第455話 密告者
最初に屋敷の周囲をうろつく男に気付いたのは、警備兵だった。
不審に思って声をかけると、その男は「エンフィールド公に話がある」と言い出した。
だが「アイザックに会いたい」と希望する者は数え切れないほどいる。
名乗りもしない者の面会希望まで取り次いでいては切りがない。
しかし「わけあって名乗れないが会ってもらえばわかる。重要な話がある」と言われてはただ追い返す事もできない。
とりあえず、詰め所へと連行し、ノーマンに報告した。
ノーマンはその男を確認すると、応接室へ通すように命じた。
それから彼は、アイザックに報告へ向かったのだった。
応接室に到着すると、不審者を見張るように警備兵が二名付いていた。
アイザックは不審者の顔を確認すると、笑顔を見せた。
「なんだ、あなたでしたか」
アイザックが知り合いに対する反応をしたので、警戒していた警備兵の表情が和らぐ。
「この人が、グレイ商会と取引しているところを何度か見ている。大方、私とパメラの結婚を知り、披露宴の規模を調べてから贈り物をどうするか考えようとしたのだろう」
「では、解放してもよろしいでしょうか?」
「いや、少し気分転換したいと思っていたところだ。帰らせる前に質問の二、三は答えてあげるよ。ご苦労、仕事に戻っていい」
「はっ」
知り合いだとわかれば警戒する必要はない。
マットもいるので、警備兵は命令に従い、部屋を出ていった。
彼らが出て行き、部屋の前から離れた頃合いを見計らって、アイザックは大きく息を吐く。
「なぜ素性を隠してやってきたのか。大体の予想は付きますが……。教えていただけますか?」
――不審者の正体。
それは近衛騎士だった。
アイザックがドラゴンの説得に向かう際、護衛に付いていた一人だ。
隊長クラスだったので、アイザックも覚えていた。
ノーマンも覚えており、対応に困った彼はアイザックに知らせたのだ。
マットを連れてきたのは、相手が素手でもアイザックを殺せる力量の持ち主だったからである。
彼はすでに、さりげなく近衛騎士の背後に回っていた。
「昨日は……、午前中だけのシフトだったんです」
近衛騎士は尋ねられた事とは違い、自分の事を話し始めた。
しかし、アイザックは咎めなかった。
彼は平静ではない。
視線を泳がせてオドオドとしている。
落ち着くのを待つのも必要なのかもしれないと思ったからだ。
「卒業式が終われば、殿下の卒業祝いで食事や酒が振る舞われます。今日が休みだった私は遠慮なく飲める。ツイていると思っていました。ですが……、そうはならなかった」
話の核心部分に触れそうになったところで、彼は一筋の涙を流した。
「陛下と口論していた殿下が……。殿下が――」
「ジェイソン殿下がどうしたのです?」
「――陛下と王妃殿下を幽閉するように命じられました」
思いもよらぬ告白に、ノーマンとマットが息を呑む。
ある程度予測していたアイザックだけが平然としていた。
「まさか、そんな……。近衛騎士は何をしていたのですか!?」
ノーマンは本来黙っているべきだったが、つい口を挟んでしまう。
それほどまでに衝撃的な話だった。
「近衛の多くは殿下に付きました。このような事を言うのは心苦しいのですが、エンフィールド公にも遠因があります」
「ほう、私にですか」
身に覚えがあり過ぎて、アイザックの目が泳ぐ。
周囲はアイザックの反応を見るどころではないので、動揺は誰にも気づかれなかった。
「きっかけは冷蔵庫でした。我ら近衛騎士は王族を守るために日夜厳しい訓練を行っています。にも関わらず、陛下はただ冷やすための魔道具に魔力を使えと命じられた。その事に不満を持ったものは多かったのです」
(あぁ、あれね。本当に効果あったんだ)
――ちょっとでも嫌がらせになればいい。
その程度の気持ちで冷蔵庫を贈ったのだが、意外と効果があったようだ。
「特に平民出身の騎士ほどプライドが高く、陛下に不満を持っていました」
「平民の方がプライドが高い?」
貴族出身者の方が気位が高いと思っていたので、アイザックはつい聞き返してしまった。
近衛騎士がうなずく。
「近衛には魔法が使え、一定以上の身体能力がなければ任命されません。エンフィールド公ほどのお方でも、魔法が使えなくては近衛にはなれません。貴族にもできない事を任されているという自負を、平民出身者ほど特に強く持っていたのです。殿下はそんなプライドの高さに目をつけていたのでしょう。二年ほど前から積極的に団長や隊長クラスと接触し始めました。きっと、この日のために用意していたのでしょう」
(二年前……。まだ知能が残っていた頃だな。腐り始めても、ジェイソンはジェイソンだったか)
アイザックは、エリアスと近衛騎士団の間に不和を生じさせ、その隙を狙おうとしていた。
しかし、近衛騎士との接点が少なく、種を蒔くだけで終わっていた。
アイザックは自分が蒔いていた種を、ジェイソンに収穫されてしまった事に気付いた。
「二年前からネトルホールズ女男爵との結婚を目論見、近衛騎士を抱き込んでいた……とは限らないでしょうね。単純に近衛騎士との関係を改善しようとしていたか、それとも他の目的があったのでしょう。そうでないと、あまりにも短絡的で愚かな行動としか言いようがない」
思わずジェイソンを庇う発言をしてしまう。
だが、これは彼を守るためではなかった。
相手の懐に内通者が作れるのなら、それに越した事はない。
こうして庇う事で、目の前にいる近衛騎士の心証を少しでも良くしようとしていたのだった。
「だけど、もしもこの日のためだけに用意していたのであれば……。許せない行為ですね。二年前ならば、もっと違う選択肢があったはずです。それなのに、強硬手段を選ぶなど論外です」
モーガンかマーガレットが今の言葉を聞いていれば「十三年前からパメラを狙い続けた男が何を言うのか」と呆れただろう。
しかし、この場にツッコミをいれる者はいない。
言葉通りの意味に受け取られていた。
「この話は他の誰かにしましたか?」
「いえ、エンフィールド公にも、お伝えすべきかどうか迷っていたくらいですので……。まだどなたにも」
「ミルズ殿下には?」
――ミルズ・リード。
彼はエリアスの弟である。
血筋を残すための予備としての役割に専念し、表舞台には滅多に出てこない。
アイザックも会った事はないが、働かなくても遊んで暮らせるという立場を満喫しているという噂は聞いている。
しかし、それでも王族は王族である。
彼に真っ先に知らせているだろうと、アイザックは思っていた。
だが、近衛騎士はかぶりを振った。
「この状況を収められるのはエンフィールド公しかいない。私達はそのように考えました」
「私達?」
「はい、全員がジェイソン殿下に従っているわけではございません」
近衛騎士が懐に手を入れようとすると、マットが素早く彼の手を掴んだ。
「警戒はごもっともですが、紙を一枚取り出すだけです。離していただけませんか」
マットは視線で指示を求め、アイザックはうなずいて離してもいいと命じる。
今度は警戒させないようにゆっくりと手を動かし、人差し指と中指で折りたたまれた紙を取り出した。
それをアイザックに差し出す。
念のためにノーマンが受け取り、毒や刃が仕込まれていない事を確認してからアイザックに渡す。
紙には人の名前が羅列されていた。
「上段に名前を書かれている者達は、殿下の命令に従わなかったために殺された者達です」
「なにっ!」
すでに血が流れていると知って、アイザックが驚く。
(ジェイソン……。お前はやる時はやれる男だったんだな)
てっきり卒業式だけ頑張る男だと思っていたのだが、そのあとも頑張ってくれているようだ。
このままなら、どこかの国と戦争を起こしてくれそうである。
そこがチャンスだ。
「戦争のため」と称して兵を集める事ができる。
その時、他の家と協力して王国軍を撃破し、ジェイソンを討ち取ってしまえば救国の英雄として玉座に座る事も可能だろう。
「下段に名前を書かれている者達は、仲間が殺されるところを見て、消極的ながらも協力せざるを得なかった者達です。昨日の事なので全員に聞いたというわけではありませんし、それとなく聞き出しただけなので本心かもわかりませんが……。彼らには寛大なご措置をお願い申し上げます」
――ジェイソンに積極的に協力していない者達は赦してほしい。
ウェルロッド侯爵家を訪れているところを同僚に見られたりすれば、彼は裏切り者として処刑されるはずだ。
それでも危険を顧みず、エリアスや仲間のために行動している。
ジェイソンが行動した時に、エリアスを守れなかった事を強く後悔しているのだろう。
過去を悔やみ、必死に汚名を返上しようとする者は恩も忘れない。
ここは彼に恩を着せるべきだ。
「ノーマン、ペンを」
アイザックはペンを受け取ると、リストに近衛騎士の名前を追記する。
「確かにあなたは昨日動けなかったかもしれない。だけど、今日動いた。他の誰もができなかった事をしてみせたんです。それは評価されるべきでしょう。陛下にも、あなたのおかげで私が動く事ができたと報告すると約束しましょう」
「エンフィールド公、私は見ている事しかできなかった卑怯者です。そのような――」
「卑怯者というのは、いつまでも見て見ぬ振りをする者の事です。あなたは違う。もし陛下を捕らえようとした者達が外敵であれば、あなたも動けたはずです。ですが、本来ならば王族を守るべき者達が裏切った」
アイザックは目の前の男を手駒とするため、彼の精神的負担を軽減させる事に尽くす事にした。
「そのような強い衝撃を受けた時に動けなくなるのは人として当然です。私が兄上を殺した時、ネイサン派の騎士も多く残っていました。しかしながら、彼らは動けませんでした。動けなかったのです。味方だと思っていた騎士達が裏切った衝撃でね。人である以上、それは避けられないものです。必要以上に気に病む事はありません。私はあなたを賞賛します」
「エンフィールド公……」
近衛騎士は張り詰めていた緊張の糸が切れポロポロと涙を流し始めた。
エリアスを助けられなかった事を気に病んでいた彼が、何よりも欲していた言葉を聞けたからである。
「それに、休みだったとはいえこうして接触するのも危険な行為でしょう? 危険を冒してまで陛下を助けようとした。あなたの忠誠心は見せてもらいました」
「そ、そうですね。騎士団長に今日は緊急配備だと言われたのですが、普段通りの行動をしておかないと貴族に疑われると言って出てきたのです」
「わかってもらえて嬉しい」と言わんばかりに、近衛騎士は憑き物が落ちたような笑みを見せる。
やはり、死を覚悟しての行動を理解されたのが嬉しかったのだろう。
「アイザックがジェイソンと通じていない」とわかったのも大きいかもしれない。
「それで、陛下はどこに囚われているのですか?」
「王宮内の……北の塔です……」
「なるほど」
ニコルのせいで知能が落ちたジェイソンも、さすがに親を地下に放り込む事はできなかったようだ。
高位貴族用の監獄塔に幽閉しているらしい。
肉親の情は残っているのだろう。
「陛下が幽閉されたという情報があり、場所もわかっている。とはいえ、今すぐ行動するとは約束できません」
「なぜですか!」
「卒業式に出席していた他国の使節団による謀略という可能性もあるからです。ジェイソン殿下の行動を見て、リード王国をかき乱すためにあなたを買収したかもしれません。まずは確認させていただきます。ですが、今から王宮に使者を送るような真似をすれば、ジェイソン殿下に気付かれるでしょう。ウェルロッド侯が帰宅したのちに事情を説明し、明日「陛下の裁可を必要とする書類がある」と面会の申し込みをしていただきます。その時、会えるかどうかで事実か虚偽かがわかるでしょう」
アイザックは、今すぐ動かない理由を説明する。
もちろん、一番大きな理由は「もっと情勢が混乱してほしい」という説明できないものであった。
「ただちにウィンザー侯爵家などに支援を求め、兵を王宮に送ればどうなるか……。わかっていただけますよね?」
「侯爵家が反乱を起こしたと見られても仕方ないでしょう……」
特にウィンザー侯爵家が問題だ。
今、兵を動かせば「ジェイソンに不満を持ったウィンザー侯爵家が他家を糾合して反乱を起こした」と誰もが考えるだろう。
それではエリアスを助け出すどころではない。
近衛騎士もわかってはいるものの、すぐに助け出せない事を悔しがる。
「殿下も陛下に危害を加えるつもりはないでしょう。少なくとも今すぐには。事実を確認する程度の時間はあります。今は焦って仕損じる事を恐れるべきでしょう」
「はい……」
「信じていただきたいのは、私には陛下を助ける意思があるという事です。時には殿下に取り入ろうとする事もあるでしょうが、それは陛下を助けるため。王宮で私が殿下に取り入るところを見たとしても、陛下を見捨てたとは思わないでください」
「もちろんです。エンフィールド公を信じず、誰を信じろというのですか。閣下を信じます」
「ありがとう、その信頼に応えられるよう努力すると約束しよう」
まったくその気はないのだが、アイザックは真剣な面持ちで彼に誓った。
「ノーマン、彼を玄関まで見送ってほしい。そのあと、父上と話し合いたいから、面会の予約が空いているか確認してきてほしい。僕とマットは部屋に戻る。みんなには、何も起きていないように振る舞っておかないといけないしね」
「かしこまりました。……閣下、大丈夫でしょうか?」
ノーマンも、さすがにジェイソンと近衛騎士によるクーデターを前にして落ち着かない。
アイザックでも解決できないかもしれないと思ってしまい、どうしても心配してしまうのだ。
そんな彼を安心させるように、アイザックは余裕の笑顔を見せる。
「大丈夫だ。なんとかする。これまでもなんとかなってきただろう? ドラゴンよりかはマシだろうさ」
「ええ、そうですね。ドラゴンよりかはマシでしょう」
ノーマンは苦笑する。
ジェイソンも人間である以上、話が通じるはずだ。
「ドラゴン相手にも対話できるアイザックなら、なんとかしてくれるはず」と落ち着きを取り戻した。
(さて、どうしよう……)
自信満々に答えたが、卒業式後にジェイソンがどんな行動を取るのかは予測不能である。
手探りで問題を解決していかなくてはならないので、アイザックはえも言われぬ不安を感じていた。
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