第321話 魔女裁判の実質的な終焉

 会合には、ごく限られた者だけが集まっていた。


 ――今回の騒動に深く関わったアイザックとモーガン。

 ――当事者であるセスとハンス。

 ――貴族派筆頭のウィンザー侯爵と中立派筆頭のクーパー伯爵。

 ――そして、エリアス。


 あとはそれぞれの秘書官と、念のために数名の近衛騎士がいるのみである。

 この場にいる以上、彼らの口は堅いのだろう。

 ここで気になるのが王党派から代表者が来ていない事だが、それには訳があった。


 ――王党派筆頭のウィルメンテ侯爵やウォリック侯爵が王都にいない。


 そのせいで、この場に出られる者がいなかったのだ。

 王党派に所属する者で、それなりの立場の者はいる。

 しかし、今回の会合はエリアスはもとより、ウィンザー侯爵やクーパー伯爵というそれぞれの派閥の代表者が出席している。

 さらにセスとハンスという教会の代表者まで来ている。

 王党派に関係のない会合で彼らと同席するには、どうしても貫禄が足りない。

 ウィルメンテ侯爵くらいの実力者であれば「是非とも聞いておきたい」と言って参加できていただろう。


 立場を考えれば、フィッツジェラルド元帥ならば出席する事はできた。

 しかし、彼は自分の立場を考えて、どの派閥にも参加していない。

 王都において、軍を自由に動かせる権限を持っているのだ。

 どこかの派閥に属していては、派閥間の騒動が起きた時に矛先が鈍ってしまうかもしれない。

 彼は派閥間の揉め事を仲裁する第三者の存在が必要だとよく知っている。


 ――仲裁できる立場を確保しつつ、時には武力を行使してでも抑え込む。


 自分の役割を果たすために、元帥になってからは派閥に属さない無所属として活動していた。

 そのため、この場にも王党派の代表として出席しようとはしなかった。

 軍として動く必要がある内容に触れた場合のみ、エリアスから知らされる事になっている。

 

「さて、大体の事情はすでに聞いている。まずは、このような事態に陥った事を残念に思うという事を言わせてもらおう」


 エリアスはセス達を見ながら話した。

 セスとハンスは身を縮こまらせる。

 これはエリアスの不興を買ったからではない。

 自分達の手で聖女を殺しかけたという事を、彼らも残念に思っていた事に対してだった。


「ジュディス・ランカスターを助けたエンフィールド公は、マイケル・ブランダーに対してどう対応するかという考えはあるか?」

「いえ、ございません」

「……本当にないのか?」

「ありません。ランカスター伯爵家の方々の考えに沿った方向で解決したいとは思っていますが、今のところ僕個人の考えはございません」

「しかしなぁ……」


 アイザックがランカスター伯爵の考えに任せるという事は、昨日モーガンから報告を受けていた。

 だがそれは建前で、本音だとはエリアスは思っていなかった。


「ウェルロッド侯とランカスター伯の仲は知っている。家同士の付き合いもあり、ジュディスとも仲が良いのだろう? だから、兵を率いて助けに行ったのではないのか?」


 ――教会と揉め事を起こす覚悟で助けに向かった。


 よほどの関係でなければできない事だ。

 アイザックもジュディスと親友と呼べる関係であり、助けに行ったのも良好な関係を築いているからだとエリアスは思っていた。


「それは違います。ジュディス嬢とは数年に一度話すという程度でした。入学してからも滅多に話す事はありませんでしたね。どちらかと言えば、ランカスター伯のための行動でした。ランカスター伯は、僕が公爵位を授かった時に手助けを申し出てくれました。しかし、大臣経験者を僕のような若造の下に置く事などできません。そこで、外部の相談役として困った時に助けていただく事にした――という経緯があります。自分から協力を申し出てくださったランカスター伯のために、今回は僕から手助けをしたという形になります」

「そうか……」


 話を聞いた者達は、ブランダー伯爵家の命運が尽きたと感じた。

 アイザックは、ランカスター伯爵に恩義を感じている。

 ならば、かなりの肩入れをするだろうという事が容易に想像できる。

 ランカスター伯爵の要求は、希望に沿った形になるだろうと思われていた。


 ここでアイザックが、ランカスター伯爵を外部相談役にしたという事を明かしたのには訳がある。

 ウィンザー侯爵の前で、ジュディスと非常に親しいと思われたくなかったからだ。

 いつか義理の祖父になる相手に、いらぬ誤解をしてほしくないという思いがあった。

 実際にジュディスと話した回数も少ないので、仲が良いと言えないというのも事実。

 嘘ではないはずだ。


「ならば、ブランダー伯爵家への対応は、ランカスター伯爵家の訴えを待つという事だな」

「今のところは、ジュディスに対する手出しを禁止するとブランダー伯爵家に通達するだけでいいでしょう」


 クーパー伯爵が今、必要とされている事を補足する。

 エリアスもこの意見にうなずいて同意を示す。


「となると、今話せる事は教会に関してですな」


 ウィンザー侯爵がセスとハンスを見る。

 ブランダー伯爵家に関する事がランカスター伯爵の到着待ちならば、教会の事を話すしかない。


「ジュディスが聖女として奇跡を起こしたそうだな。セス大司教が神に祈りを届けたとか。エンフィールド公もその奇跡の場に居合わせたようだな。羨ましい。私も見てみたかった」


 教会の話になると、エリアスは見てわかるほどウキウキとしていた。

 エルフやドワーフとの交流再開だけではなく、王都で聖女生誕という特大イベントが発生したのだ。

 ここまでイベントが盛り沢山なのは、リード王国の歴史の中でもない事だ。

 匹敵するのは混乱の多かった建国期くらいだろう。

 

「ああ、そうだ。ナイフを見てみたいな。持ってきてくれたか?」

「はい、用意しております」


 エリアスの望み通り、ナイフは持ってきていた。

 さすがにアイザックが直接渡すのではなく、あらかじめナイフを預かっていた近衛騎士がエリアスに渡す。


「おぉ……」


 セスが羨ましそうな表情でエリアスを見る。

 自分はランカスター伯爵との話が終わるまではダメだと言われて見せてもらえなかった。

 この機会に神器を少しでも目に焼き付けようとする。


「なるほど、これが奇跡を起こしたナイフか! ……少々地味だな」


 エリアスの言葉に皆が心の中で同意する。

 みんな、もっと神々しいナイフを想像していた。

 だが、このナイフは量産品のような安っぽいものだった。

 とても神器と呼べるようなものには見えなかった。


「妹へのプレゼントにしようと思っていたので……」

「妹のプレゼント? それならば、もっと飾り付けをしていてもいいのではないか?」

「いえ、それは違います。装飾をされたナイフであれば、ケンドラは僕からのプレゼントだと思って大切にするでしょう。ですが、それではいけません。ナイフを使わないといけない機会に遭遇した時に使えなかったり、ナイフを使い捨てにするのをためらったりするかもしれません。それでは逃げ遅れてしまいます。身を守るための使い捨ての道具として、使い捨てにできるよう安物のナイフを用意していたのです」

「そ、そうか……」


 エリアスは――いや、この場にいた者はドン引きしていた。

 ケンドラがまだ十歳にもならない幼子だという事は、皆が知っている。

 まだ幼い妹に実戦本位のナイフを渡そうとするなど正気の沙汰ではない。

 ウェルロッド侯爵家の娘ならば、必要十分な護衛もついている。

 念のためにとはいえ、子供が喜びそうな飾りのあるナイフをプレゼントする方が普通だ。


 おもちゃのナイフだったと正直に言えない事情を知っているとはいえ、アイザックの言い訳にモーガンも引いていた。

「いくらなんでも、他にもっといい言い訳があっただろうに」と思わずにいられなかった。


「妹へのプレゼントであるナイフを、なぜ教会に持っていかれたのですか?」


 ウィンザー侯爵が厳しい指摘をする。

 アイザックは「そこが大事?」と思うが、聞かれた以上は答えねばならない。

 どこでいらぬ疑いを招くかわからないからだ。


「問答無用で切り捨てるというのなら、剣や槍を持っていった方がよかったでしょう。ですが、まずは対話による解決をしようと思っていたので、目立つ武器は持っていきませんでした。ですが、手ぶらでは心許ない。そこでちょうど手元にあったナイフを持っていく事にしたのです。ナイフなら護身のためのものなので、脅威には見えなかったはずです」

「確かに学校の制服を着てナイフだけ腰に帯びておられたので、焦らずに話し合いをしようという気にはなれました」


 セスがアイザックの言葉を肯定する。

 本当は「強そうな騎士をゾロゾロ連れてきて怖かった」と言いたいところだが、そんな事を言ってアイザックの機嫌を損ねる必要はない。

 ハンスを連れてきているのも、事情を知っている者だからというだけではない。

 アイザックの親族という立場を上手く利用して、教会に対する追及を和らげるためだった。

 それほどまでに、彼は神器としてのナイフを欲しがっていた。


「しかし、エンフィールド公もお人が悪い。陛下にはあっさり神器をお見せするなんて……」


 ナイフ見たさに、ついチクリとアイザックの意地悪を指摘してしまう。


「僕は陛下の臣下ですから。陛下に望まれればお見せしますよ」

「引き渡すのはともかく、見せるくらいはしてもいいのではないか?」


 アイザックがナイフを見せない事情をモーガンから聞いていたエリアスは、ここでセスに助け舟を出した。

 ナイフを見ている自分を、羨ましそうな形相で見てくるセスに気を使ってしまった。


「陛下が仰るのなら、何も言う事はありません」

「うむ」


 エリアスはアイザックが自分には素直に従った事に満足する。

 教会の求心力は、王家とは別物だ。


 ――大司教という立場にあるセスを歯牙にもかけず、自分の言葉には従う。


 これはアイザックが誰に重きを置いているのかがわかりやすい態度だった。

 セスが神に祈りを届け、奇跡に立ち会った者でありながら心変わりがない。

 忠臣は忠臣のままであり、盲目的な信者にはなっていない。

 ジュディスを助けた事や、奇跡を起こした事よりも、エリアスにとってはアイザックが心変わりしていないかどうかが、今回の会合で最も重要な事だった。

 それを確認できたので、今回の会合は満足のいくものとなった。


 見た目はなんの変哲もないナイフをセスに渡す。

 彼はうやうやしく受け取り、舐めるようにナイフを見る。

 ハンスもセスの隣で食い入るようにナイフを見つめていた。


「ところで、ブランダー伯爵家には何も要求するつもりはありませんが、教会に関しては要求があります」


 アイザックは教会関係者が喜んでいるのを尻目に、重要な話題に触れる事にした。

 クーパー伯爵と彼の秘書官は「きたか」と期待に満ちた目をアイザックに向ける。


「今回の事件は、リード王国内で二つの法があったせいで起きました。過去の慣例で認めているのかもしれませんが、教会による異端審問は考え直した方がいいのではないでしょうか? 少なくとも、刑を独断で執行するのは停止させた方がよろしいかと思います」

「私もそう思います」


 クーパー伯爵が間髪容れずに同意した。

 様子を見て、形勢が良くなってから賛同するのでは、協力を頼んだアイザックに失礼である。

 それに、自分がすぐに賛同する事で流れが良くなるかもしれない。

 ここで一気に流れを決めておきたかった。


「そうかもしれんが……」


 エリアスにとっては、継続でも廃止でもどちらでもよかった。

 絶大な信頼を寄せるアイザックが廃止を唱えるのなら、廃止でもいい。

 しかし、教会の影響力は無視できない。

 下手に手出しをして、民衆からそっぽを向かれるのがエリアスは怖かった。

 ここは慎重にならざるを得ない。

 即決せず、セスを見て彼の反応を待つ。

 だが、ここでアイザックが先に動く。


「難しい事はありません。問題の解決は簡単です」

「なにっ」


 これにはエリアスが驚く。

 この問題は到底簡単に解決できる問題とは思えない。

 昼食前に軽く片付けようとでもいうようなアイザックの態度が信じられなかった。


「そうです。エンフィールド公の提案とは言え、いきなり廃止するような事はできません。私が賛同したとしてもです」


 セスもさすがにアイザックのご機嫌を伺って、無条件で認める事はできなかった。

 ハンスも「そこまで踏み込んだ発言をして大丈夫か?」と心配そうな目をしていた。


「確かにいきなり廃止となれば反対意見も強いでしょう。だから、僕は停止・・と言ったのです」


 だからこそ、あえてアイザックは余裕の笑みを見せる。

 ここでビビったら負けだ。

 自分の考えが正しい事であるかのような態度を見せ、相手に信じさせようとしていた。


「これは大司教猊下のためでもあるのですよ」

「私の?」


 アイザックが訳のわからない事を言い出して、一同は混乱する。

 異端審問自体よりも、教会の権利を削ろうとする事がまずい。

 それは近衛騎士でもわかる事だった。

 それがなぜセスのためになるのか、誰も理解できずにいる。


「大司教猊下は神に声を届けるという偉業を成し遂げられました。では、他の者はどうでしょう? 神に声を届けられるのか? 神に声を届けられない者が神の代理人として刑を勝手に執行してもいいのかどうかという問題が発生します。そして、これは司教や司祭などに限りません。大司教猊下にも、神に代わって人を罰する資格があるのかと問われる事になるでしょう。その事をどう思われますか?」

「私には……、資格があると思う」


 少し悩みながらも、セスは資格があると答えた。

 神に声を届け、奇跡を起こしたのだ。

 自分には神の代理人としての資格があると思っていた。

 いや、思いたかった。


「それでしたらちょうどいい。そのナイフをご自分の手に刺してください。神に『人を罰する資格があるならお守りください』と祈った上でね」


 アイザックは意地の悪い事を言った。

 これは本物のナイフだ。

 手に刺せば怪我をする。

 怪我をすれば「ほら、資格がないでしょう」と言い、刺せなかったら「神を疑うという事は、資格がないとわかっているという事でしょう」と言うつもりだった。


 真実を知っているモーガンとノーマンは、アイザックがどうやって異端審問を停止させるのかを察した。

 だが、彼らも止めようとはしなかった。

 強引にやめさせようとしたのならアイザックを止めたが、セスが自分からやめようと思うのならかまわない。

 教会と揉め事にならなければ、それでよかった。


「いいでしょう。神よ。私に異端審問をする資格があるのなら、私を怪我からお守りください」

「指先をちょっとだけ刺すくらいでいいんじゃないですか」


 なぜかセスは自分に自信を持っていた。

 アイザックはそれを不安に思い、ちょっとだけにしておけと忠告する。

 だが、彼は祈りを呟くと、勢いよく自分の手のひらにナイフを突き立てた。


「ぐっ……」


 セスが痛みに顔をしかめる。

 ついでにアイザックも「うわぁ……」とドン引きして顔をしかめた。

 他の者達も「本当にやりやがった」という目でセスを見る。

 セスの目からは涙がこぼれおちていた。


「そんな、そんな……」


 彼が泣いているのは傷の痛みのせいではない。

 神が守ってくれなかったという事実による心の痛みによるものだった。


 ――自分には人を裁く資格がない。


 その事実は、ジュディスの処刑執行を許可したのが間違いだったという事を示す。

 自分の行いが神の意志に背くものだったという事実が、何よりも辛かったのだ。

 彼はナイフを抜くと、しばらく傷口を見つめる。


「ち、治療をなさった方がよろしいのでは?」


 クーパー伯爵がセスに傷を治すように促す。

 近衛騎士も魔法を使えるが、治療魔法の一番の使い手はセスだ。

 本人が治した方が早い。

 セスもうなずき、自分の手を魔法で治療する。

 だが、心の痛みまでは治せなかった。


「私には人を裁く資格がなかったようです……」

「それはそうでしょう」


 セスの呟きにアイザックが賛同する。


「ジュディス嬢の占いだけが特別というわけではありません。魔法を使えない僕から見れば、魔法を使える人も神から特別な力を授かった方々に見えます。大司教猊下は人の傷を癒すという力を授かっているではありませんか。神の教えを説き、人を癒す事が大司教猊下の使命なのだと僕は思います。人を罰する事までは求めておられないのではないでしょうか」

「…………」

「それに、神は寛大なお方です。少し他の人と違うところがあるからといって、処刑のような事までは望まないのではありませんか?」

「それは……、そうかもしれません」


 アイザックの詭弁に、セスは流され始めていた。


『一度は神に声を届ける事ができた。だから、今回も声が届いたはず。なのに、神は守ってくださらなかった』


 その事実が、彼の心に深い傷を負わせていた。

 今まで神のために行なってきた行為。

 そのすべてが否定されたような気分になっていたからだ。

 グラハムの意見を聞き入れた負い目もあり、どんどんと弱気になっていく。

 

「肝心な事は同じ過ちを繰り返さない事です。大司教猊下は今、ここで間違いに気付く事ができた。その事を喜ぶべきです。これからは神の望み通り、治療に専念されるといいでしょう」


 セスはすぐに返事ができなかった。

 代わりにハンスがアイザックに尋ねる。


「異端審問を廃止する以外に、過ちを防ぐ方法があるのですか?」

「あります」


 アイザックは自信を持って答えた。

 これにはセスも興味を持ち、アイザックが何を言うのか耳を傾けていた。


「今後、異端審問を行う者は、観衆の前で自分の手にナイフを刺して資格があるかを試すというものです。その時、聖火に手を入れるなども一緒に行うといいでしょう。神の代理人として人を裁く資格があると証明させるようにすればいいのです。そうすれば、間違った判決を下す事もありません」

「……それならば、問題はないでしょう。すでに奇跡は起こりました。資格があるのなら問題はありません。……今まで資格のない者に異端審問で罪を問われ、殺されてきた者の中にジュディス様のような聖女も混じっていたかもしれないと思うと、資格があるのか試すというのは良い考えだと思います」


 ハンスはアイザックの意見に、全面的な賛成の態度をとった。

 彼としては、同じ過ちを繰り返す方が怖い。

 恐ろしい父から教会は守ってくれた。

 教会のためにも、より良い方向へ向かっていってくれるのなら手段は選ばない。

 異端審問一つにこだわるよりも、他の方面で人々の求心力を高めていけばいいだけだと考えていた。


「なるほど、だから停止というわけですか」


 ウィンザー侯爵もアイザックが言った事を理解した。

 廃止・・であれば教会に干渉したと思われる。

 だが、異端審問を行う者の資格を問う事によって、停止・・させる事ができれば事実上の廃止と同じである。

 現場を見ておらず、アイザックが無策でナイフを突き立てたなどと微塵も考えていない彼は、無茶な方法を異端審問官にやらせる事で異端審問をやめさせようとしているのだと察していた。


「大司教猊下ですら資格がなかったのです。他に資格がある者がいるのかどうか……」


 ここでセスを引き合いに出す事によって、他の者でも無理だろうという事をさり気なく主張する。

 異端審問を行えなくなってもやむなしと思ってくれる事を願って。


「そういえば、司教などになれるのは治療魔法が使える者のみと聞いております。ですが、他の魔法を使える人もいるのではありませんか?」

「中には火の魔法や水の魔法などを使える者もいます。私も風の魔法を少し使えます」

「そうですか、それは困りましたね……」


 セスの答えを聞いて、アイザックは困ったフリをする。

 だが、この答えも想定内の範囲だった。


「火の魔法が使える者なら、火に手をかざしても火傷を防ぐような魔法が使えるのではありませんか?」


 アイザックは、エリアスの護衛として部屋の中にいる近衛騎士に問いかけた。

 彼らは魔法が使える者ばかり。

 アイザックよりも詳しいはずだ。


 近衛騎士は答えていいものかエリアスに視線を向けて問う。

 エリアスが「答えろ」とうなずく。


「魔法で火傷を防ぐ事は可能です。これは火属性の魔法だけではなく、水属性の魔法でも可能です。僭越ながら申し上げますが、魔法を使える者を試さねばならないのでしたら、複数の手段を用意なさる事をおすすめします」

「ありがとう。確かにその通りだね。魔法が使えないから、教えてくれて助かるよ」


 アイザックは「余計な事を言うな」とは言わず、彼の意見を素直に聞きいれた。

 それは自分の考えに沿う発言でもあったからだ。


「では、他にも手段を考えねばなりませんね。例えば、鎖を巻き付けて身動きできなくして川に放り込むとかはどうでしょう?」

「ぶふっ」


 とんでもない事をあっさりと口にするアイザックに驚き、ちょうどお茶を飲んでいたモーガンが噴き出す。

 彼は咳き込み、ハンカチで口元を押さえる。


「それは少々やり過ぎではないか? いくらなんでも死んでしまうだろう」


 エリアスも驚いたが、モーガンほど取り乱さなかった。

 お茶が気管に入らなかった差というだけかもしれない。


「いいえ、それは違います。死ぬというのなら、ナイフを刺されても死んでしまいます。神が異端審問を行う資格ありと認めるのなら、水の中から浮き上がったりするでしょう。異端審問を行うというのなら、人を罰する資格を神に問う覚悟を持たせるべきです。それに、せっかく人を助ける特別な力を持っているのですから、その手を汚す必要はないでしょう。人を裁くのはリード王国の法に任せておけばよいのではないでしょうか。大司教猊下はどう思われますか?」


 ここでアイザックは、人を裁くのはリード王国の法に任せておけばいいという事を主張する。

 あくまでもセス達を思いやるような言葉で。


 問いかけられたセスは困っていた。

 アイザックの言う事は正しい事のように思える。

 しかし、ここで受け入れるには難しい内容でもあった。

 彼は意見を求めてハンスを見た。


「この場での即答は難しいと思われます。ですが、ジュディス様のような聖女を処刑してしまいそうになったのは事実。同じ過ちを繰り返さないために、この案件は持ち帰って検討するべきでしょう」


 困惑するセスに、ハンスは常識的な意見を述べる。

 

「そ、その通り。軽挙妄動は控えるべきですね。とはいえ、エンフィールド公の意見は耳を傾ける価値があります。実現に向けて努力する事は約束致しましょう」


 常識的な意見を聞いて少し心が落ち着いたセスが慎重な意見を口にした。

 アイザックの提案を受け入れる事には前向きだが、落ち着いて考える時間が必要だ。

 ただ、即答だけはできなかった。


「それでは、どうするかはお任せ致します。ですが、その時に一々神に祈りを捧げて答えを聞こうとするのはやめておいた方がいいでしょう。本当に必要な時に応えてくださらなくなるかもしれませんので」

「その通りです。これは我々が考え、答えを出さなければならぬ問題。万事を神に頼るなどというのはいけない事です。よく話し合い、人を裁く者には資格を証明する必要があるという事を皆に納得してもらうつもりです」


 セスはアイザックの意見を聞きいれた。

 今はアイザックの言葉が全て正しいように聞こえていたからだ。

 まるで神の言葉を代弁しているかのように――


 しかし、アイザックの本心は「神の意思を聞こうとして、何度も試されたら嘘だとバレる」という思いでいっぱいだった。

 セスが考えているように、神の言葉を代弁しているわけではない。

 ひたすらにバレないように、それっぽい事を並べ立てているだけだ。

 そこに神の意思などない。

 完全に弱気になったセスの勘違いだった。


「では、教会に関する事は、ひとまずこれまでといったところだな」


 エリアスがこの話題を切り上げようとする。


「はい。あとはランカスター伯が教会に対してなんらかの請求をするかどうかといったところでしょう。しかし、グラハムも死んだので、ブランダー伯爵家に対する請求がメインになるかと思います」


 異端審問が有名無実の存在になりそうだったので、クーパー伯爵はホッとしていた。

 今後あるとすれば、ランカスター伯爵が教会に対して、ジュディスを処刑しようとした謝罪を要求するくらいだろうと思っていた。

 やはりメインはブランダー伯爵家に関する事だ。

 だが、そちらはランカスター伯爵が到着するまで話ができない。

 あとはアイザックに頼んで証言を引き出してもらうだけ。

 今回の会合は、このまま解散するだろうと彼は思っていた。


 ――しかし、ここでエリアスが思わぬ言葉を放った。


「それでは、残るはブランダー伯爵家の騎士から証言を引き出すだけだな。クーパー伯、エンフィールド公に知恵を貸してもらったのだろう?」

「なぜ、それを!」


 クーパー伯爵は驚いた。

 それは内密に頼んだ事。

 アイザックがエリアスに報告する時間もなかった。

 メイドか誰かが知らせたのかと考える。

 そんな彼の考えを見透かしたのかどうかわからないが、エリアスがすまなさそうな表情を浮かべた。


「証言の信憑性を守るために、取り調べは拷問も買収もなしという困難なもの。だから、リード王国一の知恵者に助けを求めるだろうと思っただけだ」

「も、申し訳ございません」


 クーパー伯爵は、顔面蒼白となっていた。

 自分の無能をエリアスに知られてしまったからだ。


「謝る事はない。条件がそれだけならば、そなたはやってのけただろう。だが、問題は相手がブランダー伯爵家の騎士という事だ。中立派筆頭の座を争っている政敵に、主家が不利になるような事を話したりはしないだろう。非常に難しいどころか、不可能とも言える困難な命令だった。私の方こそすまなかったな」

「陛下……」


 クーパー伯爵は、エリアスの寛大さに心の底から感謝した。

 賢王と呼ばれる男の姿をそこに見たのだ。

 他の者達も、自分の非を認めるエリアスの器の大きさに感服する。

 唯一、アイザックだけが違った。


(あぁ、そういえばこいつはジェイソンの親父だったな……)


 ――部下に無茶な命令を出して、失敗したら許す事で自分を大物に見せる。


 これはジェイソンが他の攻略キャラによくやる事だと、攻略サイトに書いていた。

 息子と同様の行為を行うエリアスを見て、やっぱり親子だとアイザックは思わされた。

 だが、アイザックが知らない事もある。


 それは――


 エリアスがアイザックの知謀を間近で見たがっていた。


 ――という事だ。


 ブランダー伯爵家が関わる問題でクーパー伯爵に無茶振りをすれば、きっとアイザックに相談するだろうとエリアスは読んでいた。

 そのため、派閥内で代表の座を争うクーパー伯爵にブランダー伯爵家の騎士が何も言わないだろうという事をわかったうえで、クーパー伯爵に証言の聞き取りを任せたのだ。

 エリアスもこういうところは変に知恵が回るらしい。


「エンフィールド公、腹案はあるのか?」


 エリアスは堂々とした態度でアイザックに質問する。

 しかし、その内心は「アイザックが何をするのか間近で見られる」とウキウキだった。


「ございます。その準備もしてもらいましたので、あとは実行するだけです」


 アイザックはエリアスの内心がわからないので、真剣な面持ちで答えた。

 王の問いかけに答えるからというのではなく、上手くいくかわからない不安から顔が強張ったというだけである。


「なら、私も見せてもらおう。どのような方法を取るか気になるからな」


 エリアスのテンションはマックスにまで上がる。

 お気に入りの家臣が奇跡を起こした翌日に、また奇跡のような事を起こすというのだ。

 それも無理はない。


「セス大司教らも見学に来るといい。拷問も買収もせず、主君のために口をつぐむ者から証言を引き出す。今度は神の奇跡ではなく、エンフィールド公の起こす奇跡を見ていかれるといい」


 エリアスは上機嫌になるあまり、セス達も誘った。


(おい、何言ってんだ!)


 これにアイザックは口に出さないものの「とんでもない事を言いやがって」とエリアスを恨む。

 エリアスのターゲットが自分に移ったような気分だった。


「お邪魔でなければ、是非とも見学させていただきたい」

「エンフィールド公の力を知っておく事は、大司教猊下のためにも、教会の今後のためにも良い事でしょう。よろしくお願いいたします」


 セスはアイザックが何をするのか興味を持っただけだが、ハンスは違う。

 セスや教会のためというのは本心だった。

 甥孫の本当の恐ろしさをセスに知ってもらい、今後の立ち回りを考えるきっかけになれば損はない。


「それでは、私もよろしいですかな? 後学のためにも見学しておきたいのですが」

「もちろん、かまわん。そうだろう?」

「……はい」


 ウィンザー侯爵までもが見学に参加したいと表明する。

 エリアスが許可を出したせいで、アイザックは断れなかった。


(これ、失敗したらどうするんだよ……)


 ダメ元でやるつもりだったのが、絶対に失敗できない案件になってしまった。

 上がり過ぎたハードルを前に、アイザックは「ごめん、やっぱ無理!」と言って逃げ出したい気分になっていた。

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