第236話 リサへの告白

 三月に入ると、試着用の制服が届いた。

 紺のブレザーにワイシャツ、赤のネクタイという前世でも見た事のある学生服だった。


(やっぱりおかしいって。なんで学生服だけ時代が違うんだ……)


 世界設定に合わない服装に疑問を覚えながらも、アイザックは服に袖を通す。

 この年になってもメイド達が着替えを手伝ってくれる。

「一人で着替えられる」や「男の使用人に代えてくれ」と言いたいところだが、それはそれで「アイザックもお年頃なんだな」と思われるのが恥ずかしくて言い出せなかった。

 前世の記憶があるので、色々と考えてしまうせいだ。

 こういう時は「貴族はこういうものだ」と思って耐えるが、記憶が無ければいいのにと思ってしまう。


「懐かしいな。私も学生時代はこれを着て毎日通っていたものだ」


 ランドルフが感慨深げにアイザックの制服姿を見ていた。

 ルシアは「息子とは言え、着替える姿を見るのは悪い」という事からこの場に居合わせなかった。


「父上も着てみますか?」

「いや、いいよ。サイズは合うだろうけどね」


 今のアイザックは188cm、70kg。

 少々細身だが、スラリとした長身は優し気な顔と相まって気品があるように見える。

 内面はともかくとして、外面だけは一端の貴族といえるものになっていた。


「いつの間にか、こんなに大きくなっていたんだなぁ」


 アイザックの制服姿を見ながら、ランドルフがしみじみと呟く。

 彼はまだそれだけの年月が経った気がしなかった。

 行動しては問題を起こすなど、アイザックに落ち着きを感じられない部分があるせいでもある。


「体は大きくなりましたけどね、人としてもっと大きくなりたいものです」

「十分立派さ。けど、学院では問題を起こさないようにな」

「起こしませんよ。普通の学生生活を過ごしますよ」


(問題を起こすのは他の奴だしな)


 アイザックは苦笑いで返す。

 問題を起こす可能性が高いのはジェイソンだ。

 ニコルに興味を示していたので、きっとニコル関係で問題を起こすはずだ。

 アイザックはそれに便乗するだけ。

 自分から問題を起こすわけではない。


「その言葉を信じよう。さぁ、ルシアにも見せてやろう」

「えっ、どうせこれからでも見れるので、今日はいいんじゃないですか?」


 アイザックは渋る。

 わざわざ制服を着ただけで見せびらかすような真似をするのは恥ずかしさを感じる。

 だが、ランドルフの意見は違った。


「それはそうだけど、そうじゃないんだ。やっぱり、息子の成長した姿っていうのは見て楽しいものなんだ。学生になるというのは一つの節目。ルシアにも制服姿を見せてやってくれ」

「わかりました」


 こうして見せてやってほしいと言われれば、意地でも断る理由などない。

 父と共に、リビングで待つ母に制服姿を見せに向かう事にした。




「まぁ、まるで若い頃のあなたみたい」

「そうかな? アイザックの方が格好良いと思うよ」

「そんな事ないわよ。あなただって恰好良かったもの」


 ――自分の制服姿を見せに来たはずが、両親ののろけ姿を見せつけられる事になった。


 両親のこんな姿を見せつけられるなど、アイザックには拷問のような状況だ。

 こればっかりはいつまで経っても慣れそうな気がしない。


(昔を思い出したから、制服を引っ張り出してそのまま夜の生活に……。なんて事はないよな)


 前世で心の汚れているアイザックは、両親による深夜のコスチュームプレイなどというものを想像してしまった。

 美男美女とはいえ、自分の両親の夜の生活など想像したくないので、必死にその想像を振り払う。


「学生時代の話は、またにしなさい。今はアイザックの事でしょう」


 ルシアと共に待っていたマーガレットが二人をたしなめる。

 夫婦仲が良いのは良い事だが、今はその時ではない。

 外では大丈夫だが、屋敷内だと気が緩むのが玉に瑕だ。


「そういえば、お婆様はリード王立学院とファーティル王国の学院のどちらを卒業されたんですか?」


 アイザックが両親に助け舟を出す。

 祖母の卒業校を聞き、話を逸らそうとした。


「私はファーティル王国の学院よ。普通は婚約者のいる国の学院に入学するのだけれど、お義父様から『ファーティル王国で卒業してからリード王国に来るように』と言われたの」

「……ファーティル王国での人脈を、しっかりと築いておいてほしかったとかでしょうか?」

「かもしれないわね。お義父様の考えはわからないけれど、外務大臣の妻として外国に独自の人脈があるのは悪くない結果になっているわ」


 ――学生時代を共に過ごして息子夫婦の仲を良くさせるよりも、国家のためになる選択。


 滅私奉公の体現者であるジュードらしい考えかもしれない。


「ファーティル王国での制服はどうだったんですか?」

「男女共に似たようなものよ。リサが着ていた制服も、私が学生だった頃と似たデザインだったもの」

「へー、そうなんですね」


 アイザックは「大昔、最初に作られた学生服が元になって世界に広まったとかそういう設定があるんだろうな」と思うだけだった。

 そうでもなければ、国によって違いくらいはあるはずだ。


(それにしても……)


 アイザックは祖母を見る。

 すると、もう六十前の祖母が制服を着ている姿を想像してしまった。

 想像力豊かな自分を恨むが、想像してしまってからではもう遅い。

 そっと視線を逸らす。


「アイザック」

「なんでしょう?」

「私にも若い頃があったのよ」


 マーガレットは微笑んではいるが、その笑みの裏にはどす黒いものが見え隠れしている。

 今は年を取ったとはいえ、自分に向けられる視線は気にしてしまうもの。

 彼女はアイザックが視線を逸らした意味を敏感に感じ取っていた。

「目は口ほどに物を言う」という言葉もあるくらい、人の目というものは多くを語る。

 アイザックは目で多くを語ってしまっていた。


「……すみませんでした」


 アイザックは素直に謝る。

 意地を張るようなところではないからだ。


「わかってくれればいいのよ。でも、これからは女性への対応を教えていった方がよさそうね」

「お手柔らかにお願いします」


 これからアイザックは、王都の屋敷から学校に通う事になる。

 マーガレットやモーガンと一緒に暮らす事になるのだ。

 当然、色々と教えようとしてくるだろうから、今までよりも忙しい毎日になるだろう。

 何となく、孫と一緒に暮らせる事をマーガレットが喜んでいるようにも見える。


「せっかくなので、ケンドラにも見せてきますね」


 アイザックは、ケンドラを理由にこの場を離れる。

 マーガレットはアイザックと暮らせる事を喜んでいるだけなのだが、先ほどの視線の件があったせいで「どう教育してやろう」と、スパルタ教育を考えて楽しんでいるように見えたからだ。

 まだまだ彼女と「正面切って戦ってやろう」と思えるほどの自信がアイザックにはなかったので、今は逃げの一手を打つしかなかった。




「おにいちゃん、かっこいい」

「ありがとう、ケンドラはいつも可愛いよ」


 テレサと遊んでいたケンドラを抱き上げ、頬ずりをする。

 どこか怖さを感じる祖母よりも、無条件で可愛がれる妹の方がずっと可愛い。

 だが、こうしていられるのももう少しだけだ。

 ケンドラは両親と共にウェルロッドに帰っていってしまう。

 その事は非常に残念である。


「へぇ、それが男の子の制服なんだ」


 普段とは違う服装が珍しいのだろう。

 ケンドラと――というよりはテレサと――遊んでいたブリジットが興味深そうにアイザックの全身を眺める。


「そうですよ。リサも懐かしいんじゃないの?」

「そうですね……」


 リサの表情は暗い。

 学生服は彼女のトラウマを刺激してしまったらしい。

「学生時代にちゃんと相手を見つけていれば、今頃は……」という心の声が聞こえてきそうな表情をしていた。

 その表情を見て、アイザックは今まで考えていた事の答えを出す事に決めた。


「リサってさ、恋人とかいる?」

「い、いません」


 彼女は悔しそうだった。

 この質問は、恋人ができずに悩んでいるリサによく効く。

 アイザックも男の気配がない事がわかっていたので、念の為に聞いた事だ。

 その事で彼女を馬鹿にしたりするつもりはない。

 むしろ、その逆。

 救いの手を差し伸べるつもりだった。


「それじゃあさ、あと数年待てる?」

「……それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ」


 ここまで言って、アイザックは後悔する。

 会話を切り出したが、こういう時にどう話せばいいのかがわからずに頭の中が真っ白になってしまった。

 喉もカラカラに乾き、胸の動悸が早くなるのがよくわかった。


「絶対という約束はできない。将来、僕と結婚する人がダメだというのなら無理だけど……。もし、第二夫人、第三夫人を娶ってもいいというのなら、リサを迎えたいんだ」

「ええっ! でも、そんな事。なんで!」


 リサが慌てふためく。

 突然の告白に思考がついていけていない。

 今になって、なぜそんな事を言い出したのかが見当もつかないのだ。

 まずは理由を知りたがった。


「……戦争に行った時さ、実は死に掛けたんだ。死の間際に思い出したのは家族と……リサの事だった。いつもリサは僕のそばにいてくれた。辛い時もね。きっと、これから先は敵が増えると思うんだ。だから、僕のそばにリサがいてくれると心強い。これからは乳姉弟やケンドラの乳母ではなく、一人の女性としてそばにいてほしいんだ」


 アイザックは勇気を振り絞って最後まで言った。

 言っていないのは、パメラの事くらいだ。

 この告白に、リサは露骨なまでに動揺する。

 腹の前で手をモジモジとさせ、視線を動かし続けていた。


「で、でも、アイザック様が卒業する頃には私はおばさんになってます」

「気にしないよ。十八歳と二十三歳と考えると年が離れているように思えるけど、五十歳と五十五歳になったら五歳差なんて誤差でしかない」

「でも……、私は……」


 頬を染めて動揺するリサの姿を見て、アイザックはクスリと笑う。


「僕に婚約を迫ってきた人と同じ人だとは思えない」

「それは忘れてください!」


 リサは黒歴史に触れられたせいで大きな声を出す。

 それが恥ずかしかったのだろう。

 顔中真っ赤にして俯いた。


「今言ったように、将来結婚する人が第二夫人とかを認めてくれるかどうかが重要だ。だから、今すぐに答えは求めない。これからの三年間で誰か良い人を見つける事ができたのなら、それはそれでいい。でも、三年後。特定の人が決まっていなくて、僕が第二夫人とかを持てるとしたら……。その時は答えが欲しい」


 これはアイザックなりに出した答えだ。

 リサにそばにいてほしいが、いつまでもケンドラの乳母役というわけにはいかない。

 だが、パメラの事がどうなるかわからないので、ただキープしておいて三年間を無駄にさせるわけにもいかない。


 ――だから、自分がキープされる側に回る事にした。


 ニコルの時とは違い、自分の意思でキープされるのなら悪い気はしない。

 婚約者が決まらなかった時の逃げ道でいい。

 リサをそばにおいておく選択肢を用意しておきたかった。

 本当はもう一、二年してから言うつもりだったが、その場のテンションで行動してしまった。

 ここで「ごめんなさい」と、あっさり断られたら絶対に後悔する。

 すでに「言うんじゃなかった」と後悔し始めていた。


「今すぐに……、というのでないのは助かります。考える時間を与えてくださってありがとうございます」

「うん、さすがに第一夫人が誰になるのかわからない状況で、こんな話をするのもどうかとは思ったんだけどね」


 アイザックはハハハと乾いた笑い声をあげる。

 言ってしまってから気付いた事だが、こういう告白を言ってしまうと相手の顔をまともに見られなくなってしまう。


(やっぱり、感情で行動したらロクな事にならねぇや)


 頭を掻いたりして、気まずい雰囲気が何とかならないだろうかと考える。

 だが、気まずい雰囲気なのは二人だけではなかった。

 目の前でとんでもない告白現場を見せつけられ、ブリジットはポカンと口を開けて二人の姿を眺めていた。


 ――ずっと子供だと思っていたアイザックとリサが、将来について語る。


 ブリジットはその現場を見て、人間とエルフの成長速度の違いを実感する。

 それと同時に、子供の頃から見ていたアイザックとリサの間に自分が入れない事の寂しさを感じさせられていた。

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