第118話 白紙に戻ったプロジェクト
――ニコルが役に立たないかもしれない。
その事に気付いたアイザックは――
最初は強く当たって、あとは流れに任せる。
――という選択を選んだ。
つまり、行き当たりばったりである。
だが、これは仕方が無い面もある。
今までの計画は全て「ニコルがジェイソンを奪う」という事を前提に考えられていた。
その大前提が崩れた以上、すぐに代案を用意する事などできなかったのだ。
とりあえず、今は「事態を注視しつつ、適切な措置を取る」という行動しか取れない。
(なんでこんな事に……。本当だったら十歳式で手に入れた情報を使って、今頃何か将来への布石を打つ方法を考えていたはずなのに……)
たった一人。
そう、たった一人のせいで計画が破綻してしまった。
それだけ危うい計画ではあったが「成功しそうだ」と思える計画があるのとないのとでは大違いだ。
主に精神の安定という面で。
少し遠回りになるが、それはそれでいいと思う事にした。
どうせ陰謀ばかりは考えていられない。
将来ニコルを利用するにしても、今は目の前の事を片付けていこうとアイザックは考えていた。
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十歳式が終わって十日ほどが経った。
終わってみれば、金無垢のボタンといった派手な装飾で前面がやけに重い服も懐かしく思える。
(ニコルに期待できない以上、自分でやるしかない)
そう考えたアイザックが取った行動は情報収集だ。
王国軍がどの程度の戦力かといった内容ではなく、主に人間関係を調べていた。
主に家同士の問題を優先的に調べ始める。
憎み合っている家を双方とも味方に付けて「あいつがいるなら俺は協力しない。むしろ、王家に知らせてお前共々終わらせてやる」といった事態は避けなければならない。
これはニコルの件で学んだ事だ。
不確定要素は排除していかなければならない。
その中でも、人間関係はもっとも重要な事だった。
アイザック自身、感情で動く時があるので、人の感情を軽視する事はできない。
憎しみ合っている者同士が争うのは良い。
そのとばっちりで、足を引っ張られる事だけは避けたかった。
だからこそ、まずは家同士の因縁を優先して調べていた。
(家同士の因縁で考えると、俺が新しい因縁を作っちまったんだよなぁ……)
アイザックはメリンダとネイサンを殺した。
フレッドの反応を見る限り、ウィルメンテ侯爵家がウェルロッド侯爵家の敵になるのは確定だろう。
しかも、それだけではない。
フレッドが何やらジェイソンに吹き込んでいた。
失態があったとはいえ、メリンダも一応は王族の端くれ。
王家の印象も悪くなってしまったと思った方が良いだろう。
(そもそも、スタート地点からしてきついんだよ。ネイサンとメリンダが邪魔なのに、排除したら王家と侯爵家に嫌われるって状況がさ)
これはアイザックの手抜かりだった。
「貴族社会ならお家騒動で人が死んでも問題ないだろう」という甘い考えに頼り過ぎていた。
前世では暗殺などの話を本でよく見ていた。
そして何よりも、王国の歴史においても暗殺はよくある出来事だった。
かつて、リード王国には二つの公爵家があった。
だが、今はない。
その理由は明瞭簡潔。
四百年前に反乱を企てたからだ。
初代国王スティーブの弟の中で、建国に貢献した二人の弟が公爵位を授与された。
そして、両家は王家の補佐だけではなく、王家に後継ぎが生まれなかったりした場合の備えとしても期待されていた。
だが、これが良くなかった。
建国以来、百年ほどは外征や国内の混乱を鎮めるために一致団結できていた。
しかし、それも平和な時代が訪れる事で終わりを告げる。
当時の公爵家の当主が野心を持ったからだ。
『我らも王家の血を引く者。王位に就いてもおかしくない』
そう考えた者が実際に行動に出た。
当時の国王を暗殺。
王子であるロイがまだ幼い事を理由に「大きくなった時に王位を譲るから」と、周囲を説得して王位に就いた。
だが、これにはもう一方の公爵家が不満を持った。
『なぜあいつが選ばれるんだ。俺だって王家の血を引くのだぞ!』と。
こうしてまた暗殺が行われ、今度は違う公爵家の当主が国王となった。
そうすると、最初に王になった公爵家の一族が報復をする。
報復が報復を呼び、たった十年の間に国王が八人も入れ替わる異常事態が起きてしまった。
リード王国の歴史の中でも、文字通り真っ黒に塗り潰したい黒歴史である。
この事態を憂いたのは成長したロイだった。
国王が代わるのはいい。
しかし、短期間に代わり過ぎるのはよくないと思ったからだ。
当時のリード王国は、他国から見ても国王の座を巡って殺し合いをしているという状態だった。
そのまま放置すれば、外国から攻め寄せられる危険性が高い。
ロイは四侯爵、特に老いたとはいえまだまだ存在感のある四代目ウェルロッド侯爵家当主オースティンの知恵を借りて、公爵家を一掃する事に決めた。
この企ては成功、二つの公爵家は一族丸ごと処刑された。
ロイは十三代国王となり、リード王国に安定をもたらす。
公爵家は完全にお取り潰しとなり、王家に連なる家は伯爵位を授与された家だけになった。
以来、リード王国には「公爵家」は存在しない。
王国に多大な貢献をした者に、名誉として一代限りの公爵位を与えるだけの存在となった。
王家ですら、これだけ血生臭い事件が起きている。
貴族社会全体で見た場合「病死」として、こっそり処理されている件を考えればかなりの数になるはずだ。
特にアイザックは、正当防衛に見えるようにしていたので、問題にはならないと思っていた。
確かにアイザックの行動は問題にはならなかった。
ただし、それは
排除する事に集中し過ぎて、メリンダ達に関わる人間の心情にまで配慮できなかった。
そのせいでフレッドに嫌われ、ジェイソンにある事ない事吹き込まれている。
ジェイソンが大物ぶりたい性格だったから、今は助かっているだけだ。
アイザックは同じ失敗を繰り返さないために、情報収集は念入りに行うつもりだった。
(とはいえ、面倒臭いな……。これ)
当然、侯爵家には各家の仲の良さや悪さなどが書かれた書物がある。
歴代の書物がだ。
何百年前の因縁が原因で、今も仲の悪い家がある。
ここ数十年だけを調べればいいというものではない。
本を読んでいるだけでもウンザリするくらいの量を読まなくてはいけない。
(いや、致命的な問題だけを取捨選択していこう。多少の取りこぼしもやむなしだ)
何もアイザックは完璧な知識を求めているわけではない。
必要最低限の知識があれば、それでいい。
(こういう事は秘書官のノーマンに任せるべきなんだけどなぁ……。さすがに今はまだ無理だ)
人間関係の事を補佐するのが秘書官の仕事。
だが、今はまだ頼む事はできない。
やはり、何かの計画に協力させて一度共犯関係になってからでないと「王家への反乱」という重要な事は簡単には話せない。
その時が来るまでは、自力でなんとかするしかなかった。
これが生まれ変わったばかりの時であれば、思い切ってノーマンに相談していたはずだ。
だが、ネイサン達がいなくなり「目の前にある危機感」によって、行動を急かされる事がなくなった。
そのせいで、本人は「慎重な対応をしている」つもりでも、守りの態勢に入ってしまっていた。
その事に気付いていれば「前世とは違う生き方をする」と決めた以上は、思い切って計画を打ち明けていたかもしれない。
本人も自覚しない行動というのが一番厄介だった。
(そろそろ、一休みしよう)
アイザックは集中力が無くなってきたので、調べ物を中断した。
資料を読むのが目的ではなく、内容を覚える事が目的である。
無理して読む必要はない。
必要な時に活用できれば、それでいいのだから。
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誰かいるかなと思いリビングに向かったが、誰もいなかった。
仕方が無いので、一人でのんびりとお茶を楽しむ事にした。
「あら、アイザック。休憩中?」
「本を読んでたらちょっと疲れちゃって。リサお姉ちゃんも一緒にどう?」
しばらくすると、リサがやってきた。
一人でお茶を飲むのも寂しいので、アイザックは彼女を誘う。
しかし、リサは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね。これからケンドラのお世話の仕方を習うところなのよ」
「それじゃあ、仕方ないね」
アイザックはリサの事情をよく知っている。
いや、むしろ彼女にケンドラの子守りを手伝わせるのを進言したのがアイザックだった。
ケンドラには乳母がいる。
だが、乳母をサポートする人物が必要でもあった。
アイザックの時はメイド達がアデラを手伝っていたが、ケンドラの場合はリサにも手伝ってもらうつもりだった。
これはリサの事情もある。
基本的に学生の間は王都に住む事になる。
だが、親も王都に一緒に住むかどうかで迷っていた。
やはり、年頃の娘一人を王都に住まわせるのは躊躇われたからだ。
そこでアイザックが一つ提案した。
――リサにケンドラの子守りの手伝いをしてもらって、ウェルロッド侯爵家の屋敷に住まわせればいいと。
男爵家では子守りを雇う余裕がない家も多いので、自分で子供を育てる必要がある場合が多い。
リサにとっても、子守りの経験はプラスになる。
何よりも、娘に一人暮らしさせても安心だという事が大きい。
幸い、リサの性格は心配ないとわかっているし、アデラの娘という事もあって、ルシアもアイザックの提案を前向きに受け入れた。
リサにとっても良い経験だという事もあるし「ウェルロッド侯爵家の息子と娘を世話していた」というのは、婚約者探しをする時に大きなプラス要素になる。
基本的には「学校から帰ってきて、宿題をしながらケンドラを見守る」という事がメインとなるので、負担も少ない。
別に本格的に乳母の役割をやれと言われているわけでもない。
ケンドラの乳母が休む時間を作ってやれる程度の期待をされているだけだ。
ちゃんと給料も出るので、住み込みのバイトとして考えれば破格の対応である。
「お仕事は慣れた?」
「まだまだよ。赤ちゃんの相手って凄く難しいわ。お母さんからアイザックは静かだったって聞いてたけど、兄妹でも全然違うのね」
「まぁ、別の人間だからね」
本来、赤子としてあるべき姿はケンドラの方が正しい。
アイザックのような者の方が例外だった。
「大変だけど、いい仕事を紹介してくれてありがとう。ウェルロッド侯爵家のお屋敷だったら泥棒の心配もないし、安心して暮らせるわ」
「気にしなくてもいいんだよ。リサお姉ちゃんにはお世話になってるしね。それに、ケンドラを任せても大丈夫って思われているのはリサお姉ちゃんの人柄のおかげだよ。僕が口添えしても、ダメな人はダメって言われただろうしね」
「期待を裏切らないように頑張るね。それじゃあ、また」
「またね」
リサがリビングを去っていった。
彼女は通り掛かった時にアイザックを見つけたので、一言声を掛けただけだったから仕方がない。
(リサは新しい暮らしに備えて動き始めている。世話になったから頑張ってほしいところだけど……)
いつもそばにいてくれたリサと離れ離れになる事に、アイザックは少し寂しさを感じていた。
だが、それも仕方のない事。
いつかは訪れる別れの時が来たというだけだ。
(俺も頑張らないとな)
計画は白紙になった。
それはとても辛い事だった。
しかし、悪い事ばかりでもない。
逆に考えれば、まっさらなキャンバスに自由に絵図を描く事ができるという事でもあるのだ。
それはそれで挑戦し甲斐があるというもの。
自分の足で新しい道を歩いていくのも悪くないと、アイザックは前向きに考え始めていた。
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