第426話 ハーフエルフの存在は?
いきなり言うのも勇気が必要だ。
アイザックは一度深呼吸をしてから尋ねる。
「ブリジットさんに……。いえ、ご家族にも伺っておきたい事があります」
「……なに?」
先ほどまでは淡々とした態度で応対していたが、突然真剣な表情をしたアイザックを見たブリジットに緊張が走る。
「僕がリサに『数年待てるか?』と尋ねた時、ブリジットさんも見ていましたよね?」
「ええ、見ていたわよ」
「では、あのあと。里帰りする時になんて言っておられたか覚えてますか?」
「里帰りの時に?」
ブリジットは、うーんと悩み始める。
何を言ったのか覚えていないようだ。
しかし、このタイミングで持ち出されたので、あまりよくないものだと感じているらしい。
彼女の額に冷や汗が見える。
「何を言ったんでしょうか?」
ユーグが恐る恐る尋ねる。
「『私だって本気を出せば男の一人や二人手玉に取れるんだからね!』という言葉を残していかれました。それほどまでに自信のある言葉を言い残すくらいですから、エルフの男性とも上手くいっているのでしょう。いくら種族間の友好のためとはいえ、その方から奪うような事はしたくはありません。僕よりも、その方と結婚された方が幸せになれるでしょう」
「なっ……」
――なんて事を言うの!
――何の事だかさっぱりわからない。
ブリジットは何らかの返答をしようとするが、口をパクパクとさせるだけで言葉が出てこない。
他の者達――特にエルフは、ブリジットに視線を集めていた。
そんな話は聞いていなかったからだ。
自然と厳しい視線になる。
「もしかして、相手が見つからなかったんですか?」
アイザックが、ブリジットにトドメを刺す言葉を放った。
以前は「彼女に尋ねるのは人としてどうだろう?」と迷っていた言葉だったが、今が使いどころだ。
――恋人の見つからなかった売れ残りを公爵夫人にしようとしている。
これは非常に外聞が悪い。
断ったとしても「エルフ側の選考に問題がある」と、責任を相手側になすりつける事も可能だ。
下手に言い訳しようものなら――
「リサがいるから、自分達も婚約者の決まらない娘を押し付ければいいと思ったのか?」
――と問い詰める事ができる。
恋人がいないという事実を、家族の前で話される辛さはアイザックもよくわかっている。
それでもブリジットとは婚約できない、したくない理由があった。
他の女の子達よりも強く拒否しなくてはいけないという理由が……。
だから使いたくはなかったが、この手を使ったのだ。
ブリジットのためにも。
だが、この言い方ではブリジットのために拒否しているなどと、他の者にはわからない。
コレットが大きな声で泣き出し、机に突っ伏した。
「お母さん……」
誰にも相手にされなかった娘を、最後の頼みの綱にも断られた。
ブリジットには母が泣き出した理由がよくわかった。
痛いほどに。
しかし、彼女は本人が思っているほど母の事をわかっていなかった。
「ブリジットは……。ブリジットは、長く人間の世界に居すぎたんです。だから、もう人間に汚されているだろうと思われてしまい、近隣の村の男達に見向きもされなかったんです! ずっとエンフィールド公のおそばにいたからっ」
「なんだって!」
「そんな事が……」
「えっ、嘘っ。そんな事、私聞いてない」
方々から驚きの声があがる。
しかしアイザックは、ブリジットの驚きや、エルフの大人達が目配せをしていた事を見逃さなかった。
「今まで断絶されていた人間社会に長くいれば、そういう疑いを持つ者も出てくるでしょう。特に人間と接していなかった若い者には、そういう偏見を持つ者がいても不思議ではありません」
エドモンドが、コレットの言葉に乗ってきた。
「そうだ。決してブリジットを妻にすると苦労しそうだと、村の若者達が敬遠していたわけではない」
だが、マチアスがぶち壊す。
彼の言葉を聞き、ブリジットに同情していたランドルフやルシアでも「あっ……」と察する事ができた。
クロードがマチアスの頭を叩き「お爺ちゃんにしていい事ではないぞ」と言い争いになる。
マチアスに良い流れをぶち壊されたコレットは、涙を拭きながら体を起こした。
「人間のせいというのはともかく、エンフィールド公のせいだというのは、まったくの嘘というわけではないんですけどね。人間って成長が早いでしょう? だから、村の男の子達が頼りなく見えてしまうそうなんですよ。エンフィールド公も以前村を訪れられた時より一層たくましくなられていていますので、もう少し私が若ければ声をかけていたかもしれませんね」
彼女は口元を押さえて、ホホホと笑う。
笑って誤魔化そうとしているのだろうが、話している内容が内容なだけに笑えなかった。
周囲の視線は彼女に――集まっていなかった。
誰もが「あっ、これ前にも聞いた話だ」と思って、視線はリサに集まっていた。
突然視線を向けられる事になったリサはうろたえた。
みんなの視線の意味はわかっている。
わかってはいるが、まるで「似たような境遇のリサとは婚約したのに」と言われているようで居心地が悪い。
リサはブリジットから「アイザックの事が好きだ」と聞いていたし、応援をするという約束もしていた。
だから、彼女は自分に視線が集まっている今こそ、アイザックに言うべき時だと動く決心をする。
「ねぇ、アイザック。私と婚約したのは、小さい頃からそばにいたからだよね? ブリジットさんもそばにいてくれたじゃない。それに私と一緒にティファニーの誤解を解いたりしてくれた人なのよ。なのに、ブリジットさんの事が嫌いなの?」
リサにしてみれば、ブリジットと結婚してくれた方が安心である。
アイザックは今のところ、アマンダやロレッタとの婚約に乗り気ではない。
当然、誰かが「第一夫人にふさわしい者を娶るべきだ」と言ってくるかもしれない。
その点、エルフのブリジットに第一夫人になってもらえば、アマンダやロレッタと結婚せずとも「第一夫人にふさわしい者がいない」と文句を言う者はいないだろう。
上手くいけば第一夫人ブリジット、第二夫人リサという具合になって、リサも安心できる。
もしアイザックの気が変わって「ティファニーも引き取る」と思ってくれれば、幼馴染の陣が敷かれる事になる。
第一夫人の座が望めないリサにとって、最適かつ最強の布陣である。
それを実現させるには、アイザックが拒む理由をちゃんと聞いておくのが重要だった。
ブリジットはきっとアイザックを支えてくれる人だから、政治的に無理だという理由がない限り、周囲が何とか説得してくれるだろうとリサは考えていた。
「ブリジットさんの事は嫌いじゃないよ。人としては好きだし、感謝もしている。でも、それだけに僕は結婚したくないんだ」
だが、アイザックの考えは否定的なままだった。
しかし、その言葉には気になる部分がある。
――ブリジットの事を考えているからこそ結婚できない。
それは非常に重要な内容だった。
「誰よりもよくわかっているはずのクロードさんまでいるのに、ブリジットさんを止めないのが不思議なくらいだよ」
クロードはわかっているのだろう。
「言われずとも……」と言わんばかりに、顔を背けた。
「種族が違うだけじゃなくて、寿命も違うよね? だとすると、ブリジットさんは僕を……。いや、僕達の最後を看取る事になる。一人だけ取り残されるんだよ。クロードさんは前に言っていましたよね? 人間の友達が年を取るにつれて変わっていき、死んでいくのが寂しかったと」
アイザックはクロードだけではなく、ブリジットの両親など他のエルフにも視線を向けて一瞥していく。
「ブリジットさん以外の皆さんは、昔に人間と共に暮らしていた時期がある。だから、人間と共に過ごした時に味わう悲哀も経験しているはず。ブリジットさんにその事をちゃんと説明しましたか? ブリジットさんの恋人が見つからなかったから、ちょうどいいやという気持ちで婚約を推し進めているのであればやめてください。みんなが不幸になるだけです」
アイザックは嫌がっていたのは「妻はパメラとリサの二人だけでいい」というだけではない。
ブリジットとの寿命差も考慮にいれていた。
これは彼女から想いを打ち明けられた時から考えていた事だ。
クロードは妻を亡くしたあと、ずっと独身を貫き通していた。
人間に誘われて夜の街に繰り出すという事もしていない。
ずっと妻一筋だったのだ。
それほどエルフの愛が深いのであれば、エルフの寿命に比べてすぐに死んでしまう人間となど結婚できないだろう。
そして、それよりも大きな問題もある。
「それに……。人間との間に生まれたハーフの子供だって寿命が短かくなるでしょう。子供にまで先立たれるなんて可哀想すぎます。ブリジットさんのためにも、焦らずゆっくりとエルフの相手を探してあげてくださいよ」
――人間とエルフのハーフ。
漫画などでは、ハーフエルフとして描かれていた。
基本的に、人間にもエルフにも爪弾きにされる悲しい種族である。
ブリジットだけではなく、彼女との間にできた子供に辛い思いをさせる必要はない。
アイザックの中で、ブリジットはアマンダ達よりも婚約を避けたい相手だったのだ。
「……ハーフ?」
マチアスが首をかしげ、エドモンドと一度顔を見合わせる。
そして、アイザックに尋ねてきた。
「ハーフとは何の事だ? 寿命が短くなるとは?」
「えっ……。違う言い方をするんですか?」
ハーフという言葉が通じなかったので、アイザックは違う言葉を使うのかと考えた。
しかし、エルフだけではなく、モーガン達も何を言っているのかわかっていない様子を見せていた。
「人間とエルフとの間にできた子供は寿命が短くなったり、両方の特徴を持ったりしますよね?」
アイザックの言葉で場が凍り付いた。
誰もが「何を言っているんだ?」という目でアイザックを見ている。
何か間違った事を言ってしまったらしい。
「父親の種族に関係なく、子供は母親と同じ種族として生まれてくる。特徴が混ざったりするような事はないぞ」
モーガンが驚きの表情を見せながら、アイザックに説明してくれた。
これにはアイザックも目を大きく見開き「えっ、そうなの!」と驚きを隠せなかった。
「これは性教育の本に書かれていたはずだが……。読んでいなかったのか?」
「いや、そこまでは……」
(えぇぇぇ、そんな重要な事が書かれていたのか!)
かつて書斎に入り浸るアイザックの目に入らぬよう、性教育に関する本は執務机に隠されていた。
だが、ランドルフが病に倒れた時に、領主代理となったアイザックが目にしてしまった――とモーガン達は思っていた。
しかし、アイザックは見ていない。
性教育など学ぶ必要もないほど、前世で自主学習していたからだ。
そのせいで、この世界ならではの事情を学び損ねてしまっていたらしい。
モーガン達も「アイザックなら、しっかり勉強しているだろう」と思いこんでしまっていたせいで、認識に齟齬が生じてしまっていたようだ。
しかし、だからこそ弛緩した空気が流れた。
「確かに妻と過ごした時間は短かった。だが、短かったとはいえ、十分な幸せを感じられていた。彼女と結婚した事を後悔した事などない。ただ、子供がいればと思う時もある。もしブリジットの事が心配なら、多めに子供を作ってやればいい。それで寂しさは紛らわせるだろう」
クロードが、フッと笑う。
彼は「妻と過ごした日々の証があれば」と思っていたのだろう。
ブリジットの事も妹のような存在ではなく、娘のような存在として見ていたのかもしれない。
だから、彼女の幸せのために協力しているのだと思われる。
――しかし、それはアイザックにとって良い事ではなかった。
(まずい、まずいぞ……)
ブリジットの恋人探しに関しては、コレットが泣き喚き、リサが口を挟んだ事でうやむやにされてしまった。
「ハーフの子供が生まれる」という事に関しては、この世界の常識が前世の常識を上回ってしまう。
人間以外はゲームに登場しなかったので、ハーフの存在自体が設定されていなかったのだろう。
どちらもアイザックには、とっておきの切り札だった。
だが、両方とも有効打とはならなかった。
「覚悟を決めねばならないのか」と、アイザックの中に焦りが生まれる。
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