第381話 アマンダの怒り

 始業式の翌日は入学式だった。

 ダミアンは登校し、ジャネットは休んでいるという事をアイザックは知る。


(チャールズやマイケルもだけど、ゴメンズは凄い根性してるな)


 アイザックなら、ニコルに告白を断られた時点で家に引きこもっているだろう。

 周囲の目を気にしないで登校できる度胸は、なかなかのものだ。

 その気概を勉強や武の鍛練などに使っていれば、大きな男になれていただろうにと思うと、もったいなく感じる。


(それにしても、本当に面倒な時にやらかしてくれたな)


 アイザックは新入生を勉強会に誘うスピーチをしなくてはならない。

 だが、友人達との会話がダミアンの話題になったせいで、結局は一人でやるハメになってしまった。

 ある意味、アイザックも被害者だ。

 今は人前なので、うんざりとした表情を見せる事はできない。

 真剣な面持ちのまま、部活の勧誘を眺めていた。


「強くなりたい奴! 当然いるよな。戦技部では、様々な武具を使う練習ができる。騎乗だってできるし、色んな奴と戦う事だってできるんだ」


 戦技部の部長になったフレッドが熱弁を振るう。

 彼は同じレベルの者と戦えるメリットや、未経験者へのフォローの手厚さを語る。


 そして最後に――


「もし、この中に俺を倒せる自信がある奴がいるなら入ってこい。何度でも相手してやる!」


 ――と自信満々に宣言した。


 彼の熱弁に拍手が贈られる。


(お前凄いな……。どうしてそんな風に胸を張って言えるんだ?)


 だが、アイザックは感動したりはしなかった。

 上級生の中には、フレッドを倒せる者もいただろう。

 同級生にもいるかもしれない。

 フレッドも強いだろうが、最強ではない。

 周囲がウィルメンテ侯爵家の嫡男という肩書きに遠慮しているだけである。

 いい加減に気付いてもおかしくないはずなのに、フレッドは堂々と自分の力だと思って誇っている。

「ああならないように気を付けよう」と、アイザックは気を引き締める。


 家庭科部や文芸部、吹奏楽部といった部活も続く。

 勉強会は正式な部活ではないので、アイザックの出番は最後だった。

 人前に出るのは緊張するが、新入生の家族にも自分をアピールするチャンスである。

 やらないという選択はない。


「正式な部活動ではありませんが、僕達は勉強会という集まりを開いています。設立当初は、派閥の事などを中心に話していました。これは相互理解のためです。新入生の皆さんも、自分の家が属している派閥に関して知っているはずです。でも、違う派閥の事は知っていますか? 大体の事はわかっていても、詳細については知らない人の方が多いはずです。属する派閥と違う派閥の事を知って、どうなるのか? その事が気になる事でしょう。それはこれから説明します」


 まずは正式な部活ではない事を伝え、勉強会の内容に関して興味を惹かせる。


「例えば王党派。王権を強化し、リード王国の結束を強めようとする派閥です。では、彼らの考え通りに王権が強化され、地方貴族の権限が弱まればどうなるか? 実際になるのかは僕にもわかりませんが、少なくともファーティル王国への援軍は間に合わなかったでしょう。軍を動かすのに、中央の許可を得ねばならなくなっていたでしょうから」


 アイザックの話を聞いて、エリアスや王党派貴族の顔色が変わる。

 王党派の考えを、大衆の面前でアイザックに否定されたからだ。

 もちろん、彼らの考えを否定しただけでは終わらない。


「では、貴族派はどうでしょう? 地方貴族の権限を強化し、自由な裁量を認めてもらおうとする派閥です。しかし、どこまで強化するのかというのは難しい問題です。例えば、エルフやドワーフとの交渉を自由に認めるのかどうかで考えてみましょう。エルフやドワーフとの交渉は、どう考えても他国との交渉と同等のもの。外交交渉まで自由にさせては、リード王国という枠組みが意味を成さなくなってしまいます。権限の与えすぎは、よろしくないでしょう」


 今度は、モーガンやウィンザー侯爵が驚かされる番だった。

 貴族派としても外交の権限までは望んでいないものの、アイザックの言葉は貴族派を否定するようなものだったからだ。


「中立派は政体の現状維持を望む派閥です。彼らは今の政治が上手くいっているのなら、下手に手を加えない方がいいと考えています。しかし、一部の者達からは、国をよくしようとするやる気がないのではないかという批判もあります。新しい事に挑戦したくないから、現状のままでいいのだろうと思われてしまっているからです」


 最後は、クーパー伯爵やブランダー伯爵が表情を変える事となった。

 彼らはやる気がないわけではない。

 必要を感じないから現状維持でいいと主張しているだけだからだ。


「では、世間で思われている印象が正しいのでしょうか? それは違います。今のは自分達の派閥ではなく、他の派閥に対する意見を集めたものです。誰もが自分達が属する派閥の意見が正しいと思っているから、違う派閥の意見を間違っていると偏見の目で見てしまうのです。その偏見を無くすために話し合い、お互いを理解しようというのが勉強会の目的です」


 だが、否定するばかりではない。

 流れの最後でひっくり返した。

 アイザックの意見ではないとわかり、一同は安堵の表情を見せる。


「同じ派閥内でも意見が異なる場合があります。方向性は同じでも、手段や目的が微妙に異なる場合があるのです。最も肝心な事なのですが、勉強会では異なる意見がある事を受け入れ、それもまた一つの正しい意見だと認める事ができるようになる事です。意見の違う者を論破し、黙らせるのが勝ちではありません。『そういう考えもあるんだ』と受け入れる事が、参加者にとっての勝利なのです」


 アイザックは、ただの理想を語るだけの馬鹿に見える。

 侯爵家で育てられたおかげで気品は感じるが、威厳がまったくないせいだ。

 昔のランドルフのように、温室育ちのお坊ちゃんのようにしか見えない。


 ――だが、アイザックの言葉には信憑性があった。


 アイザックはエルフやドワーフなど、意見どころか種族が違う相手とすら話し合う事ができる。

 相手の意見を受け入れ、相手にも自分の意見を受け入れさせる事ができたからだろう。

 実践して結果を残しているため、アイザックの言葉を皆が信じる事ができた。


「その他にも勉強会という呼び名の通り、授業でわからなかったところを教え合ったりもしています。その日の参加者の雰囲気によって話す内容も変わります。勉強会では何かを強制したりはしていません。自由に参加し、自由に帰る。個人個人の都合に合わせてくださってかまいません。例えば『クラスメイトが部活に向かう中、どこにも所属していない自分だけが帰宅するのは寂しい』と思った時に立ち寄る程度で結構です。僕達は待っています」


 アイザックは、優しい笑みを意識して浮かべる。


「もちろん、部活動に参加している生徒も歓迎しています。皆さんの先輩達にも、これまで話した事をまとめたプリントを持ち帰るだけという方々もいました。余裕のある時に気軽に立ち寄っていってください。いつでも歓迎します」


 そして、使っている教室の場所や活動日時を伝えて話し終える。

 時間が限られるので話し切れていないところもあるが、それは参加してくれた者達から口伝てで知ってもらうしかない。

「誰でも歓迎する」という点を伝えられていればいいのだ。

 どうせ、人脈作りがメインの会なのだから。



 ----------



 教室に戻ると、アマンダが話しかけてきた。


「アイザックくん、かなりの余裕があるみたいだね……」


 彼女は物言いたげな様子だった。

「アイザックの態度に不満がある」という様子を隠しきれていない。


「正式な部活でもないのに、新入生の勧誘をさせられたんだ。新入生には先輩として、少しでもいい姿を見せておかないとね」


 答えている間に、アイザックはアマンダが不満を持っている事に見当がついていた。


(ジャネットの事だろうな。彼女が不幸な目に遭ったのに、なんで普段通りなのか不満なんだろう。けど、俺はそこまでジャネットと親しくないし、不満を持たれる理由なんてないぞ)


 ジャネットとティファニーとでは、付き合いの長さと親密さが違う。

 さすがにジャネットにまで、ティファニーと同じような怒りを持てと言われても無理だ。

 怒る役目は、アマンダに任せるしかない。

 だが、彼女がアイザックに不満を持っているのには、ちゃんとした理由があった。


「そうなんだ……。じゃあ、ダミアンにもいい姿を見せたかったの?」

「……どういう事かな?」


 不穏な流れを感じるが、アイザックとしては聞き返すしかなかった。


「ウェリントン子爵が、フォスベリー子爵に文句を言いに行ったんだ。当然だよね。フォスベリー子爵も謝ったし、ダミアンに厳しい処罰も考えているって答えたそうだよ」

「それならよかったんじゃないの?」

「そうだね。それで終わればよかったね」


 アマンダは下唇をギュッと噛む。


「ウェリントン子爵家が納得するように謝罪する。するけど……。サンダース子爵夫人に仲裁をお願いしているから、どういう代償を払うか考えるために数日待ってほしいって答えたんだってさ」


 しばしの間考え込んだあと、アイザックに吐き捨てるように言った。

 彼女には、どうしても納得できないのだろう。


 ルシア個人ならば、さほど権力はない。

 だが、彼女はウェルロッド侯爵家の次期当主であり、先の戦争の英雄の妻である。

 そして、アイザックの母でもある。

 噂を聞く限りでは、ルシア本人もアイザックに負けず劣らずの知恵者。

 そんな者達が、ダミアンを守るために動くというのだ。

 ジャネットを悲しませたダミアンを許せないアマンダが不満を持っても当然の状況だった。


 しかし、アイザックは彼女の怒りとは裏腹に、余裕のある態度を見せる。

 慌てて否定したりはしなかった。

 アマンダを落ち着かせるために、努めて冷静な態度で答える。


「あぁ、その件ですか。昨日、家族で話し合いましたけど、ウェルロッド侯爵家としては手助けしないと決まりましたよ。いくらなんでも、ダミアンの行いを認める事はできません」

「……ほんとに?」

「本当ですよ。特に我が家は、ティファニーの一件もありましたしね。ダミアンの行為を肯定するような真似はできません」

「そうなんだ。よかった……」


 アマンダは、アイザックと争わなくて済んだのでホッとした表情を見せる。

 勝てるかどうかではない。

 アイザックと戦う事が嫌だった。

 でも、ジャネットのためには行動しなくてはならない。

 フォスベリー子爵の返答を聞いて、ある程度は覚悟を決めていただけに、大きな安心感を得る。


「じゃあ、遠慮なくやってもいいんだよね?」

「いやぁ、それはちょっと……。フォスベリー子爵夫人は、母上の友人です。見捨てるような事はしたくありません」

「それは助けるって事じゃないの? ……そっか、ウェルロッド侯爵家・・・・・・・・・としては・・・・助けないだけ。エンフィールド公爵家としてなら、助けるって意味なんだね? それとも、サンダース子爵家かな?」


 アマンダの表情は憎悪が含まれたものになる。

 今までアイザックに向けた事のない表情だっただけに、アイザックも心の中でビビる。

 だが、キャサリンを救うためには、ここで逃げるわけにはいかなかった。


「どちらでもないよ。むしろ、ジャネットさんのためにもなる方法を考えているんだ。フォスベリー子爵家には、ちゃんとウェリントン子爵家を納得させられる代償を支払わせる。ちゃんと謝罪と賠償が済めば、家を潰したりしなくてもいいよね?」

「そりゃそうだけど……。内容にもよるかな。どんなものを考えているの?」

「それはまだ言えないよ。まずはフォスベリー子爵と話さなくてはならないし、結論が出たらウェリントン子爵に真っ先に話さなくてはいけないからね。最初に話す相手は、ジャネットさんの父親であるウェリントン子爵であるべきだ。それが筋というものだと思わないかい?」

「思うけど……」


 やはり、親友の事なので気になるのだろう。

 アイザックが何を考えているのか知りたそうにしていた。

 だがこの時のアイザックには、何もプランはなかった。


(フォスベリー子爵! お前、何を言ってくれてんだよ! まずは自分で話し合えよ!)


 アイザックは、フォスベリー子爵とウェリントン子爵の間で話し合って、その途中経過を聞いてから動くつもりだった。

 どうしても折り合いがつかない場合に顔を出し「これくらいにしてはどうだろうか?」と代案を出す。

 それならば、ウェリントン子爵の意向に沿った形で和解させる事ができる――はずだった。

 まさか、初日の話し合いから丸投げされるとは思っていなかった。

 正確にはルシアへの丸投げであるが、母がこの状況を仲裁できるとは思っていない。

 オロオロとしている姿が容易に想像できる。


(考える時間がほしいっていうのはわかる。自分では処理できないから、処理できる人に頼みたいというのもわかる。でも、まずは自分でやってみないと、いつまでもできないままだぞ)


 これは前世の経験である。

 酔客のクレームは厄介だ。

 アイザックも、店長に処理を頼む事が多々あった。

 その時に言われたのが「まずは自分でやってみないと、いつまでもできないままだぞ」というものだった。

 アイザックに社員としての自覚を持たせるため、対応マニュアルを叩きこみ、自分で対応させるようにしていった。

「自分で処理した」という経験は、確実に積み重ねられていき、店長に頼らずにクレームを処理できるようになった。

 何事も経験である。

 新卒の間に経験を積ませてくれた店長に感謝したものだ。

 この時、アイザックは自分で処理しようとしなかったフォスベリー子爵に怒りを覚えるが、それで「店長も一々クレームを任されるのが面倒なだけだったのかも?」という疑問が浮かんでしまう。


(……いや、違う。あれは俺を立派な社員にしようとしてくれていただけだ。うん、きっとそうだ。フォスベリー子爵に経験を積めと言いたいところだけど、息子が婚約者を捨てるなんて経験滅多にないぞ。よくある酔客のクレームと一緒にしてはいけない)


 嫌な事に気付いてしまったので、アイザックは忘れようとする。

 前世の経験は、自分にプラスになった事は事実。

 一緒にしてはいけないと思いこもうとする。


(その点、俺はティファニーとジュディスの件に首を突っ込んでいるから経験豊富。丸くまとめようとするなら、経験者に頼ろうとするのは不思議じゃない)


 ――嫌な経験である。


 しかし、経験してしまったものは仕方ない。

 経験者として助言を求められるのも当然の事。

 フォスベリー子爵の行動は、ダミアンだけではなく、ジャネットの事を考えてのものだと考え始める。


「アイザックくんの事、信じていいんだよね? ダミアンがやった事は絶対に許せない。ジャネットのためにも、できる事をしてあげたいんだ。いくらアイザックくんでも、ダミアンに肩入れするようなら……」


 アマンダが上目遣いをしながら尋ねてくる。

 やはり、キャサリンがルシアの友人という事が引っ掛かっているようだ。

 ウェリントン子爵を納得させる手土産を用意するだろうが、どういう形で納得させるのかがわからない。

 極端な話「これで手を打て」と納得させられる可能性もあるのだ。

 そうなれば、ウォリック侯爵家もウェリントン子爵のために出張るしかない。


 アイザックと戦う事は怖い。

 戦う事自体が怖いのではない。

 アイザックに嫌われるかもしれない事が、アマンダには怖かった。

 だが、それでも引くという選択肢は考えられなかった。


「フォスベリー子爵の相談には乗るでしょう。ですが、それはジャネットさんのため。フォスベリー子爵家に肩入れして損害軽微という状況にするつもりはありません。被害者を救済するのが目的です。チャールズの時はほぼ無傷でしたけど……。あれはティファニーがチャールズと復縁したいと望んでいたからです。ジャネットさんは、ダミアンに心残りがあるんですか?」

「ないよ。ダミアンのために頑張ってきたのに、一つも理解されていなかったんだもん。未練なんて残ってないって言ってたよ」


 即答だった。


(まぁ、無理もないか。二人の時に文句を言われるのならともかく、人前で罵倒されたもんな)


 ジャネットの感情に、アイザックは理解を示す。

 あの場で「ふざけるな!」と殴り飛ばさなかっただけ有情というものだろう。


「では、こちらもジャネットさんが、ダミアンとの復縁を望まないという方向で動きます。もっとも、僕達がフォスベリー子爵にするのは相談に乗るだけ。彼らの後ろ盾となって、事をうやむやにしたりはしません。それは約束できます。これはウェルロッド侯爵家の方針として決まっていますので安心してください」

「わかった、信じるよ。……アイザックくんと争わずに済んでよかった」


 エヘヘとアマンダが笑う。

 そんな彼女の笑顔を見て気分が盛り上がるどころか「これからどうすればいいんだろう」とアイザックの気分は落ち込んでいった。

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