第299話 アイザックの気付かぬうちに
翌日、アイザックは留学生達のために友人を集めた。
レイモンドやポールといったものだけではなく、かつてエルフやドワーフのところを訪ねた時に一緒だった者達もいる。
彼らは男子用の相談相手だ。
女子には女子用の相談相手を用意していた。
場所はファーティル王国の大使館である。
(俺はちゃんと女の子に配慮できる男だからな)
年頃の女の子だ。
男の子に話しにくい内容の相談もあるはずだ。
だが、異国の地で気軽に話せる年頃の近い女の子がいないと相談する事すらできない。
そのため、相談できる相手は多い方がいいだろうと思い、ティファニーやアマンダに頼んで友達も一緒に連れてきてもらっていた。
この配慮にアイザックは心の中で自画自賛していた。
「あのぉ、質問があるんですけど」
全員の紹介が終わると、ニコラスが質問をしてくる。
「なぜ、ジェイソン先輩までおられるのでしょうか?」
今回は学生と学生になる者だけの集まりという事もあり、実際に学院内での話し方にしてもらっている。
実際に慣れてもらうためだ。
「友達だからだよ。それに、ロレッタさんも王族ならではの悩みがあるかもしれない。そういう時に、相談できる相手がいるのは心強いと思うしね」
「もちろん、君達も相談にきてくれていいんだよ。僕は生徒会長でもあるからね」
ジェイソンが優しい笑みを浮かべると、皆がホッとした表情を見せる。
彼の笑みには人の心を落ち着かせるものがあったからだ。
これは天性のものか、学んで身に着けたものかはわからないが、アイザックも同じような雰囲気を身に着けたいと思っていた。
ジェイソンはロレッタにも笑顔を向ける。
「パメラは王妃としての教育を受けている。ロレッタさんにも、きっと参考にできる事があるだろう」
「王族に関する事でロレッタさんに教えられる事があるかわかりませんけど、年長者としてアドバイスできる事があるかもしれません。気軽に尋ねてくださいね」
「ありがとうございます。とても心強く思います」
――ジェイソンを呼ぶなら、バランスを考えてパメラも。
友人を集める話をした時に、そういう話の流れになったので彼女も呼んでいた。
しかし、彼女に募る想いがある分だけ、ジェイソンに自分の女扱いされているのを見ると嫉妬も募る。
それができる立場なのだとはわかっているが、理性で抑えきれない部分もあった。
ジェイソンやパメラまで呼んでいるとなると、当然他にも呼んでいる者もいる。
「フフフッ、俺の事まで友人だと思っていたとはな。甘い、甘いぞ。そうやって油断をしていると、足を掬われる事になるだろう」
――フレッドだ!
パメラやアマンダまで呼んでいるのだ。
ここでフレッドだけをのけ者にしたら、ウィルメンテ侯爵家の面子が潰れてしまう。
嫌々ではあったが、彼も呼んでバランスを取る事にした。
「彼は僕の事をライバル視しているからこんな事を言っているけど気にしないで。模擬戦でカイに勝ったりする事もあるくらい強いから、面倒そうな奴だと思っても剣を教わったりするのにいいのかもしれないね。お勧めはしないけど」
「待て、それは酷いんじゃないか!」
「いやぁ、そうでもないよ。僕への対抗心から適当な事を教えるかもしれないし」
「そんな事をするはずがないだろう。むしろ、しっかりと教えてお前との違いを見せつけてやる!」
「それはそれで心配なんだけどなぁ……」
アイザックはフレッドの事を信用していないので、本気で嫌がっている。
だが、フレッドの方は嫌われていると思っていない。
アイザックが冗談で言っていると思っていたので、微笑みを浮かべながら対応する。
そのおかげで二人のやり取りはギスギスしたものではなく、友人同士が冗談半分でからかい合っているくらいに受け取ってくれていた。
アイザックが気を取り直すかのように、一度手を叩いた。
「それじゃあ、一度男女で分かれましょうか。みんなで話すのもいいですが、今日はまずは自分が相談できる同性の先輩の顔と名前を覚える事を優先しましょう」
――大勢でごちゃごちゃと話していると、肝心の顔と名前を覚えにくい。
人前で「顔が覚えられない」と弱音を吐く事は難しい。
アイザックは自分の経験から、留学生達が困らないように配慮してあげていた。
とはいえ、そんな必要はなかった。
大体の場合は「〇〇先輩」と名前を付けて呼ぶのではなく「先輩」とだけ呼べば済む問題だったからだ。
先輩と呼んでいる間、徐々に顔と名前を覚えていけばいい。
前世で自分もそうして先輩方の顔と名前を覚えていったのだが「何かしておこう」という気持ちが先走ってしまっていた。
しかし、この配慮は無駄ではなかった。
留学生達には、リード王国で頼れる親しい者がいない。
とりあえず、同性同士で話し合おうという考えをありがたいと思う者もいる。
――特にロレッタは。
「賛成です。私も女性だけに伺いたい話というのもあります。そうしてくださると助かりますわ」
アイザックの提案に賛同して、好意的な印象を与えようと考えているわけではない。
彼女には本当に女同士で話したい事があった。
それは今の彼女にとって、最も重要な内容だった。
そして、今はちょうどいい相手が揃っている。
是非とも入学前に話しておきたかった。
「では、男女で分かれましょう。別室を用意してもらっているので、そちらに行きましょうか」
「あっ、それならフレッド先輩とカイ先輩の模擬戦を見たいです」
「僕はお手合わせ願いたいです」
「ジェイソン先輩とアイザック先輩の模擬戦も見てみたいです」
別室に移動しようとすると、ニコラス達が自分の希望を告げる。
「確かに気になるかもしれない。でも、入学すれば見る機会もあれば、手合わせをする機会もあるだろう。ちょっと気が早いんじゃないか。フフフッ」
アイザックは、彼らの希望を聞いて小さく笑った。
正確には
ジェイソンは頭脳明晰というだけではなく、スポーツ万能の完璧な男。
手合わせなどしたら自分が弱いのがバレてしまう。
「慌てるな」と言う事で、問題を先延ばしにしていた。
男子が別室に移動すると、女子は話しやすいように座り直した。
まずは軽い世間話をする。
いきなり切り出すには大きな問題だったからだ。
今までの人生で感じた事がないほど強く心臓がバクバクと鼓動を高鳴らせる。
そんな中、ロレッタはティファニーに意を決して話しかけた。
「ティファニー先輩にお聞きしたい事があるのですが」
「私に答えられる事であれば」
「アイザック先輩は婚約者は卒業までに決めるそうですが、今の段階で特定の誰が好きかご存知でしょうか?」
「えっ、それは、その……」
ティファニーは答える事ができずに口ごもる。
ロレッタがこんな質問をする理由は一つしかない。
――彼女はアイザックを狙っている。
それは今の言葉を聞いた他の者も同様の印象を受けた。
ティファニーには、確かに心当たりがある。
だが、アイザックが明言したわけではないし、アイザックが好きな相手は自分だと言ったあと、ロレッタにどういう態度を取られるのかが不安でもある。
(どうしよう、なんて答えたらいいんだろう……)
今はまだ何も決まっていないので、自分はただの子爵家の娘でしかない。
隣国の王女殿下の不興を買ったとなれば、ハリファックス子爵家自体にも影響があるだろう。
下手な答えは言えなかった。
パメラの心もざわついていた。
しかし、彼女はジェイソンの婚約者である。
アイザックの件で心情を表に表す事ができないので、努めて平静を装う。
(アイザックの相手として、王女様というのはふさわしいのかもしれないけど……)
物語だとしても、やり過ぎなくらい功績を立てた若き英雄だ。
ロレッタのような一国の王女までもがアイザックを狙うのもわかる。
もし、ジェイソンと婚約をしていなければ、強力なライバルが現れたと思って全力で邪魔をしただろう。
だが、アイザックの件で邪魔をするわけにはいかない。
ニコルの件が上手くいけば、自分はジェイソンと結婚する事になる。
そうなった時、恩人のアイザックが婚約者を作らず、一人で寂しい人生を送らせる事なんてできない。
「フリーになっているアマンダかティファニーあたりと結婚すればいい」と思っていたが、ロレッタと婚約するのも悪くはないという考えも浮かぶ。
隣国の国王になるのなら大出世であるし、ずっと一人でいるよりはいいからだ。
アイザックのためになるのなら、邪魔をしない方がいいのではないかと思い始めていた。
ここで一番動揺したのはアマンダだった。
アイザックがティファニーの事を好きなのは知っている。
だから、二人の仲を取り持ちつつ、自分もその中に入る事ができたらいいなと思っていた。
もちろん、ティファニーがアイザックの事を好きにならなければ、自分がアイザックの隣に立とうと考えていた。
――なのに、ここで思わぬ強敵の襲来。
アイザックがティファニーを好きなのだから「誰と結婚すれば権力を握れるか」という計算はしていない事がわかる。
とはいえ、相手は一国の王女。
そんな相手に好意を向けられてしまえば、リード王国とファーティル王国の関係を考えて、婚約を受けてしまうかもしれない。
それにアイザックは忠臣だ。
自分の意思を捨てて、国に尽くすために婚約して遠くへ行ってしまう可能性があった。
側室として付いていく事ができればいいが、それではウォリック侯爵家の跡継ぎ問題がどうなるかわからない。
難しい問題なので、感情に任せたまま行動する事はできなかった。
ロレッタの質問一つで、場の空気が重いものへと変わった。
それを感じ取り、彼女はティファニーの答えを聞くまでもないものだと判断する。
「なるほど、アイザック先輩には好きな人がいる。でも、その相手の名前を出す事ができない立場」
ここでパメラがドキリとした。
まるで自分の事を言い当てられているかのように思ったからだ。
アイザックが「パメラが好きだ」と言えば、アイザックとジェイソンの関係が微妙なものになるだろう。
それに、自分自身とジェイソンの間にも複雑な空気が流れるかもしれない。
ロレッタに気付かれはしないか、気が気ではなかった。
「もしくは、相手が他の人の事を好きなので、好きだと意思表示をするのが相手のためにならない」
今度はティファニーがビクリとした。
彼女はチャールズの事を引きずっている。
そんな自分のためにアイザックがはっきりと言わないと思い込んでいるので、ロレッタに自分の事がバレたのではないかと思ったからだ。
「一番は従兄弟のアイザック先輩の事をベラベラと喋れないというところでしょうか。喋れないという事は、アイザック先輩の気になる相手に心当たりがあるという事ですね」
ロレッタは少し考え込む。
この時、パメラはティファニーをじっと見る。
もしかすると、自分とアイザックの事を、何かを知っているかもしれないからだ。
ここでアマンダがロレッタに質問する。
「ロレッタさんは……、アイザックくんの事が好きなの?」
「はい、好きです」
こちらは考える間もないほどの即答だった。
「でも、ロレッタさんにも婚約者がいるんじゃないの?」
ティファニーが気になるところを尋ねた。
王女であれば、すでに結婚相手は決まっているはずだ。
アイザックの事を好きでも、婚約までは無理だろうと思っていた。
ロレッタは悲し気な笑みを浮かべる。
過去の出来事は思い出すのは辛い事だったからだ。
「私にも婚約者は
「じゃあ、その人とよりを戻せばいいんじゃない?」
「いいえ、彼には新しい婚約者がいます。今更よりを戻すような事はできません。ですから、アイザック先輩は最適な相手なのですよ。きっと、これは運命なのです!」
ロレッタの言い分には、アマンダやティファニーも理解できる部分があった。
王族にふさわしい相手がフリーの状態でいるのは珍しい。
普通なら、子供のうちに結婚相手を決められているところだ。
アイザックのように、公爵位を持つ者が完全フリーな状態がいるのがおかしいのだ。
ロレッタはこの異常な状況を「天が自分のためにアイザックをフリーにしておいてくれた」と思っていた。
「それなら、フレッドなんかもいいんじゃない? 腐ってもウィルメンテ侯爵家の跡取り息子だよ」
アマンダがロレッタにフレッドを勧める。
彼ならばいなくなってもかまわない。
ロレッタが引き取ってくれれば、最高の結果だった。
だが、ロレッタは首を横に振る。
「私も留学に際し、色々と調べさせていただきました。フレッド先輩は、アマンダ先輩の婚約者だった方ですよね? なのに、先ほどはアマンダ先輩の事をまったく気にかけていませんでした。政略結婚では婚約と破談が世の常とはいえ、いくらなんでも冷たすぎるではありませんか。優れた方であっても、そのような方はさすがに遠慮したいですわね」
アマンダはグゥの音もでない。
それは彼女自身も感じていた事だ。
だから、アイザックの事がなくても、フレッドとよりを戻す事はありえないと思っていた。
フレッドの事を勧めたのは、ダメで元々でアイザックの事を諦めてくれればと考えたからだ。
アイザックと比べれば、フレッドでは話にならないと彼女もわかっているので、断られても仕方がないから諦める。
「それに比べて、アイザック先輩は素敵な方です。お爺様が私の傷跡の事を言わずに婚約を申し込んだのに、少しも怒ったりされませんでした。それどころか、私の傷跡を『たいした事ない』と仰って、治療方法まで考えていただいて……。咄嗟に出る態度がその人の本性だと思います。怖い人だと噂されているようですが、私はそうは思いません」
ロレッタは一同を見回す。
「あれほど素敵な方ですもの。この場にいる方の中にも想いを寄せていらっしゃる方がいるかもしれません。私はそういった方の邪魔をするつもりはありません。アイザック先輩くらいの方なら側室を持つのもおかしくないと思っています。ですので、私一人で独占するつもりはございません。私がアイザック先輩と婚約をする。そして、自分は側室になる。それでいいという方は、私に協力してくださいませんか?」
――協力の要請。
これは男子がいるところでは切り出しにくい事だった。
女子同士で結託しているところなど見せるのはよろしくない。
それではアイザックに警戒されてしまう。
あくまでも自然な流れで親しくなっていきたいのだ。
ティファニー辺りから話が漏れるかもしれないが、それはそれでいい。
婚約の話自体はすでに行っている。
人づてに聞く話は盛られるもの。
間接的に話を聞けば、過去の婚約話の延長線上くらいにしか思わないだろう。
わざわざ王女である自分が留学に来たのだ。
婚約話の延長というくらいなら、すでにアイザックは気付いているはず。
それくらいなら知られても何も問題はない。
そんな心配よりも、こうしてリード王国の人間に協力を仰ぐ事の方が彼女には重要だった。
現地での味方がいるかどうかの差は大きい。
「いかがでしょう? すぐに答えてほしいとは申しません。皆さんには考えておいていただきたいのです」
ロレッタはニコリと笑う。
彼女にしてみれば、側室を認めるのは十分に譲歩したつもりだった。
王女という地位は決して低くはない。
恋愛競争において有利である事は自覚している。
普通ならアイザックに想いを寄せている者がいても、無視してもいいくらいだ。
だから、みんなで協力し合い、アイザックとの仲を深めていく事ができる。
彼女はそう軽く考えていた。
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ロレッタの考えに誤算があるとすれば――
側室になれたらいい。
――そう思うほど、軽い気持ちではない者がいるという事だろう。
面会のあと、帰りの馬車の中でアマンダは友人達から愚痴をこぼされていた。
「私、アイザックくんとアマンダがお似合いだと思っていたから我慢していたのよ!」
「なんで、ポッと出のあの子に持っていかれなきゃいけないの!」
「だったら、私だってアタックかけてたわよ」
本当はアマンダも彼女達に同意したかった。
だが、彼女にもプライドというものがある。
アイザックとの仲が進展しているわけでもないのに、自分のもののように語る事はできなかった。
しかし、内心では同じ事を思っていた。
「落ち着きな! それはアイザックくんが決める事だよ。大体、まだ決まったわけじゃないんだから、オタオタするんじゃないよ!」
ジャネットが一喝する。
この言葉を聞いて、アマンダの友人達は小さくなる。
なぜか、黙っていたアマンダまでも小さくなっていたのが不思議なところだ。
「確かにロレッタさんは可愛らしい女性だった。けど、アイザックくんが女の色香に迷うような男じゃないとみんな知っているだろう? 一時の感情ではなく、誰と結婚するのが一番いいかをよく考えて行動するはずだよ。こんな時に慌てない女の方が案外好みだったりするかもしれないよ」
アイザックはウェルロッド侯爵家の血を色濃く受け継いでいる。
ならば、どっしりとしていた方が好印象を与えられるかもしれない。
ジャネットの言葉で、皆が落ち着きを取り戻し始めた。
しかし、アマンダの心中は穏やかではなかった。
(アイザックくんが一番好きなのはティファニー。そして、アイザックくんの事を一番好きなのはボクだ。確かにポッと出の子にもっていかれるのは認めたくないな……)
アマンダもアイザックと結婚し、ティファニーとも結婚する事を認めようという気持ちはあった。
メリンダのような失敗をしないため、自分の子供はウォリック侯爵家を継がせるようにするつもりだった。
しかし、これは同じリード王国だったらという問題だ。
アイザックがロレッタと結婚し、ファーティル王国へ行ってしまえば、アマンダはアイザックと結婚する事を認められない。
家の事を考えれば、ファーティル王国まで行く事を許されず、国内の誰かと結婚しろと言われるだろう。
ティファニーと結婚するのなら、そこに入り込む余地はまだあった。
だが、ロレッタと結婚されてしまうと難しい。
(後輩に頼られるのは嬉しいけど、ボクはティファニーを応援しよう。失恋中のティファニーの事を考えているんだろうけど、アイザックくんももうちょっと誰が好きなのかはっきりしてくれると助かるのになぁ……)
アイザックが「誰が好きか」を表に出さなかったせいで、裏で女同士の争いが始まろうとしていた。
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