第228話 新たな関係
家族が帰ってきたのは翌日の朝。
そのため、アイザックはすぐに相談する事ができなかった。
仕方がないので、今やれる事をやっておく。
まずはベンジャミンに指示を出した。
以前、話した事のあるラセット商会など王都に拠点を置く商会から代表者を呼び出すつもりだった。
なぜノーマンでないのかというと、彼は酔い潰れていたからだ。
アイザックが未成年者なので、戦勝パーティーでは先に帰らされる事になった。
だから、ノーマンを名代として会場に残してきた。
「公爵になったアイザックの代わり」という事もあるので、醜態を晒さないよう酒は控えめにしようとしていたが、周囲に勧められてしまい断れなかった。
今日は使い物にならなさそうなので、ベンジャミンに頼むしかなかったというのもある。
この呼び出しの手紙に、初めて公爵家の印章を使った。
名前のサインの横に一押し。
手紙の封をする封蝋として一押し。
「せっかく貰ったのだから使ってみたい」という気持ちもあったので、早速使ってみる事にした。
その効果は絶大だった。
「重要な話ができる者を屋敷に来させるように」と頼んだのに、ラセット商会のケント会長など各商会長が直々に来てしまった。
アイザックは、公爵家の威光を実感する。
「エンフィールド公爵、この度はおめでとうございます。無事にお帰りになられました事、心よりお喜び申し上げます。申し訳ございませんが、お祝いの品は準備が整い次第お贈りさせていただきます」
「ありがとうございます。……実はお願いがあってお呼びしたんですよ」
――アイザックからのお願い。
それは商人達の体を強張らせるのに十分な言葉だった。
どんなお願いをされるのか不安だからだ。
だが、アイザックも難しい事を頼むつもりはなかった。
「実は寄付を集めてほしいんです」
「寄付、ですか?」
商人達は顔を見合わせる。
アイザックの要求にしては普通過ぎる内容だったからだ。
「今回の戦争では多くの軍を動員しましたが、同盟国の防衛戦争という事もあり収入が全然ありませんでした。そこで、ファーティル王国を守り、これからもリード王国内で安全に商売をできるお礼として
「なるほど」
アイザックの要求はわかりやすい。
面子があるから「金がないからよこせ」とは言えないので、自主的に金を出せと言っているだけだ。
「戦争後は貴族達の財布の紐が固くなった」と感じていた彼らは、アイザックの要求をよく理解できた。
「かしこまりました。では、寄付金を出さなかった者達のリストなどもご用意致しましょうか?」
「いえ、その必要はありません。ただ、できれば寄付してくれた方々の名前と金額をリストアップしておいていただけると助かります」
アイザックの発言により、商人達は「アイザックが優しくなった」という噂を信じ始める。
寄付した者だけをリストアップしても、消去法で寄付しなかった者はわかる。
だが、あえて寄付した者をリストにするという事は、寄付しなかった者に罰則を与えるのではなく、寄付した者にいつか見返りを与えるという意図が透けて見える。
それだけで自主的に寄付をしようという気にさせられた。
「ウェルロッド侯爵家はドワーフとの交易で余裕があるので、他の出兵した家を中心に寄付をしてください。ウェルロッド侯には僕から説明しておきます」
「かしこまりました!」
――私利私欲ではなく、一時的に困窮しているであろう他家のために商人に金をせびる。
金を要求された方は面白くないが、恐怖を与えるばかりだったアイザックの印象が変わる出来事でもある。
アイザックの歓心を買う投資と思えば、ここでの寄付金は痛くない。
将来の投資のため、積極的に他の商会にも寄付をするよう説得しようという気にさせられた。
だが、当然の事ながらアイザックは他家を心配して寄付を出させるわけではない。
王家からの報奨金は少々物足りないものだった。
アイザックが働きかけて商人達から寄付をさせれば、きっと貴族達はアイザックに感謝するだろう。
その事は、ランカスター伯爵がアイザックから金を借りた事からも窺い知れる。
これは公爵になってから初めて行動する未来への第一歩だった。
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家族が酔いから復活したのは、夕方になった頃だった。
そこでアイザックは、リサの件で頼りになりそうな相手に相談しようとする。
――相手はマーガレット。
家庭内の事を仕切っており、貴族社会の事もよく知っている。
経験と知識があるという事で、相談する相手に祖母を選んだ。
彼女の部屋を訪れると、まだ酒が完全に抜けていなくて辛そうだったが、アイザックを快く迎え入れてくれた。
「実は相談があるんですが、少しよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。でも、あなたの質問に上手く答えられるかはわからないわよ」
マーガレットの言葉は本心だ。
彼女の中には「実力で公爵にまで登り詰めたアイザックに自分が何を答えられるのか」という心配があった。
しかし、アイザックには誰かに相談したい事があり、それを聞いてやるだけでもアイザックの気持ちが楽になるだろうと思って聞く事にした。
「実はリサお姉……、リサの事です。『乳姉弟としての立場に甘えていた。もうお姉ちゃんとは呼ばないでくれ』というような事を言われてしまいました。僕が公爵になった事で、距離を感じる関係になってしまったようです。他の使用人と同じようにリサと呼び捨てにしろと……元通り仲良くやっていけるような方法はないでしょうか?」
アイザックが相談したいという内容を聞き、マーガレットは合点がいった。
「そう、ようやく立場の違いを理解したという事ね」
「……気付いていらしたんですね」
マーガレットの返事を聞き、アイザックは「リサに馴れ馴れしい話し方を許していた」事を気付かれていたと悟った。
彼女はクスクスと笑う。
「ケンドラとローランドの婚約の話をした時にね。あなたを説得するためだったし、いきなり引き離すような真似は可哀想だと思っていたから黙認していたのよ」
リサはアイザックにとって乳姉弟というだけではなく、貴重な幼馴染でもある。
パトリックに続き、リサまで遠ざかってしまっては寂しいという気持ちもわかる。
――そして、その原因が自分にある事もマーガレットはわかっていた。
本来ならば、幼い頃からアイザックにも男友達がいてもおかしくなかった。
だが、自分がネイサンを推していたため、アイザックの友達は少なく、女友達ばかり。
そんな状況でリサを急に使用人として扱うのは抵抗があるだろうという事は想像に難くない。
マーガレットは「人前でなければ」と、アイザックが寂しがらないようにリサと今まで通りの話し方をするのを許していた。
「そういう風に立場の違いを理解する日はいつか来るはずだったのよ。公爵でなくとも、あなたはいつかウェルロッド侯爵家を継ぐ存在。明確な立場の違いがあるのだもの。いつまでも子供のままではいられないわ」
「わかっています。わかっていますが……、そこをなんとかできるような方法はありませんか?」
アイザックも立場の違いは理解しているつもりだ。
でも、簡単に諦められないからこうして相談に来ている。
諦めのいい性格だったら、パメラの事だってすでに忘れているはずだ。
アイザックの頼みに、マーガレットは一つの答えを提示する。
「子供のままでいられないのなら、大人になればいいのです」
「その大人の関係が嫌だから、お婆様に相談しているのですよ」
「そういう意味の関係ではありません」
マーガレットは真剣な面持ちをする。
「あなたは使用人と同じように『リサ』と呼ぶのが嫌なのでしょう? ならば
「違う意味ですか?」
祖母の言葉の真意がわからず、アイザックは首をかしげる。
その姿を見て、マーガレットの頬がほころんだ。
「あなたにもわからない事があるのですね。人の名前を呼ぶだけ。でも、その意味は状況によって大きく変わるという事はわかっているのでしょう? だから、リサもケンドラの乳母という使用人ではなく、違う呼び方をできる新しい関係になればいいのです」
「新しい関係ですか……」
そうは言われてもピンと来ない。
そもそも、どういう関係になっていけばいいのかわからないので理解する事ができなかった。
アイザックの様子を見て、マーガレットは「仕方ないわね」とハッキリと教える事にする。
「例えば、リサを妾にするとかね」
「えっ! なんで、そんな事になるんですか!」
マーガレットの発言に、アイザックは目を大きく見開いて驚く。
突飛な発想を聞き、信じられないという目で祖母を見つめていた。
アイザックとは対照的に、マーガレットは落ち着いた態度を取っている。
「リサと呼ぶにしても、使用人と妾に対するものでは意味合いが違うでしょう?
「ですが、さすがに妾にするのは……」
この世界において妾というのは珍しくはないが、あまり推奨されるものでもない。
自分のためにリサを不遇の立場に置くのは気が引ける思いだった。
「なら、婚約者にする? 第一夫人にするのは無理でしょうけど、第二夫人、第三夫人でなら大丈夫でしょう。あなたもリサは可愛いと言っていたから問題はないでしょう」
マーガレットが最初に「妾にしたらどうか?」と持ち出したのは「第二夫人」という話を受け入れやすくするためだった。
これは別に「リサがアイザックと結婚したがっていたから配慮した」わけではない。
アイザックの事を心配しての配慮だ。
アイザックは、いまだに婚約者が決まる気配がない。
このまま将来未婚のままでは、アイザックの子供が生まれないという状況になってしまうかもしれない。
とりあえずアイザックが嫌っていないリサをあてがい「結婚相手がいる」という保険を確保しておきたかった。
その点、リサは好都合の相手だった。
アイザックを怖がっておらず、仲がいい。
しかも、自分の立場を理解しているようなので、第一夫人を立てて自己主張をしたりしないはず。
アイザックもリサを無理に第一夫人にしようとは思わないだろう。
ルシアとメリンダのような歪な関係にはならないはずだ。
マーガレットにとっても、自分を蔑ろにしない者がアイザックの嫁になってくれた方がいい。
そういった考えがあったので、リサをアイザックの夫人候補に推す事にした。
「しかし、本人の意思がどうなのかも重要になってくるのでは?」
「何を言っているの。あの子はあなたに言い寄ったじゃない。十分に意思はあるはずよ。あとはあなたがどう思うか次第ね」
アイザックに最後の選択を委ねられた。
だが、このような状況になっても、アイザックは決められずにいた。
「ですが、将来第一夫人になる人に『婚約前から第二夫人を用意している』と嫌われたりしないか心配です」
「……第一夫人の相手は誰を想定しているの?」
マーガレットは笑みを浮かべたままだが、その目は冷え切っていた。
ここで「パメラです」と言おうものなら、どんな反応をされるかわからない。
そこでアイザックは、無難な答えを口にする。
「派閥のバランスなどもあるでしょうが、アマンダさんあたりかなぁとは思っています」
爵位の関係上、可能性が一番高いアマンダの名を挙げる。
好みとしてはジュディスやジャネットの方がいいが、彼女らは婚約者がいる。
だから、今はまだその名を挙げる事はできなかった。
この答えに納得したのか、マーガレットの視線が和らいだ。
「そう、なら大丈夫よ。彼女も侯爵家の娘ですもの。公爵位を授かったあなたが妻を何人か持つ可能性くらい考えているわよ」
マーガレットの言葉は、ハーレム状態を望んでいたアイザックの背中を押してくれるものだった。
しかし、子供の頃とは状況が違う。
他の者達も、この世界で生きていて感情を持っている人間だと理解してしまった。
他の女に目を向けられるのは、やはり面白くないはずだ。
その事が心のどこかで引っ掛かり、アイザックに「じゃあ、リサを第二夫人にする!」と即答させてくれなかった。
「今すぐに決めなくていいのよ。リサと仲良くしたい。使用人として扱いたくないというのなら、そういう選択肢もあるという事だけを頭に入れておきなさい。あなたなら時間が経てば他にいい方法を考え付くかもしれませんからね」
「はい、慌てて行動するような事のないよう気を付けます」
これは「リサを第二夫人にしてもいい」と言われて、すぐに答えを出せるような問題ではない。
今は新しい関係を築くという選択肢ができた事で、未来に展望を持てた事を喜ぶべきだろう。
――雇い主と使用人という壁を感じる関係でいるよりはずっといい。
アイザックは、少しだけそのように考え始めていた。
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