第474話 嫁姑戦争の恐怖!?

 練兵場から帰ると、アイザックはソファーでくつろぎ始める。


(久々の実家だ。出陣まで、少しはゆっくりできそうだな)


 ノイアイゼンに向かう途中に立ち寄った時を除けば、三年振りの帰宅である。

 自宅に帰ったという実感から、アイザックは安らぎを覚えていた。


(でも俺やリサはいいけど、問題はパメラだ。くつろいでくれと言っても、今まで他人の家だったところでくつろげるはずがない。その辺りの事に気を配らないとな)


 アイザックには実家なので安らぎを覚えるとはいえ、パメラは違う。

 彼女は、ウィンザー侯爵家の人間だった。

 婚家で、いきなり我が物顔でくつろげるはずがない。

 心のケアを考えておかねばならない。


(でも、リサが上手くやってくれているようだから大丈夫かな? 俺も新人教育をしないといけないし、お袋やリサに任せるか。女同士の方が話せる事もあるだろうし)


「パメラ、リサ。長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休んで、明日から色々やっていこう」


 主に子供部屋をどのようにするかなどである。

 しかし、子供の事に触れるのはどこか気恥ずかしく、言葉を濁してしまう。

 パメラはアイザックが何を言おうとしているのかを察して、少し照れる。


「そうですね。これからやらないといけない事もありますし」

「部屋の模様替えとかもしたいですね」

「模様替えが必要なんですか?」

「私達が住むところは……。メリンダ夫人が使っていた別館ですから」

「あぁ……、なるほど」


 まだ子供の事を考えるような行為をしていないという事もあり、リサはメリンダやネイサンの事を思い出していた。


「でも先ほど見た限りでは、どれもセンスの良い調度品だったので、そのままでもよろしいのでは?」

「うん、メリンダ夫人のセンスはよかった。でも、パメラやリサの好みに合うかわからないからね。ここは変えたいと思うところがあれば、遠慮なく変えていっていいよ」

「わかりました。そうさせていただきます」


 メリンダのセンスは、アイザックには真似のできない素晴らしいものである。

 パメラがいいと言うのなら、無理に変えろというつもりはなかった。

 ただ、ネイサンの部屋だけは、帰郷する前に片付けてもらった。

 あの部屋に入ると、アイザックが精神的にダメージを受けてしまうからだ。


「……ところで、あなたはどうされるのですか?」

「もちろん、二人と同じ別館に部屋を移す。母上と同じ別館だと、ケンドラがいるしね。さすがにちょっと……、教育上よろしくないから」


 子供に見せられない姿を見られる可能性だってある。

 ケンドラのためにも、それは絶対に避けなければならなかった。


「ケンドラさんとも仲良くなってきたのですが、仕方ありませんね」


 パメラも理解してくれた。

 この世界では、年齢レーティングが厳しいので当然なのかもしれない。

 ただ「ケンドラを心配して」ではなく「それが常識だから」で判断されているのかもしれないと思うと、少しだけアイザックは寂しい気持ちになる。

 だが、その気持ちは抑え込んで笑顔を見せた。


「そういえば、ケンドラが喜んでいたよ。お姉ちゃんが増えて嬉しいってね。リサも本当のお姉ちゃんになったと喜んでいたね。二人とも家族と上手くやってくれているようで僕も嬉しいよ」

「ええ、そうですね……」


 しかし、パメラが浮かない顔をした。

 リサはその原因を知っているのか、言い辛そうにしている。

 その様子を不審に思ったアイザックは、意を決して尋ねる事にする。


「もしかして……、お婆様と何かあった?」

「いいえ、違います! ウェルロッド侯爵夫人とは何もありません」

とは・・?」


 パメラは「しまった」という顔をする。

 そして、リサと目を合わせた。

 どうしようかというアイサインなのだろう。

 リサが観念した態度を見せる。


「実はおば様――お義母様の方なのです」

「母上が!?」


(嘘だ! 自分が辛い思いをしたからって、嫁をいびる姑っていうタイプじゃないぞ!)


 初めて手榴弾を見た者達以上に、アイザックは驚いていた。

 母が嫁いびりをするタイプには見えなかったからだ。

 しかし、人は見かけによらない。

「もしかして!?」という考えが頭をよぎる。


「どんな事をされたんだ?」

「何かされたというわけでは……。いえ、してはいただいているですけれど……」


 パメラが言い辛そうにしている。

 ルシアの事を、アイザックには話しにくいのだろう。

 アイザックは、リサを見る。


「何をされたのか教えてくれ。僕にできる事はやるから」

「……あっ! 噂に聞く嫁いびりとかじゃないの。その逆。パメラさんに、もの凄く気を遣っておられるみたいなのよ」


 アイザックの様子から「あっ、これは勘違いしているな」と察したリサが慌てて説明する。

 彼女の説明を聞いて、アイザックも合点がいった。


「あぁ、そうだよね。母上なら、そういう方向だよね」


(焦ったー。結婚早々、嫁姑戦争の幕開けとかだったら困るところだったよ)


 ウェルロッド侯爵家内部で内紛勃発などたまったものではない。

 アイザックは、内戦の危機を知らされた時の貴族達の気持ちがわかったような気がした。


「母上の性格を考えると……。侯爵家出身の嫁を相手に気を使っているってところかな。子供の頃からの婚約者ならまだしも、突然の結婚だったし」

「私と性格が合いそうにないから、衝突しないように低姿勢でおられるのではないのでしょうか?」

「ないない。衝突しないように表面上は腰の低い態度で接しているっていうよりは、パメラが侯爵家出身だから気後れしているんだろうね」


 安堵の笑みを浮かべながら、アイザックはパメラの心配を真っ向から否定した。


「母上の欠点は、自分が次期侯爵夫人という自覚がないところだね。徐々に改善されてきてはいるんだけど……、まだ子爵家出身というのを引きずっているところがある。性格が合う、合わないとかじゃなくて、ウィンザー侯爵家出身というところに気を遣ってるんだと思うよ」

「それでは、どうしたらいいんでしょうか?」

「どうしたらって……」


「放っておけばいいんじゃない?」と言おうとして、アイザックは思いとどまる。


(あぁ、そうか。放っておいたら、それはそれで問題になるんだ)


 ――新しくきた妻が、義母より上に立つかのような振る舞いを見せる。


 パメラ本人がそう振る舞っているかは関係なく、これは大問題になる。

 そう見られる可能性自体が、問題なのだ。

 社交界で、パメラが悪女だと噂されるかもしれない。

 悪気があってやっているわけではないのが厄介だが、なんとかしておいた方がいいだろう。


「わかった。僕から――じゃなくて、父上から親らしく振る舞うように伝えてもらうよ。もちろん、嫁入りしてきたばかりのパメラを心配する気持ちはなくさぬ程度にね」

「ありがとうございます」


 パメラとリサが、ホッとした表情を見せる。

 それだけ、彼女らも心配していたのだというのが見て取れる。

 アイザックは二人を抱き寄せた。


「夫婦生活は悩みを抱え込んじゃダメだ。特に新婚なんだからね。今まで他人だった相手が家族になるんだ。支障が起きて当然だよ。何でも言ってほしい」

「でも、仕事が忙しそうだったので……」

「仕事なんて家族を養うためのものに過ぎない。家庭がダメになったら意味がないんだよ。だから、遠慮なく言ってほしい」


 その言葉を、二人は喜んでくれた。

 アイザックも嬉しくなるが、照れくさくなって誤魔化す事にした。


「でも、仕事をしないと暮らしていけなくなる場合もあるから、すぐに対応できない場合もあるのはわかっておいてほしい」

「ええ、それはわかっています」


 パメラも、さすがに「仕事なんて放っておいてほしい」などとは言わなかった。

 特に今は重要な時期である。

 そんな事を言って、アイザックの決断を鈍らせるような事は言えないとわかっていた。


「昔のアイザックは危なっかしいところがあったのに、今はもうこんなに立派になって。もしかして夜の方も立派だったり」

「リ、リサ!」

「リサさん!」


 二人の動揺を見て、リサがクスクスと笑う。


「だって、私はまだわからないもの。で、どうなの?」

「知りません! いつか自分の目で確かめてください!」

「だったら、二人には頑張ってもらわないとね。せめて兆候が見られればいいんだから」


 からかっているような様子だが、どことなくリサから焦りが見える。

 やはり、彼女も同級生に先を越されている事に思うところがあるのだろう。

 かつてアイザックに迫ってきた時の目をしていた。


「焦るなって言っても難しいか……。リサは同年代の人より五年も待ってたもんね。だけど、五年待ったんだ。もうちょっとだけ待ってくれないかな? じゃないと、パメラの『頼り甲斐のあるお姉さん』という印象をぶち壊す事になっちゃうよ」

「えっ、そんな風に思っていてくれたの!」

「うん、もう遅いだろうけど……」


 リサが恐る恐るパメラを見る。

 彼女はニコリと笑うだけで、肯定も否定もしなかった。

 その態度が、リサに後悔の念を抱かせる。


「リサはね、たくさんいいところがあるんだよ。ただ、時折おちゃめなところも見せるだけなんだ」

「その方が人間味があって、とても魅力的だと思いますわ。あなたが惹かれたのもわかる気がします」


 パメラもリサのフォローに回る。

 そして、アイザックの事をあなた・・・と呼ぶ事にまだ慣れていないパメラは顔を赤くした。


「それに、曽お爺様の時のように冷え切った家庭にはしたくない。身内で軽い冗談を言える雰囲気を大事にしたいね」

「だったら、さっきの私の発言も笑って流せるものよね」

「うーん、それはちょっと……」

「なんで!?」


 アイザックが冗談交じりで答えると、リサも先ほどとは違って、おどけた態度で心外だと声をあげる。

 二人は小さく笑い合ったが、パメラは笑っていいのか困っていた。

 下手に笑えば、リサを傷つけてしまうかもしれないと思ったからだ。

 そんな彼女の姿をアイザックは見逃さなかった。


「こういう軽口に入るのは、まだ遠慮があるみたいだね」

「ええ、リサさんは良い人だとわかってはいるのですけれど、どこまで踏み込んでいいのか……」

「その気持ちはよくわかる。でも、人の事を知るには、相手の心に踏み込んでいかないといけない。そのためには、何が失礼だと思われるかも知っておく必要がある。付き合いが長くなってから失礼な言動をすれば『わざとかな?』と思われるかもしれない。でも、まだよく知らない人に不快を思いをさせたなら、知らない事による失敗だから謝ればいいだけだ。今のうちにぶつかって、相手の事をよく知るといい」


 アイザックは「良い事を言った」と思っていた。

 しかし、二人には違ったようだ。


「パメラさんだって、そんな事はわかってるわよ。でも今はみんなにどう見られるかを気にしないといけない時期なの。嫁いできて、いきなり横柄な態度を取っているとか噂されたらどうするつもりなの? あなたみたいに実績で黙らせるとか、誰でもできるものじゃないのよ」


 リサがアイザックを叱る。

 パメラはウィンザー侯爵家から嫁いできたばかり。

 使用人は彼女の言葉が本気のものか、冗談なのかを判別できない。

 ちょっとしたすれ違いで「メリンダ夫人の再来だ」と言われかねないのだ。

 人前ではリサをからかったりしないよう、軽い冗談を言わないようにパメラは気をつけていた。

 アイザックの言う事にも一理あるとはわかっているが、今は時期が悪かった。


「ごめんなさいね。アイザックって、昔から気の利かないところがあって……。ブリジットさんにチェンジとか言っていたと聞いた時はどれだけ驚いたか」

「それは私も本当に驚きました。ブリジットさんがどれだけ傷付いたかと思うと……」


(……あれっ、なんで俺が悪いみたいな流れに? そもそも、なんで二人は連携しているんだ?)


 なぜか流れが一転してしまった。

 アイザックに焦りが芽生える。

 これはパメラとリサが、帰領するまでに仲を深めていたからだ。


 パメラはウィンザー侯爵家から、彼女の世話に慣れたメイドを連れてきていた。

 ウェルロッド侯爵家のメイドも付くが、彼女らがパメラの世話をいきなりできるわけではない。

 個性的な髪型ドリルヘアーの手入れもあるので、熟練者を必要としていたからだ。

 だが、メリンダの話を知っているので、実家から連れてきたメイドだけを重用するつもりはなかった。

 しかし、そうだとしても、メリンダの事があるので「ウェルロッド侯爵家の使用人は軽く見られるのではないか?」という不安を使用人達は感じていた。


 一方、リサはウェルロッド侯爵家で働いていただけあって、使用人達とも気心が知れた仲となっている。

 執事やメイドといった使用人達も「リサの方が気楽に話しかけられる」とあって、彼らは自然とリサの周囲に集まりやすくなっていた。

 この状況に一番焦ったのは、アイザックやパメラではなく、リサ本人だった。


 ――このままではパメラの機嫌を損ね、義理の両親のような状況になったりするのではないか?


 その事を考えると、背筋が凍る思いだった。

 ルシアのような境遇に、自分が耐えられる自信がない。

 それに、そんな家庭環境で暮らしたくはなかった。

 リサは意識して、パメラと使用人達の間を繋ぐ役割を果たそうとした。


 そんな彼女の配慮を、パメラはありがたく感じていた。

 だから、パメラもお返しとして、高位貴族の間での流行りなどをリサに教えた。

 特に若い女性向けのものを中心に。

 これはマーガレットやルシアからは聞けない事だった。


 これはリサが――


「あなたの知らないアイザックを、私はたくさん知っているのよ」


 ――と、マウントを取らなかったのも大きい。


 彼女は年長者として、大人の態度でパメラと接していた。

 惜しみなく知っている事を教え、共にアイザックの事を褒め、時にはなじる。

「アイザック」という存在のおかげで二人の話題は尽きなかった。


 アイザックは「自分が仲を取り持たなくてはいけない」と思いこんでいたが、そんな事をされるまでもなく、二人は自主的に動いていた。

 今までが今までなので「自分がなんとかしなくてはいけない」と考えてしまったのだろう。

 夫婦間の事は、もっと二人に頼っても良さそうである。

 だが、アイザックはまだその事に気付いてはおらず、二人の様子に戸惑うばかりだった。

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