第五章 新たな出会い編

第103話 十歳式の準備

 祖母と話をした翌日、ハリファックス子爵家とバートン男爵家の家族を交えて朝食を摂っていた。

 賑やかな朝。

 しかし、アイザックはあまり良い気分ではなかった。


(受け入れる事も可能かもしれませんって言ったけど、やっぱり婆ちゃんの見方は変わるよな……)


 昨晩、祖母のマーガレットと話した事がどうしても頭から離れない。

 だが、彼女の事を「黒幕」として責めるような考えではない。


(婆ちゃん、凄すぎだろ。他家に後継ぎの教育を委ねるのもやむなしとか普通考えてもやらねぇよ。危機感があったにしても、どんだけ肝っ玉据わってんだよ)


 ランドルフやモーガンに頼れなかったとはいえ、とんでもない解決方法を思いついたものである。

 それが正しかったかどうかは、ネイサンが死んだ以上わからない。

 しかし、その決断力と胆力は素直に称賛に値する。

 ちゃんとモーガンと協力し合って教育していたのなら、ランドルフも立派な男になっていただろう。


「アイザック、どうしたの?」


 その祖母に声を掛けられる。


「あ、いえ。こうして大勢で食べるのって久し振りだなって……」

「……そうね」


 適当に答えただけだったが、その言葉はマーガレットの心を抉る。

 アイザックは、先月に十歳になったばかり。

 領主代理という役目があったとはいえ、アイザック一人だけが家族から遠く離れてしまっていた。


 本当はマーガレットがアイザックに付いていくつもりだったが、外務大臣という職務は国の窓口である。

 大臣の妻にも、他国から来ている大使の奥様方との付き合いがある。

 侯爵家の客の相手はルシアが応対できたとしても、こちらはマーガレットがやるしかなかった。

 やむを得ず、ハンスにアイザックを任せて見送る事しかできなかった。


「今年はランドルフをウェルロッドに帰しましょう。元気になってきているから、書類仕事くらいはできるでしょう」


 マーガレットはランドルフを一人で帰すという事も考えていた。

 後見人が必要なアイザックではなく、ランドルフを送り返した方が領地の運営は安心できる。

 その考えをアイザックに伝えた。


「領主代理ができるくらい元気になってくれていればいいですね」

「春には治っているでしょう」

「そうであってほしいですね」


 アイザックは返事をしながら「その方法もいいな」と考えていた。

 今のところ、ランドルフはアイザックに会えないだけ。

 まだ実際に会っていないのでわからないところはあるが、領主代理として仕事を任せる分には問題ないはずだ。

 それに、仕事をする事で気を紛らわせる事ができる。

 集中する事で、何か良い影響があるかもしれないと思った。


「アイザックは大変な時によくやってくれたんですもの。これからはゆっくり……、はできないわね」

「えぇっ、なんでですか?」


 今のは「これからはゆっくりしなさい」と言うべきところだったはずだ。

 ゆっくりする暇が無さそうな空気を感じ、アイザックは驚きの声を上げる。


「アイザックは十歳になったでしょう? これから十歳式の用意もあるし、色々と忙しくなるわよ」


 ルシアがアイザックの疑問に答えた。


「十歳式……。そうでした。マチアスさんやアロイスさんもそのために来ているんですもんね」


 頭ではわかっていたが、式に参加するという事を甘く見ていた。

 十歳式は屋敷で行われるだけではない。

 メインは十歳になった子供を集めて、王宮で開かれるパーティーだ。

 同世代の子供達を一ヵ所に集めて、顔合わせさせるのが主な目的だった。


 ……そう、だった・・・

 十歳式での顔合わせはすでに形骸化している。

 現在は十歳になる前に、同じ派閥や親しい家の子供と友人関係になっている事が多い。

 友達のいないアイザックは、寂しい十歳式を過ごす事になるかもしれない。


「十歳式までに友達を作らないとね」


 マーガレットは心配そうに言った。

 本来ならば、今年一年でアイザックの友達を作るつもりだった。

 領主代理という役目が無ければ、この時期に友達に困るような事も無かっただろう。


「アイザック、友達が居ないなら式の間は私と一緒に居ればいいよ。チャールズも紹介するからね」

「あ、ありがとう」


(本物の十歳児に同情されるっていうのは、さすがに辛いものがあるなぁ……)


 ティファニーの申し出だが、アイザックは心の底からは喜べない。

 今の自分は十歳児という意識はあるが、前世の記憶もあるので精神的には大人だという思いもある。

 気持ちはありがたいが、同時に切なさも感じてしまった。


(今までネイサン対策で掛かり切りだった分を取り戻さないとな)


 ――これから先、王位を狙うのなら同年代の友達は必須というわけではない。

 ――十歳、二十歳くらい年上の油が乗ってきた働き盛りの者と友好的な関係を築いた方がプラスになる。


 そう思っていたところもある。

 自分の力だけではどうにもならないところがあったとはいえ、友達を作ろうと努力しなかった事は否定できなかった。

 積極的に両親に掛け合っていれば、祖母の思惑があったとしても一人や二人は同性の友達ができていただろう。

 今の「男友達がいない」という状況は自分にも少しは責任がある。

 まずは自分の意識を変えていく事から始めようと、アイザックは考えていた。



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 朝食が終わると、ハリファックス子爵家とバートン男爵家の者達は自分達の屋敷へ帰っていった。

 彼らも自分達の屋敷に荷物を置き、これからの生活に備えなければいけないからだ。


 一方のアイザックは服の採寸などを行っていた。

 これは十歳式に着るための宮廷服を作るためだ。


「ランドルフ譲りの綺麗な金髪だから、黒や濃紺の生地で上着を作った方がいいんじゃない?」

「ですが、せっかくの晴れの舞台。赤い生地なんかもいいのではありませんか?」


 アイザック本人よりも、大人達の方が乗り気だった。

 ルシアとマーガレットが楽しそうにしている。

 十歳式は子供の一大イベント。

 今までアイザックに苦労させた分、晴れの舞台は立派に祝ってやりたいとでも思っているのだろうか。

 仕立て屋が持ってきたサンプル用の服を手に取りながら、アイザックに似合いそうな色を探している。


「あまり派手じゃなくても……」

「いけません! 侯爵家の子である以上、ふさわしい恰好をしなくてはなりません。これは家としての見栄を張るというだけではなく、他の家のためでもあるんですよ。侯爵家の子が地味な恰好をしていては、次回から他の家の子供が気を使ってしまいます」

「なるほど、そういう事ですか」


 マーガレットがアイザックに注意をする。

 アイザックにも、その事に思い当たる事があった。


(リサの時も、男爵家だから地味な色のドレスになったとか言ってたもんな)


 侯爵家のような大貴族が地味だと、伯爵家以下の家はもっと地味な服にしないといけなくなる。

 十歳式以降のパーティーで、周囲の者達に気を使わせる事になってしまうというのも理解できる。

 それにあえてはしゃぐ事で、ネイサンやメリンダの事を乗り越え、アイザックと新しい関係を築こうとしているのかもしれない。

 ここは我慢して派手な服装を受け入れようと、アイザックは覚悟を決めた。


 そんなアイザックの決意を知ってか知らずか、レイドカラー商会のジェイコブが良い笑顔をしながら提案をする。


「純金のボタン、その中央に宝石を取り付けるというのはいかがでしょうか? ただの金のボタンだとやや地味かと」

「それも良いかもしれないわね」


(おぃぃぃ! なんて事言いやがる!)


 アイザックは、ここぞとばかりに稼ごうと考えているジェイコブを睨み付ける。

 純金のボタンというだけでも気を使うのに、そこに宝石なんて付けられるなんてたまったものではない。


 侯爵家に生まれて以来、アイザックは高価な家具に囲まれて暮らしてきた。

 服もそうだ。

 侯爵家の子供にふさわしい良い素材の服を用意されていた。

 だが、母のルシアの好みからか、どちらも洗練されたシックなデザインばかりだった。

 純金のボタンのようなド派手な物を身に付けるのは、前世を含めて初めての経験だ。

 アイザックは多額の現金を持っているが、こういったところは庶民的感覚を持ったままであった。


 ジェイコブが張り切っているのにはわけがある。

 ティリーヒルの交易所で、装飾品はまだ売れ行きが悪いせいだ。


『綺麗ね。けど、今は塩優先』

『本当。でも、私は鍋が欲しかったの』


 と、エルフ達は生活に必要な品を優先して購入している。

 装飾品の店はまだまだ冷やかし客が多い。


 鉄製品を取り扱うグレイ商会は、エルフの護衛――という名の監視――付きで遠くの村に職人を送り込んだりしている。

 包丁を研いだり、鍬など農具の柄を付け直したりする出張サービスを行っていた。


 食料品を取り扱うワイト商会は、塩や砂糖といったものだけではなく、小麦や野菜といったものが売れている。

 交易所で食堂も運営しており、エルフ達からの評判も良い。


 他の商会はエルフ相手に上手くやっている。

 ジェイコブがレイドカラー商会の存在感をアイザックにアピールするため、張り切ってしまうのも仕方のない事だった。

 だが、それはアイザックにとって有難迷惑でしかない。


「あの、さすがにそこまでやるのはどうかと思います。殿下より目立つのはマズイんじゃないですか?」


 アイザックは「よし、良い事言った。これで考え直すだろう」と思った。

 しかし、現実は非情である。


「式典の時は上下白の礼服を着るから大丈夫よ。式典では王族だけに許されている色ですからね。白い礼服を着ているっていうだけでも一番目立つから心配はいらないわ」

「そ、そうですか……」


 祖母の言葉がアイザックの希望を打ち砕いた。

 他の者が黒や赤といった服を着ている中、一人だけ白なら嫌でも目立つ。

 それに王子というだけあって、立場にふさわしい装飾品で着飾っているはずだ。

 アイザックの考えは甘かったと言わざるを得ない。


「今年ジェイソン殿下が十歳式に出席されるという事は、他の家も気合を入れるという事なの。アイザックだけみすぼらしい服をしていては恥ずかしい思いをしてしまうのよ。普段着慣れない服かもしれないけれど、今回は我慢して着ていった方がいいわ」


 アイザックが嫌がっていると気付いたルシアが説得に回る。


「ええ、わかっています。貴族として見栄を張るのも大切なんですよね」


 ウェルロッド侯爵のためだけではない。

 地味な服ではアイザック自身も低く見られてしまう。

 他の侯爵家の子供と同等かつ、伯爵家以下の子供よりも立派な物を着ていかなくてはならないという事だ。

 今回はジェイソンがいるので、その分ハードルが上がっているのだろう。

 他家に負けないようにしつつ、飾りを付け過ぎて奇抜になり過ぎないようにしなくてはならない。


(これが女の戦場ってやつなのかな)


 ルシアとマーガレット。

 二人がアイザックの服を考える姿に、鬼気迫るような迫力を感じていた。


(婆ちゃんも家の心配してるより、こうして服の心配してる方が生き生きとしてるな。……まぁ、それもそうか)


 十歳式の服選びも重要だが、家の行く末を心配するのとは比べ物にならないはずだ。

 マーガレットはアイザックに胸の内を打ち明けて気分が軽くなったのかもしれない。

 本来、貴族の女が本領を発揮する領分に専念できて嬉しいのだろう。


 もちろん、今後は自分をどう盛り立てていってくれるのかという思いもある。

 しかし「今、わざわざ水を差すような事を言わなくてもいいだろう」と考え、アイザックは大人しく着せ替え人形のようになっていた。

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