第174話 マット・モーズリーという男

 ――ジェイソンの無茶振り。


 そんなものは後回しにしても良かったが、持ち出された話自体はそう悪いものでもなかった。

「ああ、そういえばそんなサブキャラいたな」と、思い出させてくれた事を感謝しているくらいだ。

 ジェイソンと会った一週間後、アイザックはマットを呼び出した。


 ――マット・モーズリー。


 彼はただの傭兵というだけではない。

 恋愛ゲームのキャラに、ほぼ一人はいる暗い過去を持っているキャラだった。

 本来ならば、彼の悩みをニコルが解決し、そのままエンディングへという流れだ。


 だが、アイザックも優秀な武人が欲しい。

 ニコルに攻略される前に、自分が呪いを解いてやるつもりだった。

 まさかニコルより先に、自分が男を手に入れる事になるとは思わなかった。


(まぁ、俺がやるわけじゃないけどな)


 アイザックは、自分を挟むように座る二人のエルフに視線を向ける。

 クロードに「呪いを解けるか?」と聞いたところ「呪い次第だ」という答えが返ってきた。

 だから、確認するために同席してもらっている。

 ブリジットは「じゃあ、私も」と言ってきたのでおまけとして同席を許していた。


 彼らだけではない。

 応接室の壁際には、警護の騎士が五名立っていた。

 これはマットの通り名であるマッド狂人が影響している。

 マットは、突如として凶暴性を発露する事がある。

 それは呪いのせいなのだが、その事を知らない者からすれば「突然キレるヤバイ奴」でしかない。

 下調べした際に危険人物だとわかったので「護衛付きでの面会でなければ許さない」とモーガンに言われた。

 だから、護衛の騎士が待機していた。


(危険はないってわかってるのが俺だけだし仕方ないか)


 幸いな事に、アイザックは彼の呪いについて知っている。

 とはいえ、呪いが複雑なものではなく、シンプルなものだったおかげで覚えていられたというだけだ。

 どうやって呪いを解くかは、ゲームをプレイする気がなかったので調べようとも思わなかった。

 呪いを解けるかどうかは、完全にクロード頼みである。

 その事だけがアイザックの心配の種だった。


「大丈夫だ。俺でダメなら爺様達を呼んで解呪してもらえばいい」


 視線に気づいたクロードが、アイザックに心配するなと伝える。


「クロードさんでもダメだったら、本人にはティリーヒルに行ってもらうよ。さすがにマチアスさん達を呼び寄せるのは悪いからね」


 気を使ってくれている事はわかる。

 だが、アイザックとしてはマチアス達を王都に連れてきたくはない。

 エルフが王都に来れば、またパレードを行ったりするかもしれない。

 今更かもしれないが、王家の権威を強化するような機会を少しでも減らしておきたかった。


「アイザック様、お客様をお連れしました」

「どうぞ」


 ドアがノックされ、ノーマンがマットを連れてきた事を報告する。

 その声は震えていた。

 アイザックは少し不思議に思ったが、声が震えていた理由はすぐにわかった。

 ドアが開けられてマットの姿が視界に入った時に、アイザックも妙な圧迫感をうっすら感じたからだ。


(これがマット・モーズリーか)


 さすがに貴族の家を訪ねるからか、安物とはいえちゃんと礼服を着ている。

 ピシッと背筋の通った姿なので、どこか気品すら感じられた。

 彼の先祖が呪いを受けるまでは、リード王国の貴族だったという事も影響しているのかもしれない。

 本来なら男爵家の跡取りだったのだが、呪いを受けた先祖が弟に家督を譲った。

 それ以来、家名を名乗る事は許されているが、親族との縁は切れたらしい。


(でも、傭兵がその髪型はないよな)


 アイザックがなんとなく気品を感じたのは、マットの容姿のせいでもある。

 腰まで長さのある銀髪で綺麗なストレートのロングヘアー。

 整った顔立ちで、二十代半ばにして人生に疲れたような憂いを帯びた瞳。

 含み笑いするしか能のないマイケルよりも「陰のあるキャラ」として確立しているような気さえした。

 アイザックがマットの事を見ていると、クロードとブリジットがガタンと音を立てて、椅子から立ち上がる。


「アイザック、彼に近寄らせるな!」

「なんだか、こう……。ヤバイわよ!」


 エルフの二人は、アイザックよりも何かを強く感じ取ったようだ。

 いや、二人だけではない。

 騎士達もマットの姿を見てから、全員が剣に手を伸ばしている。

 剣を抜いてこそいないが、かなり警戒していた。

 落ち着いているのはアイザックくらいだった。


「大丈夫です。きっとそれは呪いのせいですよ。マットさん個人が危険人物というわけでもありません。ですよね?」


 アイザックは笑みを浮かべてマットに問いかける。


「さぁな」


 マットはぶっきらぼうな返事をする。

 彼にしてみれば、呪われている状態が普通。

 周囲に与えている恐怖が呪いのせいかまでは判別できなかった。


「どうぞお座りください。クロードさんとブリジットさんも」


 アイザックの勧めでマットは椅子に座る。

 クロード達はアイザックが平然としているせいで逃げる事もできない。

 子供を置いて逃げる事はできないからだ。

 渋々と席に着いた。


「本日はお越しくださってありがとうございました。まずは足を運んでくださった報酬をお渡ししましょう。ノーマン」

「は、はい」


 アイザックが指示を出すと、ノーマンが恐る恐るとマットの前に小袋を置いた。

 中身は十万リード。

 凄腕の傭兵を呼んだ足代としては安いが、金額の多寡は関係ない。


 これは彼の呪い――


 無償の行為を行うと、凶暴性を抑えられなくなる。


 ――を防ぐための報酬だったからだ。


 マットは中身を確認せず、懐に入れた。

 その事からも「行動に対して見返りを貰う」という事自体が重要なのだと見て取れる。

 この「無償の行為」というものが厄介だ。

 日常生活でも「ちょっとそこのソース取って」と軽く頼まれたりする事もある。

 それに応じるだけでも、彼は凶暴になってしまう。

 どれだけ生き辛い人生なのかは、想像するまでもない。

 だから、マットは傭兵の道を選んだ。

「金に意地汚い」と思われても、堂々としていられる職業だったからだ。


「なぜ、俺の呪いの事を知っている?」


 マットが持った当然の疑問。

 これに対する答えは簡単だった。


「あなたの事を簡単に調べました。それでわかっている事を多角的視点によって検討し、起こり得る事象の想定。仮定に仮定を重ねて考えましたところ、あなたは……。いえ、あなたの家系は呪いを掛けられていると答えを導き出したのです。報酬を受け取らねば、誰かのために行動できないという呪いをね」

「……なるほど。さすがはアイザック・ウェルロッドという事か」


 アイザックは具体的な事を何も言っていない。

 だが、今までの行動の積み重ねにより、マットは勝手に深読みしてくれたようだ。


「今回、あなたを呼び出したのは、同席してくださっているクロードさんとブリジットさんの協力によって呪いが解けるかもしれないからです」

「ほう」


 マットの目に少し希望の色が宿った。

 彼はクロードを見る。


「呪いは掛けられた時よりも、少し弱くなっているはずだ。それでも強い怨念が感じられる」

「ああ、二百年前の戦争で命乞いをするエルフを殺そうとした時に呪われたと聞いている。『強欲な人間にふさわしい生き方をするといい』と言われて呪われたそうだ」

「そうか」


 クロードが悩み始める。


「呪いを解けそうですか?」

「やってみないとわからないな。しかし、エルフを殺した者の子孫か……」


 どうやら、クロードは「エルフを殺した者の子孫」というところに引っ掛かっているらしい。

 マットを味方にしたいアイザックは、クロードを説得しなければならない。

 何かいい方法はないかと考え、情に訴える事にした。


「クロードさん。僕達のご先祖様もエルフを殺したかもしれません。でも、僕達が殺したわけじゃないからって、許してくれているじゃないですか。だから、こうして一緒にいられるんです。マットさんも直接エルフを殺したわけじゃありません。助けてあげられませんか?」

「……そうだな。先祖の罪を子孫が背負わなければいけない理由などない。それに、怨念となって憑りついているエルフの魂も救ってやりたい。ブリジット、手伝ってくれ」


 クロードはすぐにわかってくれた。

 だが、ブリジットが渋る。


「私は解呪とか苦手なんだけど……。ていうか、使う機会がないからやり方忘れちゃった」

「まったく……。いつどこで必要になるかわからないから、普段から勉強はしておくように言っているだろう」

「ちょっと待ってよ。少しくらい――」

「こうして必要になった時に使えないと困るんだ。まったく、仕方ないな。呪いが強いから、まずは読経から始める」


(えっ、読経!?)


 クロードとブリジットは、マットを挟むように立った。

 そして、クロードが読経を始め、ブリジットがコーラスを始める。


(確かにテンポは葬式で聞いたような感じだけど……。歌っているようにも聞こえるな)


 お坊さんが唱えるか、見目麗しいエルフが唱えるのかの差が大きいのかもしれない。

 なんとなくブルースやゴスペルのような雰囲気で唱えられる読経に、アイザックは聞き惚れていた。

 やがて読経が終わる。


「オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン」


 クロードが叫び、マットの背中を強く叩いた。

 すると、アイザックがマットに感じていた不思議な圧迫感が雲散した。

 エルフって凄い。

 アイザックは改めてそう思った。


「これで大丈夫なはずだ」


 ふぅ、とクロードが深い溜息を吐く。

 その額には大粒の汗が浮かんでいた。


「ほ、本当に?」

「ああ、ほら」


 クロードが床にハンカチを落とす。


「拾ってくれないか。当然報酬はない」

「えっ」


 ――呪いは解けた。


 だが、マットは簡単には動けなかった。

 今までの人生で、人のために無償で動いた時は酷い結果にしかならなかった。

 呪いが解けておらず、クロードに襲い掛かってしまう可能性もある。

 拾えと言われても、体が動いてくれなかった。


「呪いが解けた事は、この部屋にいる者ならわかっている。もう大丈夫だ」


 クロードの言葉を聞き、マットは部屋を見回す。

 剣に手を伸ばしていた騎士達も、今はもう剣の柄から手を放している。

 呪いによって放たれていた恐怖感が消え去っているという事だ。

 今まで周囲の人間に警戒され続けたマットにとって、これは初めての反応だった。

 意を決して、ハンカチを拾ってクロードに渡す。


「何も感じない……」


 これまでなら、呪いによってクロードを殴り殺していたところだ。

 だが、湧き上がる殺意はもう感じなかった。


 ――ただハンカチを拾っただけ。


 それだけの事が、マットにはこの上もなく嬉しかった。

 その場に膝から崩れ落ち、大粒の涙を流す。


「ありがとうございます。ありがとうございます――」


 マットは涙声で何度も「ありがとう」を繰り返していた。

 その姿を、アイザックは満足そうに見つめていた。


(よっしゃー! 優秀な手駒ゲットォォォ! まずはトミーの指導でもしてもらおうかな)


 アイザックは、優秀な手駒を手に入れたと確信する。 

 しかし、手駒を手に入れる事に夢中になって、その先を考えていなかった。

 浅はかではあるが、そのうち思いつくだろうと楽観的な考え方をしていた。

 マットに関して楽観的な考え方をしていたせいで、致命的なミスをしてしまった事に気付いていなかった。


「ありがとうございます。今まで人を殺してきた償いができます。これからは馬車の往来が多い道で、お年寄りの手を引いてあげる事だってできるんだ!」


 さすがにアイザックも、マットの発言で雲行きの怪しさを感じ始めていた。


「もう……、もう人を殺す仕事なんてしなくてもいいんだ!」


 その言葉を聞いた時、アイザックは自分のミスに気付いた。


「あ、あのマットさん」

「アイザック様。失礼な言葉遣い申し訳ございませんでした! ですが、言葉遣いでも呪いが反応するので気をつけておかねばなりませんでしたので、仕方がなかったんです。これからは、世のため人のために生きていきます! あなた様のおかげです。本当にありがとうございました」

「え、えぇ。それは良かったです……」


(しくじった! しくじった! しくじった!)


 アイザックは「呪いを解いてやれば、命を懸けて自分のために働いてくれる」と思い込んでいた。

 だが、それは間違いだった。

 先に「呪いを解くから自分のために働け」と言っておくべきだったと悔やむ。

 こうして人前で「もう人を殺さなくてもいいんだ」と言われてしまってからでは、もう遅い。

 呪いによって意にそぐわぬ生き方を強制されていた男に「俺の部下になって、これからも戦い続けろ」と言うのは残酷だ。

 ノーマンだけなら口止めできたが、ここにはクロードとブリジットに警護の騎士までいる。

 誰かの口から「アイザックは酷い」と外に漏れる事は十分に考えられた。


(部下を一人得るか、周囲の評判を得るか。俺はどうすればいい?)


 そのように迷うが、アイザックの中では評判の方に考えが傾いていた。

 マットを嫌々従わせても本来の働きを期待できない。

 それよりは「人助けをした」という評判を取り、優秀な人材が仕官しやすい環境を作る方がマシではないかと考えたからだ。


「このお礼はどうすればいいでしょうか?」


 マットがアイザックやクロードを見る。

 こうなっては仕方がない。

 アイザックは評判を取る事に決めた。


「もしも、戦争になるような事があればウェルロッド侯爵家に手助けしていただけますか?」

「それだけでよろしいのですか?」

「ええ、構いません」


 ――戦争に参加しろ。


 この言葉自体は「部下として戦え」と言っているのと同じである。

 だが、リード王国は約二十年、戦争に参加していない。

 平和な国なので戦争に参加する機会など、リード王国にいればないはずだった。

 実質的に見返りを何も求めないというのと同じだった。

 少なくともマットには「お礼はいらない」と言ってくれているように聞こえていた。


「俺も何もいらない。まぁ、必要なものがあれば解呪を頼んできたアイザックに請求するさ」


 クロードは、気にするなとマットにウィンクする。


「いくら感謝してもし足りないくらいです。これからは孤児院を開いたりして、助けを求めている人のために働きます」

「頑張ってください」

「はい!」


 マットは元々優しい性格だったのかもしれない。

 しかし、呪いが彼の望む生き方をさせてくれなかった。

 だから、呪いが解けた今は新しい人生を歩む事に夢中になっている。


(あぁ、そうか。そうだよな。俺とニコルの違いを忘れていたよ……)


 ――それは性別の差。


 ニコルは女だ。

 だからエンディングで、マットが「これからはお前のためだけに戦う」と言ったりしていたのだろう。


 だが、アイザックは男。

 しかも、侯爵家の嫡男で自分の身を守る事もできる。

 そのせいで「呪いを解いてくれたお礼に、命を懸けても守りたい」という思いが薄くなっているのかもしれない。

「呪いを解けば、自分のために動いてくれる手駒が手に入る」と、楽観的に考えていたのは甘かったと痛感する。


(残念だけど、他のサブキャラと接触する時の参考になったと割り切るか……)


 原作に登場したキャラも、立場によって反応が変わる。

 これは少し考えればわかった事だ。

 悩みを解決してやれば、それでいいというものではない。

 その事が知れただけでも、少しはプラスになったはずだ。

 アイザックは喜びのあまりハグを求めてきたマットを抱き返しながら、今回の事は無駄ではなかったと思い込もうとしていた。

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