第284話 いつものやり取り――のはずが……

 ――ニコルにパメラへの想いを知られた。


 これは大問題である。

 ニコルに噂をばらまかれたら、反乱が成功した時にも影響が出る。

「ああ、アイザックはパメラ欲しさに反乱を起こしたんだな」と思われるからだ。

 それでは「ニコルの色気にたぶらかされて、正気を失ったジェイソンを権力の座から追い落とす」という大義名分が使えない。

 今まで以上に利益と脅迫を使って、他の貴族達を味方に付けなければならなかった。

 その方法は難易度が高くなる。

 救いは、今のニコルにはばらす気がなさそうな事だった。

 だが、アイザックにはその理由の見当が付いている。


 ――コレクションの価値が下がるからだ。


 パメラとの醜聞を広めると、アイザックの評判に傷が付く。

 多少なりとも攻略しようと考えているのなら、ニコルはアイザックの価値を下げるような真似はしないはずだ。


 評判の高いまま自分の取り巻きにした方が――


「私はこんなに良い男を独占しているのよ」


 ――と周囲に自慢して気分よくなれる。


 何か問題が起きない限り、ベラベラと喋らないはずだ。

 逆に考えれば、追い詰め過ぎると早い段階で暴露するかもしれない。

 ニコルには気付かれないよう、今まで以上に水面下で動かなければならなくなっていた。


(その事自体は問題ない。今まで通りだしな。ニコルを暗殺したいけど、今の段階で殺しても得をするのは、攻略されて道を踏み外す可能性がなくなるジェイソンだ。ニコルがベラベラと喋らない事を祈るだけじゃなく、喋られた時の対応策も考えておかないとな。備えあれば患いなしだ)


 とはいえ、すぐに思いつく方法は「パメラと会わないようにして、噂の信憑性をなくす」というものくらいだった。

 だが、彼女とは会いたいので、違う方法を考えている。

 さすがにニコルも、ああ言った手前、すぐにはバラさないだろう。

 結論を出すのは、もう少し他の選択肢を考えてからでもいいと、アイザックは考えていた。



 ----------



 頭を悩ますアイザックの特効薬は、ケンドラ――になるはずだった。


「あー、やっぱりこっちの屋敷の方が落ち着くわ。ケンドラも可愛いしねぇ」

「わたしもブリジットおねえちゃんだいすき」

「もー、可愛い!」


 だが、なぜか屋敷にいるブリジットにケンドラが独占されてしまっていた。

 これでは癒されるどころではない。


(いや、ケンドラの笑顔を見るだけでも癒されるけど……)


「クロードさんとブリジットさんは、今まで通り我が家に滞在する事になった」


 ブリジットとケンドラを見て硬直するアイザックにランドルフが事情を話す。


「でも、エルフの大使館に駐在するんじゃないんですか?」


 アイザックの素朴な疑問に、ランドルフが答える。


「確かに最初はあちらに駐在してもらう予定だった。しかし、本来ならばエンフィールド公爵家のものになるはずだった屋敷を大使館として提供してもらった。その謝礼として、アイザックに治療魔法を使える者を派遣したいという申し出が大使からあったんだ」

「それで見知らぬ者よりも、顔見知りを派遣した方がいいという事で、クロードさんとブリジットさんが選ばれたわけですね」

「そうだ」


 大使の補佐や身辺警護役で、エルフとドワーフ双方共に二十人前後の同行者がいた。

 その中から選ぶよりも、気心の知れた者を派遣した方が波風が立たないと思われたのだろう。

 しかし、これには疑問がある。


「陛下を差し置いて、僕だけが特別待遇を受けていいんですか?」


 ――エリアスよりも、アイザックを優先する配慮。


 それは無用の誤解を招きかねなかった。

 クロード達がいてくれるのは嬉しいが、王家を軽んじていると思われるのは面白くない。


「それは大丈夫だ。今回の申し入れを受けると決めたのは陛下ご本人だ。ロックウェル王国との戦争で、お前が負傷した事が尾を引いているようだな。あの時助けてくれたクロードさんが選ばれたというのも大きかった。それに、私自身もクロードさんがいてくれると心強い。だから、この申し出を受け入れたんだ」

「なるほど、そういう事でしたか。父上のおっしゃる通り、クロードさんがいてくださると心強いですね」


 エリアスの判断だと言うのなら、アイザックも文句を言うつもりはない。

 むしろ、エルフと接触しやすくしてくれた事に感謝したいくらいだ。

 クロード達がいれば、それを口実にして大使とも会いやすくなるだろう。

 治療をしてくれる者がいるというだけではなく、大使と会う名目としてもありがたい申し入れだった。

 ここでアイザックは、もう一人の客人について尋ねる。


「では、ジークハルトさんがいるのは?」

「僕は遊びにきただけだよ。クロードさん達が滞在するっていうのに、ドワーフは何もなしっていうのは嫌だったしね。昨日のうちにサンダース子爵と話をつけておいたんだ」


 この質問には、ジークハルト本人が答えた。


「な、なるほど……」


(だから、パーティー会場では見かけなかったんだな)


 アイザックは、ジークハルトの行動力に感心させられた。

 子供同士で集まるよりも、大人に混じって話をする事を選んでいたのだろう。

 酒に強いドワーフなので、酒の匂いに酔わないでいられたのだと思われる。

 その特性を活かして、大人達と交渉をしていた。

 商人を目指しているだけあって、なかなか逞しいところがあるようだ。


「でもまぁ、ちょうどよかった。ちょっと待ってて」


 急いで自室に戻ると、二枚の紙を持ってきてジークハルトに渡す。


「これは?」

「こっちがピーラーっていう名前の皮むき器、こっちはスライサーっていう薄切り用の調理器具だよ」


 完成予想図を描くのに、絵画の練習をしていたのが役に立った。

 美術の成績は平常点で底上げされているとはいえ、アイザックも人並程度の絵は描ける。

 この絵で十分どういう物を作ってほしいかはわかってもらえるはずだ。


「どっちもカミソリの刃みたいなのを使っているね。どう使うの?」


 ジークハルトは興味津々のようだ。

 図面をジッと見ている。


「こっちのピーラーは野菜の皮むきに使う。こんな感じにね」


 アイザックは自分の左腕を右手の指で削るような仕草をしてみせる。


「なるほど。この刃の手前についている棒みたいなものは?」

「直接刃を当てると深い角度になったりして上手く皮を剥けないから、スムーズに剥けるようにするガイド……みたいなものかな」

「じゃあ、こっちのかんなをひっくり返したようなものはどう使うの?」

「誰でも野菜を同じ厚さで切れるようにするものだよ。この刃の上で動かすだけで綺麗に切れるはずだ。……どっちも実際に作ってみて、細かい調整が必要だろうけどね」


 さすがにアイザックも、刃の角度がどうなっていたのかまでは覚えていない。

 切れ味が悪くなれば軽く研いだりはしたが、どういう角度かまではよく見ていなかったからだ。

 この辺りの事は、作りながら試行錯誤してもらうしかない。


「へー。実物がないっていう事は、急いで考えてくれたからなんだろうね。ありがとう」

「どういたしまして」


(アマンダの誘いにのって、家庭科部に行ってよかったな。これでジークハルトの心を惹き付けておける)


 さすがに紙飛行機だけでは物足りないような気がしていた。

 今までのようにお土産を渡しておきたいと思っていたので、家庭科部での出来事はいい刺激になった。

 いいきっかけを作ってくれたアマンダに対して、アイザックは心の中で感謝する。


「ちょっと疑問に思ったんだけど、アイザックのアイデアって主婦の味方みたいなものを提案してくる事が多いよね。侯爵家の嫡男としてはおかしい気がするんだ。普通、もっと貴族らしいものを思いつくよね?」


 ジークハルトの質問に、アイザックは返答に困ってしまう。

 貴族らしいアイデアなど思いつかないからだ。


(アイデアが全部前世の記憶から引き出しているとか言えないしなぁ……)


 何か言い訳のヒントはないかと視線を動かすと、メイドの一人が視界に入った。


(これだ!)


「食べ物がほしい。そう望んだ時、すぐに用意してくれるのは誰か? それはコックが料理を作ってくれて、使用人達が運んできてくれるからです。僕が考えた道具で彼らの仕事が楽になれば、多少なりとも余裕が生まれる。そうなれば、家に帰ったあと家族と過ごす時にも余裕を持てるでしょう? 日常生活で使うちょっとしたもので、みんなの仕事が少しでも楽になればそれが一番。洗濯バサミや皮むき器なら、自宅で使う事もできますしね。だから、みんなの視点で暮らしが楽になる新しい道具を考えていたんです。給料を払うだけが、感謝の気持ちではないですからね」


 アイザックは「屋敷で働いている者のため」という事を強調した。

 これなら、人を使う立場の人間が、洗濯バサミやピーラーを提案してもおかしくないと思ったからだ。

 この場に居合わせたメイド達はアイザックの優しさに感動し、ジークハルトはアイザックの想像力の高さに感動した。


「自分が使うわけでもないのに、人の立場になって物を考えられるなんて凄いね! 鉱山や製鉄所で使えるようなものも考えてほしいところだね!」

「いや、それはちょっと……。みんなが働いているところを普段見ているから何があったらいいのか考えられるんであって、鉱山とかで使えるものはさすがに想像できないよ」


 アイザックは「限度がある」と、ジークハルトの申し出を断った。

 洗濯バサミやピーラー、スライサーは前世で使った事があるものだった。

 鉱山で使えそうなものなど想像もつかない。


「またまたぁ、一輪車を考えついていたじゃないか。鉄道だって鉱山から製鉄所までの間で試用運転をしているけど、とても便利だってみんなわかり始めている。立派なものを思いついているじゃないか。謙遜も過ぎると嫌みになっちゃうよ」


 しかし、こちらの言い訳は通用しなかった。

 過去に思い付きで提案したものが、アイザックの首を絞める事になってしまった。


「それはまぁ……。ドワーフ相手に何かないかなぁと偶然思いついただけだし」

「なら、また何か思いつくかもしれないよね!」


 ジークハルトが目をキラキラとさせて、期待に満ちた目をアイザックに向ける。


(しまったな。今回は紙飛行機だけで我慢してもらって、ピーラーとかは次回に渡した方がよかったかもしれない……。こうなったのもニコルのせいだ)


 アイザックはニコルを恨む。

 彼女に「パメラと想い合っている事を知っている」と言われなければ、ドワーフとの関係強化を焦ったりはしなかっただろう。

 残り少ない貴重なネタをあっさりとジークハルトに教えてしまった。

 そのせいで、次回以降のアイデアに困る事になっている。

 ジークハルトの期待に満ちた目が辛い。


「思いついたらね。ところで、ノイアイゼンでは鉄道の運用が始まってるんだね。鉱山の中に使ったりしているの?」


 アイザックはいつも通り、都合が悪くなるとすぐに話題を逸らした。


「ううん、まだ部分的な運用だけ。鉱山の中にまで鉄道を敷くのは、坑道の広さの問題で実現していないよ。坑道の中では一輪車がメインになっている。これから新規に坑道を掘る場合は、鉄道を使う事を考慮したものにはなるだろうけどね」

「そうなんだ。新しい技術だし、まだまだこれからだよね」


 アイザックは一人で何度もうなずく。

 もし、ジークハルトが「鉄道網はできあがってるよ」と言われたら、もっとハイペースでアイデアを絞り出さないといけないところだった。

 もうしばらくは鉄道に専念してもらえそうなので、まだ時間は稼げそうな気がしていた。


「ねぇ、クロードやジークハルトに言及して、私について何も言わないってどういう事? 一言くらい嬉しいって言葉があってもいいんじゃない?」


 アイザックとジークハルトが話しているところに、ケンドラを膝に座らせているブリジットが口を挟む。

 ウェルロッド侯爵家の屋敷に滞在するというのに、クロードと違って言及がなかったから不満顔をしていた。

 そんな彼女の表情を見て、アイザックは久々にあのセリフを言う事にする。


「んー、チェンジで」


『またそんな事を言って!』


 ――そう言って、ブリジットが抗議をしてくる。


 アイザックはそう思っていたが、今回は違った。


「酷いよ……。私だって女の子なんだよ。そんな事言わなくてもいいじゃない……」


 ブリジットが片手で目元を覆い、ケンドラを抱いていた手を震えさせ始める。

 思っていたのとは違う反応にアイザックは戸惑う。

 そして、ケンドラがブリジットの異変に気付いて心配そうな顔をする。


「おにいちゃん、ブリジットおねえちゃんをいじめるなんてかわいそう」


 悲しむ彼女を見て、ケンドラがアイザックに抗議する。


 ――しかも、軽蔑するような目で。


 これにはアイザックが、今までにないくらい動揺した。

 うろたえるアイザックの姿を指の隙間から確認したブリジットは、ニヤリと笑みを浮かべた。

 彼女も成長しているのだ。

 アイザックの弱点を的確に突いてきた。


「今笑った! 笑ったよ。それ絶対嘘泣きだから!」

「おねえちゃん、うそなの?」

「ううん、泣いてるよ」


 ブリジットが涙声ではなく、普段通りの声で答える。


「ないてるって」

「泣いてないって!」


 ケンドラが人を信じる優しい子に育っているのはいいが、ブリジットの下手糞な演技に騙されるほど素直すぎるのは心配である。

 それ以上に、ちょっとした冗談でケンドラに嫌われるのはごめん被る。

 ここはブリジットに抗議する事にした。


「ブリジットさん、いくらなんでもケンドラを使うのは卑怯ですよ! 年長者として、子供を利用する事に罪悪感はないんですか!」

「それだったら、女性に対して酷い事を言うのに罪悪感はないの?」

「くっ……」


 正にぐうの音もでない状態だ。

 冗談とはいえ、先に言ったのはアイザックである。

 ここは下手に出る事にした。


「……冗談とはいえ、言うべき事ではない言葉を言ってしまいました。申し訳ございません」


 ここで意地を張っても仕方がない。

 アイザックはちっぽけな意地よりも、ケンドラに嫌われないよう立ち回る事を選んだ。


「ならよし。許してあげる」


 ブリジットが目元を覆っていた手を放す。

 そこには涙の一滴も流れていなかった。


「お兄ちゃんとは仲直りしたから、もう大丈夫よ。嫌ったりしないであげてね」


 ちゃんと謝ったら、アフターケアもしてくれるようだ。

 ケンドラの頭を撫でながら、説明をしてくれた。

 アイザックはホッと胸を撫で下ろす。


「お兄ちゃんは、わるいひとじゃないの?」

「ええ、違うわよ」

「おにいちゃん、うたがってごめんね」

「えっ、いや、気にしなくていいんだよ」


「お兄ちゃんは悪い人じゃなかったんだ」と妹の純真な目で見られて、またしてもアイザックは動揺していた。


(ごめん、本当は悪い人なんだ……)


 反乱を企てているなど、リード王国の歴史に残るレベルの悪人だ。

 

 ――ケンドラが大きくなった時、兄の行動を知ったらどう思うか?


 その事を考えると、今更ながらに自分がとんでもなく恐ろしい事をしていると実感させられる。

 だが、こればっかりはやめられない。

 パメラの気持ちを知り、一方的な気持ちを伝えようとするストーカーではないとわかったのだ。

 アイザックには、今更やめる事などできなかった。


 救いはジェイソンがニコルにたぶらかされて、戦争を始めるという事だ。

 エリアスが賢王と呼ばれているほど、今は平和な時代である。

 そのあとを継いだジェイソンがニコルに「この世界の果てまでを君に贈ろう」と言って、戦争を始めようとすれば支持していた者達も離れていくはず。

「戦争を止めるために、やむを得ない状況だった」と強弁できるかもしれなかった。

 そのためにも、ジェイソンには大きく道を踏み外してもらわなくてはならない。


(いっその事、ニコルを後押しするか? いや、でもこれ以上制御できなくなるのは困る)


 パメラを手に入れるためだけではない。

 大きくなったケンドラに失望されないためにも、また一段とハードルが高くなった事を実感させられていた。

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