第342話 ドワーフの出迎え
万が一の事を考えて、ウェルロッドでは三日間滞在してから、ノイアイゼンに向けて出発する。
アイザックや家族が思い残す事のないようにするためだ。
滞在二日目に、アイザックを心配したハリファックス子爵が兵を引きつれてウェルロッドまで来てくれた。
「ドラゴンを倒せずとも、時間稼ぎくらいはできるだろう。今度こそお前を守ってみせる」
そう言ってくれる祖父の気持ちが嬉しかった。
全滅した時を考え、跡を継ぐアンディが困らないためにベテランの文官は連れてきていないが、武官は熟練兵を連れてきてくれている。
ドラゴンに通用するかという事は問題ではない。
助けようとする姿勢がありがたいのだ。
ティファニーの一件もあり、ハリファックス子爵の本気度は高い。
ドラゴン相手に交渉へ向かうにあたり、精神的な支えが存在するのは大きい。
――準備は万全。
――思い残す事なく出発できる。
そう思ったアイザックに、悔いを残す事件が起きた。
――ケンドラがニコラスに懐いてしまったのだ!
ニコラスは兄弟が多いから子供の扱いに慣れているのか、すぐにケンドラとも仲良くなってしまった。
ウェルロッド侯爵家にとって、ソーニクロフト侯爵家は数少ない親族だ。
ニコラスもそれをわかっているからか、ケンドラを中心にランドルフやルシアと交流を持っていた。
ランドルフやルシアも、ケンドラに「ニコラスと仲良くするように」と言い聞かせていたのも影響したのだろう。
あっさりとニコラスとケンドラは仲良くなっていった。
これはアイザックにとって喜ばしい事であり、そして許しがたい事でもあった。
ケンドラがニコラスと仲良くなったとしても、アイザックが軽んじられる事とイコールではない。
だがしかしニコラスのせいで、アイザックがケンドラと触れ合う時間が減ってしまっていた。
その分はリサと過ごしていたが、アイザックはケンドラも含めた三人一緒の時間を過ごしたいと思っていた。
――だが、ニコラスのせいで、その貴重な時間が減ってしまった。
アイザックに「ドラゴンに殺された事にして、ニコラスを上手く亡き者にできないか?」と考えさせるのには十分な理由である。
しかし、それを実行できないという事も理解していた。
すでにニコラスがケンドラに気に入られてしまったため、彼を消してしまえばケンドラが悲しむだろう。
それに、自分に何かがあった時に親族の存在はケンドラの助けになる。
ニコラスを、一時の感情で亡き者にするわけにはいかなかった。
(ニコルは男たらしだが、こいつは女たらしだな。名前が似ているだけはある)
アイザックは、ついそんな事を考えてしまう。
だが、ニコラス抹殺計画を心に留めておける冷静さはある――というようにアイザックは思っていたが、そんな事を考える時点で冷静さを欠いている事に気付いてはいなかった。
妹との触れ合いの時間を奪われた事は、アイザックにとってそれほどまでに大きな問題として受け止められていた。
それともう一つ、アイザックには気がかりな事があった。
――家族からハンカチを貰えなかった事だ。
王都を出る前に、パメラ達が
ケンドラは子供だから知らなくても仕方ないにしても、母やリサからはハンカチを貰えなかったのだ。
その事がどうしても気になってしまう。
(家族には渡さないとかの決まりでもあるのかな?)
それほど気になるのであれば「ハンカチがほしい」とリサに言えばよかったのだが、自分から「くれ」と要求するのは違うような気がしてできなかった。
ドラゴンと交渉する度胸はあっても、女性に物をねだる度胸はないらしい。
だが、ここでアイザックは一つ思い出すべきだった。
――リサから刺繍入りのハンカチをすでに受け取っていたという事を。
彼女が三年生のバレンタインデーに、アイザックはリサから直接ハンカチを受け取っていた。
その事を思い出せれば、パメラ達がハンカチを渡してきた意味にも気付いただろう。
しかし、リサから貰ったハンカチは、どう贔屓目に見ても他の人に渡すはずだったもの。
誰も受け取ってくれなかったから「捨てるよりはマシだ」と思ってくれたものだと、アイザックは思っていた。
そのせいで、アイザックの頭の中では「リサとの大切な思い出」ではなく「リサをからかうネタ」に分類されてしまっている。
だから、刺繍入りのハンカチを貰えなかった理由が思いつかなかったのだ。
そのため、アイザックは「お守りを貰えなかったのはなんでだろう?」という疑問を持ったまま、ノイアイゼンに向かうしかなかった。
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アイザックの護衛は、エルフや近衛騎士を含めて総勢八百名にまで膨れ上がっていた。
これはランドルフが「近衛騎士よりも数が少ないと肩身が狭いだろう」と言って追加で護衛をつけたためだ。
エンフィールド公爵家とウェルロッド侯爵家、ハリファックス子爵家の手勢で合計三百名。
ランドルフがもう少し追加しようとしていたが「千名を超える軍勢となると、ドワーフも警戒するだろう」というアイザックの意見で考えを取り下げた。
ドワーフの道先案内人が同行しており、前もって使者を送っているとはいえ、そこはドワーフ側に配慮しておきたかったからだ。
アイザックにドラゴンと戦う気がないというのも大きかった。
退治する気だったのなら、リード王国全軍を動員させていただろう。
戦う気がないので、ドワーフ側への配慮をする余裕があった。
――国境の町ザルツシュタットに近付いた時、アイザックの配慮が無駄だったのかもしれないと思う出来事が起きた。
その知らせは、アイザックの到着を知らせるために送った伝令が持ち帰ってきた。
「武装したドワーフが待ち構えている?」
「はい。確認できただけでも完全武装した者が五百。武装しているか未確認な者を含めれば、四千から五千はいるかと思われます」
報告する伝令の顔は真っ青だった。
アイザックを出迎えるのなら、武装する必要などない。
ウェルロッド侯爵家の兵やエルフが加わった事で、いらぬ警戒をさせてしまったのかもしれない。
誤解から大規模な戦争に繋がるという事は歴史上にもある事例だ。
助けに来たのに、侵略するためにやってきたと思われるのはアイザックも避けたい事態である。
「そうか、わかった。ならば、彼らを刺激しないように護衛抜きで行こう。マット、全員に小休止を与えよう」
「閣下を行かせて、我々が休む事などできません。少なくとも、彼らを視認できる範囲まではついていきます」
「けど――」
「なりません。いざという時に駆けつけられる場所まで同行します。それが許されないのであれば、閣下を行かせるわけにはいきません」
マットが、これまでにないほどアイザックの命令を強く拒絶した。
これはアイザックがトムに切られた時の事があるからだ。
あの時も今回のように休んでいるように命じられた。
休むためにアイザックから離れたせいで、トムを止められなかった。
――同じ過ちを繰り返したくはない。
その思いから、アイザックの命令を大人しく受け入れる事などできなかったのだ。
「団長の申し上げた通り、閣下の安全が第一です。視認できる範囲までは同行させていただきます。彼らの反応が気になるのなら、まずは使者を送って確かめてはいかがでしょうか」
トミーもマットの意見に同調した。
彼もマットと同じく、アイザックのそばから離れたのを後悔していたからだ。
二人が自分の事を心配してくれているという事はアイザックにもわかった。
「それじゃあ、近くまでは一緒に行こう。けど、使者は出さない。彼らを疑うような素振りを見せる事自体避けるべきだ。僕達はドワーフを助けるためにきた。誤解をさせてしまったのなら、疑いを晴らすためにもうろたえるところを見せるべきではない。やましい事はないんだ。僕は堂々と話に行くよ」
アイザックはキッパリと言い放った。
こう判断するだけの十分な理由がある。
その理由は「ここで自分を殺せば、ドワーフ側は途方もなく大きな負い目を背負う事になる」というものだった。
自分達を助けにきてくれた者を殺すのだ。
リード王国との戦争が起きるかもしれない。
そうなれば、同族からも責められるだろう。
彼らに理性があるのなら、戦闘になるはずがないとアイザックは確信していた。
(結構な規模になったから、警戒するのも当然だろう。俺だって驚いていたもんな)
――警戒しているのは、予想以上に大きな軍勢がやってきたから。
そう考えれば不思議ではない。
近衛騎士の派遣が予想外なら、エルフの援軍も予想外だった。
アイザック自身、せいぜい百名規模の派遣になると思っていたくらいだ。
その八倍となれば、ドワーフが驚くのも無理はない。
ちゃんと説明すればわかってもらえると楽観的に考えていた。
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ノイアイゼンの街並みが見えるところまで近付くと、伝令の報告通り武装した一団が待っているのが見えた。
「ちゃんとエンフィールド公がドラゴン対策のために護衛と共に訪れるという使者は出しておきました。しかし、人間の軍を警戒している者がいるかもしれません。彼らを安心させるために形だけの警戒をしているのでしょう。まずは我らが事情を聴きに向かいます」
道先案内人のドワーフが、そのように申し出る。
これは当然の申し出だ。
ちゃんと連絡を取っていたにもかかわらず、武力衝突の危険を感じさせる事態になった責任を彼らが取らなくてはならない。
だが、アイザックは首を横に振る。
「ならば、僕も一緒に行きましょう。僕が同行すれば、敵意がないという事の証明になりますしね」
「しかし……」
道先案内人がアイザックの同行を渋る。
万が一の事を考えれば、アイザックを連れていきたくはない。
最初は自分達だけで確認をとっておきたかった。
「まぁ、大丈夫だろう。ドワーフは喧嘩っ早いところもあるが、それは個人間のやり取りに限ってだ。戦争をするなら、よっぽどの理由がないとやらん。武装した者がいるのは、その方が出迎えに映えるといった程度の理由だろう。深くは考えておらんよ」
ドワーフとも付き合いの長いマチアスが「大丈夫だ」と保証する。
ありがたい行為ではあるが、そのフォローの仕方に道先案内人のドワーフが一瞬顔をしかめる。
「では、僕達でいきましょう。エルフからはマチアスさんとクロードさん、ブリジットさんの三人が来てください。リード王国側は僕とノーマン、それとハリファックス子爵の三人で行きましょう。マット達はこの場で警戒しつつ待機」
アイザックの人選は、戦う気がないと証明するものだった。
ノーマンは見るからに文官であるし、ハリファックス子爵は武装しているものの老人である。
マチアスやクロードは、ドワーフにも知り合いがいるだろうし、女の子のブリジットがいれば戦意がない証明になる。
これで襲い掛かってくるようなら、ドワーフは人間だけではなく、エルフの信頼も失うだろう。
そんな馬鹿な事はしないはずなので、大丈夫なはずだった。
「本当に私でよろしいのですか? 護衛となる者を一人連れていくなら、カービー男爵かヘンリー男爵が適任では?」
ハリファックス子爵がアイザックに「一人だけなら、マットかトミーのような手練れを連れていった方が安全ではないか?」と聞いた。
この質問にアイザックは、余裕のある笑みを見せて返す。
「大丈夫ですよ。おそらく、戦いにはなりません。それに、僕を守ってくれるんですよね? 頼りにしてますよ」
「無論、お守りいたします」
ハリファックス子爵の目に気迫が籠る。
争いにならないと確信していたとしても、アイザックが護衛としてマットやトミーではなく自分を選んでくれた。
その事が嬉しく、何が何でもアイザックを守ろうという決意をより一層強く固める。
「僕も一緒に行きたいです」
ニコラスが同行を申し出た。
だが、アイザックは首を横に振る。
「ダメだ。ここから先は大人の世界だ。面白半分で子供が首を突っ込んでいいものじゃない。今回はここで待っていろ」
「……わかりました」
ニコラスは「一歳年上のお前が言うのか?」と抗議したそうな表情をするが、言葉にはしないで飲み込んだ。
アイザックは、すでに大人の世界で一流の仕事をこなしている。
自分とは違い、ただの子供ではないのだ。
すでに年齢という些末な問題など超越した存在である。
「一歳違い」など主張しても無駄な事だと、大人しく諦めた。
しかし、その考えは違った。
アイザックがニコラスの同行を拒んだのは――
「ケンドラとの時間を奪いやがって。今回はお留守番だ」
――という子供じみた嫌がらせのためだったからだ。
アイザックの器の小ささを知らないせいで、ニコラスは大きな勘違いをしてしまっていた。
「では、行きましょう」
アイザックが馬を歩かせる。
彼に指名された者達も後をついていく。
道先案内人達は慌てて、馬をアイザックの前に進ませる。
自分達が先頭を進み、待っている者達の警戒を解くためだ。
ある程度ドワーフの一団に近付くと、最前列にピストの姿が見えた。
人間の方がドワーフよりも背が高いので目立つので、彼の存在は一目瞭然だった。
アイザックが彼の周囲を見回すと、ジークハルトやヘルムートの姿もあった。
この時点でアイザックは警戒を解いた。
(なんだ、ただの出迎えじゃないか)
ザルツシュタットの顔役であるヘルムートが出迎えにきてくれている以上、いきなり戦闘にはならないだろう。
武装した者達の存在が気になるが、マチアスの言う通り見栄えを重視しているだけなのかもしれない。
アイザックは安心して馬を進める。
「おい、この出迎えはなんだ? あれは我らを助けにきてくれたエンフィールド公と援軍だぞ」
真っ先に道先案内人のドワーフが、待っていた一団に声をかける。
この一言で一団にどよめきが起きる。
「我々はエンフィールド公を出迎えにきただけです」
皆を代表してヘルムートが答えた。
「ならば、あの武装した者達はなんだ?」
「彼らは同行したいという者達ですよ。……あぁ、なるほど。使者らしき者が急いで引き返したのは、彼らが皆さんを迎撃するために待っていると勘違いされたからですね」
警戒されている理由に思い当たり、ヘルムートは苦笑いを浮かべる。
まさか、そんな勘違いをされると思わなかったからだ。
だが、すぐに真顔に戻る。
「エンフィールド公、大変失礼いたしました。人間の商人と上手くやっているので、どうやら鈍っていたようです。両国の関係はまだ浅く、関わりの薄い者には警戒させてしまうという事を失念しておりました。お許しください」
「ドラゴンのもとへ向かう途中ですしね。気が張っている兵士が武装している一団を見て警戒するのは当然の事。仕方ない事でしょう。ですが、僕は皆さんが襲い掛かるような事をしないと信じていました。だから、こうして少人数で来たんですよ」
アイザックは馬を降り、ヘルムートに手を差し出す。
彼はすぐさまその手を取った。
すぐに誤解を解いてくれた感謝だけではない。
アイザックが自分達を信頼してくれている事への感謝の意味もあった。
「ジークハルトも久し振りだね。飛行機は作れなかったけど、代わりのお土産を持ってきているから、あとで皆さんと一緒に見てほしいな」
「それは楽しみだよ! ドラゴン対策だけじゃなく、お土産まであるなんてさ」
次はジークハルトの番だ。
彼もアイザックと握手を交わす。
その満面の笑みは「飛行機に代わるものだって?」と、ドラゴンの対策に来てくれた事よりも、アイザックのお土産を喜んでいるようだった。
「それは気になりますね。以前に送っていただいたヨーヨーも素晴らしかった。慣性の法則を使う、たかがおもちゃと侮れないものでした。子供の頃から科学に触れさせる深い考えはさすがです。私からも報告したい事もございますので、あとでお時間をいただきたいところです」
楽しみにしているのは、ジークハルトだけではなかった。
ピストもアイザックのお土産に食いついた。
「ピスト先……、ピストもよくやってくれているという報告を受けている。その成果を楽しみにしているよ」
彼はもう教師ではなく、アイザックの部下という扱いになる。
だから、人前では先生とは呼ばずに呼び捨てにした。
とはいえ、彼の事を下に見ているわけではない。
立場上、仕方なく呼び捨てにしているだけだ。
一時期とはいえ、自分の教師であった以上は心の先生である。
(本当に一時期、っていうか一学期だけだったけど……)
だが、彼は科学の力でドワーフを魅了し、外交官以上に人間とドワーフの関係を良好なものにしてくれているのだ。
その事に感謝はしている。
感謝の気持ちを、先生と心の中で敬う事で示すべきだろうとアイザックは考えていた。
「ところで援軍ですが、僕達には必要ありません。護衛に十分な数がいますので、これ以上は行く先々で迷惑をかけるかもしれませんし」
「俺達がいらねぇだと?」
武装した一団から一人の男がアイザックの前に進み出た。
ハリファックス子爵がアイザックの隣に歩み寄る。
剣に手をかけてはいないが、いつでもそのドワーフに飛び掛かれるように意識を集中させる。
「……ウォルフガングさん?」
しかし、アイザックの言葉で集中が途切れる。
相手は知り合いのようだからだ。
「おう、久し振りだな。けどな、俺達がいらねぇってのはどういう事だ。人間やエルフに手を貸してもらって、俺達が指を咥えて見ているだけなんてできるかよ。ここは俺達の国だぞ。ドワーフが戦わなくてどうするっていうんだ。お前さんがドラゴンを退治しにいくっていう話を聞いて、やる気のある奴らを集めておいたんだ。俺達もドラゴン退治についていくぞ。人間と取引するようになって、エルフ相手にしている時よりも儲けるようになったんだ。その借りも返させてもらう」
武装した一団の正体は「アイザックがドラゴン退治に向かう」という噂を聞いてウォルフガングが集めた援軍だったらしい。
警戒がまったくの無駄だったと知り、ハリファックス子爵の気が抜ける。
「まぁ、そんな事だろうとは思っていたわ」
ブリジットも呆れていた。
軍隊を見て警戒するかもしれないという考えはわかるが、エルフも援軍を出しているのだ。
ドワーフが援軍を出してもおかしくない。
むしろ、アイザックの護衛として率先して出すべきである。
あまりにも当然な流れに拍子抜けする。
「てめぇら!」
ウォルフガングが叫ぶ。
その声はドワーフ達に向けられたものだが、非常に大きな声だったのでマット達のもとへも届いていた。
「今更ビビっちまった奴はいねぇな! 一緒にドラゴンの生皮引っぺがすぞ!」
「うぉぉーーー! やってやろうじゃねぇか!」
ウォルフガングの声に反応し、ドワーフ達が雄叫びをあげる。
臓腑を揺さぶらんばかりの大きな叫び声に、アイザックはビビッて思わず逃げ出しそうになっていた。
同時に「彼らがいれば、ドラゴンと戦いになってもどうにかなるのでは?」という頼もしさも感じる。
その思いのおかげで、アイザックは逃げずに済んだ。
ウォルフガングの声が大きかったおかげで、マット達は警戒を解いた。
「一緒にドラゴンの生皮を引っぺがす」という事は、彼らが共に戦うつもりで集まっていたという事だ。
援軍として同行するために武装していたのなら、彼らを警戒する必要などない。
アイザック同様に、頼もしい仲間ができたと思って安心していた。
「俺達だってなぁ、仲間を助けたいって気持ちはあるんだ。ダメだつってもついていくぜ」
ウォルフガングが雄叫びをあげる戦士達を背に、堂々とした態度でアイザックについていくと宣言する。
アイザックは頼もしさを感じているが、どうしようかという焦りも感じていた。
だが、黙っていても状況は悪化するだけ。
ドラゴンを前にして暴走されても困るので、意を決して本当の事を話す。
「お気持ちは嬉しいです。本当に。ですが、ドラゴンを退治するのではなく、交渉によって解決しようと思っているので……。闘いにはならないかと」
「なにっ!」
この話にはウォルフガング達が驚く。
「ドラゴンによる被害をなんとかする」=「ドラゴンを退治する」という考えしかなかったからだ。
話し合いなどできない相手なので、交渉などという選択は頭になかった。
皆の視線がアイザックに集まる。
「なんとかなるかなという程度ですが、僕には考えがあります。魔法を使える人間やエルフの護衛がいるのは、失敗した時に備えてですね。争わずに解決できるのなら、それに越した事はないでしょう」
いかついドワーフ達の注目を浴びて、アイザックの背中に一筋の冷や汗が流れる。
(しまった。被害地域の街にしか連絡してなかった)
ドラゴン対策には、ちょっとした準備が必要となる。
そのため、評議員会や被害地域に使者を送り、準備をしておいてほしいと連絡はした。
だが、ザルツシュタットなどの被害が出ていない街にドラゴン対策の方法は伝えていない。
だから、こうして闘いに赴くのだと思い込んで準備をしていたのだろう。
今回の騒動は、報告・連絡・相談の基本が欠けていたせいだった。
とはいえ、アイザック一人の責任ではない。
ドラゴンの対策方法を聞いた誰もが、ノイアイゼンの代表である評議会と被害地域だけに連絡すれば済むと思っていたせいだ。
思い込みというのは恐ろしい。
「対策方法を知らない者達がどう思うか」という考えが抜け落ちてしまっていた。
「じゃあ、ドラゴンの素材は?」
「交渉で手に入れば、といったところですね」
「そうか……」
ウォルフガングが肩を落とす。
その姿を見て、アイザックの中で一つの疑問が湧きあがる。
(仲間を助けたいっていうのもあるけど、素材がよっぽど欲しかったんだろうな……)
ウォルフガングの工房は革製品を取り扱う。
骨や鱗は化石として残っていても、皮や肉は腐り落ちてしまう。
仲間を助けるついでに、ドラゴンの皮が欲しかったのだろう。
「やる気のある奴ら」という言葉も、穿った見方をすれば「危険覚悟でドラゴンの素材を手に入れたい者達」というようにも受け取れる。
素材が手に入らないと知り、ウォルフガングが肩を落とした理由を考えれば、そちらが近いような気がしていた。
「ま、まぁそう肩を落とさないでください。革製品を取り扱うウォルフガングさんにもお土産になるものがありますよ。ハトメといって、紐を通す穴を補強する部品を思いついたんです。僕のブーツに使ってますよ」
――捕らぬ狸の皮算用。
そんな言葉がお似合いな状況だとしても、肩を落としたウォルフガングを放置したりはできない。
素材が一番の目当てかどうかはわからないからだ。
仲間を助けたい。
人間と交易できるようにしてくれたアイザックに借りを返したい。
そういう思いもあると聞いている以上、彼を突き放すような事はできないのだ。
だから、彼の興味がありそうな話題で気を紛らわせてやろうとする。
「紐を通す穴を補強する部品?」
ウォルフガングはアイザックの思った通り、ハトメに興味を持ってくれたようだ。
地面に片膝をつき、まじまじとブーツを見つめる。
「なるほど。金属で革に開けた穴を補強するのか。これなら紐が擦れて革が傷むという事もないな」
「紐の力も幾分か分散されるので、強く引っ張っても革が破れにくくなる効果もありますよ」
「ほう、それはいいな。紐を通す穴はどうしても脆くなっちまう。こんな小さな部品一つで補強できるのはいいな」
「僕にも見せてよ」
ジークハルトは、アイザックの前で腰を折り曲げてブーツに使われているハトメを見る。
そこにはちっぽけな丸い輪っかがついているだけだった。
「たったこれだけで、布製品や革製品の泣き所を補強できるんだ……。やっぱりアイザックの発想は凄いね! 地味だけど非常に役立つものを思いつくなんて!」
「ジークハルトへのお土産に使うために思いついたんだ。けど、靴のように日頃から使うものに使う方が効果的だろうね」
ジークハルトがハトメで喜んでくれているので「お土産はこれだけでもよかったんじゃないか?」という考えが浮かぶ。
だが、これで喜んでくれているだけに、気球を見せた時の反応が楽しみでもあった。
彼はアイザックに協力的なので、さらなる協力を得られるようになるだろうという確信が持てる。
「私にも見せていただきたい」
「私も見たいですね」
ヘルムートやピストも腰を曲げたり、片膝を地面についたりしてアイザックのブーツを見始める。
すると、他のドワーフ達も「なんだ? 面白そうなものなら俺達にも見せろ」と、次々と押し寄せてきた。
(なんだか気まずいな……)
目を合わせて話すのではなく、自分のブーツに注目を浴びている状況が、アイザックにはこの上なく気まずいものだった。
次々に体格のいいおっさんが自分の足元に群がってくるのだ。
ブーツを脱いで逃げ出したくなる。
しかし、そんなみっともない真似はできなかった。
対応に困ったアイザックは周囲に「どうしよう」という視線を向ける。
すると、クロードと目が合い「彼らの興味を惹いたのが失敗だったな。落ち着くまで諦めろ」と肩をすくめられてしまった。
彼は頼りにならないようだ。
次にハリファックス子爵と目が合ったが、彼自身が「どういう状況なんだ?」と戸惑っていた。
――襲い掛かってきたのなら戦える。
――友好的に握手を求めてきたのなら、こちらも手を差し出す事ができる。
だが、ブーツについた小さな部品に注目するというのは、彼の常識の範疇を越えた行動だった。
たかだか、革製品の穴を補強するだけのもの。
そんなものに興味を持つという事が、ハリファックス子爵には信じられず、ジッと様子を見守る事しかできなかった。
悪意ある行動からアイザックを守る意思はあっても、好意の行動を妨げる事はできなかったのである。
これはノーマンも同じく、見守っている事しかできなかった。
道先案内人のドワーフは、気球が会議室に飛び込んできた時に見ているので「やっぱり、最初は気になるよな」と見守っていた。
マチアスやブリジットも「これだからドワーフは」と、目先の事に夢中になっている彼らを冷ややかな視線で見つめるばかりだ。
アイザックの求める救いの手は、誰も差し伸べてくれなかった。
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「す、凄い。ドワーフ達が我先にひざまずいている」
その状況を遠目に見ていたニコラスが、この状況を見る事ができた喜びで身を震わせていた。
リード王国にドワーフが住んでいた時も、彼らは王家に忠誠を誓ったりはしなかった。
そのドワーフが、アイザックに対してひざまずき、頭を下げていく光景は信じられないものであった。
「エンフィールド公の人望は、とどまるところを知らぬのだな」
近衛騎士達も目を丸くして驚いている。
ウェルロッド侯爵家の屋敷で使用人にまで優しく声をかける姿を見ていなければ、何かの策略だと思っていただろう。
それほどまでに信じ難い光景だった。
――圧倒的な力を持ち、人を惹き付ける魅力まで持つ。
アイザックこそ、賢王という肩書きがふさわしいのではないかと思わされる。
だが、その考えはすぐに振り払った。
あまりにも不敬な考えだからだ。
しかし、そんな事をつい考えてしまうほどのインパクトのある光景が、目の前で繰り広げられていた。
「閣下ならば当然です。あのお方は、常人の考えを超えたところにおられる」
マットがアイザックの事を誇らしそうにして語る。
本来ならば「誇張するにもほどがある」と思うところだが、ドワーフがひざまずく姿を見てしまっては否定できない。
不可能を可能にしたのを目の当たりにし、ドラゴン対策も上手くいくのではないかという希望を一同に持たせた。
「恐らく、閣下はドワーフを家臣としては扱わないでしょう。友人として扱うはずです。あのお方なら、きっとそうされる。ドワーフにひざまずかれて、戸惑っておられる事でしょう」
トミーもマットに続いてアイザックの事を語った。
その言葉は、大体のところは正しい。
アイザックにはドワーフを家臣として扱う気はないので、これからも良き隣人として扱うだろう。
ドワーフにひざまずかれて戸惑っている事も当たっていた。
――アイザックの戸惑っている理由が「忠誠を誓われても困る」というものではなく「むさくるしいおっさんが群がってきて、なんだかキモイ」というものである以外は。
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