第322話 囚人のジレンマ

 エリアス達が来るのを素直に認めたくなかったアイザックは悪足掻きをする。


「しかし、牢獄まで陛下にお越しいただいていいものでしょうか? 汚らしい場所でしょうし」


 前世とは違って、この世界には人権意識が低い。

 犯罪者を丁重に扱っていないはずだ。

 となれば、国王が足を運ぶ場所ではないだろう。

 アイザックは最後の希望として、クーパー伯爵が「その通り」と言って助けてくれる事を期待した。


 ――だが、ダメだった。


「あぁ、さすがのエンフィールド公も牢獄の事はご存知なかったようですね。問題ありませんよ」


 アイザックにも知らぬ事があるとわかって、クーパー伯爵は安心の笑みを浮かべる。


「王宮内にある牢獄と、外にある牢獄とでは環境が違うのですよ。エンフィールド公が考えておられるのは、おそらく外にある牢獄の方でしょう」


 それからクーパー伯爵は、アイザックに違いを説明し始める。

 アイザックが想像しているのは、平民向けや重罪人向けの牢獄。

 王宮内にあるのは、貴族向けの牢獄だ。

 この違いは大きい。


 基本的に、王宮に出入りできるのは貴族やその縁者。

 そして、お抱え商人などの極一部の平民である。

 彼らが何かしでかして王宮内に捕らえておく事になったとしても、いきなり汚らしい牢獄に放り込むような事はしない。

 親族などの人脈を使って、無罪放免になって出てくる可能性があるからだ。

 だから、不快な思いをさせないよう、最低限度の場所を用意している。


 そもそも、王宮内にゴキブリやネズミの住処になっているような場所があるはずがない。

 牢獄から溢れ出したら大変な事になってしまう。

 石壁が剥き出しで簡素な調度品ばかりではあるが、清潔さだけはちゃんと保たれていた。


「エンフィールド公には無縁だろうが、高位貴族用の監獄塔もあるぞ。興味があるなら見学していくといい」

「……お気持ちはありがたいのですが遠慮しておきます」


 なぜか楽しそうにしているエリアスの言葉に、アイザックは冷や汗をかきながら答えた。

 

(ここにいる中で、俺が一番そこに縁がありそうなんだよな……)


 公爵位で唯一罪に問われる罪状。


 ――王家への反逆を考えているからだ。


 失敗したらすぐに処刑されるだろう。

 それでも、処刑する前に一時的には幽閉されるかもしれない。

 そんな場所に見学になど行きたくなかった。


「それよりも、クーパー伯に手伝ってもらいたい事もあるので、その指示を紙に書いておきましょう」


 アイザックは露骨に話を逸らした。

 この話を続ければ、きっとビビってしまう。

 これからの話に変えて、気分を変えようとしていた。


「やっていただきたい事は――」



 ----------



(これから何をされるんだ)


 ブランダー伯爵家の騎士であるガリアは不安に駆られていた。

 しばらく前に目隠しと猿ぐつわをされ、牢の中で椅子に縛り付けられているせいだ。


 ――この状況で予想される事は拷問。


(俺がクーパー伯の立場だったらやるだろうな)


 ブランダー伯爵が派閥内で勢力を伸ばしている。

 中立派筆頭としての立場を守りたいなら、今回の件はブランダー伯爵家を競争から脱落させるチャンスと考えるだろう。

 自分達にブランダー伯爵家が失墜するような嘘の証言をさせればいいだけだからだ。

 それだけに、飴と鞭を使って証言させようとするというのは、わかりきった事だった。


 そんな状況でも希望はある。

 黙っていれば有利な状況になるという事だ。

 早ければ三週間程度、遅くても一ヶ月もすればブランダー伯爵が領地からやってくる。

 伯爵が到着すれば、自分の立場を守るために立ち回るはずだ。

 当然、そこには自分達の保護も含まれる。

 下手な事は言わずに、指示が伝えられるまで黙っておくのが賢い選択だとガリアは考えていた。


 暇なので、彼は考え事に集中していた。

 共に捕まった同僚二人の事も思い浮かべる。

 頼りないところもあるが、彼らもベラベラと喋ったりはしないだろう。

 何もしないで待つだけというのは辛いが、今はジッと耐える時だとわかっていれば落ち着いていられる。


 そこに、大勢の足音が聞こえてくる。

 特に騎士や兵士の足音は目立つ。

 石畳の上を鉄の具足で歩くと、コツッ、コツッと音が鳴るのでよくわかる。

 目隠しでどこも見る事もできず、喋る事も出来ない。

 その分、聴覚は研ぎ澄まされていた。


(ついに来たか)


 何をされるのかわからないというのは恐ろしいが、彼は事態が進んだ事を喜んでいた。

 足音は自分が入れられている牢の近くで止まる。


「僕の声を覚えているかな? 覚えていない人のために教えておこう。僕はアイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵だ」


 アイザックの声が聞こえた段階で、ガリアは体をビクリと震わせた。

 普通の拷問官などとは違い、アイザックは何をするのかわからない。

「いっその事、生爪を剥ぐなどの拷問をされた方がマシだ」とすら思っていた。


「ウェルロッド侯爵家は、ランカスター伯爵家と友好的な関係にある。僕自身も良好な関係がある。だが、それがブランダー伯爵家と敵対関係にあるという事にはならないという事をわかってほしい。僕はマイケルとも友人関係にある。公平でなくとも、公正な裁きを受けさせてあげたいんだ」


 しかし、彼が恐れている内容とは、まったく違う言葉をアイザックが発した。

 アイザックのイメージとの違いに、ガリアは驚くばかりだった。


「君達が証言しなければ、マイケルは――いや、ブランダー伯爵家がどうなるかわからないぞ。グラハムが死んだ今、ブランダー伯爵家を糾弾する内容を捏造しても誰もわからない。マイケルから直接命令を受けた君達が、どんな命令を受けて、どんな様子だったのかなどを正直に話さないと、主家が滅んでしまう事になるかもしれないんだ。マイケルのためにも、真実を話してほしい。この件で君達が罪に問われたりはしないよう全力で掛け合う。だから頼む、この通りだ。話してもいいと思ったら、首を縦に振ってくれ」


 アイザックが懇願する。

 その声はガリアにも聞こえていた。


(ダメだ、ダメだ。エンフィールド公の言葉に耳を貸したらどうなるかわからない。無視するのが一番だ)


「ブランダー伯爵家のためになる」というところで心は揺れたが、話している相手の事を考えて踏みとどまった。

 アイザックは、あのウェルロッド侯爵家の者であるし、フォード元帥を打ち負かすほどの知恵者でもある。

 下手に彼の言葉を信じて行動してしまっては、絶対に後悔する事になるという確信があった。

 黙って様子を窺っていると、舌打ちの音が聞こえた。


「チッ、誰も話そうとしないか……」


(当然だ。ウェルロッド侯ならともかく、お前の言葉に耳を貸す奴なんているはずがないだろう)


 モーガンは常識的な価値観を持つ男だ。

 同じ言葉でも、彼が言っていたなら大きく心が揺れ動いていただろう。

 だが、アイザックの言葉はダメだ。

 甘言に惑わされて、ブランダー伯爵家を裏切るような軽率な真似はできない。

 ガリアは深呼吸をして、アイザックの言葉を無視しようと意識を違う事に集中する。


「閣下、一人がうなずいています」

「そうか、なかなかの忠義者だな。出してやれ」

「はっ」


(嘘だろ?)


 ガリアには信じられなかった。

 しかし、騎士が歩く音とガチャリと鍵を開ける音が聞こえてきた事で、彼は冷静ではいられなくなった。


(おいおい、誰だよ! 相手を考えろ!)


 ガリアは共に捕まった同僚の事を思い浮かべる。

 真っ先に顔が浮かんだのは、忠義心に溢れる騎士だった。

 マイケルのためになると聞いて、証言しようと思ったのかもしれない。

 裏切ったのは彼だろうと、ガリアは考えた。


 しかし、すぐに考え直す。

 もう一人の同僚の可能性を考えたからだ。


(もしかして、あいつか?)


 二人目の同僚は、男気がある者だった。

 彼はブランダー伯爵に対しても、間違っている事は間違っていると正面から言える男だ。

 ひょっとすると、今回の一件で思うところがあり、マイケルが悪いと告発するつもりなのかもしれない。

 ガリアは彼らの事を知っているだけに、疑心暗鬼になっていた。


「クーパー伯、腹立たしいとは思いませんか」

「なにがでしょうか?」


 クーパー伯爵は抑揚のない声だった。

 まるで書かれた文章を棒読みしているかのように。


(それだけエンフィールド公が恐ろしい顔をしているって事か……)


 ――大臣という要職に就く者すら恐れさせる迫力。


 想像するだけでも体が震えそうになる。


「ブランダー伯爵家を救おうと行動したのが、三人の内の一人だけ。今までさんざん世話になっておきながら、形勢不利と見たらあっさり見捨てようとする奴らですよ。これを腹立たしいとは思わないのですか?」

「確かに下劣な者達ですね」


(保身を考えてなんかいない! 黙っている方がブランダー伯爵家のためになるからだ!)


 ガリアは反論しようとするが、猿ぐつわのせいでくぐもった声が漏れるだけ。

 アイザックの言葉を否定する事ができなかった。

 だが、彼がアイザックに反論しようと思えたのは、これが最後だった。


「念のために確認しておきたいのですが、証人は二人もいれば十分ではないですか?」

「一人では心許ないので、二人いれば最低限の信頼性は確保できると思います。……どうされるおつもりで?」

「二人で十分ならば、三人目は必要ないのではと思いましてね」

「それは……」


 アイザックが露骨な脅迫を使い出した。

 先ほどから、ずっと声が震えているクーパー伯爵の言葉も相まって、アイザックが本気なのだという事がわかる。


「あまりにも酷いではありませんか。僕だけじゃない。陛下もブランダー伯爵家だけが一方的に不利な状況にならないように心配なさっておられるというのに。ブランダー伯爵家に仕える騎士の彼らが見捨てようとしている。……最低だ! こんなの許せない!」


 アイザックの声には怒気が含まれているのがわかる。

 もしかすると、意外と正義感が強いのかもしれない。

 ジュディスを助けるために兵を率いてきた事を考えても、その可能性はあった。


 せめて目隠しされていなければ、牢の格子から状況を確認できていただろう。

 ガリアは猿ぐつわを噛まされ、目隠しされている状態がもどかしくてたまらなかった。


「ところで、クーパー伯に確認しておきたかった事があるんですよ」


 先ほどとは打って変わって、アイザックの声が落ち着いたものに変わった。

 その変化がガリアには恐ろしく思える。


「僕は王家に対する罪以外は罰せられません。では、僕の家臣はどういう扱いになるのでしょうか? 例えば、他家の騎士とその家族を襲ったという場合、どうなるのか教えていただけませんか?」


 アイザックの言葉は、ガリアの心をかき乱した。

 この他家の騎士・・・・・というのは自分達の事だ。

 二人目の証人が確保されれば、三人目は証人ではなく憂さ晴らしの生贄にされるという事だろう。

 質問という形式を取っているが、自分達に聞かせているのだというのは馬鹿でもわかる。


「エンフィールド公の命令によって動いていれば、家臣の罪は問われません。ですが、本人の意思で動いていれば、当然法によって裁かれる対象となります」

「そうですか。僕の命令なら・・・・・・いいんですね・・・・・・


 目隠しをされているのでわからないが、アイザックが悪党面で微笑みを浮かべている姿が、ガリアの頭に浮かんだ。


(ここは証人に名乗り出て、ブランダー伯爵家に有利な証言をするべきか……。陛下も心配してくださっているのなら、証言を故意に捻じ曲げたりはしないだろう)


 ガリアは今までの人生の中で最も必死になって考える。

 どんな目に遭うかわからない三人目になるのは嫌だ。

 それなら証人になると名乗り出た方がマシだ。

 そして、マイケルの事を庇うような内容の話をした方がいい。

 これならば、自分の身も安全だし、マイケルを庇う忠義者として扱われるだろう。


 そう思うと、ガリアはすぐに首を縦に振り始める。

 決めたのなら早く行動するべきだ。

 もう一人の同僚に先を越されるのだけは避けねばならない。


(俺はブランダー伯爵家のために行動するんだ。どっちか知らないが、エンフィールド公の犠牲になってくれ。悪いのは最初に名乗り出た奴だ)


 そう。

 彼が考えたように、最初に名乗り出た者が悪い。

 皆が固い意志を持って黙っていれば、彼もこうして証言しようとは思わなかった。

 二人目の自分の責任は軽い。

 この行動は、ブランダー伯爵家に対する裏切りにはならないという確信がガリアにあった。

 いや、それは願いだったのかもしれない。


(……遅いな。早く気付いてくれ)


 自分が首を振っているというのに、アイザックが気付いてくれない。

 首が疲れてきたが、それで気付かれなかったら意味がないのでやめるわけにはいかない。


「うーん、困ったな。どっちが先かわからないや。適当に選ぼうか」


 アイザックが恐ろしい事を口にした。

 どうやら、もう一人の同僚も同じ事を考えたらしい。

 すぐに反応しなかったのは、どちらが先かわからず、考え込んでいたという事だろう。

 だが、それを認めるわけにはいかない。

 猿ぐつわを噛まされているが、必死に自分が先だと抗議すると唸り声をあげる。


「いえ、そういうわけにはいかないでしょう。話す意思があるのなら、全員から証言を取るべきです」


(そうだ! もっと言ってやれ! 頑張ってくれ、クーパー伯!)


 皮肉な事に、ガリアの命はクーパー伯爵が握っていた。

 ガリアは心の中で必死に彼の健闘を祈る。


「それに、彼らは王家の騎士が身柄を確保して、陛下から事情を聴取するように私が命じられました。彼らを確保するように命じたのはウェルロッド侯ですが、確保したのは王家直轄の騎士。彼らをどう扱うかの権限は私にあります。申し訳ありませんが、エンフィールド公には手出しをしないでいただきたい」

「……それもそうですね。わかりました。彼らがちゃんと証言をするというのなら、ここは引き下がりましょう」


(よくやった! いいぞ!)


 ガリアは心の中でガッツポーズをする。

 クーパー伯爵に抱き着いてキスをしてやりたいくらいだ。


「全員出せ」


 クーパー伯爵が部下に命じる。

 ガリアの耳には自分の部屋の扉が開かれる音が届いていた。

 もし、この時もう少し冷静であれば、扉が開かれる・・・・・・三つの音・・・・に気付いていたかもしれない。


 椅子に縛っていた縄がほどかれ、兵士に両脇を抱えられる。

 兵士の誘導に従い、ガリアは歩いていった。

 牢の外に出て数歩進んだところで止められ「ひざまずくように」と兵士に耳打ちさせられる。


(……この場合は、片足でひざまずくべきだろうな)


 両足でひざまずくという事は、罪人として罪を認めたという事。

 少なくとも自分は、マイケルの命令に従っただけだ。

 悪事を働いてはいない。

 片足でひざまずけば、アイザックに反省していないと思われるかもしれないが、自分に罪はないとアピールするためにもここは譲れなかった。

 ガリアは片足でひざまずく。

 自分の隣でも同じような動作をする気配があったので、同僚の騎士も同じようにしているのだろう。


 どうなっているのか神経を研ぎ澄ましていると、兵士の手によって目隠しが取られた。

 ガリアは周囲を見回そうとするが、自分の正面に立っている者に視線が釘付けとなった。


「陛下!」


(なぜここに? エンフィールド公とクーパー伯の二人が来ていただけではないのか?)


 エリアスがいたのなら、二人の会話に混ざっていてもおかしくない。

 だが、なぜか今までその存在をアピールしようとはしなかった。

 あまりにも不自然なので「やはり罠だったのではないか? いや、罠に陛下を利用したりはしないだろう。しかし、相手はエンフィールド公だ。あり得る」と、思考が二転三転する。

 他にもセスやウィンザー侯爵、ウェルロッド侯爵など、そうそうたるメンバーが揃っている。

 自分では理解できない領域の話になっている事を察して、ガリアの思考がフリーズした。


「はい。陛下が気になるだろうけど、こっちに注目」


 アイザックが手を叩いて、自分に視線を集める。

 鏡がないとわからないが、おそらく自分が情けない目をしているのだという事だけは、ガリアにも理解できた。

 だが、今更取り繕う事などできない。

 それほどまでに、この場にいる面子は衝撃的だった。


「君達が証言をするという意思表示をしたのは、陛下も確認された。ここで『やっぱり証言をやめる』などと言ったりしたら、君達の名誉に関わるだろう。事実を話す事をちゃんと誓えるか?」


(もちろんです)


 ガリアは必死になってうなずく。

 エリアスを前に証言すると知られたのだ。

 ここで嘘を吐くような真似はできない。

 同僚の騎士二人も同じようにうなずいているのが、ガリアにも横目で見えていた。


「ならいい。クーパー伯に進言しておきたい事があるのですが」

「なんでしょうか?」

「三人の証言を取ったあと、証言内容を見比べてみる事をお勧めします。ブランダー伯爵家が有利になる内容にしたり、逆に自分の身を守ろうと悪し様に偽証するかもしれません。陛下も事実を知りたがっておられるので、真実に近い内容をしっかりと見極めましょう。三人の証言内容を見比べて、差異が大きな者がいたら……」


 アイザックは、一番気になるところで言葉を切った。

 だが、その先は聞くまでもなかった。


 ――嘘吐きは自分が処分する。


 そういう意味が含まれていると、ガリア達は理解する。


(グラハム様に責任をなすりつける事はできなくなった……)


 偽証する事は簡単だ。

 しかし、同僚がどこまで偽証するのかがわからない。

 内容の違いを咎められるような事はしたくはなかった


(ありのままに話すのが一番か。マイケル様もそこまで悪い事はしていないだろう)


 ガリアは、そう考えた。

 元々、彼らは教会でジュディスの処刑を邪魔しようとするランカスター伯爵家の騎士を防ぐように言われただけ。

 どのような命令を受け、どのような行動を取ったかくらいしか知らない。

 マイケルがどこまで深く関わっていたのかは、本人から事情を聴くしかないはずだ。

 自分達の証言は、そこまで重要だとは思えないので、ありのままに話そうとガリアは観念していた。



 ----------



「奴らが自発的に話そうと思ったのは、何故なのだ? 説明してくれ」


 ブランダー伯爵家の騎士が連れていかれたあと、エリアスがアイザックに説明を求める。

 他の者達も同様に説明してほしいと思っているのだろう。

 皆の視線がアイザックに集まっていた。


「内容自体は難しいものではありません。少し疑心暗鬼にしただけですよ」


 アイザックは余裕の笑みを見せる。

 だが、その内容は笑えるものではなかった。

 次にアイザックは、クーパー伯爵の秘書官に話しかける。


「これはただの質問です。ですから、安心して正直に答えてください。もし、クーパー伯が罪に問われるような事があり、あなたが彼らと同じ立場になったらどうしますか? 黙っていますか? それとも、洗いざらい話しますか?」

「……後ろめたいところがなければ、知っている事を話します。何か後ろめたいところがあれば……、状況がはっきりするまでは黙っているかもしれません」


 彼の答えはアイザックが望むものだった。


「という事は『彼らが黙秘していたのは、マイケルが完全な潔白ではないからだ』とも考えられますね。では、喋る事もできず、周囲を確認する事もできない。後ろめたいところがあるから、誰かが暴露するのと引き換えに免責を求めるかもしれない。自分は置き去りにされ、仲間だけが助かるかもしれない。そういった心理を利用したのです」

「しかし、それだけで話すのか? 黙っておくのが得策と考えている者が、それだけで口を開くとは思えんのだが」


 エリアスがアイザックに疑問を投げかける。

 口を塞がれていたので、免責を求める事すらできなかったのだ。

 疑心暗鬼になったからといって、彼らが正直に話すとは思えなかった。


「その通りです。ですから、証言はマイケルのためだと言って、彼らの背中を押してあげたのですよ。それともう一つ。もう出てきていいよ」


 アイザックはエリアスの質問に答えながら、三人が入っていた牢の近くにある空の・・牢に声をかける。

 すると、牢番の兵士が二人出てきた。


「呼びかけたのが僕ですからね。きっと罠だと疑います。証言した方がいいと言われても、簡単には決断できないでしょう。そこで、彼らの背中を押してあげる事にしました。それが彼らの役割です」


 皆の視線が兵士に向けられる。

 二人は王国のトップ達に注目されて、体を強張らせていた。


「誰が最初に証言すると言い出すのか。それが重要でした。マイケルのためになるとはいえ、それを言ったのが僕である以上、罠である可能性もある。もしかすると、マイケルを窮地に追い込む事になるかもしれない。万が一を考えると、最初の一人の責任は非常に重いものです。だから、彼らを使って最初の一人が名乗り出たように見せたのです」

「なるほど、そのための目隠しと猿ぐつわだったか」


 エリアスは、彼らの目と口を塞いだ理由を理解する。

 耳を塞がずにいたのは、牢の扉を開いたりする音を聞かせるため。

 目で確認したり、喋って確認する事ができないので、耳だけで判断するしかない。

 扉の鍵を開けたりする音は、彼らの思考を大きくかき乱したと思われる。


「それだけではありません」


 アイザックは、さらに詳しく説明し始める。

 ちょっとだけアイザックはノリがよかった。

 この罠が上手くいったという事もだが、前世で学んだ漫画の知識が役に立ったからだ。

 囚人のジレンマという理論をアレンジし、ブランダー伯爵家の騎士に証言する事を約束させられた事で「自分はおもちゃみたいなもの以外のアイデアも浮かぶんだ」と、少し自信を取り戻せて嬉しかったのもある。

 気分よく彼らに説明できるというものだ。

 

 彼らは同僚の騎士という事もあり、お互いの性格をよく知っている。

 ならば、最初の一人として誰が名乗り出そうかも想像がつくはず。


 ――忠誠心溢れる者がマイケルのために証言をしようと考えた。

 ――アイザックによる不忠者の成敗を恐れた。

 ――マイケルのためだと聞いて、マイケルに有利な証言をしようと考えた。

 ――自分だけが助かろうと、マイケルに徹底的に責任を押し付けようとした。


 そのため、大体はこのようなパターンが考えられる。

「あいつなら証言をしようと名乗り出るかもしれない」という不安が思考力を奪った。


 そして、一人目に名乗り出るという心理的負担が軽減された事も大きい。

 一人目が名乗り出たと聞かされた事で、彼らは心の中で「一人目がどんな証言をするかわからないから、自分はマイケルを庇うために名乗り出たのだ」という自分への言い訳ができるようになった。

 三人目になりたくない事もあり、彼らが証言をするという意思表示をするきっかけとしては十分なもの。

 お互いを疑心暗鬼にするだけではなく、競争心を煽る事でさらに冷静な判断力を奪ったのだった。


「一番避けたかったのは、誰かに『ブランダー伯が王都に到着するまでは黙っていよう』と言われる事でした。意思を統一されれば、みんなの口が堅く閉ざされてしまいます。ですから口を塞いで連携を防ぎ、自分の考えだけで、どのように行動するかを考えさせるようにしました。クーパー伯には僕のストップ役になってもらい、彼らに『クーパー伯がいる間に決めなければならない』と焦らせるのも効果があったと思います。時間が経てば、僕が行動してしまうかもしれませんしね」


 今度は皆の視線がクーパー伯爵に集まる。

 彼の手には、カンニングペーパーが握られていた。

 エリアスがクーパー伯爵に話しかける。


「クーパー伯は法務大臣になって正解だったな。演者としての道を選んでいれば、たちまち路頭に迷っていただろう」

「陛下、それは酷いのではありませんか? どのような意味があるのか知らされずに手伝わされたのです。多少棒読みになっても仕方ないでしょう」

「かもしれんな」


 抗議するクーパー伯爵を見て、エリアスがフフフと笑う。 

 他の者達は笑ったりしないが、少しからかいたいと思うほどに酷い演技だった。

「あれでよくブランダー伯爵家の騎士達に効果があったな」と思ってしまうくらいだ。

 それだけに、アイザックの策が上手いものだったという事だ。


「証言を拒んだり、嘘を吐けば、どんな目に遭うかわからない。しかし、マイケルやブランダー伯爵家の不利になるような内容を証言しろと言ったわけではないので、ギリギリ脅迫の範疇には入らないかと思います。クーパー伯はどう思われますか?」

「そうですね……。ギリギリ許容範囲、といったところでしょうか」


 アイザックが何をするのか断言したわけではない。

 ほのめかしただけだ。

 しかも、アイザックが言うように不利な証言を強要したわけでもない。

 脅迫の定義には含まれるが、実際に事件として扱うなら立件できないレベルである。

 法律家としては「アウト!」と言いたいところだが、今回は見逃すしかなかった。

 クーパー伯爵の返事を聞いて、アイザックは満足そうにうなずく。


「拷問をしない。買収もしない。できれば脅迫もしない。これらの条件を達成して、彼らから証言を引き出しました。しかも、虚偽の証言をしないように牽制もした。この結果はいかがですか?」

「素晴らしい! よくやった!」


 エリアスが喜び、アイザックの肩を叩く。

 自分が出した無理難題をこなした寵臣の存在が嬉しかったのだ。

 特に嬉しいのは、アイザックの性格だ。

 ジュードの場合は恐怖心が強く「いつかはこいつを扱いこなさないといけなくなるのか……」という思いが強かった。

 だが、アイザックは違う。

 公爵となった今でも、その辺りにいる若者のような気軽さのままだ。


 ――能力があって、扱いやすい忠臣。


 そんな国王にとって理想的な者が存在してくれている事が、何よりも嬉しかったのだ。




 エリアスの反応とは違い、モーガンの反応は小さなものだった。

 アイザックの行動に慣れているため「ほう、よくこんな方法を考えたな」と思うだけ。

 ロックウェル王国との戦争に比べて、インパクトが弱かったせいだ。

 慣れというものは恐ろしいものだ。




 ウィンザー侯爵も、エリアス同様に喜んでいた。

 しかし、アイザックが、この国にいてくれたという事に関しての喜びだ。


 ――もし、アイザックが家督争いで負けていたら?


 少なくとも、アイザックはこの場にはいなかったはずだ。

 行動が制限されるだけならいい。

 幽閉されたり、殺されていたかもしれない。

 最悪のパターンは、他国に落ち延びていた可能性だ。

 その場合は、復讐のためにその知恵をフル活用していただろう。

 アイザックが敵対していた場合、ウェルロッド侯爵家だけではなく、リード王国もどうなっていたかわからない。

 家督争いに勝利し、味方でいてくれてよかったと心の底から喜んでいた。




 クーパー伯爵は、アイザックのやった事に感心していた。

 もし、自分がこの方法を思いついていたら、きっと誰にも話さなかっただろう。

 他の誰かに証言を引き出す方法を聞かれても「ちょっとしたコツがあるだけだよ」と答えてはぐらかしていたはずだ。

 それをアイザックは惜しげもなく披露し、皆に説明までしている。

 つまり、この方法は隠す必要のないもの。

 本当の切り札は、他に隠し持っているのだと思っていた。

 その底知れぬ知謀に、ただただ感心するばかりだった。




 だが、セスは彼らとは違った。


(もしかすると、悪魔はエンフィールド公の方だったのではないか……)


 ――人の心を自在に操る悪魔。


 彼にはアイザックの姿が、そのように見えてしまっていた。

 ウェルロッド侯爵家には、三代の法則と言われる特徴がある。

 それは、定期的に悪魔の力を受け継いだ子供が生まれてくるからではないかと思ってしまう。

 奇跡を起こせたのも、悪魔の力のおかげなのかもしれない。


 だが、アイザックの正体に気付いても、もう遅い。

 教会関係者に「私は奇跡を起こした」と自慢していた。

 悪魔の手を借りたものだとわかれば、自分は大司教の座を追われてしまうだろう。

 神への背信を隠しつつ、敬虔な信者のフリをしなければならなくなってしまった。

 とんでもない男に関わってしまったと、セスは絶望していた。


 だが、絶対にそうだと決めつけるのもよろしくない。

 心の中で「違う、彼はきっと神のしもべなのだ。だから、聖女ジュディスを助け出せたのだ」と必死に言い聞かせていた。 




 セスとは正反対に、ハンスは神への信仰に目覚めていた。

 彼は「敬虔な信者のフリをしておいた方が出世に有利」という考えの持ち主だった。

 表面を取り繕ってはいたが、心の底から神の存在を信じたりはしていなかったのだ。

 しかし、今は違う。

「神が自分を救ってくれたのだ」と、真剣に感謝の祈りを捧げていた。


 それはアイザックの手助けをする時の事だった。

 ハンスは「私が後見人ではなく領主代理になるのはどうだろう」と、傘下の貴族に呼びかけた。

 その時、アイザックは騎士を使ってハンスを捕らえて殺そうとした。

 あの時でも子供とは思えない決断力と行動力だったが、今ならば未熟だったとわかる。

 もし、今のアイザックなら、もっとスマートなやり方をしただろう。


 例えば、表面上はハンスの領主代理就任を歓迎しつつ、ウェルロッドに着いたら毒殺。

「久々の長距離移動で体調を崩されたようで、ウェルロッドに到着したら亡くなってしまいました」と報告する。

 今のアイザックなら、それくらいはやりかねない。

 当時のアイザックが未熟な子供だったおかげで、自分は今を生きていられる。

 この天の配剤に、ハンスは「自分が生きていられるのは神のおかげだ」と感謝するようになっていた。




 アイザックの行動で感じた事は、それぞれ違うものだった。

 だが、共通して再認識した事が一つある。


 ――ウェルロッド侯爵家の系譜を継ぐ者は他の者とは違うという事だ。


 最近のアイザックは大人しかった。

 それに、戦争の英雄という好印象でインパクトの強い印象もあった。

 アイザックが公爵という立場にはそぐわない腰の低さや、覇気のない容貌をしている事もあって、ジュードとは違って切れ者・・・という印象が薄い。

 だからこそ、今回の一件はモーガン以外の者に、アイザックの印象を再認識させる事になった。


 ――アイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵に並ぶ者なしと。

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