第185話 味覚の違い

 戦技教官としてのマットは優秀だった。

 だが、優秀だからといって受け入れられるわけではない。

 その理由は、彼が実戦的な技術を使うからだ。


 例えば鍔迫り合いになった時、マットは相手の膝を踏み砕く動作をする。

 そういう足癖の悪さが騎士達の受けが悪かった。

 騎士と傭兵では戦い方が異なる。

 騎士は傭兵と違って、どんな手を使ってでも勝てばいいというものではない。

「戦場であっても誇りを持って戦う」という信念を持っているからだ。


 アイザックはこういう考え方を「時代遅れだな」と思っていたが、それはアイザックが前世の記憶を持っているからだ。 

 この世界の常識で考えれば、彼らの考え方は間違っていない。

 騎士でありながらマットの考えを受け入れられる方が異端なのだ。

 しかし「教官として不必要であり、教えを乞う必要などない」とは思われていない。

 自分では傭兵流の戦い方をしたくはないが、敵として正対した時に対応する練習にはなる。

 マットのような者と模擬戦をするだけでも、十分に勉強になっていた。


 そんな彼の戦い方を積極的に身に着けようとしているのは、トミーと一般兵くらいだった。

 トミーはアイザックの護衛として「戦い方にこだわるよりも、護衛対象を守れる力を身に着ける方が優先だ」と考えていた。

 一般兵は、名誉などよりも戦場で生き残れる力を身に着けたいと考えている。

 あわよくば手柄を立てられるかもしれないという思いもある。

 戦場で生き残ってきた男の戦い方に、兵士達は興味津々だった。

 騎士達も正々堂々と戦って勝てるよう、さらに剣技を磨く。

 戦闘経験豊富なマットの存在は、騎士や兵士達にいい刺激を与えていた。



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 六月に入ると、クロードとブリジットが村から戻ってきた。

 この頃になると、ドワーフの街に行くための用意も終わっていた。

 手土産は酒をメインにしている。

 ジークハルトも来るようなので、彼には新商品のアイデアをお土産にするつもりだった。


(今回のアイデアは大奮発だ。せめて、火薬の販売だけは認めてもらいたいな)


 アイデアをいくつか考えた中、もっとも有用なものを選んだ。

 それを実現できるかどうかはドワーフの技術次第だが、そのアイデアにしばらく掛かり切りになるだろう。

 新しいアイデアを絞り出すまでの時間も稼げる。


(問題は、アイデアを渡し続けるとドワーフとの技術格差が開くって事だな。けど、俺は五年後に備える事で精一杯だ。その先までは考える余裕がない)


 ――ドワーフにアイデアを渡して開発してもらう。


 その事自体は問題はない。

 問題はその先、人間とドワーフの技術レベルの差が開く事だ。

 あまりにも技術レベルが開き過ぎると、進んだ技術を使ってドワーフが人間の国を植民地にしようと考えたりするかもしれない。

 友好的な関係だからといっても、地力の差が開き過ぎると無駄に野心をくすぐる事になるかもしれない。

 だが、それは今後の課題だ。

 今は目先の事しか考えられない。


(そう、俺は目の前の事しか考えられない。弱い人間だ……)


 アイザックは、ブリジットがお土産にくれたきなこ饅頭を一口食べる。

 彼女の母であるコレットが作ってくれたものだ。

 きなこで口の中がパサパサとする感覚。

 だが、懐かしい味だ。

 ブリジットがウェルロッドに来る際に、コレットがお土産として手渡してくれたらしい。

 このきなこ饅頭のせいで、これから先の事など考えられなかった。

 今は味を楽しむ事で精一杯だった。


「本当、あんたって変わってるわよね。そんなに美味しい?」

「美味しいですよ。お嫁さんにするなら、こういう物を作れる人がいいですね」


 ブリジットに怪訝な表情をされるものの、今度はヨモギ饅頭に手を伸ばす。


「わかんないなぁ。どう考えても、アレクシスさんの作るお菓子の方が美味しいじゃない。あの人の作る生クリームだったら、いくらでも舐め続けられるわ」


 ブリジットは菓子職人の作るお菓子を思い浮かべ、恍惚とした表情を浮かべる。


「アイザックには、こういう物の方が珍しいんだろう。いつも食べている物とは違う物だから美味しく感じるんだ」

「えー、信じらんない。贅沢に慣れるっていうのも可哀想なもんなのね」


 クロードとブリジットの話を聞いていると、アイザックの頭に疑問が浮かび上がる。


「でも、饅頭って美味しいですよね? 美味しさの方向性が違うっていうだけで」


 アイザックの素朴な疑問。

 この質問に二人が答える。


「普通、というところかな」

「アレクシスさんの作るお菓子の方が断然美味しいわよ」

「二人の方こそ、いつも食べている物と違う物を食べるから美味しく感じているだけじゃないんですか?」


 二人の答えを聞き、アイザックはそのように思った。

 しかし、二人とも首をかしげるばかりだった。


「チョコレートの方がずっと美味しいぞ。比べ物にならないくらいにな」

「村で育てたり、森で採れる物を使っているだけだし。砂糖をふんだんに使ったお菓子の方が美味しいに決まってるじゃない」

「では……、あったら食べるけど、他にお菓子があったらそっちを食べるっていう程度の物ですか?」

「そうだ」

「そうね」


 クロードとブリジットの答えに、アイザックは目を見開いて驚いた。

 まさかエルフの口から「あまり好きではない」という答えを聞かされるとは思わなかったからだ。

 ここでアイザックは、もう一つ質問する。


「そ、それじゃあ、醤油とか味噌はどうなんですか?」

「嫌いではないが、屋敷で出されるソースの方が美味しいな」

「デミグラスソースとかグレイビーソースね。あれは私も好き!」


 予想外の二人の答え。

 これにはアイザックも困惑する。


「でも、お二人はエルフですよね?」

「エルフだからって、醤油や味噌が好きなわけじゃないわよ」

「俺は両親が醤油を使った料理を食べていたから慣れているが……。料理の味は人間の料理の方が上だと思う。だから、人間の国では醤油や味噌は普及してなかっただろう?」

「あっ! 言われてみれば……」


 クロードに言われて、アイザックはようやく気付いた。

 二百年前まで人間はエルフ達と一緒に暮らしていた。

 醤油や味噌を美味しいと思う者が多ければ、人間も作り方を聞いて製造していたはずだ。

 だが、アイザックは醤油や味噌が、人間の国で作られているとは聞いた事がない。

 この世界の人間には、受け入れられなかったのだろう。


「爺様のように人間の食事に傾倒する者は多い。そんな中で親父達は食文化を守ろうとしている。人間と関わろうとしないのは、人間の料理に傾倒するエルフが出てほしくないという思いもあるからだろう。現にブリジットは人間の料理にハマっているようだしな」

「だって、美味しいものが嫌いな人はいないでしょう?」


 そう言って、ブリジットはこの日一番の良い笑顔を浮かべる。

 正反対に、アイザックの表情は暗く沈み込んだ。


(それじゃあ、日本料理を美味しいと思える人間は俺だけって事か? そんな……)


 醤油や味噌を製造するエルフですら、特別美味しいと思ったりはしていないらしい。

 二人の様子を見る限り、レオナールやメラニーといった者達も「文化を守る」という目的が強そうだ。

「絶品だから」という理由で作っているわけではないかもしれない。


(そういえば、他のみんなも出されたご飯を美味しそうに食べてはいたけど、あれは礼儀だとか物珍しさで美味しそうに食べていただけなのかも……)


 自分が美味しく食べられるのは、前世の記憶が色濃く残っているからかもしれない。


 ――自分はこの世界における異物。


 たかが食べ物の事かもしれないが、アイザックはその事を再認識させられた。


「そう落ち込むな。食べ物の好みが人と違う事くらい、どうだっていいだろう」

「そうよ。食べ物の好みなんて気にならないくらい、あんたは十分変わり者よ。――痛っ」


 落ち込むアイザックを見て、二人が慰める。

 だが、ブリジットは言い過ぎたのでクロードに後頭部を平手で叩かれてしまう。


「まぁ、別にいいで……。良くなかった!」


 この一ヵ月ほど、アイザックは「エルフ料理の勉強」と称して、自分で醤油味のチャーハンを作ったりしていた。

 周囲に「えっ、何やってるの、こいつ?」と思われていたに違いない。


(そういえば、焼き魚に醤油をかけて食べてた時、家族が何かもの言いたげな目をしていた気がする)


 この世界における醤油や味噌の扱いを勉強しておくべきだった。

 きっと「マイナーな調味料好きの変わり者」として、生暖かい視線で見守られていたのだと気付き、アイザックは頭を抱えて恥ずかしさで悶え苦しむ。


「アイザック、気にするな。お袋なんか『あれだけ美味しそうに食べてくれるなら、お義父様なんかに料理を作るより作り甲斐があるわ』って喜んでいたぞ」

「そういってくれていたんなら嬉しいけど……。それはそれで、マチアスさんの扱いが心配になっちゃう」

「主義主張が違うし、何よりあの性格だからな。今更だ」


 クロードがおどけるように言って笑うと、アイザックも笑顔を浮かべた。

 しかし、心の中ではどこか切なさを感じていた。


(パメラならわかってくれそうな気がするけど……。食べさせられないだろうな)


 ――魂が引かれ合うような感覚を覚えた特別な相手。 


 アイザックは直感的に「彼女なら同じように醤油や味噌の味を美味しく思ってもらえるかもしれない」と感じていた。

 だが、実際は違うかもしれない。

「こんなものを美味しいと思っているのか」と思われたらどうしようと考えると、食べさせてみて反応を見ようという勇気を持てない。

 チャレンジするのはいいが、万が一にもそれで嫌われたりしたら困る。

 自分のささやかな楽しみとして、ひっそりと食べるくらいに留めておくのが良さそうに思えた。


(いや、一人いた! あいつになら嫌われてもいいし、ちょっと試してみるか)


 アイザックが思い出したのは、ニコルの事だった。

 彼女も一応は特別な何かを感じた相手である。

 もしかしたら、自分と同じように醤油や味噌の味が好きな可能性がある。

 パメラの前に実験台として、醤油を分けてやってもいいかもしれない。

 来て欲しくないと思っていても、どうせニコルはアイザックに会いにやって来るだろう。

 その時、少しプレゼントしてやればいい。


 醤油を気に入らなくてアイザックを嫌うなら良し。

 喜んで受け取るようなら、自分以外にも醤油好きがいるとわかるので良し。

 どちらに転んでも、アイザックには損にはならない結果となる。


(ニコルでも役に立つ事があるんだな)


 そう思ったアイザックの顔に自然と笑みが浮かぶ。

 その笑顔を見て、クロードとブリジットは「アイザックの表情が明るくなった」と顔をほころばせた。

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