第176話 ケンドラの婚約者

 三月下旬。

 王立学院の卒業式が行われた。

 リサ達も卒業し、学生ではなくなる。

 その一つの節目となる日に、トミーとジュリアが訪ねてきていた。


「卒業おめでとうござい――。いや、卒業おめでとう。トミー、ジュリア。これから新しい生活だね」


 そう、これからは彼らも一人の大人として扱われ始める。

 トミーはアイザックの部下となり、ジュリアは部下の妻。

 対応も今までとは違ったものとなる。

 その事を二人とも理解しているので、アイザックの言葉を当然のものだと受け止めていた。


「ありがとうございます。働き出すのはウェルロッドに帰り、新生活の準備が終わってからとなります。全身全霊を傾けてお仕えさせていただきます」

「私はトミーが働きやすいよう、全力で支えていきます」

「期待してるよ。でも、最初から頑張り過ぎて息切れしないようにね」


 やる気があるのは嬉しいが、アイザックはやんわりと注意する。

 最初の一ヵ月を必死に頑張って、力尽きて五月病。

 そんな事になられては、アイザックも困る。

 最初はほどほどに頑張ってほしかった。


「はい、息切れしないよう頑張ります!」


 しかし、トミーはやる気満々だ。

 その姿に、前世で自分が働き始める前の姿を重ね合わせる。

 働き出すまでは自分もやる気に満ち溢れていた。

 それに、勢い込んでいる若者に「加減をしろ」というのは難しいだろう。

 実際に働きながら覚えていってもらうしかなかった。


(いや、そうでもないか)


 アイザックはジュリアを見る。

 彼女は十分に魅力的な女性だ。

 二人は結婚に反対されるという困難も乗り越えてきた。

 そうなると、夫婦の新婚生活でお互いに強く求め合うのは想像に難くない。

 夜の生活でトミーの体力を削ぎ落としてくれるだろう。


(でも、それはそれで困るな。護衛が力尽きていたら俺が危険だ)


「ジュリア、トミーが頑張り過ぎないように注意してあげるように」


(特に夜の方は)


「はい。どこまでできるかわかりませんが、頑張ります」


 アイザックが下品な事を考えているとは知らないジュリアは、アイザックに「夫を支える献身的な妻を目指せ」と言われていると受け取った。

 その純真な姿がアイザックの目に眩しく映り、少し罪悪感を覚えてしまう。


「そういえば、住むところは決まったの?」


 これは気になるところだった。

 トミーはオルコット男爵家の三男坊。

 長男のノーマンとは違い、結婚すれば家を出ていかなくてはならない。

 住居を用意してやる必要もあるかもしれないので、聞いておかねばならない事だった。


「ブラーク商会が用意してくれましたので、新居はお屋敷に近いところに決まりました」

「ブラーク商会? あぁ、そうか」


 アイザックは、この世界が賄賂に寛容だったという事を思い出した。

 賄賂は物事をスムーズに進めるための潤滑油である。

 だが、ブラーク商会は過去のいざこざがあるので、アイザック相手の接触を最小限にしている。

 擦り寄る代わりに、グレイ商会のサポートなど裏方仕事を全力で行い、アイザックのご機嫌取りを行っていた。


 トミーの家を用意したというのは、アイザックのご機嫌取りの一環だろう。

 どこからか彼がアイザックの護衛騎士になると聞き、すぐに取り入ろうとしたのだろう。

 腐ってもお抱え商人だけあって行動が早い。


「物品を受け取るのはいいけれど、恩義に感じて身動き取れなくなるっていう本末転倒な事にはならないようにね」

「もちろんです。彼らに恩義を感じるなど……。僕達が恩義を感じるのはアイザック様だけです」


 アイザックが釘を刺す必要はなかったようだ。

 トミー達も、ブラーク商会がアイザックのご機嫌取りをしたいだけだという事を理解しているようだ。

 利用できるものは利用しておけと考えているのだろう。

 家をもらっても、特に気にしている様子はなかった。

 彼らも貴族の端くれ。

 その辺りの計算はできる。


(もし、俺が前世で家を貰えると聞いたら喜びのあまり裸踊りくらいしてただろうな。貴族だから賄賂を受け取って当然と思っているにしても凄ぇよ)


 家を一軒貰っても気にする素振りのない目の前にいる十八歳の若者。

 その堂々とした姿に、アイザックは頼もしさを感じた。

 いざ実戦という時にも、その姿を期待したいものだ。


「とりあえず、服や家具を買わないといけないだろうから、支度金を渡しておくよ。ノーマンにはあげなかったから内緒ね」

「えっ、はぁ……」


 トミーとジュリアの視線がノーマン・・・・に向けられる。

 支度金を渡しているのが、ノーマンその人だったからだ。


「気にしないでいいよ。長男と三男じゃあ、実家の支援が大違いだからね」


 ノーマンが笑う。

 これからトミーとは同僚になる。

 そんな相手に嫉妬を剥き出しにしたりはしない。


「その分、秘書官としての役得があるもんね」

「まぁ、無きにしも非ずといったところでしょうか」


 またノーマンが笑う。

 今度の笑いは、話を誤魔化すような笑いだった。

 アイザックに取り次ぎを頼む者から、袖の下をそれなりに受け取っているのだろう。

 これも有力者の秘書官の旨みである。

 おかしな事をし始めたら処罰はするが、今のところは問題がないのでアイザックも深く聞いたりはしなかった。


「トミーには騎士の一人として訓練を受けてもらう事になると思う。護衛として働けるようになる日を待っているよ」

「ハッ」


 トミーが返事をして頭を下げる。

 アイザックは満足そうにうなずくと、気になっていた事をジュリアに尋ねた。


「ところで、リサお姉ちゃんは来ないの?」


 その質問にジュリアは視線を泳がせた。

 だが、アイザックの質問に答えないわけにはいかない。

 しばし逡巡したあと、口を開いた。


「ウェルロッドに帰る前に最後の足掻きと言いますか……。悔いの残らないよう、王都にいる間にやっておきたい事があるようです。私達の事を助けてくれたので、なんとかしてあげたいんですけど……」

「あぁ、そういう事……」


 ジュリアは明言を避けたが、何を言っているのかはよくわかった。


(まだ婚約者探ししてるんだなぁ……)


 ウェルロッドに帰れば、ケンドラの乳母役を任される事になる。

 そうなると出会いのきっかけが激減してしまう。

 働く前の今のうちに相手を探そうと必死なのだろう。

 だが、必死になれば必死になるほど相手は見つからないだろうなと、アイザックは思っていた。


 必死になれば「男なら誰でもいいんだな」と思われてしまう。

 それでもいいという者もいるだろうが、そんな男はリサが敬遠してしまうだろう。

 そうなると「選り好みする女だ」と思われて、余計に男に避けられてしまう。

 きっと今頃は、負のスパイラルの真っ最中。

 一度足を踏み外しただけで、こんな悲劇になるとはアイザックも思わなかった。

 入学時の余裕のある女っぷりはどこに行ってしまったのだろう。


「リサお姉ちゃんの事はこちらで考えるから、トミーが働き始めるまでの束の間の時間を二人でゆっくり過ごすといい」

「はい」


 二人は卒業の挨拶に来ただけだ。

 今後の事に関しては、働き始めてから話し合えばいい。

 就職前に、心置きなくイチャついておけばいいのだ。

 アイザックは自分で配慮してやったのにもかかわらず「俺にはイチャつく相手がいないのに」と、少し嫉妬を覚えていた。



 ----------



 四月に入り、王立学院の入学式も終わった。

 これで地方貴族達が王都に残る理由もなくなった。

 そのため帰り支度をし始めた頃、リサが屋敷を訪れた。

 アイザックがケンドラの部屋へリサに会いに行くと、婚約者探しの結果を聞くまでもないほど肩を落としていた。


「あー、うん。リサお姉ちゃん、お疲れ様。引継ぎは終わった?」

「アイザック……様。マーサさんから引継ぎは終わりました」


 マーサは王都に家族と住んでいる。

 家の事もあるので、ウェルロッドには連れていけなかった。

 ケンドラの世話はリサが引き継ぐので、今年でお役御免となる。


「これからケンドラの事をよろしくね」

「はい、頑張ります」


 リサの返事には力がない。

 ギリギリまで粘って婚約者が見つからなかったので仕方ない事だとは思うが、それでケンドラの世話ができるのか心配だった。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」


 ケンドラにすら心配される始末である。

 アイザックは先行きに不安を感じていた。


「大丈夫よ。でも、私の困っている事はお兄様が助けてくれるとすぐに解決するの」

「おにーちゃんが? おにーちゃん、おねーちゃんをたすけて」


 リサが目をウルウルとさせてアイザックを見る。

 そんな彼女に、アイザックは引いていた。


「リサお姉ちゃん。さすがにケンドラを使うのはちょっと……」

「うん、私も言ってから後悔した」


 この時ばかりは、リサも言葉遣いが戻っていた。


「余裕がなくなると嫌ね」


 リサは自嘲気味に笑う。

 まだ三つの女の子を利用してまで、将来アイザックに引き取ってもらおうとした自分の行為が恥ずかしいからだ。

 そして何よりも、そんな状況になった自分の馬鹿さ加減を笑うしかなかった。

 リサは顔を引き締め、一度深呼吸する。


「アイザック様、ちょうど良かったです。大旦那様がケンドラ様を交えて家族会議を開かれるそうです。食堂にお越しください」


 アイザックがケンドラの部屋に来たせいで、使用人とすれ違いにでもなったのだろう。


「そうなの? わかった。一緒に行こうか」


 アイザックがケンドラに差し伸べる。

 ケンドラはその手を取った。

 彼女はリサにもう片方の手を伸ばした。


 右手にアイザック、左手にリサ。

 そして、真ん中にはケンドラ。

 アイザックの成長が早い事もあり、廊下を歩く姿はまるで仲の良い若夫婦とその娘のようだった。



 ----------



 アイザック達が食堂に着いた時には、すでに家族が揃っていた。


「遅れて申し訳ございません」


 リサが謝る。

 アイザックと話をしていた分だけ長く待たせてしまったからだ。

 だが、モーガンは気にするなと身振りで示す。


「かまわん、今集まったところだ。アイザック、そこに座りなさい」


 アイザックが席に着こうとすると、なぜか両親の間の席に座るように言われた。

 不思議に思いつつも、大人しく従う。


「リサもケンドラの乳母になったから聞いておきなさい」

「はい、大奥様」


 マーガレットに聞いておけと言われ、リサは席に座ろうとしたがすぐにやめた。

 もう今までとは違うのだ。

 ケンドラをルシアの隣に座らせると、他の使用人達と同じように壁際に立って耳を傾ける。


「お爺様、お話とはなんでしょうか?」


 なんとなく周囲の視線が自分に向けられていると感じていた。

 アイザックが話を切り出す。

 モーガンは言い辛そうにしていたが、軽く咳払いをしてから話し出した。

 その内容は驚くべきものだった。


「ケンドラの婚約者が決まった」

「えっ、早くないですか!」


 アイザックは驚いて家族を見回すが、誰も驚いていない。

 おそらく、他の家族には前もって知らされていたのだろう。

 どこか疎外感を覚える。


「早くはない。本来ならお前もこれくらいの時に決まっていてもおかしくはなかった」

「……それで、相手は誰なんですか?」

「ウィルメンテ侯爵家の次男、ローランドだ」


 アイザックは音を立てて椅子から立ち上がる。

 だが、すぐにランドルフとルシアに腕を掴まれた。

 アイザックの反応を予想しての配置だったのだ。

 さすがに両親の腕を力ずくで振り払う事は躊躇われたので、渋々座り直す。

 その代わり、祖父を睨み殺さんばかりに目に力が入っていた。


「兄上の件でフレッドは僕の事を嫌っています。そんな家にケンドラを嫁入りさせるなどどうかしていますよ!」


 ――ケンドラがフレッドにどんな嫌がらせをされるかわからない。


 そんな家に嫁入りさせる事など、アイザックには認められなかった。

 しかし、それはモーガンも同じ事。

 その対策はすでにしており、落ち着いていた態度でアイザックを宥める。


「安心しろ。その事はあちらも心配していた。ケンドラを嫁入りさせるのではなく、ローランドを婿入りさせてもいいからと言って申し込んできた。嫁いびりをされる心配はない」


 アイザックはもう一度祖母や両親の顔を見る。

 やはり、誰もモーガンの言う事に驚いていない。

 自分だけが今まで知らされていなかったのだと思い知る。

 ギリギリと歯ぎしりをした。


「お父様やお母様はすでに知っているようですが、なぜ僕には教えてくれなかったんですか?」

「お前が強く反対すると思ったからだ」

「当然でしょう! なぜ、その事を今になって……。あっ」


 モーガンが今の時期になってなぜこの話をしたのか。

 アイザックはその理由を察した。


 ――領地に帰る時期だからだ。


 ウィルメンテ侯爵家も領地に帰る準備をしている。

 今からウィルメンテ侯爵家に面会の予約を入れる事は難しいだろう。

 アイザックが面会に行って、破談にしたりしないように考えられていたのだ。

 モーガンはアイザックが理由を察したと気付いた。

 だから、優しく諭すような声で語り掛ける。


「今は感情的にもなるだろう。だが、半年もすればこの婚約も受け入れられるはずだ。以前にも言ったが、もう一度言っておく。国家の方針で意見が対立する事はあっても、ウィルメンテ侯爵家はリード王国を共に支える同胞だ。これはメリンダとネイサンの件で亀裂の入った仲を修復できるいい機会だ。それに、ケンドラと同じ年齢という事もあり、婚約者としてお似合いでもある。受け入れられるよう努力しなさい」


 ――時間が経てば、アイザックもわかってくれる。


 家族はそう信じていた。

 確かにアイザックは受け入れられるかもしれない。

 だが、それは今ではなかった。


「嫌だ! ケンドラはどこにも嫁に行かせない! ずっと甘やかして一緒に暮らしていくんだ!」

「いえ、それはちょっと……」


 アイザックの言葉に、ルシアが今まで見せた事のない嫌そうな顔をする。


「あの、一言いいですか?」


 ここでリサが発言の許可を求める。


「なんだ、言ってみろ」


 リサならアイザックを説得する事ができるかもしれないと思い、モーガンは発言を許可した。

 すると、リサはアイザックに近付き、両肩をガッシリと掴んだ。


「アイザックはいいわよ」


 モーガン達の前ではあるが、リサの話し方は乳姉弟としてのものに戻っていた。

 そして、その声には悲しみが含まれている。

 この場にいる者がリサの言葉に耳を傾ける。


「アイザックは侯爵家の跡取りだもん。三十歳、四十歳になっても好きなお嫁さんを選べると思うわ。でもね、女は違うのよ」


 リサの鼻を啜る音が聞こえてくる。

 アイザックの肩を握る力が段々と強まっていった。


「女はね、男と違って刻一刻と相手を選べる選択肢が狭まっていくのよ。婚約者が決まった? いい事じゃない。いい相手が決まったんだから喜んであげましょうよ」

「あ、うん……。そうかもしれないね……」


 ――婚約者を見つけられなかった女の悲痛な思い。


 それは、家同士の関係を説かれるよりも、ずっとアイザックの心に響いた。

 何となく、これ以上ケンドラの婚約について文句を付けにくくなってしまう。


「でも、あなたに婚約者がいないのは自業自得よ」

「うぅ、わかっています」


 マーガレットのストレート過ぎる言葉に、リサは頭を抱えてうずくまった。


(どうすんだ、これ)


 アイザックの感情的な反対は収まったが、代わりにリサの事で重苦しい空気になってしまった。

 ウェルロッドに戻ってからの生活が不安になってしまう。

 椅子から降り、リサに「あたまいたいの?」と言って頭を撫でているケンドラの存在だけが、この場の癒しであり救いだった。

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