第468話 初夜での異変

 様々な事があったが、ついにアイザックは結婚式を迎える。

 この日ばかりは、アイザックも朝から緊張し続けている。


(本当はもっと時間がほしかったんだけど……)


 心の準備をする時間がほしかったが、立場が許してくれなかった。

 身分が上の者から順番に結婚していくからである。

 公爵であるアイザックは、ジェイソンの次に結婚式を挙げなければならない。

 いや、公爵でなくともアイザックが二番手となっていただろう。

 侯爵家の孫という立場ならばフレッドやアマンダがいるが、二人には婚約者がいない。

 結局、ジェイソンの次はアイザックの番となる。


 心の準備をするなら、こうなるとわかっているので、もっと前からするべきだった。

 アイザックの緊張は、家族にも伝わっていた。


「もう、しっかりしなさい。なんで陛下と話しても大丈夫なのに、こんな時に限って緊張するのよ。今日はあなたが主役なんだから、もっと胸を張りなさい」


 ルシアがアイザックを叱咤する。

 どう考えてもエリアスの救出作戦を考えたりするのに比べれば、結婚式などたいしたことはない。

「相変わらず、変なところでうぶなところを見せるものだ」と呆れていた。


 だが、彼女の叱咤は逆効果だった。

 アイザックは、より一層緊張する。

 結婚式での失敗は、一生ついて回るものだと知っているからだ。


(前世のお袋が「誓いのキスの時に、飛び出ている鼻毛が気になって仕方がなかったわ」と、結婚の話題になった時に俺達によく話していた。大事な時を台無しにしたら、ずっとネタにされてしまう。ちゃんとやらないと……)


「まぁまぁ、いいじゃないか。そんな事を言われたら、却って緊張してしまうよ」


 ランドルフがルシアを止めに入る。

 しかし、それは逆効果だった。


「……そうかもしれないわね。でもあなただって、気を抜いてドレスの裾を踏んだじゃない。アイザックには、ああいう失敗をしてほしくないの」

「それは忘れてくれと言ったじゃないか。今言わなくても……」


 どうやらランドルフも結婚式で失敗していたらしい。

 少しだけアイザックは、ほっとする。


「そういえば、あなたも誓いのキスをする時に鼻をぶつけてきたわね」

「それまでキスをした事がなかったのだから仕方なかろう」


 モーガンも、やらかしていたようである。

 マーガレットに、チクリとやられる。

 ランドルフの件で、ちょっとだけ安心したアイザックも、これには心をかき乱される。


「はい、ストップ! 失敗した体験談は、もう結構です。そんな話を聞いていたら緊張してしまいますよ」

「そ、そうね。私も息子の結婚式は初めてだから緊張していたのかも。ごめんなさい」


 ルシアが慌てる。

 自分も緊張から焦っていたと気付いたからだ。


「そうだね。この話はもうやめよう」


 ランドルフは、アイザックの指摘に乗ってきた。

 もうこの話題は嫌だったからだ。

 しかし、余計な一言を言ってしまう。


「アイザックはパメラとキスした時にもちゃんとできていたし、きっと本番でも大丈夫さ。他の事もきっと上手くやってくれるだろう。……それにしても、どこで覚えたんだか」

「子供の頃から両親に見せつけられたからですかね。幸いな事に、最近は比較的落ち着いているようですけど」

「……あの頃は私達も若かった」


 アイザックにやり返されて、ランドルフは遠い目をする。

「あの頃」と言ってはいるが、今でも時々家の中でキスをしているところを見かける。

 ケンドラの教育上よろしくないのでやめてほしいと、アイザックは常々思っていたくらいだ。


「まぁいいです。こうして話しているうちに、少し気分が軽くなってきましたから。」


 特別な日だと思うから緊張するのだ。

 家族との取り留めのない会話が、少しだけ緊張を和らげてくれた。


(パメラとリサも家族になるだけだ。普段通りにやればいい。そうか、二人は家族になるんだな……。緊張してきた)


 余計な事を考えたせいで、また緊張してしまう。

 やはり、今日ばかりはどうしようもないようだ。



 ----------



 アイザックの結婚式は教会で行われる。

 しかも大司教であるセスが直々に取り仕切ってくれる事になっていた。

 色々と縁があったので特別な計らいである。

 ただ、親切だけではなく、豊かなウェルロッド侯爵家に期待してという面もあった。

 後日それ相応の寄付金をしなくてはならないだろうという事は、ウェルロッド侯爵家の面々も理解していた。


 アイザックは入場し、祭壇前まで歩く時に何人かの姿が目に映った。


 ――アマンダ、ジュディス、ティファニー、ブリジット、ロレッタ。


 新郎を祝うというよりも、違う意味で見られているような気がして、アイザックは逃げ出したくなった。

 だが、もう逃げられるはずがない。

「付き合いがあるのだから、呼ばないわけにはいかんだろう」と言った祖父を呪いながら歩み続ける。


 祭壇に付くと、セスと目が合った。

 彼も多少は緊張しているようだが、ジェイソンの時とは違って余裕があるように見えた。

 やはり、簒奪者を相手にするのは心労が大きかったのだろう。

 しかし、彼と見つめ合っている場合ではない。

 アイザックは入口に振り返り、新婦を待つ。


 少しすると――ケンドラが現れた。


 彼女はフラワーガールの役割を任されている。

 緊張しながらも、花を撒いていく。

 いつものアイザックなら「可愛い姿だな」と思うところだが、今日は違った。

 ケンドラの後ろにいるパメラとリサに視線が釘付けとなる。


(よかった、普通のウェディングドレスだ。でも綺麗だ)


 彼女達は、アイザックの知るウェディングドレスを着ていた。

 もちろん、気合の入ったものではあったが、ニコルのような重装型ではない。

 華麗ではあるが、派手ではないといった印象を受けた。

 そこに安心し、普通の相手と結婚できる事に改めて幸せを感じていた。

 二人は、それぞれの父親に連れられてバージンロードを歩いてくる。

 前をパメラとセオドア、後ろをリサとオリバーが歩いていた。


(こういう時でも、やっぱり順序があるんだな)


 アイザックとしては、結婚式を二回に分けてもよかった。

 だが、モーガン達に「ちゃんと序列を周囲に知らしめるという意味もあるので同時にするべきだ」と言われて、同時に行われる事になったのだ。

 リサにも主役になってほしかったが、第二夫人という立場はなかなかシビアなようだ。


「娘を頼みます」

「よろしくお願いいたします」

「お任せください」


 セオドアとオリバーの二人とも、目を潤ませながらアイザックに娘を渡す。

 アイザックは、しっかりと受け取った。

 パメラとリサに一度視線を合わせ、祭壇に向き直る。

 アイザックの左にパメラ、右にリサと三人が並んだのを確認して、セスが式を始める。


「本日はお日柄もよく、新たな絆が結ばれる日として――」


(あっ、これジェイソンの時に聞いたやつだ)


 セスのスピーチは定型文となっているのだろう。

 ジェイソンとニコルの結婚式と同じ入り方をした。


「新郎アイザックは、パメラさんを健やかなる時も、病める時も――」


(はいはい、ここも一緒ね。なら大丈夫だな。キスとかの時に失敗しないようにすればいい)


 アイザックは余裕を持って聞き流していた。


(腰に回してキスをするより、肩を抱いてキスの方がいいよな。あぁ、その前にヴェールを脱がさないと――)


「――死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守る事を、ここに誓いますか?」

「はひっ、誓います」


 余計な事を考えていたせいで、アイザックは少し噛んでしまった。


(あぁぁぁ、これずっとからかわれそう……)


 パメラの方は恥ずかしがりながらも、しっかり「はい、誓います」と答える。

 その恥ずかしがりが、アイザックには自分のミスに対するもののように見えてしまっていた。


「このふたりの結婚に異議のある者は今すぐ申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」


 アイザックは、一瞬出席者の顔が思い浮かんだ。

 実際に異議を申し出はしないだろうが「もしや!?」という考えが頭をよぎる。

 だが、その心配は杞憂だった。

 さすがにここで異議を申し立てるくらいなら、もっと前から抗議をしていたからだ。

 それくらいはブリジットでも空気が読める。

 アイザックが、この日で一番焦り、一番安堵する瞬間となった。


「では、誓いのキスを」


(今はセスの言葉に従う事だけ考えよう)


 アイザックは、パメラのヴェールを脱がす。

 彼女は顔を赤らめていた。

 肩に触れると、彼女の体が震えているのがわかった。


(緊張しているのは俺だけじゃなかったんだ)


 当たり前の事だが、この時まで気付く事ができなかった。

 やはりアイザックも、かなりの緊張をしていたのだろう。

 自分が思っていたより緊張していた事に気付き、焦らずゆっくりとパメラと唇を重ねる。

 周囲から大きな拍手が贈られる。

 ジェイソンの時とは違い、その祝福は本物だった。

 アイザックもそれがわかっているので、嬉しそうに拍手に応える。


 そして同じやり取りを、もう一度リサと行う。

 パメラの時とは違い、今度はアイザックも噛んだりはしなかった。

 二度目なので、落ち着いて行動ができた。

 しかし誓いのキスの時は、やはり少し緊張した。

 彼女の時は、リサの友人達が一際大きな声で祝いの言葉を投げかけていた。


 ――男爵令嬢から公爵夫人。


 ルシア以上のシンデレラストーリーを歩む、絵本で描かれるヒロインのような存在である。

 仲間内から、そのような存在が現れたのでテンションが上がっていた。


 盛り上がっている中、ロイが指輪を持ってきてくれた。

 アイザックは彼から指輪を受け取り、パメラにはルビーの指輪を、リサにはエメラルドの指輪をはめる。

 そしてパメラが、ルビーとエメラルドが付いた指輪をアイザックにはめた。


(ついにここまできた! 夢は諦めずに、なんでもやってみるもんだな)


 アイザックも結婚指輪をはめ、結婚したという実感が湧いてくる。

 だが、まだゴールではない。

 やらねばならない事は残っている。

 結婚をゴールだと思ってはいけないのだ。

 しかし、今だけはこの幸せを噛み締めるべきだと考え、先の事は考えないようにする。

 先の事を考えてもいいのは、今晩の事だけだった。



 ----------



「疲れたね。お疲れ様」

「本当に大変でしたわね」


 寝室にて、アイザックとパメラは初夜を迎える。

 その前にベッドのふちに腰掛けて、今日一日の事を話していた。

 アイザックにとって、貴族の初夜に見届け人が付くという風習がないのはありがたい事だった。

 しかし、それはそれで問題があった。

 アイザックは気を紛らわせるため、立ち上がってテーブルの水を飲む。


(ずっと待ちわびていたのに……。どうしてこうなるんだ……)


 パメラには今も胸がときめく。

 すぐ隣にいるというだけではなく、昔から感じていた特別なものも強く感じる。

 だから、今も心臓がバクバクと音を立てている。


 ――なのに、なぜか元気がでない。


 気持ちは今すぐにでも二人の愛を確かめたいところだが、なぜか元気が出ないのだ。

 アイザックは焦る。


(そういえば、鈴木の奴も初めての時はダメだったとか言ってたな。くそう、俺に経験があれば……)


 気持ちが焦れば焦るほど、元気がなくなっていくような気がしてならない。

 仕方がないので、アイザックは存在を忘れようとしていた小瓶に視線を向ける。


(元気の出る薬。この年から頼りたくはないけど、今日だけは……)


 それはランドルフが「元気がなくなった時に飲め」と言われて渡されたものだった。

「なぜ父がそんな薬を持っているのか?」というのを想像するのが嫌で、あえてないものとして扱おうとしていたものである。


(背に腹は代えられない)


 アイザックは小瓶の中身を飲み干した。

 すぐに効果が出る事を期待して。


 背後で衣擦れの音が聞こえる。

 そしてパメラが抱き着いてきた。

 アイザックが逡巡していると見て、彼女から行動に出たのだ。


「陛下の結婚式。二人がキスをする時、悶えていましたよね」

「それは……」

「やっぱり、ニコルさんの事が好きだったのですか?」


 アイザックの行動が、パメラに誤解されてしまっていたらしい。

 不安になった彼女に、愛を証明してほしいという行動を取らせてしまったのだろう。

 その事に気付いたアイザックは、振り返ってパメラを抱きしめる。


「違う! あれは……、みんなの前でパメラと誓いのキスをする時の事を考えて照れていただけだ!」


「黒歴史を思い出して悶えていた」とは言えないので、照れていた事にする。


「これが君への愛の証明だ!」


 アイザックも服を脱ぎ捨てる。

 そして彼女をベッドへ連れて行き、自分の元気の良さをパメラに見せつけて、それを愛の証明とした。

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