第505話 近衛騎士達の混乱

 王都に残っていた近衛騎士団の責任者達が集まり、ウェルロッド侯爵家の屋敷へ向かっていた。

 先に確認させた部下からの報告で無人だという事がわかっていたが、自分達の目で確かめるのが重要である。

 にわかには信じられない事なので、皆で行く事にしたのだ。

 静かな貴族街を必死で馬を駆けさせる。


「そんな、まさか……」


 ウェルロッド侯爵家の屋敷が目に入ると、皆が愕然とした。

 この時間ならば、敷地内で使用人や庭師が働いているのが見えてもおかしくない。

 なのに、一人も姿が見えないのだ。

 明らかに異常である。


 当然、門にも門番がいない。

 ただ、かんぬきで門が閉められているだけである。

 魔法でかんぬきを破壊して、敷地内に入る。

 それでも、誰一人として近寄ってくる者はいない。


 近衛騎士達は、嘘であってほしいと願いながら屋敷の扉を叩く。

 だが、それでも反応はなかった。


「ドアを壊すぞ」


 待ちきれなくなった副団長が扉の鍵を壊した。

 屋敷の中は綺麗に整っていた。

 慌てて夜逃げしたのではなく、以前から決められていたかのようだった。

 つまり、それが意味する事は一つ。


 ――突発的な行動ではなく、王都にいる頃から計画していた反逆だった。


「謀られた……、謀られたんだ! くそっ!」


 一人の近衛騎士が、玄関脇にあった花瓶に怒りに任せて地面に叩きつける。

 花瓶は割れたが、それだけだった。

 中には花も水も入っていない。

 退去する際に、使用人が処分していたのだろう。


「やめないか!」


 別の近衛騎士が止める。


「ここまでコケにされて大人しくしていられるか! せめて屋敷を燃やしてやる!」

「やめんか、バカモン!」


 取り乱す近衛騎士に対して、副団長が叱りつける。


「ですが――」

「これから先の事を考えろ! ウェルロッド侯爵家の屋敷を燃やせば、一時は気分が晴れるだろう! だが、屋敷を燃やされたエンフィールド公がどう思う? ジェイソン陛下のとりなしがあったとしても、いつかは暗殺されるぞ! 今はエンフィールド公の不興を買う行動をせぬよう耐える時だ!」

「……短慮に失するところでした。申し訳ありません」

「わかればいい」


 そう、これからの事を考えるならば、アイザックの不興を買うような真似は避けるべきだった。

 屋敷を燃やされれば、きっと面子を守るために報復してくるだろう。

 ジェイソンに助命嘆願されても、それは表向きだけ。

 どんな方法を使うかは想像もできないが、必ず暗殺を狙ってくるはずだ。

 いつ仕掛けてくるかわからない暗殺者に怯え続ける人生など真っ平ごめんである。


「それに、屋敷を燃やすという以上の被害は与えられないので、やるだけ無駄でしょう」


 先ほどの二人とは違う近衛騎士が発言する。

 その男は割れた花瓶の破片を拾い上げて、マジマジと見つめていた。


「どういう事だ? その花瓶が安物だというのか?」

「いえ、おそらくドワーフ製の高価なものです」


 彼は貴族出身だけあって、目利きができる。

 だから、仲間が割った壺も価値があるものだと見抜いていた。


「ですが、この屋敷の雰囲気には合いません。あそこの花瓶も、彫像も、絵画も。高価なだけでミスマッチです。運び出した品の代わりに、高価な品物を急いで飾り付けただけのようにしか見えません」


 そして、この場にある品物が、ウェルロッド侯爵家・・・・・・・・・にとって・・・・貴重な品物ではないという事も見抜いていた。


「だが、高価な品なのだろう? 大損害ではないか?」


 花瓶を割った近衛騎士が問いかける。

 彼は近衛騎士として働いていたが、平民出身という事もあり「高価な品物」はすべて「高そうな品物」としか思えなかった。

 そのため、仲間が言わんとしている事が理解できなかった。


「少なくとも、見える範囲にある物は見せかけだけ。金さえあれば用意できるものです。恩賜の品や先祖代々伝わる貴重な品など、失って本当に困るものはこの屋敷には残っていないでしょう。すでに歴史のある品々は退避させているのではないでしょうか?」

「退避……、そうか!」


 副団長が、大きな声をあげた。


「エンフィールド公は二人の夫人の部屋を用意するために、サンダース子爵の今は亡き妻や息子の遺品を領地に送っていた! あまりにも量が多いのでジェイソン陛下も不審に思われておられたのだが……。きっとあの時に貴重な品を運び出していたに違いない!」

「まさか、そんな……。いや、でもエンフィールド公ならそれくらい平然とやってみせるか……」

「待ってくれ。あの時期は他の貴族達も荷物を運び出していたぞ。結婚の時期だから、エンフィールド公と同じ理由だと思っていたが、もしかして……」

「そういえば、ここにくる道中も馬車の一台も通っていなかった! 傘下の貴族達も貴重品を運び出して逃げ出してるんじゃないのか!」


 重い沈黙が訪れる。

 あれはジェイソンがアイザックに協力するように頼んでから間もない頃の事である。

 つまり、逡巡する事なく、即決していたという事だ。


 ――おそらく、ジェイソンと話をしている最中には、裏切る決心をしていたはずである。


 あまりにも決断が早い。

 そして、その上で上手く立ち回って見せた。

 アイザックには裏切ろうという様子がまったく見えなかった。

 彼らは、まともに会話してはいけない相手を交渉によって味方にしようとしたジェイソンの判断を恨む。


「まずはウィンザー侯爵家の屋敷も確認しにいこう。そのあとは、ウォリック侯爵家、ウィルメンテ侯爵家だ」

「ウィルメンテ侯爵家が先の方がよくありませんか?」

「希望は最後に残しておくべきだ……」


 そうは言うものの、副団長も期待はしていなかった。

 フレッドの父親ではあるが、切れ者として知られているウィルメンテ侯爵が、この流れで裏切らないはずがない。

 息子を見捨てて、アイザック側に付いている可能性の方がずっと高い。

 だが、それがわかっていても「もしかしたら?」という期待があった。

 せめて一秒でも長く、その希望を残しておきたい気分だった。



 ----------



 ――希望は打ち砕かれた。


 各家を調べて回ったところ、どこも退避済みだったからだ。

 フレッドの実家であるウィルメンテ侯爵家までもだ。

 人の気配があるのは、クーパー伯爵など王都で働いている貴族の家だけだった。


 使用人すらいない事に気付くと、華やかだった貴族街がとても不気味に見えた。

 各家を調べて回り、王宮に戻った頃には日が傾き始めていた。

 その夕焼けが、まるで自分達の血で染まっているかのように赤く見えていた。

 こうなってしまっては、もう道は残されていない。

 選べるのは二つ。


 ――やるか、やられるかだ。


「夕食に何を食べよう」と考えていたジェイソン派の近衛騎士達は、いきなり究極の選択を突きつけられる事となった。


「いくらなんでも陛下を手にかけるのは……」


 一人の近衛騎士が放った言葉は、他の者達の心情を代弁していた。

 確かにエリアスに不満を持っていたので、ジェイソンに協力はした。

 だが、殺そうと思うほど強い恨みを持っていたわけではない。 

 ジェイソンの命令は、多くの者を戸惑わせていた。


「それに『私だけになれば問題ない』という言葉の意味。それは直系の王族が・・・・・・という意味でしょう。そうなると……」

「ミルズ殿下と、そのご子息も無視はできんだろうな」


 これには気分が落ち込んでしまう。

 ミルズの子供はまだ五歳にもなっていない。

 三歳と一歳の幼子だ。

 しかし、彼らを生き残らせてしまえば、ジェイソンを廃嫡、もしくは処刑して、彼らを即位させるという道を残してしまう。

 エリアスだけを殺してしまえばいいというわけではなかった。

 ミルズ一家も殺めてしまわねばならない。


「それに王族は彼らだけではありません。他国に嫁いだ王女の子供を呼び寄せるという事もできるし、ウィルメンテ侯だっています。ジェイソン陛下が、そのまま王位に居座れるという可能性は低いのではないですか?」


 ある者が、貴族達が取り得る選択を予想する。

 ジェイソンを王として仰ぎたくないと思った者達が、違う王を探すかもしれない。

 その可能性は十分に考えられた。


「特にウィルメンテ侯は、先王陛下の又従兄弟です。しかも、息子がエンフィールド公の妹と婚約している。ジェイソン陛下を王のまま残すくらいならば、彼を王にして盛り立てようとするかもしれません。その方が、エンフィールド公やウェルロッド侯にとっては都合がいいですから」

「ですが、エンフィールド公は王家への忠誠は誰よりも強いはず。そのような事をするでしょうか?」

「あの忠誠心は、先王陛下へのものだ。先王陛下を殺してしまえば、ジェイソン陛下への忠義は期待できない。ウィルメンテ侯を王にするという可能性は十分にある」


 誰もが難しい顔で考え込む。

 すでにアイザックに裏切られてしまった以上、ジェイソンが上手くやれるとは思えない。

 思わない方がいいだろう。


「ならば、先王陛下を解放して許しを請うべきでは?」

「馬鹿か貴様は!」


 副団長がテーブルに拳を叩きつけ、怒りを露わにする。


「それで助かるのはジェイソン陛下だけだ! 我らは間違いなく処刑されるぞ!」

「ですが、ブランダー伯が味方になったとしても、三倍近い敵を相手にしなくてはなりません。王国軍三万で貴族連合軍相手にどれだけ戦えるか……。ここは潔く降伏するべきでしょう」

「潔く? フンッ」


 副団長は、降伏するべきだという近衛騎士を鼻で笑った。


「誇り高き騎士として死にたいのであれば、一人で勝手に死ね。これは戦争だ。ジェイソン陛下に協力をすると決めた時からな。誇りや気高さなどを気にするのであれば、先王陛下を裏切るな! 矜持など戦争に勝ってから考えろ!」


 彼は「誇りがあったのならば、エリアスを裏切るべきではなかった」と痛烈に批判する。

 その図星を突く発言には、誰も反論できなかった。


「私は先王陛下に自害していただくべきだと考えている。ジェイソン陛下を助けるためだと進言すれば、きっと受け入れてくれるだろう」


 ――自害していただく。


 これが、ただの名目だという事は聞くまでもなかった。

 実際は強引に毒を飲ませて殺すのだろう。

 もしくは、食事に毒を混ぜるという手もある。

 副団長は、エリアスを殺すと決めているようだ。

 判断に迷っていた者達は、彼の態度を心強く思う。

 だが、副団長を盲目的に信じる者ばかりではない。


「しかし、その伝令が本物だという証拠もないのでしょう? 身分を照会しようにも、すでに見分けがつかなくなっていますし……」


 これは副団長の手落ちだった。

 情報の拡散を防ぐために殺したが、情報を引き出してからのほうがよかった。

 少なくとも、どこの騎士団に所属しているかくらいは聞いておくべきだったのだ。

 それがわかっているだけに、副団長も強く否定できなかった。


「確かに証拠はない。では、聞こう。そのような策を弄する必要のある者が、このリード王国にいるのか?」

「国内というよりも、リード王国の混乱を狙う他国。特にファーティル王国やロックウェル王国などが疑わしいかと思われます」

「だろうな。だが、戦争を止めたいのならば、狙うのはジェイソン陛下のほうだろう? 彼らが先王陛下を害してなんの得がある? 喪に服するために軍を引き返すとでも?」

「それは……、わかりません」

「だろうな、私にもわからん」


 他国の介入の可能性も低い。

 他国が策を弄するには時間が足りなかったはずだからだ。

 そうわかっていても、誰もが釈然としない表情を浮かべていた。

 それだけではないような気がしていたからだ。


「表向きはジェイソン陛下に王位を禅譲している。リード王国を混乱させたいのなら、先王陛下よりも宰相閣下を狙ったほうが影響が大きい。他国が狙う標的としてはおかしい」

「では国内。例えばウォリック侯などはどうでしょうか?」


 ――ウォリック侯爵。


 彼の名前が出た事で、皆の顔色が変わった。


「あり得る! 減税を命じられた時は、反乱一歩手前だったそうだ!」

「あの時の恨みを忘れていなければ、この機会に狙っていてもおかしくないぞ」

「どさくさ紛れに復讐を果たそうというのか!?」


 可能性が高そうな話が出た事で、ウォリック侯爵の話題で場は一色に塗りつぶされた。

 誰もが覚悟を決めたようなフリをしていたが、本心はエリアスを殺したくはなかったのだ。

 だから、誰かの策略という事にして、この命令を保留という流れにしたいという思いが心の奥底にあった。

 しかし、一人の男が場の流れを止めようとする。


「落ち着け!」


 彼は貴族出身の部隊長だった。

 貴族としての教育を受けていただけに、ウォリック侯爵が個人的な復讐のためにエリアスを殺そうとしていないと見抜いていた。


「確かにウォリック侯は感情で動くところがある。だからこそ先王陛下の命を狙ったりはしないはずだ。エンフィールド公の歓心を引くために、今頃は王国軍と必死になって戦っているところだろう。そう思わないか?」

「それは……、そうかも……」


 ウォリック侯爵が、気合を入れて戦っている姿が容易に目に浮かぶ。

 アイザックにアマンダを売り込もうとするその姿は、エリアスへの恨みを晴らす事など頭の片隅にも残っていないように思えた。


「それに先王陛下の命を狙うのならば、まだエンフィールド公の方が可能性は高いと思う」

「それはないだろう。あのエンフィールド公だぞ」

「いや、だからこそだ」

「……話してみろ」


 副団長も気になったのか、理由を話すように求める。


「息子に王位を奪われ、他国に戦争を仕掛けるような事態になったのは誰の責任なのか? 言うまでもなく、脇が甘かった先王陛下の責任です。忠臣と言われているエンフィールド公だからこそ、先王陛下を悲劇の主役とする事で、責任があったという事実を歴史家の目から逸らそうとしているのではないかと私は考えています」

「忠義があるからこそ、か。そうなると、ミルズ殿下は巻き込まれるだけの完全なる被害者だな」


 ――敬愛する相手だからこそ、名が傷付かないように殺す。


 彼の説には「ウェルロッド侯爵家の人間ならやるだろうな」という説得力があった。


「しかし、それは考え過ぎだろう。いくらエンフィールド公が普通の者とは違うとはいえ、そこまでやる意味がわからない。そこまでせずとも、後日先王陛下を公然と非難してから、名誉を回復させるための機会を用意した方がいいではないか。わざわざ謀殺などという手段を取る理由はなかろう。今はこうであってほしいという妄想にすがって逃げようとせず、目の前の問題に向き合う時ではないか?」


 だが、それは空想の域を出ないものである。

 いつまでも現実逃避に時間を割いてはいられない。

 副団長は、本題に戻そうとする。


 この時、誰も「ジェイソン陛下が、そのような命令を出すでしょうか?」とは尋ねなかった。

 今のジェイソンなら、親をも殺す命令を出す可能性が十分にあったからだ。


「あの……、王妃殿下に相談しなくてもよろしいのでしょうか?」


 ある者が質問するが、その質問は周囲の者達から鼻で笑われた。


「あの女に何ができるというのだ? 学生時代の成績はよかったようだが、美しさだけが取り柄のただの小娘ではないか。『お義父様を殺さないで』とか言い出したらどうする? 王妃殿下の命令を無視したとして、我らがジェイソン陛下に処罰されてしまうわ!」


 彼らもジェイソンの異常性はわかっていた。

 ニコルに余計な事を言われれば、身動きが取れなくなる。

 だからこそ、ニコルに意見を求めるという無駄なプロセスを省こうとしていた。

 聞かなければ、彼女の意向を無視した事にはならないからだ。


「もううんざりだ! お前達はやらない理由ばかりを探している! ジェイソン陛下は王族だから助かるだろうが、我らは処刑される! 我らが助かる道は、ジェイソン陛下が王としての力を保持し続ける道しかない! 私は行動に移すぞ!」

「ですが、本当にいいのでしょうか? 確認の使者を送った方がよいのではありませんか?」


 だが、この状況になってもまだ慎重論はなくならない。

 問題の大きさのあまり、どうしても積極的になれない者もいた。


「陛下が急ぎの伝令を送った意味がわからんのか? 陛下には三万の精兵と近衛騎士団がいる。あれだけいれば半月は持つだろう。戦闘が終わる前に『先王陛下崩御』の知らせを戦場に送らねばならん。その知らせがあれば、エンフィールド公は戦争の大義を失う。逆転のチャンスとなるのだ! 私はいく! 覚悟のできた者だけ付いてこい!」


 副団長が堪忍袋の緒が切れたと、憤懣やるかたないという様子で勢いよく立ち上がる。

 他の者達は、乗り気ではなかった。

 しかし、貴族街が空になっている事から、アイザック達が裏切ったのは確実。

 行動に出るのならば早めでなければならない。

 渋々と立ち上がり、エリアスの首を取るために行動を始める。


 彼は部下達を「やらない理由を探して逃げているだけだ」と決めつけていた。

 だが、そんな彼自身も「エリアス達を殺さなくてはならない」と決めつけて焦っていた。

 この状況で冷静に物事を考えられる者はいなかった。

 当事者でなければ、誰かが「この命令はおかしい」と気付いたかもしれない。

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