第507話 王宮への突入

 六月十九日。


 キンブル将軍率いる先遣隊は、王都まであと半日のところまできていた。

 このまま駆けていきたいところだが、戦闘を考えれば兵を休ませねばならない。

 王都まで目と鼻の先で立ち止まるという、もどかしい思いをしていた。


「王宮に突入する際には、宰相閣下が支援してくれるはずだ。突入後は陛下の安全の確保が最優先だという事を忘れるな! 近衛騎士を討ち取る事に気を取られて、陛下を危険に晒す事のないように。それだけは覚えておいてほしい」


 部隊毎に個別の命令はあるが、最終目標は同じ。


 ――エリアスの救出。


 個別に与えられた指示に固執して、エリアスの救出が遅れてしまっては意味がない。

 キンブル将軍は、明日の要注意点を皆に再確認させる。 


 クーパー伯爵には、私服の使者を出している。

 王国軍の鎧を着たままでは怪しまれるためである。

 きっと明日の朝一で、キンブル将軍達を迎え入れてくれるはずだ。

 あとは近衛騎士を、どれだけ犠牲を少なくして倒す事ができるかである。


「初めての家族旅行前日の子供のように寝そびれるような、みっともない真似をするなよ! 体を休ませる事も、兵士には必要な事だからな!」




 六月二十日。


 翌日、緊張でよく眠れなかったキンブル将軍は、あくびを噛み殺しながら先頭を駆けていた。

 まだ朝日は昇っていない。

 早朝に王都へ到着し、近衛騎士の大半が眠っている間にエリアスを奪還するというのが、キンブル将軍が考えていた作戦だった。


「止まれ!」


 しかし、まもなく王都というところに検問が張られていた。

 道を馬車で封鎖し、周囲に無数の兵士がたむろしていた。

 先遣隊は、隊長らしき兵士に止められる。


「なぜこんなところに検問を張っている?」


 キンブル将軍は状況が把握できず、戸惑っていた。

 検問所の兵士達は武器を構え、何人も通さないという姿勢を見せていた。

 先遣隊に比べれば圧倒的少数であるにもかかわらず、絶対に通さないという意思が見える。


「暗いからわかりにくいかもしれんが、私はレナード・キンブル将軍である。危急の用件により、通してもらうぞ」

「できません! 何者も通すなという命令が宰相閣下から出ています。いくらキンブル将軍といえども、ここを通すわけにはいかないのです」

「なんだと! 宰相閣下が!?」


 ――クーパー伯爵が裏切った。


 キンブル将軍の脳裏に、その可能性が真っ先に浮かんだ。

 前日には使者も送っているのだ。

 裏切ったのでなければ、このような命令を出す意味がわからない。

 だが、まずは確認が先だった。


「宰相閣下には、昨日使者を出しているのだぞ」

「それは私共にはわかりかねます。通行許可が出るかどうかの確認をしてからでないと、ここは通せません」

「今、ここを通らねばならんのだ! 確認などしている暇などない!」


(……やるか!)


 検問所にいる兵士は五十人ほど。

 精鋭揃いの先遣隊の前には、質も量も話にならない。

 強行突破という手段を取っても、時間はかからないだろう。

 エリアス救出が至上命令である以上、兵士達の犠牲もやむを得ないとキンブル将軍は決断する。


「お待ちを」


 話が聞こえる位置にいたマットが割って入る。

 今まさに命令を下そうとしていたところなので、キンブル将軍は命令を察知して止められたような気がしていた。


「どうした?」

「彼らは宰相閣下の命令で動いているのでしょう? 私ならば説得できます」

「カービー男爵なら? ……わかった。やってみろ」


 将軍の自分にできない事を、マットがやれるというのだ。

 キンブル将軍は複雑な気分だった。 

 だが、今は個人的な感情で行動する時ではない。

 黙ってマットに任せる事にした。

 マットは兜を脱ぎ、兵士達の前へ進み出る。


「誰か、私が誰だかわかる者はいるか?」

「……エンフィールド公爵家騎士団長のマット・カービー男爵とお見受けいたします」

「そうだ。キンブル将軍はエンフィールド公の命により、エリアス陛下を救出する部隊を率いておられる」


 検問所の兵士達がざわつき始める。

 隊長らしき者も、マットとキンブル将軍の顔を何度も交互に見つめていた。

 明らかに動揺している。


「宰相閣下は、エンフィールド公の部隊までも足止めしろと命じられたのか?」

「いえ……。いいえ、命じられておりません! エンフィールド公を始めとする、先王陛下派の軍は通すようにと命じられておりました!」

「エンフィールド公に代わり、騎士団長の私がキンブル将軍の保証をする。通してくれるな?」

「はっ、直ちに!」


 隊長が部下に命じて、道を開けさせる。

 馬車は簡単に撤去されないように車軸を折っていたので、動かすのが大変そうに見える。

 だが、マット達は手伝わない。

 これからの戦闘に備えて、体力を温存しておく必要があったからだ。


「私のような者には知らされていませんが、王宮で何かあったようです。お急ぎください」

「あぁ、わかった」


 マットは、キンブル将軍に振り返る。


「閣下、参りましょう」

「あぁ、そうだな」


 キンブル将軍は返事をするが、あまり張りのある声ではなかった。

 この状況に思うところがあったせいだ。


「カービー男爵、貴公は兵の信頼が厚いようだな」


 ――嫉妬により、漏れてしまった一言。


 言う必要のない状況だとわかっていながらも、つい口にしてしまう。

 だが、嫉妬をぶつけられたマットは平然としていた。

 それどころか、笑みすら浮かべている。


「私が信頼されているわけではありません。エンフィールド公のおかげです。それに将軍も、元帥閣下が宰相閣下に協力者として名前を伝えていれば、そのまま通る事ができたでしょう。味方かどうか判別できなかっただけのはずです」

「あぁ、なるほど。そういう事か」


 キンブル将軍も「マットが兵士に人気があるから」というだけではないと気付いた。

 エリアス派を集めている事を、ジェイソン派の人間に知られるわけにはいかない。

 そのため、情報交換も身内でのものとなっていた。


 ――武官は武官、文官は文官。


 今思えば、キンブル将軍もクーパー伯爵が誰を味方にしているのかを知らない。

 ならば、クーパー伯爵も武官の誰が味方なのかわからなくてもおかしくない。

 念のために、知っている者以外は通すなと命じていたのだろう。


「カービー男爵、すまぬな」

「なにがでしょうか?」

「いや、なんでもない」


(私の一人相撲だったというわけか)


 マットが不思議そうな顔をするが、キンブル将軍は小さく笑って誤魔化すだけだった。



 ----------



 王都付近でもう一度検問に遭遇したが、マットの顔で突破する。

 街の住民は突然現れた軍に驚いていた。

 しかし、そんなものは気にせず、王宮まで一気に駆け抜ける。

 王宮の門が開いているのが見えた。

 門を閉められては厄介だ。


「このまま勢いを止めずにいくぞ!」


 ――指揮官先頭。


 背後にいる者達の士気を高めるため、キンブル将軍は先陣を切って突撃する。


「えっ、止めろ、止めろ!」


 突然現れた騎兵の一団を防ごうと、門兵が門を閉じようとする。

 だが、キンブル将軍と側近は閉じられる前に中に入り込み、兵士達を切りつけた。


「エリアス陛下救出の邪魔をする者は切り捨てる! 我らと共に近衛騎士と戦うか、反逆者として死ぬかを選べ!」


 閉門を阻止する。

 キンブル将軍は後続が入ってくるのを確認し、門兵に目的を伝えた。

 そして、すぐさま監獄塔へと馬を走らせる。


「エリアス陛下の救出!? では、お味方ですか? あの、将軍、お待ちを!」


 門を任されている隊長が叫ぶが、キンブル将軍の耳には届かなかった。

 次々と入ってくる騎兵の邪魔をするわけにもいかず、彼は途方に暮れてしまう。


 王宮内は混乱に陥った。

 突然現れた五千の騎士達が要所を征圧していったからだ。

 だが奇妙な事に、近衛騎士団の反撃がない。

 一般兵達も逆らう気配がなかった。

 王宮内の征圧は、不気味なほどにスムーズに進んでいった。


 政治区画は、通路に詳しいウィンザー侯爵家が任されていた。

 彼らが宰相の執務室を確認した時、秘書官が一人いるだけだった。

 まだクーパー伯爵は登庁していないようだ。


「ウィンザー侯爵家の者だ。宰相閣下は、まだご自宅か?」

「いえ、昨日からずっと王宮内に滞在しておられます」


 秘書官は泣いていた。

 ウィンザー侯爵家の騎士は怖がらせてしまったのだと思い、武器を収めて彼に近付く。


「我らはエリアス陛下を救出にきました。あなたは宰相閣下の秘書官なのでしょう? 怯える必要はありません。我らの敵はジェイソン陛下派なのですから」


 秘書官は、自分が泣いている事に気付いて、ハンカチで目元を拭う。


「あなた方を恐れているわけではありません。陛下が……、王族の皆様が……」



 ----------



「どういう事だ、これは?」


 監獄塔に到着したキンブル将軍は、この場にいる者達の心情を代弁した。

 入り口付近には、近衛騎士の死体が打ち捨てるように放置されていた。

 本来、この光景は救援隊が作り出すはずだったのだ。

 誰かに先を越されてしまったらしい。


 付近にいる兵士も、武装した騎兵部隊が王宮に突入してきたというのに対応しようとしない。

 壁に背を預けて、へたり込んでいる。

 明らかに異常事態である。


「おい、ここで何があったか聞いてこい! 我らは突入するぞ!」


 部下に状況を確認するように伝え、キンブル将軍は監獄塔へ突入する。

 何が起きたかわからないが、エリアスの救出が最優先である。

 彼の安全を確認するまでは、足を止めている事などできない。

 戦闘があった様子なので、さすがに先頭を切って走るのは部下が許してくれなかった。

 部下達が先に入り、階段を慎重に登っていく。


「ん? おい、待て! 何者だ!」


 聞きなれない声が聞こえる。

 キンブル将軍の部下は返事をする事なく襲い掛かった。


「くそっ、ジェイソン派の反逆者だっ! 反撃しろ!」

「お前達こそ反逆者だろう!」

「違う! 我らは先王陛下派だ!」


 すぐに戦いは止まった。

 キンブル将軍が到着すると、部下と近衛騎士が睨み合っていた。


「ならば、お前達はなぜエリアス陛下を解放せずにいる? 扉を開けろ!」


 キンブル将軍は、彼らに問いかけた。

 すると、近衛騎士達は困惑する姿を見せる。


「王妃殿下を、ここの牢に入れています。私達は宰相閣下の命により、逃走しないように見張っているところだったのです」


 彼らの説明の背後で――


「誰か助けにきたの? ここから出して―!」


 ――と助けを求める若い女の声が聞こえた。


 おぼろげながらも、それはニコルの声のように聞こえた。

 少なくとも、ジェシカの声ではない。

 おそらく、近衛騎士達の言っている事は事実だろう。


「では、エリアス陛下はどこだ? どこにおられる!?」

「エリアス陛下が囚われていたのは最上階で――あっ、お待ちを!」


 近衛騎士の説明を最後まで聞かず、キンブル将軍は息を切らしながら階段を駆け上がる。

 部屋に近付くにつれ、血の匂いが漂っている事に気付いた。

 さらに鼓動が早くなる。

 キンブル将軍は部下の制止を振り切り、真っ先にドアノブに手をかけた。


 ――部屋の中は想像通りの光景が広がっていた。


 部屋中に血が飛び散り、壁の漆喰を赤く染めている。

 ところどころ焦げたあとがあるのは、炎か雷の魔法が使われたからだろう。

 夕食時に争ったのだろうか。

 食器と料理が床に散乱していた。


「あぁ……」


 キンブル将軍は腰が抜けたように尻もちをつく。

 彼も歴戦の勇士。

 血など見慣れている。

 だが、この光景だけは耐えられなかった。


 彼の部下も同じである。

 キンブル将軍を気遣うよりも、部屋の中の光景を見て体が固まらせていた。


 ――エリアスがいた部屋で起きた惨劇。


 それは「間に合わなかった」と思わせるのには十分だった。

 重い沈黙の中、すすり泣く声が聞こえ始める。

 そこに、階段を駆け上がる足音が混じる。


「宰相閣下が、エリアス陛下の事でお会いしたいそうです」

「陛下の事で……」


 ここにエリアスの死体はない。

 クーパー伯爵が先んじて救出した可能性だってある。

 キンブル将軍は、少しだけ希望を取り戻した。


「状況を詳しく聞きたい。すぐにいくと伝えろ!」


(そうだ、ダメだと決めつけるのはまだ早い。まずは状況の確認だ。絶望するのはそれからでも遅くはない)


 戦場だけではない。

 王宮でも理解できない事が起きている。

 まずは状況を知る事が先決だと、キンブル将軍は塔を降りていった。

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