第324話 友人のありがたみ
貴族派の貴族だけではなく、他の派閥の貴族にも詳細な情報を伝えた。
その際に――
「ジュディスが聖女扱いされる事を望んでいない。教会も聖女扱いするかどうかを保留にしている」
「ランカスター伯とブランダー伯の話し合いが終わるまで、エンフィールド公爵家とウェルロッド侯爵家も何もしない」
――という事も一緒に伝えておいた。
ジュディスの事は、本人が聖女扱いされたくないと思っているのは事実。
彼女が落ち着くまで時間がかかるので、ランカスター伯爵が王都に到着するまで、そっとしておいてほしいというのも事実。
アイザック達が何もしないというのも事実。
だが、明記されていない
ジュディスを聖女扱いするのを教会が保留にしているのは、アイザックがランカスター伯爵の意見を聞くまで待てと言ったからだ。
しかし、こういう言葉では「教会がジュディスの事を魔女ではないと判断したから火刑をやめたが、聖女として扱うか難しいと思っている」とも受け取れる。
これはアイザックが「聖女としてジュディスが祭り上げられると、いつかボロが出て、ジュディスだけではなく自分も困る事になる」と思ったからだ。
自分が聖女ではないと知っているジュディスも演技は辛いだろうから、彼女のためでもあった。
アイザック達が行動しないというのは、ニコルの件で学んだ事を早速応用しただけだ。
ブランダー伯爵家に対して公爵であるアイザックが動かないのだから、他の家は動けない。
何と言っても、アイザックやモーガンはジュディスを助けるために真っ先に動いたという事実が大きい。
ランカスター伯爵家との関係も深い。
彼らが事態を静観しているのに、他の家が勝手に行動する事などできない。
問題は、ジュディスの母親の生家であるレスリー伯爵家が憤っている事だ。
ジュディスが殺されそうになっただけでも怒るには十分だが、それだけではない。
同じ中立派としてブランダー伯爵家の勢力拡大を手伝っていたからだ。
――仲間に背中から刺されたようなもの。
聖女かもしれないジュディスを殺そうとした事よりも、自分達を裏切った事の方に、より強い怒りを持っているのかもしれない。
レスリー伯爵家には、特に「ジュディスはランカスター伯爵家の娘なので、ランカスター伯爵の判断を待つように」と念押ししておいた。
(本当になんでこんな事になったんだろうな……)
昔のアイザックは「家中をまとめあげ、他家の協力を得て、王家を打倒する」という事だけを考えて頑張ってきた。
ゴメンズの尻拭いをするために頑張ってきたわけではない。
だが、ニコルのやる気を維持するためにも、ゴメンズは助けてやらねばならない。
「エンディングだから、あとの事は考えなくてもいい」とでも思っていたのだろう。
原作ゲームのシナリオライターが貴族間の問題解決方法を考えておいてくれなかったせいで、そのとばっちりを自分が受けている。
おかげで頭が痛い。
先日会ったとある男も頭痛の原因だった。
――その男は、ブランダー伯爵家の執事長。
「お望み通りの証言を致しますので、なにとぞ我々に寛大なご処置をお願い致します」
彼はマイケルの行動により、ブランダー伯爵家が落ち目になると思ったらしい。
マイケルに関する証言を、望みのままに偽証すると申し出てきた。
条件は「使用人やその家族まで連座させないでほしい」との事。
ジュディスがそのまま魔女として処刑されていたり、ランカスター伯爵家だけが相手ならば、こんな申し出はしなかったはずだ。
ブランダー伯爵家が落ち目だと感じたので、保身に走ったのだろう。
ノーマンは「主家を売るとは……」と渋るような表情を見せていたが、アイザックは彼を受け入れた。
とはいえ「徹底的に貶めろ」などと言ったりはしない。
それではアイザックが望む方向に進んだりしない。
むしろ、悪化していってしまう。
だから「悪いようにはしないから、君達はありのままの証言さえしてくれればいい。申し出があった事は、よく覚えておく」と言って帰した。
アイザックとしては「余計な事をするんじゃない!」と叱りつけてやりたい気分だ。
(状況が有利になったと素直に喜べないって辛い……)
徹底的にマイケルを潰していいのなら歓迎すべき申し出だが、アイザックはニコルのために彼を助けてやりたいと思っているので、迷惑極まりない申し出となっていた。
沈没しそうな船から逃げるのはかまわないが、船底に爆薬を仕掛けてから逃げるような真似をされるのはやめてほしいところである。
こういった状況をコントロールし、望む方向に舵を取ってやらねばならないのは大変な事だった。
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マイケルを救おうと苦心するアイザックにも救済がある。
――パメラとの密会だ。
ジュディスの事を話すために、パメラと会ういつもの場所に護衛をしてくれている友人達を連れていった。
パメラも今回は真剣な表情ではなく、最初から柔らかい表情が浮かんでいた。
女性への対応などで苦言を呈されたりする事があったので、良い出だしだった。
「今回は大変だったようですね。ジュディスさんの救出から保護の流れは見事でした。まるですべてを見透かしていたかのような完璧な救出劇を聞いた時は感動しました」
「いえ、偶然に頼るところばかりでした。見透かしていたわけではありませんよ」
ジュディスの件について調子に乗ると、喋ってはいけない事まで話してしまいそうになる。
パメラが感心してくれているが、アイザックは調子に乗ったりはしなかった。
「教会にいる大叔父がジュディスさんの危機を知らせてくれなければ、きっと間に合わなかったでしょう。ジュディスさんを助けられたのは運がよかっただけです」
「そうだよ、俺が助けた。だから、君も守るから頼ってくれ」と言いたいところだが、アイザックは謙遜する。
調子に乗るよりは控えめが一番。
無駄にハードルを上げて苦労するような事も避けたかった。
「運がよかった……。確かにそうなのかもしれません。ですが、ジュディスさんにとって運がよかったというのは、アイザックさんがいらした事です。ウェルロッド侯とランカスター伯の仲が良好なのは存じておりましたが、アイザックさんもジュディスさんと仲がよろしかったのですか?」
「家同士の関係もあるので親しくしようとはしていましたけど、ジュディスさんと話した回数自体は数えられる程度しかありません。やはり、男女の違いや趣味の違いなどで話すきっかけがなかったというのは大きいですね」
アイザックは「ジュディスとは特別仲が良くなかった」という事を主張する。
仲が良いとアピールすれば、他の女に目移りしていると思われかねない。
しかもジュディスは特徴的な魅力を持っている。
誤解されないよう、接触する機会がなかったと言っておかねばならない。
(俺だって前世で年頃の妹がいたし、今は女友達もいる。少しは女の子の気持ちがわかるようになった今なら理解できる。きっと、嫉妬しているんだ。そうに違いない)
パメラが厳しい態度を取る時は、女の子が絡む時が多い気がする。
その理由を、アイザックは「きっと嫉妬しているんだ」と思っていた。
パメラにも自分を想う気持ちがあるとわかっているので、そう結論付けた。
だからこそ、誤解されないように注意しておかないとダメだ。
リサのように特別な相手以外にデレデレしているところは見せられない。
本命であるからこそ、ちゃんと態度で示しておかねばならないのだ。
「女の子は占いが好きだという話を聞いた事があります。パメラさんは、ジュディスさんと仲が良かったりするのですか?」
アイザックは気になっていた事を尋ねる。
パメラとジュディスの仲がいいという話を聞いた事がない。
という事は、アイザックと大差のない程度の付き合いといったところだろう。
なのに、彼女は進んでジュディスを助けようとしている。
その事を確認しておきたかった。
問われたパメラは少し考え込む。
どう答えようか悩んでいるのだろう。
即答ではなく悩む時点で、ジュディスを助けたいという気持ちは感情での行動ではなく、なんらかの理由があるという事だ。
そこのところがアイザックは気になった。
「私もジュディスさんとはあまり……。でも、婚約者に捨てられて殺されそうになるなんて、想像しただけでも恐ろしい事です。絶対に許せません」
パメラは、ジュディスと自分の未来を重ね合わせているのかもしれない。
(それだったら、ジュディスの味方をしようとするのも納得だな)
元々、マイケルの行動は女性陣から不興を買うものだった。
彼女にしてみれば、ジュディスに協力する理由は「マイケルの行動が不快」というだけでも十分だった可能性もある。
(ジュディスを助けて、将来の味方を増やしておきたいとかの考えもあるんだろうな)
アイザックは、そのように考えた。
アイザックが味方になっているので、ウェルロッド侯爵家もパメラの味方と言える。
そして、ランカスター伯爵家も味方に引き入れる事ができれば、パメラの立場は安泰だ。
先の戦争で功績のある二家がパメラの味方になれば、ジェイソンも容易にパメラを処罰できなくなるはずである。
今回の事件は、パメラにとっても重要な出来事だったのかもしれない。
(……いや、考えすぎか。パメラが人を助けたいと思う性格だっていうだけかもしれない)
しかし、アイザックはすぐに違う考えを思い浮かべる。
パメラは「ニコルにジェイソンを奪われるかもしれない。その時、自分がどういう扱いを受けるか不安だ」と思っているだけだ。
アイザックのように、将来どうなるかを知っているわけではない。
そう考えると、今回の行動は義憤に駆られたものと考えた方が自然である。
パメラはジェイソンに近付くニコルのステータス上げを手伝ってくれたりするほど、誇り高く親切なキャラらしい。
ならば、彼女がジュディスの事を助けようと思うのも当然の流れ。
アイザックとは違う。
打算で動いていると考えるのは、彼女に失礼な事だと愚かな考えを考え直した。
「だから、アイザックさんがジュディスさんを助けるために動いてくれたと知って嬉しかったのです。間違った行動を止めるために全力を尽くしてくれる。それがわかった事が何よりも嬉しく思いました」
アイザックは、以前ニコルに抱き着かれてパメラの話を聞き逃した事がある。
あれはすべてニコルの不思議な魅力のせいではあったが「アイザックもニコルに攻略されそうだ」と思われるのには十分な失敗だった。
(魔法のような力で魅了された事故とはいえ、パメラにはその理由がわからない。ジュディスを助けた事で失った信頼を取り戻せたのなら、俺にとっても良い事だったな)
アイザックは、あくまでも
そのため、頭の中であの時の事をすべてニコルに責任を押し付けていた。
「確かにあの時の事がきっかけでパメラさんの信頼を失ったかもしれません。ですが、僕もやるべき時にやるべき事をやると今回の件で分かっていただけたかと思います。安心してください」
「はい。……正直なところ、今も少し疑っていました。申し訳ございません」
パメラが頬を染め、うつむきながら謝罪をする。
アイザックを疑ってしまった事を恥じているようだ。
行動と結果が伴う説得力で、アイザックはパメラの信頼を再度勝ち取った。
あとはこの状態を維持しつつ、より強い好意を持ってもらう事が重要だ。
アイザックは心の中で熱いものを感じる。
「あの時の事って、何があったんだ?」
ここで空気を読まないカイが質問してきた。
彼は他の友人達と共に、下校中はアイザックの護衛をしている。
そして、アイザックがパメラに協力しているという事も知っている。
だが、
なにやら重要そうなので、今後協力するのなら知っておきたい事だった。
それはカイだけではない。
ポールやレイモンド、ルーカスといった者達も気になるようなそぶりをしていた。
アイザックはパメラを見る。
彼女は「話すかどうかはアイザックに任せる」といった態度だった。
「詳しく話すのは難しいけど……。簡単に言えば、僕がニコルさんに抱き着かれて、少しデレデレしてしまったところを見せてしまったって感じかな」
アイザックにも面子があるので、ニコルの――胸の魅力に負けたなどとは言えない。
そのため、少しだけぼかして伝えた。
アイザックの返事を聞いて、カイは少し呆れたような表情を見せる。
「ニコルさんを警戒しているとはいえ、その程度の事で信頼を損ねるんですか?」
「えっ」
「えっ」
アイザックとパメラの驚きの声が重なる。
カイの呆れがアイザックにではなく、パメラに向けられたものだったからだ。
「例えば、ルーカスはシャロンさんと婚約の話が進んでいます。今がお互いに盛り上がっている最高潮でしょう。けど、パメラさんやニコルさんに抱き着かれたら、シャロンさんの前でもルーカスだって頬が緩みますよ。健康的な男なんですから、それくらい仕方ないでしょう」
カイはアイザックをフォローした。
これは過去の償いや自分を許して受け入れてくれた感謝という面もあるが、彼はパメラの感情を知らないので、そのくらいの事で信頼を失うという事が信じられなかったからだ。
彼が呆れていたのは「それくらいの事は理解しているはずだろ?」という意味だった。
貴族令嬢として、男が側室を持ちたがったりする生き物だという教育は受けているはず。
ジェイソンの婚約者ならば「子供を作るために複数の女を側室に迎える事もある」と絶対に教えられているはずなので、カイには不思議な事だった。
「それは……、その……」
パメラはカイの言葉に言い返せずにいる。
「誰だって自分と話している最中に、他の女の子にデレデレしていたら不愉快になります。それも、相手がニコルさんならなおさらです。ニコルさんに篭絡されたと危ぶんで当然です」
その姿を見て、シャロンが助け船を出す。
彼女は長年の付き合いで、パメラが誰にも話せないような理由を持っていると感じ取っていた。
だから、その理由を話さなくてはならなくなる前に、素早くフォローした。
「確かにその考えは一理ありますね。ニコルさんの対策を依頼したはずなのに、その相手に甘いところを見せているのですから。でも、考えてみてください。相手はアイザックですよ。それすらも計算の内だと、何故思わないんです」
カイの言葉に、パメラ達はハッとした表情を見せる。
そして、アイザックに視線を向けた。
身に覚えのないアイザックは、曖昧な笑みを浮かべる事しかできなかった。
「申し訳ございません。私にはそこまで考えが及びませんでした」
「いいんですよ。ただ、僕のやる事をすべて説明しているわけではないので、誤解を招く時もあります。僕の説明不足もありますので、その事をとやかく言うつもりはありません。これからも結果で証明していきたいと思います」
「アイザックさん……」
――くだらない言い訳はせず、行動で証明する。
そう言ったアイザックに、パメラは頬を染める。
今度は恥じているのではないようだ。
実際のところ、今までもその場しのぎの言い訳だらけだったが、真剣な表情で言い切ってしまえば勢いで誤魔化せる。
これはアイザックがこれまで結果を出してきたおかげだった。
とはいえ、それで誤魔化せるという事はパメラの好感度は意外と高いのかもしれない。
この場を誤魔化せた事に安心したアイザックは、そこまで考えは至らなかった。
「本当にアイザックさんは凄い方だと思います。エルフやドワーフとも話し合える方ですし、バネなども考える方ですから」
「ありがとう……」
アイザックはパメラの言葉が引っ掛かった。
言葉だけを聞けば、ただの褒め言葉でしかない。
――しかし、そこに含まれる
それがどうしても引っ掛かった。
洗濯バサミなどではなく、バネという部品に触れた理由。
それは、一つの結論に導くヒントなのかもしれない。
(そうか、パメラも賢い子だもんな)
ひょっとすると、バネの存在からマジックナイフのようなものが作れる事に気付いているのかもしれない。
伊達に学年首位の学力を持ってはいない。
(でもまぁ、気付かれても大丈夫だろう。パメラはジュディスを助けようとしているし、秘密をベラベラ喋るようなタイプでもない。それに、俺が深読みしているだけかもしれないし)
アイザックも前世の記憶があるからマジックナイフに行きついただけ。
前世の記憶を持たない者が、マジックナイフというものを考え付くはずがないと思ったからだ。
アイザックは、パメラの言葉をそう考えるだけで、それ以上深読みする事はやめる事にした。
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「なぁ……。いっその事、ニコルさんを留学させたり、その……。暗殺したりとかはダメなのか?」
パメラと会った帰り道で、ポールがアイザックに疑問を投げかけた。
彼にみんなの視線が集まる。
中には非難するようなものもあったので、ポールは慌てる。
「いや、絶対やった方がいいってわけじゃないんだ。でも、チャールズやマイケルの事を考えると、殿下がニコルさんに惚れたらどうなるのかなって思ったら怖くてさ……」
「それは僕も思った」
ポールの意見にレイモンドが同意する。
ニコルに惚れる男は多いが、惚れ込んだ男は頭がおかしくなったかのような行動を取ってしまう。
――もし、ジェイソンがニコルに惚れ込んでしまったら?
その事を考えると、リード王国の将来に不安を感じてしまう。
パメラが心配するのも無理はないと彼らは思っていた。
ポールが過激な意見を口にするのも無理はない。
だが、アイザックは、自分のためにその意見を否定しなくてはいけない。
「それはダメだ。例えば、ニコルさんがマイケルに『私と結婚したければ、ジュディスを殺して』とか言っていれば、そういった手段も取れるだろう。でも、マイケルが勝手に行動したのなら、ニコルさんにそこまでする事はできない。将来、こうなるかもしれないというだけで取れる手段ではないよ」
「そうだね……。ごめん、忘れてくれ」
アイザックが優しく諭すと、ポールは素直に聞き入れた。
本人も過激過ぎる意見だと思っていたようだ。
「いいさ。肝心なのは過激な意見だろうがなんだろうが、意見を述べるという行為だ。そこから話し合いになり、良い意見が出るかもしれないからね。もちろん、場所をわきまえないといけないけど、その点は心配ないようだね」
もし、パメラの前で言っていたら、アイザックは動揺して叱りつけていただろう。
そんな意見を彼女に吹き込むのは許せないし、万が一にもニコルの物理的な排除を喜ぶ姿なんて見せられたくもない。
ちゃんと場所と相手を考えて発言しているので、過激な発言も落ち着いて聞いていられた。
「でも、パメラさんに言っちゃダメだよ。当然、ティファニーやジュディスさんにもだ。彼女達が『ニコルを殺してくれ』と言う姿を見たいかい?」
ポールは空気を読めるようだが、アイザックは念押ししておく。
「そんなの見たくないよ! だから、パメラさんと話している時は言わなかったじゃないか」
「うん、そうだね。安易な行動で解決するなら、この問題はすでに解決している。慎重にやらないといけないから難しいんだ」
「アイザックならどうにかするだろう」と思っていたが、そのアイザックですら慎重にならねばならない問題だとは思っていなかった。
少し軽く考えていた友人達は気を引き締める。
「とりあえず、今はマイケルの問題に集中しよう。とは言っても、まだやる事はないけど」
マイケルはニコルへの告白を失敗して以降、学校を休んでいる。
ブランダー伯爵家の屋敷に直接会いに行こうとも思ったが、今はまだ直接接触するべき時ではない。
証言を自分の都合のいいように捻じ曲げたと噂されるのが嫌だからだ。
そのため、マイケルから事情を聴けるのは、ランカスター伯爵やブランダー伯爵が到着してからになるだろう。
彼の証言を取れるまでは、もうアイザックにやれる事はない。
ジュディスを慰め、ニコルの動きに注意しておくくらいだった。
アイザック達が屋敷に帰ると、リビングから女の子の明るい笑い声が聞こえた。
声に誘われて、自然とアイザックの足がリビングに向かう。
「やだぁ。ブリジットさん、その話本当?」
「本当、本当。森の中で暮らしていると普通の事よ」
ブリジットの話を聞いて盛り上がっているようだ。
話しているのは、ジュディスを心配してやってきた彼女の友人達。
ジュディスの友人とは思えないほど、明るい笑い声をあげていた。
「あら、お帰りなさい」
「お邪魔してまーす」
ブリジットがアイザックの姿に気がつくと、ジュディスの友人達も挨拶をする。
「ジュディスさんが滞在している間は、気兼ねなく訪ねてきてください。友達と話している方がジュディスさんも気が休まるでしょうから」
「大丈夫よ。みんな気楽にやってるから」
ブリジットの言葉に合わせて、ジュディスの友人達は色紙を見せる。
「マット様のサインもらっちゃった」
「私はトミー様のサイン!」
「こんな機会でもなきゃ会えないもんね」
戦争の英雄である二人の人気は高いようだ。
エンフィールド公爵となったアイザックの護衛になった彼らは他者との接触が少ない。
普通の貴族なら交流を広めるが、彼らは男爵となった今でも自分や部下を鍛える事を優先している。
そのため、学生のアイザックよりも、彼らは会いにくい相手になっていた。
ブリジットが彼女達の話を聞いて会わせてやったのかもしれない。
(ジュディスを放っておいてもいいのかな?)
アイザックがジュディスの事を心配する。
友達が自分をほったらかしにして、マットやトミーのサインで盛り上がっているからだ。
しかし、彼女は気にしていないようだ。
それどころか、友達が騒いでいるのを見ている方が落ち着くのかもしれない。
表情が今までになく和らいでいる。
(あぁ、そうか。ジュディスも筆談では饒舌だったっけ)
口数が少ないだけで、内心では友人の言葉に合わせて何かを考えているのかもしれない。
もし、彼女が話せるのなら、ランカスター伯爵のようにお茶目な部分を見せていただろう。
「アイザックくんのサインもちょうだい!」
「カイくんのも! 学校じゃもらいにくいもんね」
「私はポールくんとかも一緒に書いてほしい! 将来、アイザックくんの側近になるなら有名になるかもしれないし」
「寄せ書きみたいに書いてもらうといいかも」
女の子達がワイワイと騒ぐ。
その勢いにアイザックは気圧されていた。
「ごめんね……」
友人達の遠慮のなさを、ジュディスが謝る。
「……もしかして、ブリジットさんと気が合ったりします?」
アイザックの質問に、ジュディスがうなずいた。
(容姿と中身はやっぱり別物か)
それが悪いという事ではない。
ただ、見た目とのギャップが大きすぎて、戸惑ってしまうだけだ。
しかし、その見た目も髪留めのおかげで多少マシになっている。
これから先、お喋りになったジュディスが見られるのかもしれない。
(あれ? そういえば……)
「その、ジュディスさんに関して思う事はないんですか?」
できれば、これはジュディスの前で聞かない方がよかった。
だが、何も気にしていないような彼女達の態度が気になって聞いてしまった。
ジュディスの友人達は一度静まり、アイザックを見つめる。
「ジュディスはジュディスだから」
「聖女様だったとしても、今から急に態度を変える方が失礼じゃない」
「髪型は『ああ、ようやくか』としか思わないし」
「そ、そうだね。デリカシーのない質問をしてごめん」
ジュディスは良い友人を持っていたようだ。
彼女達は、ありのままのジュディスを受け入れている。
意外と肝の据わっている女の子達なのかもしれない。
「君達が来てくれたおかげで、ジュディスさんも楽しそうだ。これからも遠慮なく来てほしい」
そう言い残して、友人を連れて自室に行こうとする。
仲のいい友達がいるのなら、自分達は邪魔者だ。
それに、気まずい雰囲気になる前に逃げ出したいという気持ちもあった。
――だが、そうはいかなかった。
「一緒に、話しましょう……」
ジュディスがアイザックを引き止めたからだ。
「わかった。そうしようか。普段接しない人と話すのもいい経験だしね」
伏兵の登場に驚いたが、アイザックは聞き入れる事にする。
アイザックもメリンダに殺されそうになったが、あれは自分からそうなるように仕組んだ事。
ジュディスのように、突然殺されそうになった恐怖は計り知れない。
日常の何気ない会話で気分が和らぐのなら、話にくらい付き合うつもりだ。
カイ達も同じ考えなのか、一緒に話をする事に同意してくれた。
今のところ表面上は穏やかに見えるが、それは一時的なもの。
ランカスター伯爵やブランダー伯爵が王都に到着したらどうなるかわからない。
それまでに、できるだけ落ち着かせておいてやりたいところだった。
だが、アイザックの存在自体が、ジュディスの心を大きくざわつかせているという事までは気付いていなかった。
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