第417話 いつかは言っておかねばならなかった言葉
学院で昼食を食べている時、アイザックはロレッタに声をかけた。
「ロレッタさんは誰か家族が来られるんですか?」
アイザックは家族と会えたが、ロレッタは家族と気軽に会えない。
ウェルロッド侯爵領からでも、王都まで片道二週間ほどかかる。
ファーティル王国からでは、三週間から四週間は必要だろう。
王族の移動はゆったりとしたものなので、もっとかかるかもしれない。
長期休暇中に行き来できる距離ではない。
誰か家族が会いに来てくれないといけない距離だった。
ロレッタもまだ十七歳。
まだ家族が恋しい年頃のはずだ。
寂しくないのか気になっていた。
「年度末には両親が来る事になっているので、その時までは会う機会はありませんわね。ですが、リード王国の皆様がよくしてくださいますし、友人もいるので寂しくはありません」
そう返事をしてから、ロレッタは一瞬「しまった!」という表情を見せる。
ここは「家族と会えなくて寂しい」とアピールしてから「ご家族に会わせてほしい」という流れにするべき場面だったと気付いたからだ。
今なら「妹さんは可愛い盛りですね。私の妹も――」と、自然に話を繋げていける。
せっかくのチャンスを棒に振ってしまった。
そのせいで、つい表情に出てしまっていたのだった。
彼女の反応を見逃さなかったアマンダやジュディスは「同じミスをしないように気を付けよう」と自らを戒める。
「それはよかった。いくら同盟国とはいえ、見知らぬ土地。寂しい思いをしているんじゃないかと心配していたんですよ。僕なんて久し振りに妹の顔を見れてよかったと喜んでいたくらいです。ロレッタさんはお強いですね」
「いえ、そんな事はありません。心の支えになってくれる人がいるからですわ」
ロレッタは、アイザックを見つめる。
――まるで「あなたがそばにいるから寂しくない」と目で語っているかのように。
さすがにアイザックもマズイ雰囲気を感じ取って、話題を変えようとする。
「そういえば、ウォリック侯はいつ頃王都に到着されるのか連絡は来ていますか? 大切な話があるので、早めにお会いしたいのですけど」
アイザックが、アマンダに話を振った。
これには周囲の者達が息を呑んだ。
そろそろ
――ついにアイザックが、アマンダとの婚約を申し込む。
そう思ったからだ。
だが、一部の人間は違った。
アイザックの友人達は婚約する気はないという話を聞いていたので――
「また、まぎらわしい言い方を……」
――と思っていた。
アマンダは以前にもぬか喜びした経験があるので――
「何もないのに、アイザックがいきなり婚約を申し込んでくるはずがない」
――と考え、どこか達観した表情でアイザックの言葉を受け止めていた。
「三日後くらいに到着するっていう連絡があったよ。そんなに大事な話? ボクが聞いても大丈夫なもの?」
「ええ、ウォリック侯爵家の将来に関わる重要な内容ですね。アマンダさんが同席されてもかまわない……。というよりも、一緒に話を聞いてくださった方がいいですね」
「そうなんだ」
アイザックの言葉に少しだけ期待してしまうが、経済的なものや軍事的なものの可能性もある。
むしろ今までの傾向から、そちらの可能性の方が高い。
アマンダは意識して気にしないようにしていた。
だが、ジュディスは違った。
「……婚約、……するの?」
彼女は震える声で、アイザックに確認をする。
聞くのが怖くても、聞かねばならない事だった。
そんな彼女とは違い、アイザックは余裕のある態度を見せる。
「違いますよ。ウォリック侯爵領の経済に関わる話です。婚約の話というのは……ねぇ。さすがに侯爵令嬢であるアマンダさんを二番手、三番手という扱いをするわけにもいきませんし、そんな話は持ち掛けられませんよ」
ウィンザー侯爵に「アマンダと婚約しろ」と言われても、やはり相手の立場を考えれば難しい。
今の段階で婚約を持ち掛ければ、当然アマンダは自分が第一夫人になれると思うだろう。
しかし、ウィンザー侯爵の口ぶりでは、パメラを第一夫人にしないと納得しそうにないし、アイザックも彼女を第一夫人にしたい。
第二夫人という立場を用意する事は、アマンダに失礼でもあった。
いくら好意を持ってくれているとはいえ、そこまで甘えるつもりなどアイザックにはない。
しかし、アマンダは違った。
そして、これはアピールする大きなチャンスだという意味でも受け取っていた。
「ボクはいいよ」
「アマンダさん?」
「アイザックくんには好きな人がいるんだもん。ボクは二番手、三番手でもいいよ」
アマンダの言葉に、アイザックは衝撃を受ける。
(なんで俺がパメラの事を好きだって……。いや、リサの事かもしれない。でも、リサの後って事は、親父と同じ形で結婚をするって事だぞ。そんな問題が起きるような結婚を認めるっていうのか?)
アイザックの反応を見て、アマンダはミスに気付く。
ティファニーが秘密を打ち明けてくれたのは、自分が誰にも話さないと信頼してくれての事。
それはアイザック本人にも話すのは許されない事だった。
知っている理由を聞かれる前に誤魔化そうとする。
「アイザックくんの事を見ていればわかるよ。ずっと見つめていたからね」
(見ていればわかるって事は、リサの事じゃないのか……。じゃあ、パメラの事を気付かれている? 俺はそんなにわかりやすい態度を取っていたのか?)
(ずっと見ていたなんて、気持ち悪いと思われないかな? みんなの前でこんな事を言うのって恥ずかしいな……)
――アイザックは夫人の序列の事を話し、アマンダは愛する人の順番の事を話していた。
そのせいでアイザックは大きく混乱していた。
アマンダもメリンダの事は知っているはずなのに、なぜそんな申し出をしてくるのかと。
「ウェルロッド侯爵夫人と話す機会があった時に聞いたんだ」
「えぇっ!」
(婆ちゃん、何を言ってんの!)
「政略結婚だったけど、結婚してから夫婦じゃなくて、恋人のように愛し合うようになったんだって。だから、結婚する時は二番手、三番手でもボクはかまわない。結婚してから、アイザックくんが一番に想ってくれる奥さんになれるよう頑張るだけだから」
(婆ちゃん、何を言ってんの!?)
ここで祖父母の新婚当時の話を持ち出してこられるとは、アイザックも思わなかった。
ただの初々しい夫婦の話で終わるはずが、前向きなアマンダに知られると大きな希望を与える事になる。
そして希望は活力となり、元気よく直接アイザックに投げかけられてしまった。
こんな事なら「婚約の話じゃないですよ」で話を切っておけばよかったと深く後悔する。
「わ、私も二番手でもかまいません」
「いえ、それはさすがにありえないでしょう」
アマンダに先を越されたと感じたロレッタも参戦してくるが、ニコラスの常識的な一言で一蹴されてしまう。
彼女は「お前はどっちの味方だ!」と、ニコラスを睨む。
しかし、彼もロレッタを第二夫人になどさせるわけにはいかないので、彼女の視線を正面から受け止めた。
応援する立場だとわかっていても、ダメなところはダメと言わねばならない。
それが共に留学している彼の立場だった。
ロレッタの動きが止まったところで、今度はジュディスが動く。
「私はそばにいられれば、順番なんて……」
彼女はアイザックに近寄りながら話しかける。
「ジュディス先輩! そうやってアイザック先輩に近付いて色仕掛けをするのをやめてくださいません? 見ていて不快なんですけれど」
そこにロレッタの厳しい声がかけられた。
――自分にはできない馴れ馴れしい行動。
――王女という立場から、アイザックに第二夫人でもいいと言えないイラつき。
これらが原因で、ジュディスにかける言葉が自然と厳しいものになってしまっていた。
それでも「婚約者にフラれて寂しいからって、アイザック先輩にすがりつくのはみっともない」と貶めるような事は、彼女の誇りが言わせなかった。
「人によってアピールポイントが違うといっても、直接っていうのはあまりよくないかな。聖女様と呼ばれる人に、ふさわしい行動だとは思えないよ」
アマンダもジュディスを牽制する。
ジュディスは、モーガンと仲のいいランカスター伯爵の孫娘。
そして、自分にはない
それがアイザックに有効なのかもしれない。
だとしたら、できるだけ彼女をアイザックと接触させたくはなかった。
――自分にはないものだから。
アイザックは話が脱線し始めた事を感じていた。
そして「これはチャンスなのではないか?」という事も。
「皆さん、争うような事はやめてくださいと前にも言いましたよね?」
自分を落ち着かせるように、意識して落ち着いた声を出す。
その冷静な声が、周囲にはアイザックが怒りを抑えているように聞こえていた。
「この際ハッキリと言わせていただきます。僕が原因で争いを誘発するのでしたら、皆さんの誰かを婚約者に選ぶような事はしません。今後、婚約を申し込むような事はありません。他の人を選んでください」
――みっともなく妻の座を奪い合う姿にアイザックが怒った。
周囲は、そう受け取った。
受け入れ難い現実に直面して、アマンダ達の体が硬直する。
(これでいいんだ。言っておかねばならない事だったんだ)
アイザックとしても苦しい決断だったが、これは彼女達のためであり、自分のためでもあった。
ロレッタはまだ一年あるが、アマンダとジュディスは今年卒業だ。
少しでも早い段階で他の婚約者候補を探さねばならない。
そして、アマンダに婚約する意思がないと伝える事によって、ウィンザー侯爵の要求を違う形で達成しようと自分を奮い立たせる。
そのためにも、これは言っておかねばならない事だった。
前世なら、自分がフラれる立場だった。
そんな自分が女の子をふる立場になるとは、アイザックは思いもしなかった。
心苦しさを感じる初体験ながらも、アイザックはどこか達成感を感じていた。
しかし、その達成感はアマンダ達の表情を見て、すぐに消し飛んだ。
彼女達は、この世の終わりでも迎えたかのように、絶望に満ちた表情をしていた。
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昼休みが終わる前に、アマンダ達は友人を連れて去っていった。
フラフラと歩く姿は幽鬼の如き様相を呈していた。
「アイザック、よく言ったよ。勇気があるな」
「一人一人呼び出して話すのかと思っていたけど……。思い切った行動を取ったね」
「みんなの前で言うなんて酷いけど、アイザックの意思を宣言するという点では悪くなかったかな」
ポール、レイモンド、カイが、先ほどの感想を述べる。
彼らはアイザックから相談されていたので、ある程度は心の準備ができていた。
その分だけ驚きは少ない。
しかし、ルーカスは違う。
彼はアイザックから話を聞いていない。
ただ、突然の婚約者候補の一斉整理に驚くばかりだった。
「いつかは言わないといけない事だったからね。こんな形では言いたくなかったけど、彼女達が揉めている時がチャンスだと思ったんだ」
「他人に厳しく当たったりする人が公爵夫人になるのはよくないもんね」
「そうだ」
少し立ち直ったルーカスが、話に加わる。
――夫の関係のないところで敵を作りそうな妻は歓迎できない。
アイザックがそう考えていると、アマンダ達も思ったはずだ。
婚約者に選ばないという言葉にも信憑性があったはずである。
その場の思いつきではあったが、上手い事をやれたとアイザックは思っていた。
「ところで、このあとアマンダさんが隣の席に座るんだけど……。どうしたらいいと思う?」
「……知らない」
しかし、後先考えずに行動するのはよくないという事も思い知っていた。
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休み時間になると、アマンダはすぐに教室を出ていった。
アイザックは気まずく感じて逃げ出したくなるが、アマンダの方が気まずい思いをしていると考えて我慢する。
これも数日の我慢。
そう考えていた。
だが、問題は放課後に起きる。
教室にロレッタとジュディスがやってきて、アマンダと三人揃って、アイザックに話しかけてきた。
「アイザックくん、ちょっといいかな?」
「……大丈夫だよ」
ダメだとは言えない雰囲気なので、大丈夫だとしか答えようがなかった。
「ボク達、話し合ったんだ。競い合うのはいい。だけど、相手を蹴落とそうとするのまではよくなかったって反省してる」
「でも、アイザック先輩に自分をアピールしたい」
「だから……、順番にしようって……」
「順番?」
(なんだかよくない気がするぞ……)
「うん、順番。誰がアピールするかは毎日交代して、他の子は邪魔をしないって約束したんだ」
「もう婚約者には選ばないって言ったよ」
「そうだね。だけど、友達としての付き合いまではやめるって事じゃないよね?」
アマンダが上目遣いでアイザックを見る。
身長差から自然とそうなっているだけだが、アイザックには懇願されているようにしか思えなかった。
「まぁ友達としては付き合っていきたいと思ってるけど……」
(へたれ!)
アイザックの返事を聞き、カイが天を仰ぐ。
甘いところを見せるのは、まだ早い。
「ここでもう少し突き放せば、諦めてくれそうなのに」と思わざるを得なかった。
そんな彼とは違い、アマンダは笑みを見せる。
「だったら、友達としての付き合いの範疇で、
「いや、でも」
「恋人になるまでは、誰だってただの友達だもん。だから、今は友達でいい。アイザックくんが誰を選ぶにせよ、お互いの足を引っ張るような真似をするんじゃなく、お互いの良いところを見つけて切磋琢磨していこうって決めたんだ」
「これからもよろしくお願いします」
「よろしく……」
――婚約者候補として選ばないと言ったら、連携攻撃をしかけてきた。
アイザックにはわけのわからない状況である。
(なんでこうなるの? 言ったじゃん。婚約者に選ばないって言ったじゃないか。いくらなんでもたくましいどころじゃないぞ)
アイザックは、アマンダのたくましさを見くびっていたようだ。
彼女は挫けなかった。
休み時間の間に、ロレッタやジュディスに「アイザックに嫌われる要素を排除して、再度挑戦しよう」と相談を持ち掛けていたのだった。
アイザックも彼女の取り柄であるたくましさが、ここまで恐ろしいものだとは考えもしなかった。
誰でもいいから不屈の闘志を持つ相手に、どう対処すればいいのか教えてほしいところだった。
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