第172話 リサ、十八歳のバレンタインデー

 二月に入り、バレンタインデーが訪れた。

 とはいえ、この日はまだアイザックにはまったくの無縁の日。


(義理チョコなんてもらっても、それはそれで辛いだけだ)


 そう思って、アイザックが義理チョコ文化を根付かせようとはしなかったからだ。

「バレンタインデーにチョコレートを渡そう」と売り出す事はできても「義理チョコを渡そう」という売り出し方はできなかった。

 これは前世の事がトラウマになっているからだ。


 前世では、母と妹からチョコをもらうだけ。

 一度だけ他人から義理チョコを貰った事がある。

 だが、それは自分の友人の妹であり、妹の友人でもある鈴木の妹からの一個だけ。

 それも、自宅で手作りチョコを作っていた時に、お情けで一個くれただけだ。

「チョコをあげる」と言われて、義理チョコだった時のガッカリ感。

 あれをこの世界の男達に味わわせたくはなかった。


 だが、アイザックのささやかな優しさも、金を稼ごうとする者によって、やがて無に帰す時が来るだろう。

 その時までの引き延ばしでしかないかもしれない。

 それでもアイザックは、全てのモテない男達のために時間を稼いでやりたかった。


 ――しかし、神はアイザックに優しくはなかった。



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(なんでよりにもよって今日来るんだ……)


 この日、客人としてトミーとジュリアが学校帰りに訪ねてきた。

 彼らの実家であるオルコット男爵家とバークレー男爵家は、先祖のいざこざによって仲違いしていた。

 ジュリアの友人だったリサの仲介によってアイザックと知り合い、婚約できる事になった二人だ。

 普段であれば彼らを快く迎えるところだった。


 ――だが、今日はバレンタインデー。


 独り身の自分が、リア充を前にする事がもっとも辛い日だ。

「なんで今日予約を入れたんだ」と、アイザックはノーマンを恨む。

 だが、これはただの逆恨みでしかなかった。

 ノーマンは、アイザックがニコルやアマンダといった女の子達に好意を向けられている事を知っている。

 アイザックはリア充側の人間だと思われていた。

 まさか嫉妬で「バレンタインデーにリア充と会いたくない」と、アイザックが思っているなど考えた事すらなかった。

 だから、これは嫌がらせでもなんでもない。

 予定の空いている時間帯に面会の予約を入れた。

 ただそれだけの事だった。


「ご無沙汰しております」

「お久し振りです」


 二人は45度の角度でお辞儀をする。

 トミーは頭から背中まで一本筋の通ったお辞儀で、ジュリアは優雅さと柔らかさを感じるお辞儀だった。


「お久し振りですね。さぁ、どうぞお座りください」


 さすがにただの嫉妬だという事は理解しているので、感情を表に出すような事はしない。

 アイザックは心中の思いを隠し、丁寧な対応をする。

 彼らが席に着くと、メイドがティーカップにお茶を注ぐ。

 注ぎ終わるのを見て、トミーが口を開いた。


「この度、騎士になれる目途が立ちましたので、ご挨拶にお伺いさせていただきました次第です」

「えぇ、その事は聞いていますよ」


 この三年間、トミーは学校帰りに屋敷に詰める騎士から訓練を受けていた。

 訓練を施した騎士の評価は「新米騎士としては合格。要人を護衛する騎士としてはまだまだ未熟」というものだった。

 アイザックも「そんなものだろうな」と思っていた。

 学院を卒業したばかりの若者が、いきなり難しい仕事をこなせるとは思っていない。

「ただ、護衛に必要な命懸けの覚悟はある」と一言付け加えられていたので、今後に期待していた。


「この三年間、頑張っていらしたようですね。毎日頑張っていたようですが、それではジュリアさんと過ごす時間がなかったのではありませんか?」

「はい。ですが、ジュリアとはこれからいくらでも一緒にいられます。今はアイザック様のためにできる事を増やす時だと思い、鍛える事に専念しておりました」


 トミーの答えに、アイザックは満足そうにうなずく。

 やる気があるのは良い事だ。

 ここまで熱心に動いてくれる者が来てくれるのは嬉しい。

 彼らが結婚できるように動いた甲斐があるというものだ。


「私はアイザック様のために特別何ができるという事はありません。その代わり、トミーが後顧の憂いなく働けるよう、サポートに全力を注ぎます」


 ジュリアがそう言うと、二人は見つめ合う。

 卒業したあとの生活を思い描いているのだろう。

 アイザックからはテーブルが邪魔で見えないが、二人はテーブルの下で手を握り合っているような動きをしている。

 その場に居合わせたメイドは、微笑ましいものを見る目をしていた。

 アイザックも微笑んではいるが「家でやれ」と思わずにはいられなかった。

「二人で過ごす時間がなかったんじゃないか?」と聞いた事を後悔する。

 しかし、その思いを表に出せば全てが台無し。

 負の感情を心の奥底に隠したまま話を続ける。


「お二人の仲が良いのは結構。仲介した僕も嬉しくなりますよ」

「本当に感謝しています。今後の忠勤をもってお礼とさせていただきます」

「ええ、期待していますよ」


 トミーには本当に期待している。

 ノーマンもアイザックのために働いてくれているが「アイザックのため」と思って、モーガン達に報告したりする。

 この間、ウォリック侯爵家を訪れた時の事もそうだ。

 彼はアイザックが話した事をモーガンに報告していた。

 まだアイザックの臣下・・・・・・・・ではなく、ウェルロッド侯爵家・・・・・・・・・で働く者・・・・という気持ちが抜け切れていない。

 こうしてアイザック個人・・・・・・・に恩義を感じて仕えてくれる臣下は初めてだ。

 愛想を尽かされないかという不安もあるが、嬉しさの方が不安を上回っていた。


「でも、いいんですか? 三年生のバレンタインデーといえば、かなり重要な日だと聞いています。僕のところに来ないで、二人で過ごした方が良かったんじゃないですか?」


 聞けばまた精神的ダメージを受けるかもしれないが、これは聞いておきたかった。

 かなり重要な日だという事しか知らなかったからだ。


「十八歳のバレンタインデーは重要ですが、それは婚約者のいない人にとっての事です。私達は婚約しているので、そこまで重要というわけではないんですよ。リサは……、今頃大変でしょうけど」


 ジュリアは、今この場にいない友人の事を話題に出した。

 今頃リサは、最後のチャンスだと思って駆けまわっている頃だろう。


「あー、リサお姉ちゃんは……。お婆様が良い相手を選んでくれたのに、それを断った時点で厳しいかもしれませんねぇ」


 アイザックにも、リサが必死に駆けまわっている姿が容易に想像できた。

 だが、上手くはいかないだろうと思っていた。

 理由は簡単。


 ――マーガレットが選んだ相手を断ったからだ。


 彼女が選別した者は、同世代でもそれなりに有望視されている若者だったはずだ。

 そんな彼らが断られたのだ。

 この時期まで残っている者達は「リサとは上手くいかない」と尻込みするだろう。

 リサは婚約者を見つけられない可能性が高かった。


「トミーさんの友達で誰か良さそうなのいなかったの?」


 いればすでに紹介しているだろうが、アイザックは聞かずにはいられなかった。


「アイザック様のような頼り甲斐がある人がいいと聞いております。私の友人にアイザック様ほど頼もしい者はおりません。私には紹介する事はできませんでした」


 トミーは真剣な眼差しでアイザックを見つめる。

 高く評価されて恥ずかしくなったアイザックは、話題を変える事にした。


「それは残念です。ところで、卒業後はウェルロッドに戻って、騎士としての訓練を受けつつ護衛をしてくれるという事でよろしいですか?」

「はい。もちろん、騎士団長次第ではありますが、アイザック様にとってより良い形で働ければと思っております」

「秘書官はいるけど、専属の騎士っていうのは初めてだからね。僕も期待していますよ」

「全力を尽くします!」


 やる気満々のトミーを見て、アイザックは「新卒社員みたいだな」と思った。

 この若者が目の輝きを保っていられるか、死人のような目になるかは上司であるアイザック次第だ。

 人の上に立つという事の責任の重さを少し感じた。


 それから、アイザックは我慢して彼らと世間話を続ける。

 我慢する必要があったのは、どうしても甘ったるい内容が混ざってしまうからだ。

「リア充、爆発しろ」などという言葉を口にできるはずもない。

 コミュニケーションを取る事は重要なので、我慢して話をするしかなかった。



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 トミー達が帰ったあと、アイザックは花壇に水をやっていた。

 そこに、幽鬼の如くやつれたリサがやってくる。


「リサお姉ちゃん、今日はどうだった?」

「……それを聞くの?」


 リサは「この表情を見てもわからないのか?」と言いたそうだった。


「……やっぱりいいや」


 聞けば、聞いた側も切なくなりそうだ。

 アイザックは、そっと視線を外す。

 だが、リサがアイザックの隣までやってきて話を始める。


「ダメだったよ」

「うん、なんとなく雰囲気でわかる」


 リサはポツリと呟くと頭を抱える。


「うぅぅ、これでケンドラの乳母役をしなくちゃいけなくなった……」

「それのどこが悪いの? また一緒にいれるし、いいんじゃないの?」


 アイザックの素朴な疑問。

 乳母のマーサは王都に住んでいる。

 彼女にも家族がいるので、ウェルロッドまでは来てくれない。

 代わりに乳母の手伝いをしていたリサが乳母になるというのは悪くない考えだと、アイザックは思った。

 だが、リサの答えは彼女にとって「死活問題だ」というものだった。


「何言ってるのよ。乳母役って、ケンドラとずっと一緒にいるのよ。メイドとかと違って、使用人の男の人と接触する機会が少ないの。だから、必然的に良い人と出会える確率も低くなっちゃうのよ!」

「そ、そうなんだ……」


 独身者は、年末に開かれる婚活パーティーで相手を見つける。

 だが、上手く恋人になれるのは相手の人柄などを普段から知っている者同士がほとんど。

 他の使用人との接触が少ない乳母という立場は、婚活レースに不利となるものだった。

 既婚女性が乳母に選ばれるのは、子育てに慣れているからというだけではない。

 独身女性が乳母になれば、人生に大きく悪影響を及ぼす危険性がある。

 だから、既婚女性が選ばれるのだ。


「だったら、断ったらいいんじゃない? 普通のメイドになるとか」

「大奥様に頼まれたら断れるわけないじゃない。ケンドラもあなたに慣れているからって言われたらね」


 リサは遠い目をする。

 早めに適当な相手に決めとけば良かったと後悔しているのだろう。

 しばらくして、リサが一度深い溜息を吐くと、今度は真剣な表情になった。


「こうして話していられるのも今だけ。四月になれば、アイザック様って呼ばなくちゃいけなくなる」

「……そうだね」


 リサも、もう子供ではない。

 王立学院を卒業すれば、一人の大人として立場をわきまえなくてはいけない。

 乳兄弟だからと、人前で馴れ馴れしく話す事ができなくなるのだ。


「でも、僕はリサお姉ちゃんと呼ぶよ」

「うん、アイザックは好きにできる立場だからね」


 リサはポケットから、刺繍された一枚のハンカチを取り出す。


「これは貴族のリサ・バートンでも、婚約者狙いの女でもない。お姉ちゃんとしての最後のプレゼント」

「リサお姉ちゃん……」


 アイザックは涙がにじみそうになった。


「これ、受け取ってもらえなかったプレゼントの使い回しじゃ……」

「細かい事はいいのよ! 気持ちが籠っていればね!」


(使い回しのプレゼントに気持ちが籠っているのか?)


 ハンカチを受け取った時、アイザックは気付かなくてもいい事に気付いてしまった。

 頭が回るというのも考えものである。


「これからは私も使用人の一人になるけれど……。しばらくの間は、態度や言葉遣いは大目に見てよね」

「さすがに今までずっと一緒にいて、いきなり態度を変えるのは難しいっていうのはわかってるから気にしないよ」


 アイザックが笑顔を浮かべると、リサも笑顔を返した。

 しかし、すぐに落ち込む。


「それじゃあ、ケンドラの様子を見てくるね……。大奥様にも報告しないと」

「うん、ハンカチありがとう」


 また肩を落としながら去っていくリサの背中を、アイザックは見送る。

 リサが見えなくなったところで、手に持っているハンカチに視線を移す。


(結婚してくれって必死になって迫られるより、さっきみたいにプレゼントを渡された方がグッと来るなぁ。使い回しだったけど……。バレンタインデーにプレゼント貰っちゃったけど、お返しした方がいいんだろうか? でも、お返しを求めてのプレゼントじゃなかったしなぁ……)


 アイザックは迷ったが、とりあえず答えを先延ばしにした。


(五年後。リサが独り身だったら、プレゼントのお返しをどうするか考えよう)


 まだ、アイザックは五年後どうなるか想像もできない。

 選択肢の一つとして、リサの事も考えておこうと考えた。


(まぁ、この世界の常識的に考えて、五年後も独身なんて事はないだろうけどな)



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「まぁ、マーガレットさんったら、そんな事をされたんですか?」


 同時刻。

 マーガレットは、ウィンザー侯爵夫人のローザとお喋りをしていた。


「だって、ネイサンとアイザックと継承権争いで婚約者を決められなかったんですもの。孫の婚約者を選べなかった分、リサのために必死になって選別してあげたのよ。自分の孫と同じくらい真剣にね。なのに、全員袖にするなんて……。さすがに、ちょっと思うところがありましたの」


 話の内容は「リサが乳母を任される事になった理由」だった。


「でも、さすがに乳母は出会いが少ないから可哀想ではなくて?」

「いいんですよ。ちゃんと考えているから」

「どんな考えかしら?」

「いつかはアイザックの相手をしてもらおうかと思って」

「へぇ」


 ローザは侯爵夫人らしい態度をしているが、彼女の纏う雰囲気は興味津々というものだ。

 ゴシップに興味を引かれたオバサンと言ってもいいくらい、かなり興味を引かれているようだった。


「アイザックに必要なのは知恵をサポートしてくれる者ではありません。精神的に支えてくれる者の方がいいでしょう。リサに良い相手が見つからなければ、第二夫人や第三夫人として迎え入れても構いません。状況次第では、妾としてアイザックの傍にいてもらう事になるかもしれませんね」

「まぁ、では五年は独身のままですわね。酷いですわ」

「私の親切心を無下にしたお仕置きです。アイザックの事を気に入っているなら、アイザックのために頑張ってもらうだけですよ」

「あなたもいじわるね」


 二人はクスクスと笑う。

 リサは、敵に回してはいけない相手を敵にしてしまったらしい。

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