第340話 意識せぬ行動により……

 パメラが帰ると、アイザックの友人達も帰る事になった。

 突然の事態に驚き、彼らも落ち着く時間を必要としていたからだ。

 彼らと入れ替わりにモーガンがロレッタとニコラスを連れて屋敷に帰ってきた。

 モーガンは一目見てわかるほど不機嫌だった。

 椅子がきしむほど勢いよく、マーガレットの隣に座る。


「陛下も無茶な事を命じられる! 相手がドラゴンだぞ! いくらアイザックでも解決策など思い浮かぶはずがない! なのに、あんな安請け合いをして……。いくらドワーフの頼みとはいえ、あれはやり過ぎだ!」

「ちょ、ちょっとお爺様。ロレッタ殿下もおられるのですよ」


 ネイサンを殺した時と同じか、それ以上に祖父が怒っている。

 そのせいで、アイザックは言葉の途中で止め損なった。


「かまわん。すでに陛下に苦情を入れた時に聞かれている」

「えぇ……。それはどうかと思いますけど……」


 これにはアイザックもドン引きである。

 アイザックですら「エリアス直々の頼みだし、他国の者の前だから抗議できない」と思って、渋々受け入れたくらいだ。

 外務大臣である祖父が、ロレッタの前で堂々と物申すなど想像していなかった。

 しかし、本気で怒ってくれているという態度は嬉しくもあった。


「いいえ、ウェルロッド侯の言う通りです。今回は陛下が悪いですわ。アイザックさんを死地に赴かせるなんて……」


 ロレッタがモーガンの意見に同意する。

 彼女の発言も「隣国の王女が他国の国王を批判していいの!?」とアイザックを驚かせる。

 ロレッタは、さり気なくアイザックの隣に座った。


「だって、ウェルロッド侯爵家直系の男はアイザックさんとお父君しかおられないではありませんか。もし、アイザックさんが亡くなられたりしたら……。私、耐えられません」


 彼女はアイザックの腕にすがりつく。

 突然の事態に対応できず、助けを求めてアイザックの目が泳ぐ。

 そして、視線がニコラスと合った。


「表立っては言えませんが、僕も同感ですね。アイザック先輩は使い捨てにしていい存在ではありません。もう少し慎重な判断を下されるべきでした。どうせならもっと効率よく……。失礼、今のは失言でした」


 ――アイザックを使い潰すなら、もっと効率よく使い潰すべきだ。


 とでも言いそうになったのだろう。

 本人を前にしているので、ニコラスはすぐに謝った。

 彼もアイザックが求める助けにはなってくれなさそうだ。

 ここは自分でなんとかするしかない。


「心配してくれるみんなの気持ちは嬉しいです。ですが、もう少し冷静になりましょう」

「冷静にだと? この状況で冷静になどなれるはずがないだろう。むしろ、なぜお前は落ち着いていられる?」


 モーガンは、わけがわからないといった反応を見せる。

 このままでは死ぬ確率が非常に高い。

 それも、意味もなく無駄に死んでしまう可能性だ。


 ――ドワーフのために動いて死んだ。


 その事実を作るためだけに払うには大きな代償である。

 他人事のように落ち着いているアイザックの事が不思議で仕方がなかった。


「一応、解決の糸口は掴めた……ような気がしていますから」

「なにっ! 何か思いついたのか!?」

「まだぼんやりとしたものですけど、解決策が浮かんでいます。成功するかはわかりませんけど、無策で向かうわけではありません」

「まぁ、凄い! さすがはアイザックさんですわね」

「えっ、ちょっと……」


 ロレッタがアイザックの腕に抱き着く。

 王女らしくない振る舞いだが、これに関してはアイザックも注意できなかった。

 こうして女性に抱き着かれるのは歓迎するべき事態だったからだ。


「なんだ、もう策を思いついたのか」

「七代目のロイドというご先祖様が失敗したという内容の文献があったので、それを参考にして話し合いで解決できそうな方法が思い浮かびました」

「話し合いか……。せっかく、護衛として近衛騎士を三百名借り上げたというのに無駄になりそうだな」

「近衛騎士を三百ですか!」


 近衛騎士の定数は千名ほどだが、王国の歴史上で定数を満たした事はなかった。

 魔法の才能があっても、騎士としての力量が足りずに騎士見習いのままで終わる者も多いからだ。

 現在は八百名ほど。

 つまり、モーガンは近衛騎士の四割弱をもぎ取ってきたという事になる。

 外務大臣としての仕事ではなく、こんな形で祖父の実力を知るというのも不思議な気分だった。


「当然だろう? お前を失うような事は認められない。ウェルロッド侯爵家としても、リード王国としても、祖父としてもな。陛下も私が抗議してから、お前を失う危険に気付いたようだ。せめて護衛くらいは十分なものをつけるようにと要求したら、すぐに出してくれたぞ」


 近衛騎士を護衛に出させたという事実にアイザックが驚いているので、モーガンは少しだけ誇らしそうにしていた。


「確かにそれだけ出してくだされば頼もしいですね。ドワーフ側に兵士を連れている事の説明をする必要があるでしょうけど」

「説明はドワーフ側から案内人を出してくれるので、あちらが説明してくれる事になっている。使者も前もって出しておくので、混乱は起きないだろう。安心して連れていけ」

「わかりました。近衛騎士の護衛があれば心強いです。ありがとうございました」


 エルフ百名と近衛騎士三百名のどちらが強いのかはわからないが、魔法を使える者が護衛についてきてくれるのはありがたい。

 とはいえ、実際に戦わせるつもりはない。

 一時的に追い払う事ができても、そのあと怒り狂ったドラゴンによる被害が拡大するかもしれないからだ。

 それではドワーフの助けにならないので意味がない。

 あくまでも彼らは保険。

 保険を使うような事態にならないのが一番だ。


 ――自分の考えを形にし、ドラゴンを大人しくさせる。


 それが一番だという事に変わりはない。

 しかし、万が一の時に盾として戦ってくれる者が増えるのはありがたい。

 マット達も戦ってくれるだろうが、さすがに刃が届く前に殺されてしまうだろう。

 ドラゴンを相手に戦うのなら、魔法を使えるかどうかの差は大きい。

 アイザックに安心感を与えるという点では、近衛騎士の同行は本当にありがたかった。


「連れていけといえば、ニコラスも連れていってやれ。ファーティル王国の者にもノイアイゼンの事を知る者がいた方がいいだろう。いきなり外交官を送り込むより、お前が又従兄弟を連れて行くという方があちらも受け入れやすいはずだ」

「よろしくお願いします」

「えぇ……」


 ニコラスも一緒に来たのはアイザックを心配したというだけではなく、アイザックに同行させる目的もあったらしい。

 本人は覚悟を決めているようだ。

 しかし、アイザックは友人達の同行を断った。

 ニコラスだけ許可するというのには少々抵抗がある。

 だが、同じ断り方はできない。

 彼は隣国の貴族だからだ。


「でも、学校の勉強が遅れるだろうし、危険もあるから万が一の事を考えたら来ない方がいいと思うよ」


 だから、違う断り方をする事にした。


「まだ一学期の中間試験と期末試験だけではありますが、成績は一位を取らせていただきました。万が一の事があっても、僕は三男です。アイザック先輩のように、後継者問題で悩むような立場ではありません。一緒に行かせてください」

「うーん、まぁ、そうだねぇ……」


 彼のためを考えて断ろうとしたが、本人がやる気満々で行くのをやめる気配がない。

 アイザックは真っ先に自分の身の安全を考えたが、ニコラスはノイアイゼンで学ぶものがあると考えているようだ。

 前向きの姿勢で学ぼうとしている姿は立派なものだ。

 本人がやる気でいる以上、アイザックも断り文句が思い浮かばない。


「何かがあっても責任は取れないよ。それでもいいなら来るといい」

「ありがとうございます!」


(俺の事だけでもいっぱいいっぱいなのになぁ……)


 ニコラスは自己責任でも同行するつもりのようだ。

 とはいえ、アイザックが責任を取らなくてもいいというわけではない。

 念のために責任を取れないと言ってあるが、一緒にいる以上は年長者としての責任がある。

 余計な荷物を背負ったようなものだ。

 しかし、ニコラスは貴重な身内の人間なので、固辞して関係を悪化させたくもない。

 ソーニクロフト侯爵家との関係は良好なものを維持しておきたい。

 その役に立ってくれるのなら、同行させるのも悪くはないと思っていた。

 ドラゴンが現れる街まで連れていって、あとは遠めに眺めさせておけばいいだけだ。

 危険なドラゴンの前に連れていく必要はない。


「私もニコラスが一緒に行ってくれるなら安心です。彼が同行すると言ってくれて嬉しかったんですよ。同行を認めてくださってありがとうございます」


 なぜかロレッタまでが礼を言った。

 その理由がわからないので、アイザックは曖昧な笑顔で応える。

 彼女はアイザックの腕から手を離し、ハンカチをアイザックに差し出した。


「あの……、これをお持ちになってください」

「それを?」


 アイザックは刺繍が施されたハンカチを見る。


(パメラといい、なんでハンカチ?)


 アイザックがハンカチをジッと見ているので、ロレッタがうろたえる。


「私が刺繍したものです。出来がいいものではありませんので、あまり見つめられると恥ずかしいのですけど。その……、お守り代わりとして持っていってください」


 さすがにアイザックに好意を持つ彼女でも「ドラゴンを倒して、私と結婚してください」とまでは言えなかったようだ。

 顔を赤らめ、手が震え始める。


(まぁ、いいか。こうして女の子からプレゼントを貰えるっていうだけで嬉しいし)


 アイザックは、それ以上深く考えなかった。

 笑顔で彼女からハンカチを受け取る。


「ありがとうございます。心強いお守りをいただけて嬉しいです。ロレッタさんにふさわしいお土産を持ち帰る事を約束します」

「まぁ、嬉しいです」


 ロレッタは満面の笑みを浮かべた。

 アイザックの返事を聞き、モーガンとマーガレットが大きく目を見開いて驚いた。


 ――ロレッタにふさわしい土産。


 それがどんなものかは想像するだに難くない。

 誰もがハンカチとドラゴンと聞けば、バレンタインデーのエピソードを思い出すからだ。

 つまり、アイザックは「ロレッタを正室に選ぶ」と言ったも同然である。

 とんでもない事があっさりと決まったが、ロレッタならばアイザックとお似合いである。

 二人は特に注意する事なく、事態を見守っていた。


 この時のロレッタは喜びつつも「とんでもない事を要求してしまった」と恥ずかしがり、誰の目から見ても明らかに動揺していた。

 そんな彼女をアイザックは不思議そうに見るだけだった。

 その姿は、とても「ドラゴン退治の報酬として婚約を望む」と言ったとは思えないほど落ち着いていたものだった。



 ----------



 翌日、アイザックは出発の準備をしていた。

 正確には待っていた・・・・・というのが正しいだろう。

 アイザックは休学届を学院に提出しに行ったくらいで、他の準備は使用人達がやってくれているからだ。


 エンフィールド公爵家の騎士の他に、ウェルロッド侯爵家からも追加で騎士や兵士を出すので百名ほどがアイザックに同行する事になる。

 これに近衛騎士が三百名も同行するので、小規模の軍と言える規模になってしまう。

 そのため、準備に時間もかかるのだ。


 しかし、アイザックも暇ではない。

 噂を聞いた同級生や勉強会で知り合った者達が、心配して様子を見にきてくれていたからだ。

 急な出来事なので面会の予約なしではあるが、アイザックは彼らと会い、心配ないと告げていく。


 ――当然、その中にはただの友人ではない者も含まれている。


 アマンダがティファニーとジャネットを連れて訪ねてきたのもそうだ。

 アイザックが玄関まで出迎えると、アマンダとティファニーが話しかけてきた。


「アイザックくん、無事に帰ってきてね」

「いざとなったら、逃げてもいいと思うよ」


 アマンダとティファニーは、今にも泣き出しそうな様子だった。

 アマンダはアイザックが死んでしまうという事を悲しみ、ティファニーは本でドラゴンの凶悪さを知っているから、アイザックでも今回は生きて帰れないだろうという不安で泣きそうになっていた。

 やはり、ドラゴンなどというものは別格の存在なのだろう。

 だが、ジャネットは違った。


「大丈夫だって。目の前にいるのは、あのフォード元帥と戦って勝利した男だよ。知恵比べならドラゴンにだって負けないさ。あんたらが信じてやらないでどうするんだい」


 彼女は気合を入れてやろうと、アマンダとティファニーの背中を叩く。

 アマンダは平気そうだったが、ティファニーには勢いが強すぎたのか少し目が潤み始める。


「アイザックくんの事は信じてるよ。けど、大きなドラゴンに触れられただけで死んじゃうかもしれない。事故が起きる確率はゼロじゃないんだよ」

「ドワーフでも敵わないんだもの。アイザックじゃあ……」


 やはり、相手が強すぎるというのが問題のようだ。

 最近はティファニーにも勝てるようになったが、アマンダには武術で負け続けている。

 そんなアイザックがドラゴンと渡り合う姿が想像できないのも無理はない事だった。

 頭脳でカバーすると言っても、軽く触れられただけで死んでしまうアイザックの姿の方が簡単に頭に浮かんでしまう。


「死ぬかもしれないと一番考えているのは、アイザックくんの方さ。でも、行くと決めた以上は計算が立っているはずだよ。あんたらは死ぬかもしれないと考える前に、やらなきゃいけない事があるだろ。さぁ」


 ジャネットは二人の背中を押す。


 ――言葉だけではなく、物理的に。


 押された二人は、今にもアイザックと接触しそうなほど近付く。

 あまりにも近寄り過ぎたので、二人は恥ずかしがって一歩下がった。


「あの、あのね。ボクは家庭科部で習い始めてからの練習でしか刺繍なんてやった事ないんだけど、その……。上手じゃないんだけど、これを受け取ってくれないかな?」


 アマンダはアイザックに刺繍入りのハンカチを差し出した。

 パメラやロレッタのものに比べて不器用ではあるが、気持ちは籠っていそうな代物だ。

 それを見て、アイザックはすぐに察した。


(あぁ、アマンダも心配してくれているんだな)


 パメラ、ロレッタと二人続けてお守りとしてハンカチを渡してくれていた。

 その事から、アマンダもお守り・・・としてプレゼントしてくれようとしているのだと考える。

 彼女はお守りだなど、一言も言っていないのに。


「ありがとうございます。お礼としてお土産を持ち帰ろうと思うのですが、どんなものがいいですか?」


 まさかアイザックがすんなりと受け取るとは思わなかったので、アマンダは混乱していた。

 そのせいで、彼女は言わないでおこうと思っていた事を言葉にしてしまう。


「き、気持ちで……」

「気持ちですか……。難しいですが、なんとかしてみましょう。生きて帰れたらですけどね」


 アイザックが、またしてもすんなりアマンダの言葉を聞きいれた。

 一世一代の告白が、夢でも見ているかのようにスムーズに話が進んだ。

 アマンダの目から嬉し涙がこぼれ落ちる。

 それを見て、アイザックが微笑んだ。

 しかし、内心は焦っている。


(ドワーフ製のお土産って、こんなに喜ばれるんだ。でも、気持ちで結構ですって言われても難しいよな。……この年頃の女の子にどんなお土産を買って帰ればいいんだろう? ニコラスにでも聞いてみるか)


 アイザックはアマンダに言われた通り、気持ちばかりの・・・・・・・お土産を買って帰るつもりだった。

「〇〇が欲しい」と言われれば、それを買って帰るだけでいいので楽だが、気持ちで結構と言われると難しい。

 アイザックは知っている。

 この年頃の女の子は「お土産は気持ちでいいよ」と言っておいて「はぁ? 気持ちだけでいいって言ったけど、今時お土産にペナントはないでしょ!」と文句をつける事を。

 前世で妹に叱られた事で、アイザックは学んでいた。

 アマンダが言う通り、気持ちだけのお土産ではいけないとわかっている。

 こういう時のお土産チョイスが「センスある男」と思われる大事な場面。

 なかなかの難問であると気合を入れる。

 そしてアイザックは、ティファニーを見る。


「ティファニーはお守りをくれないのかい?」


 自分から要求するのは悪いと思いつつも、アイザックは彼女に聞いてしまう。

 パメラやロレッタ、アマンダまでお守りをくれて、彼女から貰えなかったちょっとショックである。

 従姉妹の彼女なら持ってきてくれているだろうという思いがあったからだ。

 アイザックに聞かれてティファニーがうろたえ始める。

 その反応を見て「さては持ってきていなかったか……」とアイザックは聞いた事を後悔するが、彼女もハンカチを取り出した。


「か、勘違いしないでよね。これはお守りとして渡すんだから。私はお土産なんていらない。……無事に帰ってきてくれればいいから」

「ありがとう。帰ってくるさ。僕だってまだ死にたくないからね」


 アイザックがティファニーからもハンカチを受け取る。

 すると、アマンダが「その手があったか!」という表情を浮かべる。

 彼女は、ティファニーの答え方の方がアイザックの心を掴めるものだと思ったらしい。

「気持ちで応えてくれ」と直球の要求をした自分を恥ずかしく思い始める。


「先に言っておくけど、私はないよ。二人の付き添いで来ただけだしね。私は挨拶だけさ。それに、あんたなら無事に帰ってくる。そんな予感がするんだ」


 ジャネットは、アイザックに聞かれる前に正直に答えた。


「かまいませんよ。誰にでも『お守りをくれ』と要求するような恥知らずな真似はしませんから。こうして顔を見せてくれるだけでも嬉しいですから。でも、ジャネットさんにもお土産は持ち帰るつもりですよ」


 当然、アイザックはそれを咎めたりはしない。

 要求したのはティファニーが従姉妹だからだ。

 他の者にまで「ハンカチをくれ」と要求するつもりはなかった。

 だが、アイザックにとっては何気ない会話でも、この三人には違った。


 ――ハンカチを受け取ったのは特別な相手だから。


 アマンダの気持ちに応えつつも、本命のティファニーからもしっかりとハンカチを受け取っている。

 ジャネットにハンカチを要求しなかった事で、二人だけは特別な相手だという事がわかる。

 ジャネットへのお土産についても「アマンダに良い話を持って帰ってくるのが君へのお土産だ」と言っているように受け取られていた。


「お茶を飲む時間くらいはあるんでしょう? せっかく来てくれたんですし、寄っていってくださいよ」

「そ、それじゃあお言葉に甘えて」


 ウェルロッド侯爵家の屋敷を訪れるのは初めてではないが、アマンダの鼓動が今までになく高鳴る。

 そう遠くないうちに、この屋敷に住むようになるかもしれないと思うと、抑えきれないほど胸が高鳴るのだ。

 アマンダには、この日ほど「勇気を出して良かった」と思う日は今までになかった。



 ----------



 夕食が終わり、家族で食後のティータイムを楽しんでいるところに来客の知らせが入った。

 来たのはジュディスである。

 アイザックと会いたいというので、応接室で会う事にした。

 今日はアイザックを心配する客が多かったので、今回もそうだろうと思ったモーガンとマーガレットはアイザック任せにしておいた。

 使用人もいるので、二人きりというわけでもないので間違いは起こさないだろうと安心しているという事もあった。


 応接室に向かうと、いつも通り黒い服装をしたジュディスが待っていた。

 アイザックが渡した髪留めを使い、髪を上げているので夜に会っても安心な状態なのが嬉しい。


「こんばんは、ジュディスさんも心配してくださったんですね。ありがとうございます」


 アイザックが挨拶をすると、ジュディスが首を横に振った。


「違う……、心配してない……」

「では、僕が成功すると思ってくださっているんですか?」

「そう」


 今度は力強く縦に首を振る。


(彼女にとって、俺はヒーローみたいなもんだろうしな。期待されるのは嬉しいけど、失敗した時の事を考えると怖いなぁ……)


 ジュディスが信頼を寄せてくれているのは嬉しいが、それだけに失敗した時の失望も大きなものとなる。

 アイザックも絶対に成功するとは思っていないので、信頼されればされるほど強く不安を感じてしまう。

 そんなアイザックの不安を感じてか、彼女は大きめのポーチからハンカチを取り出す。

 それをアイザックに渡そうとするが、途中で手が止まる。

 このハンカチを受け取ってくれるか不安だったからだ。

 断られた時の事を考えると怖くなり、徐々に手が震え始める。


「ありがとうございます。ジュディスさんのハンカチなら、とても心強いお守りになりますね。ドラゴンと会う時に持っていきますよ」


 ――だが、アイザックはジュディスに手を差し伸べた。


 まるで彼女の不安を感じ取ったかのように。

 それはジュディスにとって、まさしく救いの手だった。

 彼女の目に涙が浮かぶ。


「泣く必要なんてありませんよ。心配させてしまって申し訳ないですけど、僕は無事に帰ってきます。誰かのためにというよりは、自分がまだ死にたくないだけですけどね」


 そう言って、アイザックが笑う。

 ジュディスには、それが自分に気を遣わせないようにするための演技のように思えていた。


「無事を……、占わせて……」


 ハンカチをアイザックに手渡すと、ジュディスはポーチの中から水晶を取り出した。

 ある意味、彼女の本命はこちらだったかもしれない。


 しかし、それはアイザックにとっては逆だった。

 アイザックが内心焦る。

 的中率の低い占いならばともかく、的中率の高い占いだけは避けねばならない事情があったからだ。

 フフフッと軽く笑い、かぶりを振る。


「言ったはずですよ。占いの結果を知ってしまえば、きっと僕はダメになる。結果を知らないからこそ、僕は最善の道を模索する事ができるのです。お気持ちは嬉しいのですが、僕に必要はありません」


(占ってーーー、何月何日に何をすればいいのか占ってーーー)


 心の叫びを抑えながら、アイザックはジュディスの申し出を断った。

 その堂々とした姿は「未来を自分で切り拓く男の姿」として、この場にいた使用人達を興奮させる。

 しかし、ジュディスは肩を落としてしてしまう。


(占いしか価値がないと思われていたんだもんな。フォローしておかないと)


 ――占いを否定する事は、ジュディスを否定するのと同じ。


 そう思ってうなだれているのだろうと思い、アイザックは彼女をフォローする事にした。


「ジュディスさん、あなたには占い以外にも価値がある。その事を自覚するべきです」


 アイザックの言葉にジュディスはうなずいた。

 彼女は知っている。


 ――アイザックが自分の胸に興味がある事を。


 今のアイザックの言葉は「占いではなく、自分に女性としての魅力がある」と言われているのと同じ事だった。

 ハンカチを受け取ってくれた事も大きかった。

 アイザックは魔女裁判のあと、婚約を持ち掛けられても断っていた。

 その断り方は「落ち着いてから、よく考えたうえでの判断ならばいい」といったもの。

 アイザックがハンカチを受け取ったという事は「頃合い良し」と答えたのと同じようなものである。

 前向きに物事が進んでいる事に、ジュディスは喜んでいた。


「ちょうど食後のお茶を楽しんでいたところです。一緒にどうですか? お爺様とお婆様も久しぶりに顔を見たいでしょうから」

「はい……」


 実のところ、ジュディスはこの時間を狙っていた。

「アイザックと一緒にお茶を飲みたい」と常日頃から思っていたからだ。

 だが、アイザックを誘うきっかけを彼女は上手く掴めなかった。

 そのため、この屋敷で世話になっていた経験を活かし、食後の時間を狙って訪問したのだった。


 ――アイザックと一緒に過ごすために。


 実際は「お茶しない?」と誘えば、用事がない日ならアイザックはいつでも「オッケー」と返事をしていただろう。

 しかし、アイザックの事を詳しく知らない彼女には、お茶に誘うだけでもハードルが高かった。

 占ってアイザックの事を調べる事ができればいいのだが、アイザックは占われるのを断る。

 それが嬉しくもあるし、もどかしくもある。

 ジュディスには複雑なところだった。

 しかし、概ね良い方向で受け取られていた。

 占いにまったく興味をもたなかったのは、アイザックが初めてだったから。



 ----------



 彼女達がハンカチを渡したのは、パメラのように切実な事情があったからではない。


 ――ただ、故事にならってロマンスのある恋をしてみたい。


 それだけだ。


 アイザックは――


「へー、刺繍入りのハンカチをお守り代わりに渡す風習があるんだ。お守りの袋もないし、きっとハンカチを渡すのが定番なんだな。かさばらないし」


 ――と思う程度だったので気軽に受け取った。


 それだけだ。


 それだけの事ではあるが、それだけではすまない事でもある。

 アイザックがその事に気付いた時、どういう対応をするのか――できるのか。

 それはまだわからない。

 今わかる事は、ただ一つ。


 ―― 一歩踏み外せば大惨事になる。


 それだけだ。

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