「もったいない事をした」と思っていた。
「王宮の外、周囲にある壁の向こう側ならば大丈夫です。すぐにドラゴン様のために場所を開けさせましょう。ヘンリー男爵。王宮南側の広場を通行止めにし、ドラゴン様が休む事ができる場所を確保せよ」
すぐさまアイザックは、トミーに命令を出す。
確かに庭園はもったいないが、王宮の方が大切である。
ドラゴンをすぐに外へ出す必要を感じていた。
ドラゴンの寝相が悪く、王宮を破壊されてはたまらないからだ。
(国王になって最初の仕事が王宮の復旧だなんて笑い話にもならない)
その心配から、せめて王宮の外へ出そうと考えた。
だが、アイザックも冷静ではない。
「王都郊外へ」とまでは思い浮かばず、すぐ近くの広場しか思い浮かばなかった。
「あっ、エルフの旦那。タオルで拭く前に水で洗い流してくれませんかね?」
「まったく、こんな時に呑気な……」
マチアスはぶつぶつと言いながらも、ドワーフの体を頭から洗い流す。
タオルは、マットが持ってきた。
ただの使用人では、部屋に入る事もできなかったからだ。
やがてトミーから準備ができたという知らせが入ると、ドラゴンは広場へと飛び去る。
ドラゴンが飛ぶ際、王宮の近くではガラスが割れたりして危険なため、庭園の中央から飛んでもらう事にした。
その際、ドラゴンが足元を気にしながら移動する姿が、アイザックにはおかしなものに見えて小さな声で笑ってしまった。
部屋に戻ると、ほとんどの者がアイザックを怯えるような目で見ている事に気付いた。
――ドラゴンとすら話をする男。
噂には聞いていたが、噂で聞くのと実際に見るのとでは印象が違う。
圧倒的強者相手にもひるむ事なく、交渉できる胆力は十分に化け物染みていた。
(……そうだ! いい事を思いついたぞ!)
アイザックは、かつての自分を思い出した。
ドラゴンと初めて会った時の事を。
「皆様、避難されておられなかったのですね」
そう、この場には
恐ろしさで足が動かなかったのだろう。
アイザックも、初めてドラゴンと会った時は恐れのあまり足がすくんでいた。
彼らも人間である以上、動けなかったに違いない。
ならば、利用できる状況でもある。
そこで、アイザックはテリーとアクセルのところに向かい、視線を
そのあと、水が入ったコップを手に取り、彼らの股間に向けてこぼした。
「なにをするっ!」
当然、二人は慌てる。
アイザックは申し訳なさそうな顔をして、こう言った。
「申し訳ございません。喉が渇いたので手近にあった水を飲もうとしたのですが、恐怖のあまりに手が震えてしまっていたようです」
「も、漏らしてなどいないぞ」
「もちろん存じております。これは私の粗相でございます。誠に申し訳ございません。ノーマン、湯浴みの準備を。風邪を召されぬよう、体を温めていただかねば。それとタオルもだ」
アイザックは謝罪し、ノーマンに命じる。
予想した通り、二人は強く断ったりはしなかった。
アイザックも、初めてドラゴンと会った時は漏らしても仕方ないと感じるほどの衝撃を受けていた。
それは彼らも同じはず。
――いや、誰もが「もしかしたら漏らしたかもしれない」と思っているはずである。
絶対にないとは言い切れないはずだ。
だから、ドラゴンが現れた衝撃から立ち直る前に、アイザックは行動に移した。
きっと他の者達は――
「あぁ、漏らしていたのを誤魔化してやったのだな」
――と思っているところだろう。
アイザックは優しさをアピールでき、テリーとアクセルはみっともない奴だと思わせる事ができただろう。
この手の事は、ネイサン相手にやっていたので、アイザックも慣れたものだった。
この時、サンドラは憤怒の表情を隠す事なく睨みつけていた。
だが、その対象はアイザックではなく、二人の息子に対してである。
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