第482話 元帥の意地

「アイザックの奴め! 信じてやっていたのに!」


 演説台を降りながら、ジェイソンは突然裏切ったアイザックに悪態をついていた。

 誰が何を言おうが信じていたというのに、アイザックは裏切った。

 これまでの人生で二番目の激しい怒りだった。

 ニコルを亡き者にしようとしたパメラに感じたものに次ぐものである。

 その怒りは、身近なものにぶつけられる。


「そいつを拘束しろ!」


 ジェイソンは、フィッツジェラルド元帥を捕らえるように命じる。

 混乱してはいたが、近衛騎士が素早く彼を取り囲む。


「お待ちを!」


 押さえ込まれる前に、フィッツジェラルド元帥は待ったをかける。


「確かにエンフィールド公に説得されました。ですが、裏切るようにとまでは説得されておりません。裏切っていたのであれば、私と同じくエンフィールド公に説得された、ウォリック侯やウィルメンテ侯が王都に集まった時が先王陛下を救い出す絶好の機会。もし私が裏切っているのであれば、あの時に行動していたとは思われませぬか?」


 この状況は、想定していたものだった。

 アイザックが王国軍に裏切るタイミングを教えれば、当然ジェイソンの耳にも入る。

 周囲を取り囲んでいるのは、アイザックが集めて説得した者達だ。

 内通者として、真っ先に疑われるというのはわかっていた事である。

 言い訳は、前もって考えていた。


「この状況で、そのような言葉を信じられるか! ウィルメンテ侯ですら裏切ったのだぞ! 貴様も裏切っているに決まっている!」


 しかし、ジェイソンには通じない。

 ウィルメンテ侯爵は、フレッドの父親という事もあり、親族のように信頼を寄せていた相手だった。

 そんな彼ですら裏切ったのだ。

 フィッツジェラルド元帥が裏切っていないという保証などない。


 本来ならば、ここで「そういえば……」と、ジェイソンが少しだけ落ち着く予定だった。

 だが、ジェイソンは感情のままに言い訳を聞こうとしない。

 しかも、その感情のままにまくし立てている事が当たっているので始末が悪い。


「そこまでおっしゃるのでしたら……。陛下の信任を得られなかったのは、私の不徳がいたすところ。お受け取り下さい」


 フィッツジェラルド元帥は分が悪いと思い、大人しく剣と元帥杖を近衛騎士に渡す。

 元帥杖を返上する事で、ジェイソンの怒りを抑えようとしたのだ。


「ですが、この状況をどう切り抜けられるおつもりですか?」

「まずはアイザックを討ち取り、他の裏切り者達も撃破する!」


 フィッツジェラルド元帥の問いかけに、フレッドが勇ましく答えた。

 だが、さすがにジェイソンも「それは無理だ」と思い、スルーした。

 ジェイソンは近衛騎士から元帥杖を受け取り、一人の将軍に声をかけた。


「キンブル将軍。考えはあるか?」


 彼は歴戦の勇士であり、将軍の中では筆頭である。

「打開策を提示できれば、元帥にしてやる」という意思を見せる。

 褒美として元帥にするというのをチラつかせたのは、彼が裏切っていた場合、もう一度どちらに付くかを考え直させるためだった。


「……我らを王都から引き離したのは、先王陛下を巻き添えにしないため。それと、エンフィールド公は平民思いなので、王都を戦火に晒したくなかったのだと思われます。この場におびき寄せたのも農村や漁村しかなく、人口が少ないから思い切って戦えるためでしょう。相手が短期決戦を望むのなら、こちらは長期戦を挑むべきです。西を突破し、王としてリード王国全土に徹底抗戦を呼びかけるしかないでしょう」


 フィッツジェラルド元帥が発言をできないため、キンブル将軍がさり気なく西へ誘導を行う。


「ですが、西にはウォリック侯やウィルメンテ侯の軍がいます。突破は容易ではないでしょう」


 しかし、近衛騎士団長が、キンブル将軍の意見に疑問を呈する。

 西は最も手強い相手がいる。

 そちらよりは、南や東の方が突破しやすそうに思えたからだ。


「いや、陛下を王都に送り届けるのならば、最短距離で突っ切るべきだ。それに突破するだけならば十分に可能だ。ただし、それも反逆者共が動き始める前であればの話だ。今ならば包囲が広い。戦力を一点に集中すれば、包囲網に穴を開ける事ができる。やるなら今しかない」


 キンブル将軍は他の将軍達と同じく、フィッツジェラルド元帥に説得されている。

 彼は、大人しく他の方角へ向かわせるつもりはなかった。 

 本気で西へと向かわせようとしていた。

 ウェルロッド侯爵家やウィンザー侯爵家といった、文官系の家の軍とは戦わせたくなかったからだ。

 彼に対する援護は、意外なところから飛んできた。


「西か、悪くない」


 ――ジェイソンだ。


 彼は、キンブル将軍の意見に賛同するだけの理由を持っていた。


「西にはブランダー伯がいる。王都にいた時、彼から裏切り者がいると密かに知らされていた」

「なんですと! ならばなぜ、今まで黙っておられたのです!」


 ここが運命の分かれ道である。

 キンブル将軍は昨夜、近衛騎士からの知らせにより、ブランダー伯爵が裏切っていた事を知らされていた。

 そのため、ブランダー伯爵が裏切っていたと言われても、内心の驚きは小さかった。

 他の者達と同様に、必死になって驚いた振りをしていた。


「アイザックを、あの卑劣な裏切り者を信用していたからだ! ニコルとの結婚を応援してくれていたからな! ……まさか!」


 ジェイソンは目を見開き、アイザックがいると思われる方角を見る。


「ニコルの愛は私に向けられていた。彼女を手に入れるために、私を亡き者にせんとしようとしたか!」

「ありえます! 王妃殿下はお美しいお方ですから」


 即座にフレッドが、ジェイソンのひらめきに同意する。


「恋焦がれていたのならば、初めからそう言えばよかったのだ! 恋のライバルとして、彼女をどれだけ愛せるかを争えばよかったのだ! 私の妻になってから、彼女がかけがえのない存在だと気付いたのだだろう! なんて奴だ、許せん!」

「その通りです! あいつに一泡吹かせてやりましょう!」


 二人がヒートアップすればするほど、周囲の温度は冷えていく。

 それはフィッツジェラルド元帥達だけではなかった。

 積極的にジェイソンを応援してきた者達ですら「我らはとんでもない人物を王にしてしまったのではないだろうか」と後悔し始める。


「陛下、今は優先順位を考える時です。ブランダー伯がこちら側に付いているのであれば、道を開けてくれるでしょう。まずは私達が出陣し、ブランダー伯爵家の軍と共に退路の確保を行います。我らが退路を確保したのち、陛下は撤退してください」

「あの卑劣漢を前に退かねばならぬのは悔しいが……。やむを得ん、今は退こう。戦時昇進となるが、キンブル将軍を元帥に任命する。裏切ってくれるなよ」


 キンブル将軍は頼りになると考え、ジェイソンは彼に元帥杖を渡そうとする。

 だがキンブル将軍は、それを固辞した。


「元帥閣下が裏切っているというのは、まだ疑惑に過ぎない段階です。今、その杖を受け取るわけにはいきません。陛下を無事脱出させる事ができましたら、その時に改めてお考え下さい。その上で功績を認めて任命されるという形であれば、喜んで元帥の任をお引き受けいたしましょう」

「フフフッ、どうやら私も動転してしまっていたようだな。先走ってしまった。よかろう。この場を切り抜けられたら、褒美は望むがままだ。頼むぞ」

「お任せを! グラッドストン、スタンリー、ゴードン、ラッセルらの部隊を預かってもよろしいでしょうか?」

「ウリッジの援軍には、ウォリックが真っ先に動くはずだ。奴らを足止めするには、それなりの数がいるだろう。かまわん、連れていけ」


 今のリード王国軍は、将軍一人に三千から五千の兵を任せるという編成を取っていた。

 キンブル将軍と、他の四名の将軍が任されている兵を合わせれば、だいたい一万八千ほど。

 王国軍全体の六割に及ぶ。

 もちろん、彼らはフィッツジェラルド元帥によって説得済みである。


「俺もいく! 俺に先陣を任せてくれ!」


 フレッドが、ジェイソンに先陣を名乗り出る。

 彼には黙って見ている事などできなかった。


「ウィルメンテ将軍、まだこの状況を理解しておらぬのか!」


 キンブル将軍が、フレッドを一喝する。

 彼に付いてこられたら困る。

 なんとしてでも食い止めねばならなかったからだ。


「ブランダー伯の言葉が正しいのならば、我らの中にも裏切り者がいるかもしれない。ならば、陛下の信任が最も厚い貴公が本陣に残らないでどうする! 裏切り者が陛下を捕らえようとするのかもしれんのだぞ! 我らが安心して戦えるように、陛下をお守りせよ。それが騎士というものだろう!」


 フレッドは、キンブル将軍の言葉にハッと何かに気付く。

 そして、悔しそうな表情を見せた。

 言われるまで気付かなかった自分の愚かさを悔いているのだ。


「確かにキンブル将軍の言う通りです。陛下は俺が――私が守ります!」

「わかったならよろしい。経験が足らぬところはあるが、貴公はまだ若いし、勇猛果敢であるのはいい事だ。しかし、今回はまだその勇を奮う時ではない。次の機会に頑張りたまえ」

「はい!」


 普通なら次があるかどうかはわからないが、フレッドはウィルメンテ侯爵家の跡継ぎだ。

 他の家の子供ならチャンスは与えられないだろうが、侯爵家の令息であればどうなるかわからない。

 キンブル将軍は、とりあえず「これから頑張れ」と応援する事で、フレッドが気持ちよく残れるように配慮していた。


「元帥閣下はいかがなされますか? 閣下に先陣を率いていただければ、兵士達の士気も上がりましょう。陛下の疑いを晴らすためにも、前線に出られてもよろしいのでは?」


 彼の配慮は、フレッドだけに向けられてはいない。

 フィッツジェラルド元帥にも向けられた。

「陛下の疑いを晴らすため、先陣を切る」と言ってくれれば、そのまま連れ出せる。

 しかし、フィッツジェラルド元帥は力なく首を振った。


「陛下に疑われている私が兵を率いるわけにはいくまい。それに、ここでやらねばならない事も残っている。私は残るよ」

「了解致しました」


 ――フィッツジェラルド元帥のやり残した事。


 このあと王国正規軍からも離反者が出る。

 その時「どうあがいても勝ち目はないから降伏するべきだ」と、ジェイソンに告げる役目が残っている。

 フィッツジェラルド元帥は、貧乏くじを自ら引いたのだ。

 これは、ブランダー伯爵が裏切ったとわかった時に、彼が自分から言い出した事だ。


 ――元帥としての最後の役目を果たすと。


 キンブル将軍は、あっさりと引き下がった。

 ここで食い下がれば「なぜ元帥を連れていこうとするのか?」と疑われてしまう。

 事前に決めた通り、フィッツジェラルド元帥を助けようとするのをやめた。


 その行動には一定の効果があった。

 ジェイソン派の者達が、こう思ったからだ。


 ――このような危機的状況であれば、元帥自ら陣頭指揮を取って、士気を高める必要がある。

 ――だが、ジェイソン陛下に疑われている事を理由に、それを避けた。

 ――将軍があっさり引き下がったのは、元帥に失望したからだ。


 彼らがこう思ったのは、フィッツジェラルド元帥の経歴に理由があった。

 元帥は軍政出身。

 戦場で采配を揮うのではなく、後方支援が主な役割だった。

 能力も重要ではあるが、武官としては、やはり覚悟を見せられる人物に信頼が集まる。


 ――フィッツジェラルド元帥は、軍政家だったので戦場に出るのを嫌がった。


 ジェイソンに疑われているからというのも、戦場に出ない言い訳に過ぎないと思ったのだ。

 しかし、実際は違う。


(どうやら、この方を見くびっていたようだな)


 キンブル将軍達は、フィッツジェラルド元帥への評価を見直していた。

 彼らにとって、王国軍の本陣こそが死地である。

 ここに残ると言った元帥の覚悟を、真っ当に評価していた。


 特にキンブル将軍は顕著だった。

 本来ならば、次期元帥は自分が最有力候補だった。

 しかし、エリアスが選んだのはフィッツジェラルド伯爵。

 それも「軍の混乱を鎮めるためには、彼が必要だ」という理由である。

 当然、キンブル将軍は不満を持った


 ――「私では混乱を収められないと思われているのか」と。


 彼も戦場で戦ってきた男だけあって「事務屋に何ができる」と思っていた。

 軍の序列を乱すような事はできないので、表向きは従ってきた。

 しかし、彼の姿を見て、見直す事ができた。


(できれば、もう少し早く気づきかったものだ)


 だが、最後の最後で知ってしまった。

 おそらく、このあとフィッツジェラルド元帥はジェイソンに降伏を勧め、殺されるだろう。

 心の中で軽蔑したまま終わりではない事が救いだろうか。

 そんな事を考えていると、ジェイソンが釘を刺しに動いた。


「近衛から三百ほど連れていけ」

「近衛をですか? 三百といえば、この場にいる半数ですがよろしいので?」

「突破する際に必要になるかもしれんだろう」

「かしこまりました。近衛まで預けていただけるというのであらば、必ずや突破してみせます」


(やはり疑われているか)


 ここで近衛騎士を付けるのは、実質的に見張り役だと考えていいだろう。

 ジェイソンは、キンブル将軍達が裏切るかもしれないと思っている。

 しかし、それも無理はない。

 フィッツジェラルド元帥が寝返っているとすれば、将軍達も説得されていると思うのも当然だからだ。

 だから、素直に近衛騎士の同行を認めた。

 この場で争うよりも、本陣を離れてから近衛騎士を始末する方が成功確率は高いと思ったからである。


「では、頼むぞ」

「はっ!」


 ジェイソンに敬礼をして、将軍達は自分の部隊のところに戻る。

 その道中、どうやって近衛騎士達を始末するかを考えていた。

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