第274話 勉強会に備えて
休みの日。
アイザックは派閥について、祖父がどう考えているのかを質問する事にした。
モーガンは快く引き受けてくれたので、彼の部屋で話をする事になった。
「それで、どんな用件だ?」
今回はアイザックがペンとメモを用意している。
なので、余程の内容を質問してくるのだろうとモーガンは思って身構えていた。
「実は派閥の事を詳しく聞きたいのです」
「派閥の?」
アイザックが若者を中心とした第四の派閥――勉強会――の事を説明する。
モーガンは第四の派閥という言葉に戸惑いを見せたものの、その理念には感心する。
「それくらいなら、いくらでも教えてやるとも」
派閥の事は国内の問題だ。
「今後のために、外国と交渉中の機密情報をこっそり教えてほしい」と言われたりしないかと身構えていたので、モーガンはホッとしていた。
アイザックから貴族社会の事を能動的に尋ねられるのは初めてとも言える。
しかも、それが将来家を継いだあとに関係する内容だったのだ。
頼りになる祖父の姿を見せてやろうと、少し鼻息が荒くなり始める。
「では、貴族派でのお爺様の立場と何をやっているのかを教えてください」
「ん?」
ここでモーガンが首をかしげる。
基本的な事をすっ飛ばしてきたからだ。
だが、それの疑問はすぐに解決した。
「アイザックの事なので、質問する前に予習していたのだろう」と思い直したからだった。
本人の望み通り、基本を飛ばして話してやるべきだとモーガンは考える。
「そうだな……。基本的にはウィンザー侯と共に派閥に所属する者達を取りまとめている。この人をまとめるというのが、簡単そうに見えて結構大変なのだ。誰をどこのポストに推すかを決めたりもしているな。他には、違う派閥の代表と調整したりもしている。内容はその時々によって変わる」
「なるほど。基本的には仕事でやっているのと同じなんですね」
「そうだ。人の上に立つ以上は、部下をまとめ、人と交渉するというのはほぼ変わらん」
派閥の活動に、子供が夢見がちな派手な活躍などはない。
地味な仕事ばかりである。
アイザックが派閥に夢を見過ぎないように、ちゃんとアイザックに真実を伝えた。
――確かにそれは効果的だった。
アイザックが露骨にガッカリしたような表情を浮かべる。
モーガンは「アイザックも大人びているようでまだ子供。もう少し興味を持つような話し方をしてやるべきだったか」と後悔した。
しかし、ガッカリした表情を浮かべたのには理由があった。
「それだけですか? 例えば、貴族派らしい政策を提案したりとかは……」
アイザックがガッカリした理由は、モーガンが思った通り「なんだかしょぼい」というものだった。
だが、その内容は重い。
――なんで自分の派閥が有利になる政策を提案しないの?
と、モーガンに問いかけているようなものだったからだ。
仕事自体にガッカリしたのではなく、派閥のトップとして何もしていない祖父にアイザックはガッカリしていた。
もしかすると、外務大臣としてもあまり活躍していないのかもしれない。
アイザックは、祖父に疑惑に満ちた目を向けてしまう。
その目を見て、モーガンは孫に能力を疑われている事に気付いた。
「それは違うぞ! 新しい政策を提案したりする必要がないからやっていないだけだ。今は現状維持でいいから何もしていないだけで、状況が変われば、状況に合わせたものを提案するつもりだ。今まではそうしてきた」
モーガンは慌てて否定する。
さすがにこの疑惑は放置しておく事ができない。
ちゃんと誤解を解いておかねばならなかった。
だが、それはそれでアイザックに新たな疑問を抱かせてしまう。
「それでは、中立派と変わらないのではありませんか?」
「それも違う。今の貴族派は圧倒的に有利な状況になっている。これ以上の政策を提案する必要がないから、現状維持をしているだけだ。現状を維持するというのも、大変な事なんだぞ。王党派の連中を抑えないといかんしな」
――これだけではまだ足りない。
そう思ったモーガンは、もう少し具体的に話す事にした。
「考えてもみろ。今の地方貴族は兵権を持ち、統治も自由にできている。これ以上権限を拡大するとしたら、王家への納税をやめたり、外交の自由を認めるところに踏み込まなければならない。そこまですると地方貴族としての権限を逸脱したものとなる。国家の中に小さな国家が乱立してしまう。それは混乱の素だという事はわかるだろう?」
「はい。権限も拡大すればいいというものではない、という事ですよね」
「そうだ」
アイザックがひとまず理解してくれた。
これで孫を失望させずに済んだと、モーガンは安堵する。
「確かにみんなが好き勝手にやっていると困りますもんね」
「地方貴族が好き勝手に行動すると、リード王国という枠組みが意味を成さないものになってしまう。地方貴族の権限拡大を主張すると言っても、節度は守らんといかん。節度を守らない者は……」
「曽お爺様のような方に粛清されるというわけですね」
「その通りだ」
派閥を問わず「リード王国にとって良い結果が出るように」と考える事が根底にある。
――貴族派は「地方貴族の権限を拡大して、現場での素早い判断ができるように」
――王党派は「王家に権力を集中して、物事に一丸となって当たれるように」
――中立派は「今のままで上手くいっているのなら、不要な改革をさけて国家が安定しやすくする」
そういう方針を持った者達の集まりである。
もちろん、派閥間の力関係でより良いポストを確保したいと思う者もいるが、大抵の場合は最低限の節度は保っている。
欲を出し過ぎると、数十年ごとに起きる大掃除で処理されてしまうからだ。
「王党派から貴族派に派閥を移動する者もいるが『王家に権力を集中していては、ファーティル王国への援軍は間に合わなかった』と考え直して移動する者ばかりだ。現状では、地方貴族に兵権を与えている方が即応性が高いという判断だろうな」
「……魔法とかを使って地方とすぐに話ができるようになれば、すべての兵権を王家に集中するのも考慮の内に入るという事でしょうか?」
アイザックは電話や無線のようなものを思い浮かべた。
今は連絡に時間がかかるから地方分権が進んでいるが、連絡手段が整えば王家の判断を伺わなくてはいけなくなる。
科学が発展していないおかげで、行動の自由度がある。
日頃の生活は不便だが、不便なおかげで野心を持つ事もできる。
科学の発展していない事が、大きなメリットでもあった。
「地方とすぐに話ができるか……。そんな魔法があれば便利だな。相変わらず面白い事を考える。だが、そうなると外務大臣はお役御免となるから、私としては困るかな」
モーガンは、エリアスが他国の王と直接話している姿を想像した。
使者を使わずに国王同士が話し合えるのなら話が早い。
大臣や大使が職を失う姿を思い浮かべて、苦笑いをしてしまう。
「陛下一人ですべての仕事をこなせるわけではないので、外交関係の仕事がなくなるという事はないと思います」
「だといいのだがな。そんな魔法があるとは聞いた事もないし、しばらくは安泰だろう。お前が何かをしない限りはな」
今度はモーガンがいたずらっ子を見るような目でアイザックを見る。
アイザックなら何とかしてしまいそうな気がしていた。
だが、アイザックにそんなつもりはない。
さすがに電話の作り方どころか、電気の基礎知識すらない。
せいぜいが果物に銅板と亜鉛板を刺して、線を繋ぐと電気が流れるというくらいだ。
電話などに関しては、数百年後の天才に任せる事しかできなかった。
「さすがに魔法を使ってどうこうできませんよ。それより、話を戻しましょう。今の貴族派は望み得る権限を獲得しているので、これ以上の権限を拡大しようとはしていない。王党派に所属する者も、先の戦争で地方貴族に兵権を持たせる事の有効性を考え始めた。という事でよろしいでしょうか?」
「今はそうだな。だが、王家に権力を集中するメリットもあるので、みんながみんな貴族派に移るという事はないだろう」
アイザックはモーガンの言葉が少し引っ掛かった。
「お爺様も王党派の考えに一定の評価をされているのですか?」
「もちろんだ。良いところは良いし、悪いところは悪い。貴族派の考えの方が正しいと思っているからといって、王党派の考えが全部悪いと思っているとは限らん。それはみんな同じだから、貴族派の方が正しいところが多いと思って移る者がいるのだ」
「利益だけではなく、主義主張の揺らぎによって移るという事ですね」
正しいと思った事が正しいとは限らない。
それはアイザックもこれまでの人生で実感した事だ。
――親が所属していた派閥だから自分も所属していたが、自分が当主になった時に正しいと思った派閥に移動する。
そういう事がよくあるのだろう。
モーガンの様子から、派閥を移る者に対する嫌悪感などは感じられなかった。
「文官の家系に貴族派が多めなのは、中央からでは地方の統治が物理的に困難だというのを理解しているからだ。武官の家系に王党派が多いのは、王国全土の軍を統一運用できるようになった方が戦う時にやりやすいと思っているからだ。文官は政治、武官は軍事と、それぞれが強く主張する分野以外なら妥協できるところも多い。だからこそ、軍事面で揺らいだ王党派の人間が貴族派に移っているのだろう」
「今の政局はお前の影響だぞ」と、モーガンがアイザックを見る。
ファーティル王国の援軍に間に合わなかった。
もしくは、戦闘で負けていれば、今頃は王党派が有利となっていただろう。
アイザックが華麗な勝利を収めてしまったので、王党派から貴族派に鞍替えする者が増える事になった。
その張本人が今頃になって派閥の事を聞いてきた事に、モーガンはおかしさを感じてふくみ笑いをしそうになっていた。
「だから、子供達で派閥の事を話し合うのは良い事だと思う。存分に自分が正しいと思う内容を話し合って、望む派閥につくといい。今のお前はエンフィールド公でもあるのだしな」
そうは言うものの、モーガンはどこか寂し気な視線をアイザックに向けた。
「話し合いはしますけど、僕は貴族派でいようと考えています。貴族派の考えの方が合っていると思いますしね」
――主に「王家に力を集中しない」という方向で。
だが、モーガンの目に喜びの色が浮かんだ。
アイザックが同じ派閥につくという事で、家庭内で派閥争いというような事にならなくて済んだからだ。
モーガンも色々とあったので、家庭内での争いは望んでいない。
アイザックの考えを知らない彼は、素直に孫の選択を喜んでいた。
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モーガンと話し合ったあと、アイザックはペット部屋に向かう。
そこにケンドラがいるはずだったからだ。
(主義主張は人それぞれ。でも、だからこそ難しい)
派閥に属しているからといって、その考えに無条件で賛同しているわけではない。
という事は、派閥の長を取り込んでも、属する者達もまとめて取り込めるというわけではないという事でもある。
結局、一人一人が納得するような条件を出して説得するしかない。
だが、全員が満足するような意見など存在しない。
考えれば考えるほど、将来の地盤固めが難しく思える。
そこでアイザックは、オーバーヒートしそうな頭を冷ますために
悩みを忘れて心を落ち着かせるためだ。
今頃はマイクと共にテレサと遊んでいるはずだった。
アイザックがペット部屋に着くと、最初に壁際のソファーに座っているリサの姿が見えた。
次に、床でテレサを枕にして寝ているケンドラとマイクの姿が視界に入る。
二人には毛布がかけられていた。
部屋に入ってきたアイザックの姿を確認して、テレサが頭を動かす。
警戒するような素振りではなく、助けを求めるような目をしているように感じられた。
二人に枕代わりにされて重いのだろう。
その姿から「パトリックもこうだったっけ」と思い出して、アイザックはクスリと笑う。
だが、テレサを助けたりはしなかった。
静かに近寄って、「我慢してくれ」という思いを籠めて頭を優しく撫でてやる。
何となくその思いを感じ取ったのだろう。
テレサは悲しそうに小さく鳴いて、床に頭を伏せる。
アイザックはリサのもとへ向かうと彼女の隣に座って、小さな声で話しかける。
「お疲れ様。お昼寝中だったんだね」
「はい、少し前にお休みになられました。その前は馬車のおもちゃで遊んだりしておられましたよ」
「気に入ってくれていたのならよかった」
「あれは凄いですね。テレサも興味深そうにうろついていましたよ」
そう言うリサも、かなり興味を持っているようだった。
「リサも欲しい?」
アイザックがリサに尋ねたが、彼女は少し寂し気に首を横に振る。
「もうおもちゃで遊ぶ年ではありませんので。十年前なら欲しがっていたと思います」
「十年前ならか……」
アイザックはケンドラとマイクを見る。
そこには十年前の自分達の姿があった。
「あれから十年も経ったんだね」
短いようで長い十年だった。
パトリックもいなくなるくらいに。
「ねぇ、ちょっと膝を借りてもいい?」
「どうぞ」
ちょっとだけ大胆な頼みをする。
アイザックがリサの太ももを枕代わりにして、ソファーに仰向けで横たわる。
「お疲れですか?」
リサが心配そうにアイザックの顔を覗き込む。
こうして膝枕を要求してきた事など、今までになかった。
何かがあったのだろうと思い、心配していたのだ。
「ちょっとね。考える事がどんどん増えていって、どこから手をつけていくべきか困っちゃってね」
「それは大変ですね……。私の膝でよければ、いくらでもお使いください」
リサにしてみれば、アイザックは凄い人物としか言いようがない。
そんなアイザックが困っているのだ。
自分の助言など役に立たないだろうと思い、それだけしか言えなかった。
こうして甘えさせる事で役に立つのなら、アイザックを拒む理由もない。
言葉通り、いくらでも膝を貸すくらいはするつもりだった。
「それに……」
「それに?」
「ケンドラがこうして寝ているところを前に見たしね。リサとは長い付き合いだけど、僕はまだやってもらった事がない。ケンドラには負けてられないよ」
「はい」
リサはクスリと笑う。
甘えたいというだけではなく、妹に張り合って膝枕を望んできた。
体は大きくなっても、子供っぽいところが残っているのが微笑ましいと思えたからだ。
――しかし、見た目はともかく、中身は子供っぽくはなかった。
リサの膝を枕にして横たわった時から、アイザックの頭の中がある事で一杯だった。
(もうちょっと、もうちょっとだけ前かがみになってくれないかな。そうすれば、胸とふとももに挟まれてサンドイッチになれる)
リサが呼吸をするたびに上下する胸。
アイザックの視線は、目の前にある胸に釘付けだった。
さっきまで悩んでいた事が、すべて吹き飛んでしまっていた。
いっその事「俺はサンドイッチの具になりたい!」と叫びたいくらいだった。
だが、リサはそんなアイザックの本心を知らない。
「時には休んだ方がいいと思いますよ。疲れていたらいい考えが浮かびませんから」
いつになく真剣な目で天井をジッと見ているアイザックを見て「学生とはいえ、公爵になったら休む暇もないんだろうな」と思ってしまう。
自分には想像もつかない悩みなのだろうとも思った。
こんな時は、相談に乗ってやれるだけの頭脳を持たない事がもどかしい。
彼女が今できる事は一つ。
いつもケンドラをあやす時のように、優しくアイザックの頭を撫でるだけだった。
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