第513話 主導権の放棄

 アイザックは、待ったと手を突きだし、出てくるであろう反論を牽制する。


「エリアス陛下の死を悼むべきだ。ブランダー伯爵領の問題が残っている。そういう意見がある事はわかっている。だが、皆をまとめる存在も必要な事だという事をわかってほしい。宰相閣下や公爵である私が、いつまでも指示を出していれば皆はどう思うだろう?」


 アイザックは、一度皆の顔を見回す。


「きっといつかは『王でもないくせに、王のように振る舞っている』と、皆に不満を持たれるようになるだろう。それはリード王国に混乱を生み、今は同盟を結んでいる周辺国の野心を呼び起こさないとも限らない。王妃殿下を失ったアーク王国や、攻め込まれる寸前だったファーティル王国の恨みを買っている状況だ。皆が一つにまとまる旗印が必要なのだ。エリアス陛下が望まれていた平和な国を守るため、まずは王となる者を選び出す時だと思う。どうだろうか?」


 今度は、皆の意見を求めた。

 この問題は難しい。

 エリアスを尊敬している者は、先に国葬を行うべきだと考えていた。

 だが、まだ生きている自分達の今後を考えれば、新たな王を戴き、国として一つにまとまるべき状況でもあった。

 誰も否定的な意見は言わない。

 しかし「もう少し悲しんでいてもいいのではないか?」「ブランダー伯爵領を攻め落としてからでもいいのではないか?」という考えを持つ者も多かった。

 今回の事件は、そう簡単に気持ちを切り替えられるようなものではないのだ。


「しかし、他国に嫁いだ王女の息子を王に戴くにしても、誰を選ぶべきか……。それぞれの素行を調べ、要請をするには時間がかかるでしょう。それまでに国内の問題を片付けてもいいのではありませんか?」


 クーパー伯爵は、時間がかかるので平行して問題を片付けようという意見を述べる。

 その慎重論は、もっともなものだった。


 だがアイザックは、そう考えていない。

 むしろ、皆の心が揺れ動いている今こそ、権力奪取の最大のチャンスだと考えていた。


「国内に有力な候補者がいるのです。まずは、その方が次の王にふさわしいかを検討してもいいのではないでしょうか? それほど時間もかからないでしょう」


 アイザックは、ウィルメンテ侯爵を見る。

 皆の視線も彼に集まった。

 しかし、その目に期待の色は見えない。

 むしろ、アイザックもただの権力欲に塗れた俗物だと思って失望していた。


 ――ケンドラがローランドと婚約しているから、アイザックはウィルメンテ侯爵を応援するつもりなのだ。


 それが、この場にいる者達に共通する考えだったからだ。

 ウィルメンテ侯爵が王になれば、ウェルロッド侯爵家の地位は盤石のものとなる。

 わざわざ見知らぬ者に王位を譲るよりも、その方がウェルロッド侯爵家にもたらす利益は莫大なものとなる。


 それにアイザックが応援するのなら、国外の王族など競争相手にならない。

 ウィルメンテ侯爵が国王になった場合に生じる問題は、きっとアイザックが解決するはずだ。

 ならば、問題はもう解決したようなもの。

 不利な状況だったウィルメンテ侯爵が最有力候補となった瞬間だった。


「お待ちを!」


 この流れに待ったの声がかかる。

 だが、それはアイザックが待ち望んでいる人物の声ではなかった。


 ――ウィルメンテ侯爵だったからだ。


「なんでしょうか?」

「確かに私は王位継承権を持っております。ですが息子のフレッドがジェイソンに協力し、信用できる人物として推薦したブランダー伯に裏切られました。エリアス陛下が謀殺される遠因を作ってしまった以上、私が王位を継ぐのはふさわしくないでしょう。適格な者を探した方がよろしいかと思われます」


 他の候補者がどうしようもない者だった時に備えて完全に否定こそしていないが、これは実質的に辞退の申し入れだった。

 ウィルメンテ侯爵が公然と辞退する意思を見せたので、ウォリック侯爵が少し満足気に微笑む。

 そしてその笑みを、すぐに噛み殺した。


「それに王政にこだわる必要はありません。議会制という政治体制を取る事もできるのではありませんか? それで上手くいっている国もあります。そういった道を選ぶのも悪くはないはずです」


 彼は、アイザックにすがるような視線を向けていた。

 議会に関しては、以前アイザックと話している。

 自分が王になるよりも、そちらの方が上手くいくような気がしていた。

 だから一縷の望みを賭けて、議会の提案をしたのだった。

 だが、アイザックは首を左右に振る。


「それは平民しかいない国だから可能なのです」


 ウィルメンテ侯爵は「おい、話が違うぞ!」と、目を丸くしてアイザックを見つめる。

 アイザックの話には続きがあった。


「貴族による議会制を作るなら、やはり王が必要です。今の我が国のように王がいなくなってしまえば、侯爵が事実上のトップとなります。侯爵位と男爵位では、権力の違いは明白。なのに侯爵と男爵で同じ一票の重みしかないとなれば、いつかは不満が噴き出るでしょう」

「それは今と同じようなものではありませんか? 王党派、中立派、貴族派と三派に分かれています。それぞれの力関係も大きく異なりますが、不満は噴き出てはいません」

「今までとは状況が大きく異なります。今までは自分達が国のために正しいと思う意見を陛下に採用していただくという形でした。それが貴族だけで決めるとなれば、ただの利権争いだと見られてしまう時もあるでしょう。やはり『陛下が決められたのだからしかたない』と我慢できる名分が必要なのです。現状では不可能でしょう」


 元々議会制を敷く事に積極的ではなかったので、アイザックはウィルメンテ侯爵の意見を否定する。


「王にふさわしいかどうかを批評されるのは辛い事だと思います。ですが、国内で王位継承権を持つ者は、ウィルメンテ侯しかいないのです。甘んじて受け入れてください」

「別に嫌というわけではないのですが……」


(議会の設立を考えていたのは、エンフィールド公ではないか……)


 ウィルメンテ侯爵は、言葉とは裏腹に不満を持っていた。

 しかし「議会の設立を考えていたのだから、利点と欠点も考えていたのだろう」という事も理解していた。

 今の時期に強引な形で議会を作れば、メリットよりもデメリットが大きく上回るから否定された。

 そう考えれば、これ以上強くは言えなかった。


 だが、アイザックは、他の候補者の名前を出していない。

 国内に継承権を持つ者がいると主張してばかりで、国外の王位継承権を持つ者に触れようとしていない。

 これでは実質的に、ウィルメンテ侯爵を国王に推薦しているようなものである。

 ウィルメンテ侯爵にとっては、迷惑極まりない行為だった。


 ――しかし、アイザック自身が、この流れをぶち壊す。


「ですが、私はウィルメンテ侯が王位に就く事に関して、賛成も反対もいたしません」

「なんですと! それはどういう事ですか?」


 クーパー伯爵が、反射的に聞き返す。

 アイザックがウィルメンテ侯爵を応援すると意思表示をすれば、反対意見を持つ者も口をつぐみ、すんなりと話が通ったはずだ。

 そのようにクーパー伯爵は考えていた。

 なのに、アイザックは意思表示をしないという。

 最初にクーパー伯爵の頭をよぎったのは「これは踏み絵か?」という疑問だった。


 かつてアイザックが、自分に従うかどうかを商人に試したという噂は聞いている。

 それと同じように「ウィルメンテ侯爵を支持する者と支持しない者を分け、不支持の者を処分するのではないか?」というものだった。


 ――ここでの反応が自分達の運命を左右する。


 そのように考え、クーパー伯爵は恐れてしまう。

 だが同時に「この国難を乗り切るには、それくらい思い切った手段を使った方がいいのではないか?」という考えも浮かぶ。

 クーパー伯爵は、もちろん生き残る事ができる側を選ぶつもりだった。

 だがアイザックは、またしても驚かせる言葉を放つ。


「私はエンフィールド公爵ではありますが、それは形式上の事。実質的にはウェルロッド侯爵家の人間であり、その跡継ぎです。そして妹のケンドラは、ウィルメンテ侯の次男であるローランドと婚約しています。ウィルメンテ侯が王になれば、ローランドが王太子となるのは明白。そうなれば、私は未来の王の義兄となるのです。深い利害関係にある以上、私は積極的な意見を述べるべきではないと考えています。それに、エリアス陛下を助け出せなかった者に、意見を言う資格などありません……」


 アイザックは暗い表情を浮かべて、顔を伏せる。

 それは、エリアスを救う事ができずに自信を失っている男の姿だった。

 アイザックが肩を落としている姿は珍しく、多くの貴族が軽く驚いていた。


「誰を国王に推薦するかという問題に、私は一切口出し致しません。このあとは皆さんにお任せし、私はその決定に従います」


 アイザックは主導権を完全に手放した。

 ここから先は、自分の意見で話を誘導してはいけないからだ。

 このあと、とある人物が主導権を握ってくれなければならない。

 もし、その人物が黙っていれば、アイザックの企みは失敗に終わる。

 大きな賭けではあったが、アイザックはその人物を信頼していた。


 ――彼ならば、きっとやってくれると。

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