第119話 ルシアへの風評被害
――最初は強く当たって、あとは流れで。
そう決めると、アイザックは早速行動に移した。
まずは人に会う事に決めた。
相手はフィリップ・ウィルメンテ侯爵。
将来的に、彼がもっとも困難な強敵となるはずだった。
だから、アイザックは早めに対応しようと考えた。
会談場所はチョコレート菓子店。
さすがに現役の侯爵を屋敷に呼びつける事はできない。
当然、アイザックもウィルメンテ侯爵家の屋敷に行くような危険な真似はしたくない。
そのため、お互いが妥協できる場所という事で菓子店が選ばれた。
店内には個室も用意されており、密談も可能。
アイザックが「学生になったら放課後デートに使えるかも」と、チョコレート菓子店にも個室を作っておいたおかげだ。
(最初におっさん相手に使うとは思っていなかったけどな……)
その事だけが残念だった。
しかし、こういう会談に使えるというのは悪い事ではない。
高級菓子店なので、貴族が出入りしていてもおかしくない。
今後も密会で使ってもいいかもしれないと、アイザックは思っていた。
同席者はノーマンだけ。
家族にはウィルメンテ侯爵と会う事は言っていない。
これはノーマンのテストでもある。
アイザックに「誰にも話すな」と言われて、本当に黙っていられるかどうかを調べる目的があった。
ウィルメンテ侯爵と会ったと家族にバラされても、フォローできる範囲の内容を話すだけのつもりだ。
今回は彼を試す、ちょうど良い機会だった。
「アイザック様、本当によろしかったのですか?」
ノーマンが心配そうにしている。
ウィルメンテ侯爵との面会の段取りを組んだのは彼だ。
モーガンやランドルフに秘密で会っていいのかどうかが不安で仕方がなかった。
アイザックは「店の様子を見に行く」という名目で出掛けていた。
彼の頭の中は「この事を誰かに知られたらどうしよう」という思いで頭の中が一杯になっていた。
「大丈夫だよ。責任は僕が取る。これは必要な事だし、僕の秘書官になるなら僕の言う事に慣れてもらわないと」
「はい。ですが、勝手に他家の当主と面会するのはよろしくありませんよ」
「大丈夫、大丈夫。お店の様子を見に来た時に、偶然店を訪れたウィルメンテ侯と遭遇して挨拶するっていうだけだから」
「それもよろしくありません。少なくとも、子供のうちはそういうやり方は避けてください。今更とは思いますが、幼いうちは子供らしい生活を過ごすべきです」
「状況が許せばそうするよ」
アイザックだって好きでやっているわけではない。
「ノーマンの言う事に意地でも逆らう」という反抗心があるわけでもない。
必要だからやっているだけだ。
アイザック達が話をしていると、ドアがノックされる。
「お客様がお越しになられました」
「わかった。これから迎えに行く」
「いえ、それが……。すでにこちらに来られています」
「えっ!? わかった」
ウィルメンテ侯爵が店に着いたら迎えに行く予定だったが、その予定が狂ってしまった。
(まさか、こっちのテンポを狂わせるためにやってるんじゃないだろうな)
フィリップは先代当主のディーンとは違い、頭脳派という印象だった。
何かしでかしてくるのはでないかと、アイザックは警戒した。
(いや、子供相手にそこまでやらないだろう。メリンダ達を殺されたから、ちょっとした意趣返しをしようと思っただけに違いない)
そのようにアイザックは考え直した。
「入ってもらってください」
アイザックが声を掛けると、ドアが開かれた。
フィリップともう一人。
同年代の男がいた。
「お久し振りです」
「ああ、久し振りだな。たまにはこういう店に来るのも悪くないと思ってな。友人を連れてきてみたんだ。すると君が来ているというじゃないか。挨拶をしておこうと思ったんだ。彼はジャック・カニンガム男爵だ」
嘘くさい芝居だが、これは必要な事だった。
お互いに密会しているという噂は流されたくない。
――アイザックは「何か企んでいるのか?」と保護者に怒られないため。
――フィリップはウィルメンテ侯爵という立場にありながら、子供に呼び出されたと思われないためだ。
話し合い自体は穏便に済ませるつもりである。
そのためにも、よけいな波風を立たせないために、こういう面倒なやり取りが必要だった。
アイザックは笑顔で話し掛けた。
「はじめまして。よろしければご一緒しませんか? チョコレート菓子は作られてまだ日が浅いので、大人の意見を直接聞いてみたいんです」
「ああ、いいとも。喜んで引き受けよう」
アイザックとフィリップが対面に座り、ジャックがフィリップの隣に座る。
ノーマンはアイザックの斜め後ろに立っていた。
さすがに他家の当主がいるので、秘書官が同席できるはずがない。
食べるところを見ているだけも可哀想なので、ノーマンには先に食べさせておいた。
店員が二人にメニューを渡す。
「甘い物はあまり好みではないが……。このビターチョコレートケーキと紅茶をもらおう」
「私はチョコレートケーキとイチゴチョコ。それと紅茶をもらおう」
「僕は紅茶だけでいいよ」
アイザックも飲み物を注文しながら、頭の上では?マークが浮かんでいた。
(友達の方は純粋に楽しんでそうだな……。侯爵の友達とはいえ、切れ者ばかりではないという事か。それとも、自分の頭脳に絶対の自信を持っている? まぁ、心配しなくても良さそうな相手で助かるけど)
ジャックと名乗った男をどう判断していいのか、アイザックにはわからなかった。
パッと見では、こういう密談に連れてくるような男ではなかった。
そのため、アイザックにとってのポールやレイモンドのような存在なのだろうと判断した。
カモフラージュ要員であって、参謀的な立場ではないという考えだ。
まずは軽い雑談をする。
店員が食べ物を持って来た時に重要な話をしているわけにはいかないからだ。
カラオケで歌っている最中に、店員が飲み物を持ってきた時のような微妙な空気になってしまう事を避けるためだった。
当たり障りのない話をし、商品が届けられるのを待つ。
商品自体は数分とせずに届けられた。
アイザックだけではなく、フィリップ達もいるので最優先で運んできたのだろう。
これからが本番だ。
「それで、何の用件で呼び出した?」
先に口を開いたのはフィリップだ。
彼はケーキを少し食べ、甘さを調べる。
二口目を食べたので、チョコレートの苦味が合ったようだ。
「身を守るためとはいえ、メリンダ夫人と兄上を殺した事。先代ウィルメンテ侯が亡くなるきっかけを作ってしまった事。誠に申し訳ございませんでした」
アイザックは謝罪をする。
これにはフィリップも驚いたようだ。
ジャックと顔を見合わせる。
「あれはメリンダが悪い。ウェルロッド侯とはそういう事で話がついているので、改めて謝罪をしてもらわなくても結構だ」
(まぁ、そうだよな。家族を殺されて謝罪を簡単には受け取れないよな)
フィリップは「すでに終わった事だ」と謝罪を受け取らなかった。
しかし、アイザックは「謝罪など不要。お前を許す事はない」と言っているように聞こえていた。
だが、それで諦めるのなら最初から話し合いの場などセットしない。
重要な話を伝えなければならないのだ。
(けど、謝罪を受け入れてもらえないって事は、やっぱり俺の考えは間違っていなかったんだ)
アイザックがこんな場所で密談をしようと考えたのは、謝るためだけではない。
「そうだ、ウィルメンテ侯爵の反応を見よう」と思って会ってみたのだ。
誤解ではあるが、謝罪を受け取ってもらえなかった事で一つの答えにたどり着く。
「そうですか……。今日お呼びしたのは、ただお菓子の感想を聞きたいからというわけではありません。フレッドの事で話があります」
「フレッドの?」
フレッドはアイザックとの接点がない。
ネイサンと遊んでいた時も、アイザックとは一度会ったきりだと聞いていた。
こうして人目を忍んで話し合うほどの事はないと思っていたので、フィリップは怪訝そうな顔をする。
「フレッドは僕に敵意を持っています。もちろん、その理由はわかっています。ですが、同時に一つの懸念を抱いています」
「というと?」
「例えば、フレッドを使って僕を亡き者に考えているとか」
「なんだと!」
予想もしなかったアイザックの問いかけに、フィリップは驚いた。
「去年の事件は解決済みだ。そのような事は考えていない」
すぐにアイザックの考えを否定する。
だが、この答えは想定済みだった。
「そうでしょう。ウィルメンテ侯の立場ではそう答えるしかない。しかし、僕は『フレッドが勝手にやった』と言い逃れをする可能性を危惧しています。例えば『子供同士で剣を練習していた最中に当たり所が悪く死亡』なんていう事故の形を取られたりする事が怖いんですよ。特に、大人が裏で何やら画策してフレッドに吹き込んでいたら厄介です」
アイザックが気にしていたのは「フレッドの敵意が、自身に直接危害を加えようとする害意に変わらないか?」というものだった。
今はまだいい。
フレッドに近寄らなければいいからだ。
だが、学院に入学後は違う。
体育の授業で剣などを使う事もある。
「頭を叩かれて、当たり所が悪く……」という事も十分に考えられる。
何と言っても、相手は武の名門ウィルメンテ侯爵家だ。
フレッドが強くなったつもりになっているだけとはいえ、基礎が違う。
少なくとも、アイザックを一方的に叩きのめすだけの力量を身に付けているはずだ。
事故に見せかけて殺される事をアイザックは恐れていた。
だからこそ一度フィリップと話し、その辺りの事をハッキリとさせておかなければならないと考えたのだ。
「待て、本当にそのような画策はしていない。考えすぎだ。なぜそう思ったのかを教えてほしい」
当然、フィリップは否定する。
彼にしてみれば、ジュードの後継者相手に事を構えるつもりはない。
しかし、アイザックは彼の本心がわからない。
安全のためにも警戒しておかなくてはならなかった。
「十歳式でフレッドが僕の事を睨んでいました。ずっとね。公の場で隠す事なく、あそこまでハッキリと敵意を示すという事はウィルメンテ侯爵家の総意を代弁していたのではありませんか? 少なくとも僕はそう受け取りました」
「違う。そのような事は考えていないし、させるつもりもない。フレッドは感情的になりやすいだけだ。だが、一線を越えない事はわきまえている。だから、殴り掛かったりもしなかったはずだ」
フィリップの言い分も、もっともだった。
確かに場をわきまえていた。
だが、それはそれで問題だ。
逆に考えれば、人目のない所なら殴りかかってくるかもしれない。
「なるほど、教育は行き届いていると。では、フレッドが問題を起こす。もしくは、起こしそうになった時には、監督不行き届きでウィルメンテ侯爵家にも厳しく責任を追及させていただきますよ」
「もちろん、かまわない。だが、そうならないように私も気を付けているという事だけは覚えておいてもらいたい」
「かしこまりました。よく覚えておきましょう」
アイザックは笑顔を浮かべる。
フレッドが何かをやらかした時、ウィルメンテ侯爵家にも責任を被せてもいいという言質を取れたからだ。
当然、侯爵家の跡取り息子が問題を起こせば家の問題だが、アイザックはフィリップの事を冷徹な頭脳派と思っている。
フレッドにだけ責任を被せて廃嫡なり、処刑なりをするかもしれないと心配していた。
ウィルメンテ侯爵家が責任を取るというのなら、今はそれでいい。
今の段階では十分な成果だった。
(しかし、これでウィルメンテ侯爵家を追い詰めるための計画が一歩進んだ。頃合いを見て、フレッドを挑発すればいい。きっとあいつなら挑発に乗ってくれる)
王家打倒の最大の難関となるウィルメンテ侯爵家。
その崩壊への道に一歩踏み出せた事に満足していた。
「このイチゴチョコって不思議な味がする。けど、美味しいからフィリップも食べてみなよ」
話し合いの最中は黙っていたジャックが、話が一区切りついたところで口を開いた。
明るい声でフィリップにイチゴチョコを勧める。
イチゴにチョコをかけただけの物だが、初めての味わいに感動しているようだ。
その明るい声に毒気を抜かれたのか、フィリップは一度溜息を吐いてイチゴチョコを食べる。
「美味いとも不味いとも言わないが……。確かになんともいえない不思議な感じがするな」
「だよね。こんな食べ方を考えるなんて凄いよ」
「腕の良い職人を用意していますので」
かつて身内の人間に食べてもらって不評だった果物チョコシリーズ。
その良さをわかってくれる人物がいて、アイザックも悪い気はしなかった。
フィリップに話さなくてはならないフレッドの話題も終わったので、そのままお菓子の話題となっていった。
一度の会談で何もかも話さなくてはならないというわけではない。
必要に応じて、今後話し合う場を設ければいいだけなのだから。
お土産としてチョコレートの瓶詰めを渡し、アイザックは馬車に乗って帰る二人を見送った。
そして、またノーマンと個室に戻る。
「ほら、僕だって穏便な話し合いができるんだよ」
「そうですね。……内容が穏便ではありませんでしたが」
「それは仕方ないよ。問題が起きる前に釘を刺しておかないと危ないしね」
アイザックは気楽そうに答えるが、ノーマンは深い溜息を吐く。
「ちなみに、これからもこのような事を行われるのですか?」
彼の言う「このような」には二つの意味が含まれている。
一つ目は、モーガンやランドルフに黙っての行動。
二つ目は、裏工作のような行動。
アイザックに仕えると決めているのでこれからの事を聞いて逃げ出したりはしないが、聞かずにはいられなかった。
「そうだよ。もちろん、家同士が争いになるような事は今のところはするつもりはないし、安心してくれていいよ」
「
「就職先を間違えたかな」と、ノーマンは思わずにいられなかった。
だが、頭が良いように思えて、抜けたところのあるアイザックを補佐をするのはやり甲斐がある。
とりあえず「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉を信じて、ノーマンはこれからも頑張ろうと前向きに考え直した。
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「クソッ、あのガキッ。なんて事を言いやがるんだ! 俺はジュード様じゃないぞ!」
フィリップである。
フレッドがアイザックを嫌っているのは知っていた。
だが、ウェルロッド侯爵家のように子供の教育を放棄している家とは違う。
ちゃんと分別のある子には育てている。
実際に何も行動に移さなかったのだから、それはわかるはずだ。
しかし、アイザックには通じなかった。
それどころか、暗殺者のように扱うと思われてしまった。
「ジュードやその後継者と同じ事を誰もが考えると思わないで欲しい」と、彼は不愉快になっていた。
「言われてみれば、確かに事故という形で処理をするのも悪くないな。いい勉強になった」
「何がいい勉強だ。跡取りを使ってそんな方法を使えるか!」
ジャックの言葉に、フィリップは不快感を隠そうとしない。
彼は頭脳派とはいえ、武門の家柄に生まれ育ったので、暗殺などの手段は好みではなかったからだ。
やはり、優先度でいえば正面から打ち倒したいという思いの方が強い。
「大体、どこからあんな考えが湧く? 生まれる前からジュードは死に、その知謀を授かる機会などなかったはずだ」
フィリップの疑問は当然のものだった。
アイザックが三十代、四十代の人間なら過去の経験から、何か思いついてもおかしくないと思える。
だが、たった十歳の子供が思いつく事ではない。
フレッドの事だけなら偶然で済ませられた。
だが、それだけではない。
メリンダやカーマイン商会への対応なども考えれば、子供の発想の枠を大きく逸脱していた。
その事がどうしても不思議だった。
「乳母のバートン男爵夫人と話した感触では、教育していた様子はなかった。乳母として子育てを手伝っていただけだ」
ジャックがパーティーで、さりげなく集めていた情報をフィリップに話す。
「ではハリファックス子爵家か?」
フィリップの頭の中にモーガンやランドルフが教育したという考えはなかった。
彼もマーガレットから要請のあった、ネイサンの教育支援の話を聞いていたからだ。
だから、ルシアの実家が関わっているのではないかという考えに至る。
「いや、あそこは事件前まで『ルシアとアイザックに実家に帰ってきてほしい』と周囲に愚痴をこぼしていたらしい。積極的に侯爵家の息子としての教育を施したりはしないだろう。そもそも、あの家も実直な人柄の者ばかりだから、策謀を教える事は無理だろう。……そうなると、一人しかいないな」
「ああ、ルシア・ウェルロッド……」
彼女は子爵家の娘ながら、侯爵家に嫁入りする度胸を持つ。
ランドルフの応援があったとはいえ、第一夫人の座を最後までメリンダに明け渡す事のなかった女だ。
そして、アイザックの身近にいて、教育を施す事が可能な者でもある。
「誰かがアイザックをあそこまで育て上げた。消去法でいくと、彼女くらいしか思い浮かばない」
「大人しい振りをして、メリンダを打ち倒すためにアイザックを育てながら虎視眈々と機会を狙っていたのか」
「さすがにジュードの後継者とはいえ、勝手に育つわけではない。誰かが知識を教えなければならない。家庭内で不利な立場にありながら、誰にも気付かれずにあそこまで育てあげるのは至難の業だぞ」
「見事なものだな。パーティーでも控えめな態度だったから、すっかり騙されたぞ」
二人が頭を悩ませるのも仕方がない。
前世の記憶があり、読んだ戦記物の小説や漫画の出来事を参考に行動しているなどと、誰が思いつけるだろうか。
「女が教えていたから、優秀ながらも暴力的な手段しか取れないという歪な状態だったんだな」
――アイザックは男の貴族として、他家と渡り合うやり方を知らなかった。
その事から、アイザックは男の貴族から教育を受けていない事がわかる。
母からしか貴族としての教育を受けていないせいで、加減がわからなかったのだとフィリップは判断した。
彼らの中で、アイザックを育て上げたルシアの存在がだんだんと大きくなっていく。
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