第483話 ブランダー伯爵の裏切り

 ブランダー伯爵は、今にも心臓が破裂してしまうのではないかという気分だった。

 賽は投げられた。

 もう後戻りはできない。

 だが、それでもジェイソンが反応してくれなければ意味がない。


(近衛騎士に手紙を渡したというが、もしやその相手は裏切り者だったのでは?)


 手紙には「陛下だけでもお逃げください」と書いていた。

 ダッジが考えたように、彼もまたジェイソンが逃げれば、戦争の行方がわからなくなると考えたからだ。


 ジェイソンが簒奪者だろうが、一度は全貴族が王と認めている。

 平民相手には「リード王国国王」の肩書きは絶対的な力を持つ。

 アイザック達はエリアス救出を掲げているため、徴兵した平民を盾にすれば身動きが取れなくなるはずだ。

 平民を虐殺するなど、賢王を支持する者がやってはいけない事だからだ。

 そのような事をすれば、エリアス派を支持する者は大幅に減るだろう。


 それに、勝ち筋は十分にある。

 ジェイソンを逃がせば、状況は一気にエリアス派が不利になる。

 ブランダー伯爵領から王家直轄領まで、リード王国を北から中央まで分断する事ができるからだ。

 あとは徴兵した兵士をブリストル伯爵領に攻め込ませて、東西の往来を妨害すればいい。

 そうすれば、西側諸侯の兵が「故郷に戻れなくなる」と焦り、脱走兵も出てくるだろう。


 エリアスを手元に置いておけば、彼の筆跡を真似して、戦争をやめるように呼びかける事もできる。

 ただの貴族がやれば一族郎党が処刑となるが、現国王のジェイソンがやれば誰も罪には問えない。


 不安要素として、ウェルロッド侯爵家と関係の深いファーティル王国が支援する事も考えられる。

 だが、あの国は戦争の痛手から立ち直っていない。

 支援するにしても、長期的には無理なはずだ。


 それに対し、ジェイソンはアーク王国からの支援を期待できる。

 ジェシカを幽閉しているとはいえ、ジェイソンも現アーク国王の甥である事に変わりはない。

 血縁を頼って助けを求めれば、あちらも無下にはしないだろう。

 見返りを求められるかもしれないが、敗北すればすべてを失う事を考えれば安いものだ。


 ――なぜアイザックが短期間で勝負を決めようとしたのか?


 その理由を考えれば、ブランダー伯爵にも光明が見えてきた。

 時間こそ最大の味方だ。

 アイザックの嫌がる事をするのが、勝利への道筋と考える。

 ならば、とことん内戦を長引かせてやればいい。

 戦後の事は、勝ってから考えればいいのだ。


「閣下、本当によろしいので?」


 ブランダー伯爵に長年仕えてきた秘書官が「今なら考え直す事もできる」と確認をする。


「かまわん。やらねばならん理由も、勝てる理由もすでに話しただろう。もう引けるものか」


 だが、ブランダー伯爵は一蹴する。

 ジェイソンに付くのには、勝ち目があると思っている以外にも理由があるからだ。


 第一に、マイケルの処遇はエリアス次第とはいっても、きっと処刑される。

 それに対し、ジェイソン側に付いて勝利すれば、マイケルは確実に助かる。


 第二に、ジェイソンの側に付いて勝てば、不当に奪われた鉱山の権利を取り戻せる。

 ランカスター伯爵家を滅ぼしてしまえば、彼らに金を支払う必要などない。


 第三に、相応の見返りができるという事だ。

 4Wが裏切ったという絶望的な状況を切り抜けられるのだ。

 ウォリック侯爵家か、ウィンザー侯爵家の領地くらいはもらえてもおかしくない。

 ブランダー伯爵家は侯爵へと陞爵され、一気に王国貴族のトップへと躍り出るだろう。

 けして分の悪い賭けではなかった。


 この寝返り自体は、文句を言われるものではない。

 今現在の正統な国王はジェイソンだ。

 ジェイソンに味方をするのを誰が咎められようか。

 なぜなら「貴族全員が彼の即位を認めた」からだ。


 裏切り者と非難されるかもしれないが、そちらも問題はなかった。

 アイザック達も、表向きはジェイソンに従っておきながら裏切っているのだ。

 同じ事をしたからといって、非難されるいわれはない。

 ブランダー伯爵は自分の行動の正当性を、ちゃんと理論武装していた。


「それに今更もう遅い。今頃は傭兵部隊がウォリック侯爵領に攻め込んでいる頃だろう。後戻りなどできない。ならば、前に進むだけだ」


 この傭兵部隊は、先ほどの考えの一つである西側諸侯への揺さぶりのために用意されていた。

 ウォリック侯爵領を荒らす事で、ウォリック侯爵軍の兵士達に焦りを生じさせる。

 少しでも戦況を有利に動かすために、できる事はやっていた。


「ですが、傭兵ならば内乱に乗じた不届き者として切り捨てる事も――」

「もう言うな! 陛下の動きを待て」

「……はっ」


 ブランダー伯爵の意思が固いのを見て、秘書官は止めようとするのを諦めた。

 今はエリアスを裏切る事を前提に動いている。

 確かに考え直すのは難しい。

 しかし、すべてはジェイソンの動きにかかっている。

 寝返りを信じてもらえず、こちらにやってこないかもしれない。

 そうなった場合、ブランダー伯爵家はどっちつかずの中途半端な状態になってしまう。

 それは危険な状態だった。


「王国軍、動き出しました!」


 見張りが王国軍の動きを報告する。


「どっちにだ!」

「まだわかりません! ですが、出陣用意をしているように見えます!」

「ならば、どちらに動いたか引き続き報告しろ! 閣下」

「あぁ、こっちにきてくれればいいが……」


 これでブランダー伯爵家の方角に向かってくるようであれば、ジェイソンが手紙を受け取ってくれたという事だ。

 安心して行動に移す事ができる。

 だが、もし違う方角へ向かうのなら……。

 それは、ジェイソンに信用されていないという事だ。

 寝返るにしても、動きが難しくなる。

「こちらへきてくれ」と、ブランダー伯爵は願っていた。


「王国軍……、こちらへきます!」

「よし!」


 無事、ジェイソンに手紙が届いていたようだ。

 きっと、こちらに向かう軍中に紛れているはずだ。

 彼を無事に通らせなければならない。


「ジェイソン陛下のために突破口を切り開く! ウリッジに攻撃を仕掛けるぞ!」


 ブランダー伯爵は勝利を確信して、ウリッジ伯爵家への攻撃を命じた。



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「王国軍、動き出しました!」

「王室旗は見えるか?」

「王室旗は、まだ確認できません!」

「そうか」


 ウリッジ伯爵も、王国軍の動きを確認した。

 ジェイソンの存在を示す王室旗がないのであれば、動いた軍はフィッツジェラルド元帥が率いている可能性が高い。

 

「王室旗がなくとも、ジェイソンがその軍に紛れ込んでいる可能性もあります」


 息子のアーサーが、父に万が一の可能性を指摘する。

 通常であれば、誇りにかけて王室旗を隠したり、戦場においていったりはしない。

 だが、今は非常時である。

 王室旗を残して、ジェイソンが残っていると思わせておきながら、本人は戦場を脱出するという可能性もあった。

 今はすべてを疑って行動しなければならない時。

 ジェイソンを逃がす事だけは避けねばならなかった。


「そうだな。よし、ひとまず全軍迎撃準――」

「ブランダー伯爵軍が動きました!」


 迎撃準備を命じようとした時。

 見張りが不穏な報告をする。


「確かか! 我らが果たすべき役割は主力が到着するまでの時間稼ぎだぞ」

「ブランダー伯爵軍……。こ、こちらに向かってきます!」

「なにっ!」


 信じられぬ報告に、ウリッジ伯爵達の思考が一時的に止まる。

 だが、ブランダー伯爵への憎しみを燃料にして、ウリッジ伯爵はすぐに再始動する。


「全軍、ブランダー伯爵軍の迎撃用意! アーサー、お前はウォリック侯に使者として向かえ!」

「……我らと王国軍の間に割って入っていただくのですね?」

「違う! 我らの西側に回り込んでもらうのだ!」

「それはっ!?」


 ウリッジ伯爵が何を考えているのか、アーサーにもわかった。


 ――ウリッジ伯爵軍が襲われている間に、ウォリック侯爵軍に西側へ回り込んでもらう。


 ジェイソンを逃がさないため、包囲網を形成するのには必要な行動だった。

 しかし、ウリッジ伯爵軍は壊滅的な被害を受けてしまう。

 奇襲を仕掛けてきたブランダー伯爵軍を迎え撃つだけでも困難なはずだ。

 そこに王国軍の横槍が入れば、太刀打ちなどできない。

 本当に時間稼ぎにしかならないはずだ。

 それが意味するものは一つ。


 ――全滅覚悟の時間稼ぎである。


「王国貴族としての義務を果たさねばならん時がきたのだ。この状況で、お前をウォリック侯のもとへ送る意味はわかるな? このような問答をしている時間も惜しい。早くいけ!」

「父上……。わかりました。ですが、私にも父上に言いたい事がいくつもあります。あとで聞いていただきますよ」

「あぁ、あとで聞いてやる」

「約束ですよ!」


 アーサーは、わずかな護衛を連れてウォリック侯爵家の陣に向かう。

 その姿を見送ると、ウリッジ伯爵は鬼の表情でブランダー伯爵軍のいる方角を睨み、部下に指示を出す。


「すぐにウォリック侯爵家から援軍がくる! それまで王国軍に街道を突破させなければ、我らの勝利だ!」

「ここでブランダー伯爵軍を叩き潰せば大手柄ですよね?」


 傘下の貴族の一人が、ウリッジ伯爵に確認をする。

 ウリッジ伯爵は大きな声で笑った。


「もちろんだ。エリアス陛下の覚えもよくなるだろう。活躍した者には、ブランダー伯爵領の一部を与えられるかもしれんな」

「なら、やってやるしかないではありませぬか! なぁ、みんな!」

「おう!」


 傘下の貴族も、普段からウリッジ伯爵の影響を受けているのだろう。

 彼らに悲壮感はなかった。

 むしろ、裏切り者に対する怒りで士気が高まっていたくらいだ。


 ウリッジ伯爵は、そんな彼らを頼もしく思いつつ、同時に死地へと付き合わせる事を申し訳なく思った。

 だが、遠慮をしていては国が亡びる。

 彼にできるのは、彼らの命を無駄にしない事だった。


「我らはブランダー伯爵軍を迎撃する! 裏切り者共を生かして返すな! 逆襲せよ! 逆襲せよぉ!」

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