第382話 面倒臭い男

 アイザックが屋敷に帰ると、すぐさま使用人に来客がいると伝えられた。

 相手はフォスベリー子爵夫妻。

 今はランドルフとルシアが対応しており、アイザック待ちだという。


(なんで俺だけ……)


 今回、ウェルロッド侯爵家は関与しないと決まっている。

 そのため、ルシアと夫のランドルフが相談に乗るという形を取った。

 モーガンやマーガレットが同席しないのは、ウェリントン子爵家とウォリック侯爵家への配慮である。

「サンダース子爵夫人が友人の相談に乗る」という形でしか支援はしない。

 その「サンダース子爵家」という枠組みの中に、なぜかアイザックも含まれていたのだった。

 息子だからだろう。

 こういう時は言った者勝ちなので、そう間違ってはいないが、アイザックはどこか釈然としないものを感じていた。

 しかし、無視するわけにもいかないので、カバンを使用人に預けて応接室に向かう。

 ドアをノックしてから入ると、フォスベリー子爵夫妻が立ち上がってアイザックに頭を下げる。


「ダミアンがアマンダ様の名前を出しても察しがつかぬほどの愚か者だとは思っておりませんでした。エンフィールド公が愚息を正気に戻そうと尽力してくださった事、感謝の言葉もございません。そして、差し伸べてくださった手を振り払った事に関しても、謝罪の言葉もございません。いかようにも処分を下してください」

「あぁ、それはいいんですよ。ニコルさんは魅力的な女性なので、夢中になり過ぎて冷静になれなかったのでしょうから。フォスベリー子爵も、若かりし頃はキャサリンさん以外の女性に気を取られた事もあったでしょう?」

「いえ、私は婚約者が決まって以来、キャサリン一筋でした」


 フォスベリー子爵が、あまりにも堂々と言い放つので、アイザックは呆気に取られた。

 キャサリンの顔は蒼白のままだった。

 ルシアがランドルフに同じ事を言われていれば、きっと頬を染めていただろう。

 それだけ彼女にとって余裕のない状況なのだと言える。


「なるほど……。とりあえず、いくつか聞いておきたい事があります。座って話しましょうか」


 アイザックは、ランドルフの隣に座る。

 アイザックが座るまで、フォスベリー子爵夫妻は立ったままで待っていた。

 フォスベリー子爵の姿勢は、軍人らしく背筋に一本芯が通ったものだった。


(こういう人だったっけ?)


 彼の姿を見て、アイザックは過去を思い出そうとする。

 だが、イマイチフォスベリー子爵に関して思い出せない。


 ――ロバート・フォスベリー子爵。


 これまでにも、パーティーで会う機会はあった。

 しかし、大勢いる貴族と流れ作業のように挨拶している時に、軽く話しただけ。

 その人となりを、アイザックは知らなかった。

 この世界に大勢いる「見た目がダンディなおじさまの一人」としてしか認識していなかった。

 一人の人間として向かい合う事がなかったので、これまでの印象とは違うものを感じさせられていた。

 夫妻が席に着いたところで、早速切り出す。


「父上や母上とはすでに話していたでしょうが、僕は今来たばかりです。同じ事を話す事になるかもしれませんが、確認しておかねばならない事もあります。よろしいですね」

「もちろんです。どのような事でもお尋ねください」


 フォスベリー子爵は、しっかりとした言葉で答える。

 キャサリンとは違い、申し訳ないと思っている様子はあるものの怯えてはいない。


(悪いと思ってないだけかな?)


 アイザックは、そう考えた。


「同じクラスのアマンダさんから『サンダース子爵夫人に仲裁をお願いしているから待ってほしい』という話を聞かされました。僕は母上が仲裁を頼まれている事すら知りませんでした。どういう事でしょう?」


 突然の事態に「考える時間がほしい」と思うのは当然だ。

 アイザック自身「いきなり相談に乗るとか無理だって。対策を考える時間をくれ」と今も思っている。

 フォスベリー子爵の気持ちもわからないでもない。

 しかし、それなら他の口実でもよかったはずだ。


(ダミアンをどう処分するのか、ウェリントン子爵家が納得するまで話したいとかな)


 ――ウェリントン子爵家が納得できる処分を、まずは家族で話し合いたい。


 そう答えておけば、一日や二日は時間を稼げたはずだ。

 ルシアの名前を出す必要などない。

 ダミアンの小物っぷりを見せられたので、フォスベリー子爵にも厳しい目で見ているというのもある。

 だが、それ以上に母の名を利用された事が、アイザックには腹立たしかった。

 一度認めれば、今後も利用しようとする者が続出するようになる。

 ここで食い止めねばならないと思っていた。


「私がサンダース子爵夫人の事を持ち出しました。だって、ロバートが自分の首を差し出すと言い出してしまったので……」

「へっ?」


 キャサリンが「自分がやった」と白状する。

 だが、その続きが予想外だった。

 キャサリンの後をフォスベリー子爵が続ける。


「ウェリントン子爵とは王立学院で出会い、意気投合しました。その時、年の近い子供が生まれれば婚約させようという話を、私が持ち掛けたのです。このような事態になったのは、私が婚約を持ち掛けたせいであります。元凶である私の首で収めてほしいと申し出ました」

「……ダミアンの処遇は?」

「ウェリントン子爵の自由にしてくれてかまわないと答えました」

「なるほど……」


(キャサリンの行動も理解できる。夫と息子を亡くす状況とか、待ったをかけるよな)


 思っていた以上に、フォスベリー子爵は覚悟を決めていたらしい。

 相手が親友というのもあるのだろうか。

 しかし、それは一人残されるキャサリンには辛すぎる現実である。

 彼女がルシアの名前を出してしまうのも無理はない。


「では、ウェルロッド侯爵家に連絡がなかったのはどういう事ですか?」

「ウェリントン子爵との話し合いは深夜にまで及びました。ウェルロッド侯爵家に使者を深夜に送る事ができるほど縁がございません。また、早朝に送る事もためらわれました。本日は入学式がある日。ウェルロッド侯も出席されている事はわかっておりましたので」

「なるほど、なるほど」


 これも一定の理解を示す事ができた。

 レイモンドのオグリビー子爵家や、ポールのデービス子爵家くらいの関係であれば「やばい、助けて」と時間を考えずに使者を送ってきても許される。

 彼らはウェルロッド侯爵家傘下の貴族で、アイザックの友人の家だからだ。


 だが、関係が薄い家では厳しい。

 キャサリンがランドルフの友人ならともかく、妻であるルシアの友人だ。

 ウェルロッド侯爵家・・・・・・・・・に助けを求めるのには、やや関係の強さが物足りない。


 ダミアンがアイザックの友人であったのなら、気兼ねなく助けを求められただろう。

 しかし、ダミアンはネイサンの友人だった。

 そして、ネイサンはもういない。

 ウェルロッド侯爵家がフォスベリー子爵家に何かをしてやる義理はなかった。

 社会通念上の常識として、フォスベリー子爵家の都合でウェルロッド侯爵家を動かす事はできないと考えるのは当然である。

 緊急の使者とはいえ、ウェルロッド侯爵家の邪魔にならない時間になるよう配慮するのも理解できる事だった。


「ダミアンが登校していたのはどういう事ですか? 普通であれば、自宅で反省させるべきところだと思うのですが」


 アイザックは「ダミアンの根性すげぇな」としか考えていなかったが、ウェリントン子爵に身柄を預けようとしていたくらいだ。

 逃げないように自宅監禁くらいしていてもおかしくない事だった。


「ジャネットに謝らせるためです。ウェリントン子爵は、ジャネットへの面会を拒み続けました。ですが、せめて一言くらいは謝らせたい。そう思い、学院内で会う事ができればと思い登校させたのです」

「チャールズの時は顔に痣がありました。ダミアンは痣一つない綺麗な顔でしたけど?」


 アイザックも「意地悪な質問かな?」と思ったが、聞かざるを得なかった。

 子供を叱らないというのでは助けたくなくなる。

 チャールズという前例があるだけに、確認しておかねばならない事だった。


「アダムス伯爵家の方針はわかりませんが、私は今の段階で殴り飛ばすような事は致しません。ジャネットは優しい子です。傷だらけのダミアンを見て、ほだされる可能性があります。謝罪する時に同情を引くなど不要。同情を引かぬ状態で謝らせたかったので、そのまま送り出しました」

「そうですか……。それも一つの考え方ですね」


(あれぇ? この人、本当にダミアンの親父さんなのか?)


 小物臭が凄かったダミアンと違い、フォスベリー子爵はちゃんと自分の考えを持った人物のように見える。

 自分なりの筋を通そうとする姿は、人として立派なもの。

 ダミアンの醜態を近くで見ていただけに、血が繋がっているようには到底思えなかった。


(あぁ、そうか。俺も偏見の目で見ていたんだ……。俺は新入生に偉そうに語ってたくせにな……)


 ――ダミアンの親だから小物に違いない。


 そういう先入観を持っていた事に気付く。

 おそらく、アマンダも同様の偏見を持っていたのだろう。

 ウェリントン子爵からウォリック侯爵へ、ウォリック侯爵からアマンダへという伝言ゲームで、事実がねじ曲がった。

 ダミアンに対する憎悪が、本人の考える「悪のフォスベリー子爵家」という存在そのものに変えてしまった。

 だから、ダミアンへの憎悪も含めて「唾棄すべき存在」といった印象を持ち、吐き捨てるように言っていたのだと思われる。


 アイザックも新入生を前に「他の派閥への偏見を無くすための集まりです」と語っていたのに「悪のフォスベリー子爵家」という印象を、アマンダから植え付けられてしまっていた。

 フォスベリー子爵の事を、よく知らないというのに。


(こんな風に筋を通すタイプの人だったのか。それはそれで尊敬できるけど……)


 意見がコロコロ変わる人物よりも、一貫している人物の方が好感が持てる。

 貴族社会では生きにくいだろうが、正しいと思う道を進む人物の方が好ましい。


(面倒臭いなぁ……)


 だが、それとこれとは別。

 アイザックの解決方法は、筋や道理の通った方法を考えてはいる。

 考えてはいるが、この世界の貴族の常識から外れた型破りな手段を取る事が多い。

 フォスベリー子爵のように、自分なりの真っ直ぐな生き方を持っている者には「それでは道理が立たない」と拒否されてしまうかもしれないのだ。

 敵ならいくらでも搦め取る事ができる相手だが、助ける相手としてはアイザックのやり方と相性が悪い。

 しかも、対策手段を満足に考える時間がなかっただけに、フォスベリー子爵が納得する方法が思い浮かばなかった。


「フレッド経由でウィルメンテ侯爵家に助けを求めなかったのですか?」


 アイザックは面倒をウィルメンテ侯爵に押し付けようと考える。


「最初に考えました。ですが、ウィルメンテ侯爵家はアマンダ様との婚約を解消して以来、ウォリック侯爵家との関係は険悪なものとなっております。この一件で頼れば、関係は完全に決裂してしまうでしょう。ダミアンがフレッド様と友人関係にあるとはいえ、巻き添えにする事はできません。ウェルロッド侯爵家にも頼るつもりはございませんでしたが、妻が名前を出してしまいましたので……。サンダース子爵夫人に謝罪に参りました次第であります」


 ウィルメンテ侯爵家を巻き込めないので、自身の首とダミアンの処分を任せる事で謝罪しようと思っていたのだろう。

 それはそれでかまわない。

 だが、それだけではないという事は、アイザックはわかっていた。


「名前を出してしまった以上、あわよくば助言をもらえればとも考えているんですよね?」

「恥ずかしながら、その通りです……。せめて、ジャネットの悲しみを癒せる方法をお聞かせ願えればと思い、恥を忍んで参った次第でございます」


(だろうな。そこは普通の人間らしいところがあって安心した)


 できれば助かりたいと思うのは普通の事。

「ジャネットのため」と言っているのも、保身に走っていると思われたくない見栄だろう。

 問題があるとすれば、アイザックに提案できる考えがない事くらいだ。

 メイドが淹れてくれたお茶を飲みながら間を取る。


「アイザック、何か良い考えはないの? せめてフォスベリー子爵かダミアンのどちらかが生き残れるような方法があればいいのだけれど……」

「そうですね……。答えは意外と簡単なものだったりするかもしれませんね」

「えっ、もしかして、もうどんな方法を取ればいいのかわかっているの?」

「さて、それはどうでしょう。フフフッ」


 案のないアイザックは答えに困り、マイケルの真似をする。

 意味ありげな含み笑いをする事で、この場を乗り切ろうとしていた。


「こんな時にもったいぶらないで」

「母上やフォスベリー子爵夫人ならば、同じ女性としてジャネットさんの気持ちを考えられるのではないでしょうか? こんな時、どうしてほしいかを」


 急かすルシアを、アイザックはそれっぽい事を言って躱す。

 その場しのぎの言葉だったが、この一言で一同は考え始める。


(時間を稼げたか……。この間に俺も考えないとな)


 アイザックは笑みを浮かべたまま、茶をすする。

 とりあえず、考えが浮かぶまでの時間が欲しかった。

 数日でもいい。


 ――ウェルロッド侯爵家が関与せずに時間を稼ぐ。


 そんな方法が思いつく事ができれば、なんとかなるかもしれない。

 アイザックもキャサリンを救うために、必死に考える。


「あっ!」


 ――声をあげたのはアイザックではなかった。


「ジャネットさんに、ダミアンよりも良い相手を見つけてあげれば、ウェリントン子爵の怒りもいくらか収まるんじゃない?」


 気付いたのはルシアだった。


「ダミアンの代わりとして十分な人を探すと言えば待ってくれるかもしれません。ジャネットさんには、別途違う謝罪が必要ですが、時間は稼げるでしょう。もちろん、時間を稼ぐだけではなく、本気で探した方がいいでしょうけどね。良い相手が見つかれば、命までは取る必要はないと思ってくれるかもしれません。僕はウェリントン子爵の性格には詳しくないので、フォスベリー子爵の意見が聞きたいところですね」


 アイザックは「ナイスアイデア!」と、ルシアの言葉に乗る事にした。

 尋ねられたフォスベリー子爵は難しい顔をする。


「確かに良い相手を探せば許してもらえるのかもしれません。ですが、そのような者が残っておりますでしょうか……」


「良い相手を見つければいい」というのは簡単だが、実際に探すのは難しい。

 良物件ほど早めに決まってしまうものだ。


 ――腐ってもダミアンは子爵家の跡継ぎ息子。


 いくら器量良しの者でも、男爵家の次男や三男では、ウェリントン子爵の怒りは増すばかりだ。

 怒り狂って、フォスベリー子爵一家を切り捨てるかもしれない。

 探すといっても容易ではないのだ。


「大丈夫だ。皮肉な事に、ネトルホールズ女男爵のおかげで男子学生は婚約成立率が低いらしい。もっとも、女子学生も婚約者のいない侯爵家の跡取り息子のせいで、婚約者を見つけるのが遅れているそうだがな」


 ランドルフが、フォスベリー子爵の言葉を否定する。

 最高のエサが、目の前にぶら下げられているのだ。

 どうしてもそちらに目移りしてしまう。


「……僕はリサと婚約していますよ」

「知っているよ。私はフレッドの事を言ったんだが……、何か心当たりでもあるのかな?」

「いえ、別に……」


 アイザックは自分の事だと思って反応してしまった。

 それを見て、ランドルフがニヤニヤと笑いながら「フレッドの事だ」と答えた。

 アイザックが年相応に慌てて否定する姿がおかしかったのだろう。

 笑う場面ではないとわかっているものの、自然に顔に出てしまっていた。


「一度、ウェリントン子爵に聞いてみるといいでしょう。死んで詫びようと考えているのなら、死んで楽になる方が無責任だという事に気付いてください。武官なんですから、一度負けただけで死ぬのではなく、雪辱を果たすという選択もあるとわかっているはずです。ウェリントン子爵家に十分な補償をしてから死ぬかどうかを考えればいいでしょう」

「エンフィールド公の仰る通りです……」


 過剰反応をしてしまった事に気付き、アイザックは不機嫌な表情をしてしまう。

 そのせいで、フォスベリー子爵は「生き恥を晒してでもいい。まずはジャネットに十分な詫びをしろ」と叱りつけられているように感じていた。


「フォスベリー子爵夫人も気を付けてください。軽はずみに母上の名前を出されれば、逆にこちらが処罰せねばならなくなります。フォスベリー子爵を止めるためには必要な事だったとは思いますが、今後はよく考えて行動してください」

「はい、申し訳ございません」


 ――ルシアに仲裁を頼んだ。


 そう言わなければ、フォスベリー子爵は死んでいたかもしれない。

 格上の者に仲裁を頼んでおきながら、独断で自害していれば面子を潰す事になる。

 筋を通すフォスベリー子爵には、そんな事はできないだろう。

 ウェリントン子爵を止めるだけではなく、フォスベリー子爵を止めるためにも必要な事だった。

 その事はわかっているので、今回は処罰を与えなかった。


(よし、これで俺の面子は保たれたかな)


 しかし、それには理由があった。

 途中はグダグダであっても、最後を上手くまとめれば、なんだか凄い男のように見えるものだ。

 アイザックは自分の手でまとめに入る事によって、最初から考えていた通りのように見せかけた。

 これでキャサリンへの借りを返すだけでなく、フォスベリー子爵に恩を売る事もできるだろう。


 ウェリントン子爵との交渉は、フォスベリー子爵自身の手でやってもらう。

 これならば、助言を与えただけだ。

 ウェルロッド侯爵家が後ろ盾になってはいない。

「代わりの婚約者を見つける」という単純かつ有効的な手段を、ルシアが思いついてくれただけである。

 あとはフォスベリー子爵が頑張るだけだ。


 しかし、アイザックも傍観はしていられない。

 ウェリントン子爵の返答次第では、婚約者候補を探したり、違う方法を考えたりしなくてはならないのだ。

 安息の時間は、まだまだ訪れそうにはなかった。

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