第101話 貴族の男として

099 十歳 貴族の男として


 その日のうちに、マーガレットによって「モーガンのサプライズ禁止令」がウェルロッド侯爵家内で発布された。


「家族との付き合い方を変えたいのならば、トランプやチェスなんかのテーブルゲームをしながらお話ししなさい」


 と、至極真っ当な意見で、モーガンの行動が制限された。

 これにはモーガンも反省し、大人しく禁止令を受け入れた。


 夕方、モーガンはハリファックス子爵とバートン男爵を連れて王宮へ向かった。

 彼らも貴族として、エルフの代表団を歓迎するパーティに参加する義務がある。

 本来ならばマーガレット達女性陣も参加するはずだったが、今回は違った。

 これも一昨年のマチアスの行いによるものだ。


 パーティ会場で、泥酔したマチアスがエリアスの肩に手を回し――


「兄ちゃん、賢王って呼ばれてるんだって? 名前負けしないように頑張れよ」


 ――と言ってしまった。


 国王に対して失礼極まりない言葉遣いだが、マチアスが建国の時代に手伝ってくれた人物だという事と、エリアスが許しを与えたので大きな問題とはならなかった。

 今回はこの経験を活かし、楽しく騒げるパーティ方法が選ばれた。

 初対面の長老衆もいるので、前もって「多少の無礼は許される」と伝えておき、貴族としての堅苦しいパーティではなく、気兼ねなく楽しんでもらおうというパーティになっていた。

 

 そのため、ご婦人方を呼ばない無礼講の席となっている。

 酔っ払いに絡まれるのを防ぐためだ。

 酒の席では誰がどんな行動を取るかわからない。

 さすがに膝蹴りをするような者がいなくても、ビンタの飛び交うパーティなど誰も望んでいない。


 この日はアイザックにとって、久し振りに賑やかな日となった。

 夕食までの時間、子供達でトランプをしたり、パトリックと遊んでいたからだ。

 特にマイクがパトリックを気に入ったようで、パトリックの背に乗ってお馬さんゴッコを楽しんでいた。

 背中から落ちないよう、ブリジットかリサがマイクの体を支えてやっていた。

「いつかケンドラも」と思うと、アイザックの頬が自然と緩んだ。




 問題は夕食の時に表面化した。

 ランドルフが食堂に現れなかったのだ。


「お父様は食堂で食事をするようになったと聞いていたのですが……」


 以前、祖父から聞いた情報との違い。

 アイザックは母に父の様子を尋ねた。


「あの人も一緒に食事をしたがってたわ……。でも、あなたと会うと思うと、足が動かなくなってしまうみたい」

「そうですか……」


 話をする事すらできないのでは、前に進みようがない。

 身体が会うのを拒否するほど嫌われているのでは、今後の関係もどうなるかわからなくなってしまう。

 もう関係の修復ができないのかもしれないと、アイザックは肩を落とした。

 しかし、その考えはルシアによって否定される。


「でもね、決して嫌っているというわけではないのよ。ネイサンとの間で殺し合いになる前になんとかできなかったかと悔やんでいたわ。今ではあなたと会いたい、話し合いたいと思っているの。でも、体がいう事を聞かないみたいで……」

「もう少し、時間が必要という事ですか」

「多分そうだと思うわ」


(良くなっているのなら、まだいいか……)


「そういえば、僕がケンドラに会うのを止めたりしませんでしたね……」


 もし、ランドルフが以前のままならば、ケンドラにアイザックを近づけようとせず、突き飛ばしたりして引き離そうとしていたはずだ。

 当初のショックが和らぎ、考える時間ができた事で態度が軟化したのだろう。


 アイザックは、心の病は完治に時間が掛かるとニュースか何かで聞いた覚えがある。

 母と穏やかな日々を過ごす事で、ゆっくりと療養してほしいと考えていた。



 ----------



 その日の晩。

 アイザックは今まで気になっていた事を聞きに、祖母のもとへと向かう。

 これを聞いておかねば、少なくとも祖母とは本当の仲直りができない。

 メイドに聞いたところ、自室にいるとの事なので、アイザックは部屋へ会いに行った。

 祖母は自室のソファーに座り、紅茶を飲んでいた。


「お婆様、久し振りにお話ししてもよろしいですか?」

「いいわよ。でも、ルシアとじゃなくてもいいの?」


 十歳になったとはいえ、本来ならばまだ母親に甘えたい年頃。

 自分よりもルシアの方と話したいだろうと不思議そうにしていた。


「はい。まずはお婆様とお話ししたくって」

「まぁ、嬉しい事言ってくれるわね。いらっしゃい」


 マーガレットは笑顔でアイザックに手招きをする。

 その誘いに乗り、アイザックは彼女の隣に座る。


「ねぇ、アイザック。今年はね、あなたにお友達を用意しようと思うの。夫人の集まりで、誘おうと思ってるのよ。どんな子がいい?」

「ありがとうございます。そうですね、最初は兄上と仲が良くなかった子がいいです。仲が良かった子は良い印象を持ってくれないでしょうから」


 突然の友達の話。

 それにアイザックは乗った。

 これから話をする事にも関わってくる事だからだ。


「それでですね、お婆様に聞きたかった事があるんですよ」

「何かしら? 答えられる事ならいいんだけれど」


 マーガレットはそう答えながらも、きわどい事を聞かれるのだろうと察していた。


「一年前の事で疑問に思ったんですよ。お婆様は『多少はハンデを付けなきゃいけない』って言っていました。でも、貴族の味方って兄上ばっかりでしたよね? それも最初から、ずっと。なんで僕が結果を出す前から、兄上にばかり有利な状況だったかを教えてくれませんか?」


 アイザックの質問は、マーガレットの予想通り痛いところを突くものだった。


 ――この質問にどう答えようか。


 そう考えると、彼女の顔から自然と笑みが消えた。

 どう答えても、あまり良い結果にはならなさそうだからだ。

 その感情を読み取ったアイザックが、話し出しやすくしてやった。


「お婆様、僕はこれからも仲良くやっていきたいと思っています。そのためにも、お婆様がどのような事を考えておられたのか教えてください。不安が払拭されなければ、どうしても距離をおかねばならなくなってしまいます。話していただければ、納得し、受け入れる事も可能かもしれません」


 その台詞が話し出しやすいかどうかはともかくとして、マーガレットが話し始めるのを一押しする事には役立った。

 マーガレットは唇を噛み締めたあと、深い溜息を吐き、諦めたようにアイザックに話し始めた。


「アイザック、あなたはモーガンとランドルフに貴族として・・・・・の教育を受けた事はある?」

「貴族としてですか?」


(貴族としての教育ってなんだろう?)


 普通の勉強の事ではないだろう。

 そうなると、今のアイザックに思い浮かぶのはウィンザー侯爵に叱られたような事だった。


 ――権威や人脈を使ったスマートな解決方法など、貴族らしい振る舞い。


 そういう事を祖母が言っているのならば、確かに教わってはいない。

 もちろん、教わる年齢ではなかったというのもあるかもしれない。


「いえ、特に覚えはありません」

「そうでしょうね。あの人モーガンは家庭を顧みなかったし、そのせいでランドルフは教わっていない。あなたに教えられるはずがないものね」

「えっ」


 アイザックは意外な事を聞いてしまった事に驚く。


「お爺様が家庭をおろそかにしていたとは聞いています。ですが、お婆様がお父様に教えたりしなかったんですか?」


 アイザックが驚いたのはこの事だった。

 家庭の事を任されていて大変だったとはいえ、ランドルフに教育を施す事くらいはできたはずだ。


「貴族としての教育って言っても、色々とあるのよ。私が知っているのは貴族の女としての生き方。貴族の男としての生き方までは教えられないの。だから、ランドルフがメリンダと結婚すると聞いて嬉しかったわ」

「……なぜですか?」


 聞きたくない。

 だが、聞かなければ話が進まない。

 アイザックは鼓動が早くなるのを感じていた。


「生まれた子供がウィルメンテ侯爵家の伯父や祖父から、貴族の男として必要な事を教えてもらえるからよ」

「それなら、僕もハリファックス子爵やアンディ伯父さんから教わるようにすればよかったのではありませんか?」


 アイザックに疑問をぶつけられたマーガレットは首を横に振る。


「それはダメよ。侯爵家は貴族の中の貴族、人を使う側。子爵家は貴族の中でも使われる側。同じ貴族とは言っても似て非なるものなのよ。ルシアは第一夫人という有利な立場にありながらメリンダと戦おうとしなかった。生来の性格もあるでしょうけれど、これは生まれ育った環境と教育の差よ。もし、ルシアが侯爵家の娘であれば、気弱な性格だったとしても、メリンダに負けないように頑張っていたでしょうね」


 祖母の話は聞けば聞くほど「聞かなければ良かったかも」と思ってしまう。

 それでも、話し出した以上は最後まで聞かなければならない。


「……では、侯爵家の男として教育を受けられるから、幼い頃から兄上を優遇していたというのですか?」 


 アイザックは少し震えた声で尋ねた。


「そうよ。ランドルフから子供へ必要な事を伝えられない以上、伝えられる人に託すしかないでしょう? あなたには可哀想な事をしたと思っているわ。でもね、男の役割が家の発展なら、女の役割は家の存続。ウェルロッド侯爵家をこれからも続いていかせるために必要な方法は、ネイサンを後継者にするしかないと思っていたのよ。だから、ネイサンが生まれた時から応援していたわ。ウェルロッド侯爵家を次代に繋ぐ者になってほしかった」

「では、お婆様から『ネイサンを後継ぎにしなさい』と言えば丸く収まったのではありませんか?」


 マーガレットは力無く首を横に振る。


「言いました。けれど、女の意見はあくまでも意見止まり。家督相続には直系の男子の意見が優先されるのよ。ランドルフがあなたを後継者にすると言い張っていた以上、私の意見は通らないわ」

「…………」


 予想以上に衝撃的な事実に、アイザックは何も言えなくなってしまった。

 確かに祖母のやった事は憎い。

 だが、それ以前に恨むべき相手がいた。


(確かに親父は貴族としての厳しさとかは感じられなかった。それは爺ちゃんが教育しなかったのが悪いけど、爺ちゃんがそうなってしまった原因は曽爺さんだ。そのしわ寄せが婆ちゃんに行って、そこから俺に来た……。もう、なんなんだよ!)


 誰が悪いかといえば曾祖父のジュードだ。

 だが、彼は彼でその時代に必要な生き方だったかもしれない。


 祖父のモーガンが、もっと家族との接触を増やしていればよかった。

 しかし、ジュードに我が子を利用されるという可能性を捨てきれず、情が移らないように距離を置いてしまった。

 そのせいで必要な事を伝えられず、祖母に任せきりだった。

 もしかすると、ジュードの死後にランドルフに色々と教え始めたのかもしれない。

 だが、幼い頃から学んできた事をすぐには変えられず、ランドルフは優しいだけの男になってしまったのだろう。


 ランドルフはマーガレットの手によって育てられた。

 しかしながら、貴族の男として必要な事までは教えられなかった。

 そのため、愛を優先してルシアとの子を後継者とすると決めてしまった。

 もし、ちゃんとした教育を受けていれば、長男であるネイサンを後継者にしていただろう。

 そうすれば、よけいな混乱は起きなかったはずだ。


 ――歪な家族関係。


 その歪みがアイザックの世代で表面化してしまった。

 マーガレットは、その歪みを直そうとしていただけだった。

 もちろん、そのやり方はアイザックにとって歓迎できるやり方ではなかった。

 しかし、理解したくはないが理解できる事ではある。


「これからケンドラが成長したり、新しい弟が生まれた時、お婆様は誰の味方をされるのですか?」

「あなたは貴族の男として必要な『他家に食い物にされない』という、もっとも重要な能力がある事を示した。それに、あなたはウェルロッド侯爵家の血を色濃く受け継いでいる。行動でよくわかるわ。これからは私はアイザックの味方よ。あの人も家族を顧みなかった事を反省しているようだし、しっかりと貴族として必要な事を学んでいきなさい」


 マーガレットはジッとアイザックの目を見つめる。

 アイザックはその目を見つめ返した。


「無条件で今すぐ信じるという事はできません。ですが、正直に話してくださった事には感謝しています。少なくとも、なぜ幼い頃から兄上が優遇されていたのかという疑問は解決できました」


 祖母の行動が「家の存続を危うんでの行動」だとわかった。

 アイザックはその事実を考えるだけで、頭がパンクしそうになっていた。

「ルシアやアイザックが憎い」というわかりやすい理由であれば、色々と簡単に割り切る事ができたはずだ。

 一人でなんとかしなければならない状況だった祖母に少し同情を感じてしまった以上、簡単に縁を切ったりする事はアイザックにはできなかった。


「今日、聞きたかったのはこのくらいです。また聞きたい事が思い浮かんだらお聞きしますので、教えてくれると助かります」


 祖母の話を聞いて、長旅の疲れがどっと出たアイザックは話を切り上げる。


「ええ、もちろんよ。次は女の子へのプレゼントの選び方とかを聞いてくれると助かるわ。おやすみなさい」


 自分のやってきた事のせいとはいえ、アイザックとの話は重い内容となってしまっている。

 少しは軽い話をしたいと思ったのだろう。

 別れ際、アイザックにそう声を掛けた。


「プレゼントを渡す相手が見つかればお聞きしますよ。おやすみなさい、お婆様」


 アイザックはおやすみの挨拶を交わして部屋を出る。




(聞くんじゃなかったかなぁ。でも、聞いておかないと気になって仕方なかったし……)


 ベッドに潜り込み、アイザックは後悔していた。


(侯爵家だっていうから良い家に生まれたと思ったら、内部が空洞化したハリボテ状態。俺が親になる時は、曽爺さんみたいに家族を暗殺の道具には絶対使わないぞ)


 家族ですら道具として使い捨てる。

 そんな曾祖父をアイザックは恨む。

 少なくとも、曾祖父が実の娘を暗殺の道具にしていなければ、祖父も父との関係を恐れなかった。

 その場合は、父にちゃんと教育を施していて、祖母が孫の世代を危ぶむような事も無かったはずだ。


 だが、これは当時の世情を考えない、今のアイザックの立場だから考えた事だ。

 当時は当時で必要な事だったのかもしれない。


(それにしても『あなたはウェルロッド侯爵家の血を色濃く受け継いでいる。行動でよくわかるわ』か。俺は俺だ。俺が自分の意思で欲しい物を手に入れるために動いてるんだ。血なんて関係ない)


 祖母の言った事をかぶりを振って否定する。


(家庭の問題は根強い。時間を掛けて少しずつ解決していこう)


 曾祖父の代から続く問題である。

 だが、自分の代で終わってほしいと思いながら、アイザックは眠りについた。

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