第92話 エルフ側の事情

 ウェルロッドに帰った翌日、アイザックはクロードとティータイムを楽しんでいた。

 本格的な仕事はハンスの来る二日後。

 緊急の仕事もないので、今は旅の疲れを取っている。


「今年は村に帰らなくていいんですか?」


 今朝、森に帰るブリジットを見送った。

 しかし、クロードは屋敷に残っている。

 彼が残った理由が気になったアイザックは、世間話としてこの話題を持ち出した。


「伝えないといけない事は手紙に書いてある。それよりもお前だ」

「えっ、僕?」


(俺が美少年だからって、ショタに目覚めたとか! ……まぁ、普通に考えれば心配してとかだろうな。ふざけた事考えてごめん)


 失礼な事を考えてしまったので心の中で謝罪する。

 クロードは比較的常識のある大人だ。

 大人として子供の事を心配しているのだろうと、アイザックは考えた。


「ランドルフならともかく、お前が領主代理になると何が起こるかわからん。近くで監視しておかないと心配でしょうがないんだ」

「あっ……、そう……」


 確かにアイザックの心配はしていたようだが、別の意味で心配していたようだ。

 たった一度の出来事で、かなりの信用を失ってしまったらしい。

 残念な事だが、人間との交流をやめようと思われなかっただけまだマシだ。


「ちなみに手紙の内容って……」


 アイザックの事を警戒しているというのなら、手紙の事も気になった。

 内容次第ではアロイス達の態度が変わるかもしれない。


「安心しろ、ウェルロッド侯爵家で権力争いがあったと書いただけだ。まぁ、正直に十歳と九歳の子供が争ったと書いても俺の頭が疑われるだけだから、詳細はぼかして書いておいたがな」

「でも、ブリジットさんが話すんじゃないの?」


 手紙で説明していても、ブリジットの口からアイザックの事が漏れてしまうはずだ。

 きっと彼女は口を閉ざす事なく話してしまうだろう。

 クロードの配慮も無駄になってしまうと思われる。


「大丈夫だ、ブリジットはあの時取り乱していたからな。アイザックが兄のネイサンを殺したくらいしか理解していない。状況を詳細に理解していないブリジットの言葉で村長が動く事はないだろう」

「そうなんだ」


 今すぐにエルフとの関係が大きく動く事はないとわかり、アイザックはホッと溜息を吐く。

 そんなアイザックの様子を見て、クロードは釘を刺す。


「だが、自分の一挙手一投足が注目されているという事を忘れるな。今はまだリード王家よりも、ウェルロッド侯爵家と交流しているという意識が強い。付き合い辛い相手だと、他の村にも声を掛け辛くもなるしな」

「うん、わかってるよ。殺し合うような事なんてそうそうないから、そこは安心してくれていいと思う」


 アイザックにとって、エルフとの交流は切り札のようなものだ。

 関係が悪化して交流を中断されると非常に困った事になる。

 そして、それ以上にエルフに喧嘩を売るような真似をするつもりはない。


(魔法を使うエルフと戦争なんてまっぴらだし……)


 話に聞いた分ではクロードの両親も争い事を嫌う傾向がある。

 だが、さらにその親――マチアス――の世代は違う。

 彼らは、かなり好戦的な部分があるようだ。

 マチアスは茶目っ気タップリの爺さんだったが、戦いになると人を殺す事に一切の躊躇いがなくなるらしい。

 建国期の荒んだ時代を生きたためだろう。


 それだけではない。

 争いを嫌う者も二百年前の戦争では戦っていた。

 平和を愛するからこそ、時には戦わねばならない事を理解している。

 エルフと争いになればマチアス世代だけではなく、他のエルフも全て敵に回す事になってしまう。


 そして、アイザックはエルフの魔法の力を知っている。

 剣、槍、弓といった武器で、大砲のような威力の魔法を使えるエルフ相手に戦うつもりなどない。

 媚びを売ったりはしないが、良き隣人として仲良くやっていきたいと思っている。

 クロードが心配するような事については起こすつもりはなかった。

 むしろ、積極的に仲間に引き込みたいくらいだ。


「……あれ?」

「どうした?」


 アイザックが何かを思いつく。


「マチアスさんはご先祖様の時代に武官というか傭兵というか、そんな感じで協力してくれてたんだよね?」

「ああ、そう聞いている」

「じゃあ、文官として働いていた人はいないの?」

「文官か……」


 これはアイザックが今思いついた事だ。

「武官がいるなら、文官もいてもおかしくない」と。

 戦争に関わる武官はダメでも、文官としてなら引き込めるかもしれない。

 人材不足の解消とエルフとの関係強化ができるという一石二鳥だ。

 もっとも、これには元々いた文官への配慮も必要なので、すぐに実行というわけにはいかない。


 誰か文官だった者がいないか、クロードが思い出そうとして悩み始める。


「残念だが思いつかんな。商店をやっていたりした人は知っているが、政治に関係していたような人は知らないな」


 さすがに必要な人材がすぐに見つかるという事にはならなかった。

 そこまで世間は甘くないという事だろう。


「じゃあ、クロードさんが僕の秘書官見習いをやってみる? 僕の近くにいれば、どんな考え方をするのかとかわかるよ」

「むぅ」


 クロードはアイザックの提案を考え始める。

 しかし、すぐにかぶりを振った。


「いや、それはやめておこう。これから領主代理として政治に関わるんだろう? その中にはエルフに知られたくない事もあるはずだ。誘ってくれるのは嬉しいが、俺にも大使としての役割がある。お互い適切な距離というものを取っておかないとな」

「そうかぁ……。残念だけど仕方ないね」


 ここで誘いに乗ってくれれば良かったのだが、残念だが乗ってこなかった。

 だが、これだけでアイザックが諦めたわけではない。

 将来的に「エルフ全体をウェルロッド侯爵家から離れられないようにしたい」と思っているからだ。

 今はまだ近所のバイト先や取引相手といった関係でしかない。


 将来、反乱を起こす時に力を借りるつもりはない。

 国を奪い取るのはあくまでも人間の力によってだ。

 エルフに頼ってしまっては、アイザックの国ではなくアイザックとエルフの国になってしまう。

 それは望んでいない。


 しかし、その先――国を奪い取った後はエルフと深い関係を築いて、周辺国に睨みを利かせる手助けをしてほしいと考えている。

 友好的な相手がいて困る事はないのだ。


「そういえば、村長からの手紙に書いてあったが、新しく出稼ぎに参加する村はないそうだ」


 クロードが話を変えた。

 それも、アイザックにはあまり聞きたくない話にだ。


「それは僕も聞いたよ。距離が離れている村は乗り気じゃないみたいだね」


 クロードの住んでいたモラーヌ村。

 その近辺の村は出稼ぎや、交易所で物を売って金を手に入れ、品物を買って帰るという行為をしていた。


 しかし、遠くの村は違う。

 ティリーヒルとドワーフの街が変わらぬ距離にある村は、今までの付き合いからドワーフの街に行っている。

 もちろん、ドワーフの街に近い村も今まで通りだ。

 そしてどちらからも遠い村は、塩などを手に入れた村に手間賃を上乗せして交換してもらったりしていた。

 アイザックもどうにかしたいと思っているが「距離」という人間にはどうしようもない大きな壁の前に交流の拡大は停滞していた。


「……森の中に道を作るってできないの? 人工林はビッシリ木が詰まってるけど、天然の森だと結構木と木の間が開いてたよね? 魔法で木の隙間を少しずつ狭めてもらって、荷馬車が一台通れるくらいの道ができたら大きく変わると思うんだけど」


 ここでアイザックは「森の中に道を作る」という答えを導きだした。

 距離が遠ければ、道を整備すればいい。

 道が整えば塩の入った袋を背負い、苦労して森の中を歩かなくてもいいのだ。

 荷馬車を使って、一度で運べる量を増やせれば遠くに済む者も苦労に見合った成果を得られる。


「道か。やれない事はないだろうが……。どうだろうな。実際に交易所に行き来している者に聞いた方が良いだろうな」

「そうだね。じゃあ、ブリジットさんが帰ってきたらどんな様子だったか聞いてみよう」


 これは何か悪い事をするわけではない。

 話を聞くだけで、何か悪影響を及ぼす事ではない。

 安心して検討する事ができた。


「そうか。道ができたら、商店をやっていた人にエルフの村で塩の販売店とかやってもらえばいいんだ。……あぁ、けどそれじゃあ交易所が寂れちゃうか」


 良い考えだと思ったが、悪い面もある。

 これは自分一人で答えを出してはいけない事だと思い、考えを引っ込めようとする。


「時が経てば自然と人間から仕入れた物を売ろうとして、店を始める者も出てくるはずだ。焦ってどうにかしようと考える必要はない。時間が解決してくれるだろう」

「うん、確かにその通りだと思う」


 クロードの言う事はもっともだとアイザックは思った。

 特に若いエルフは人間のようなところがある。

 遠い村まで商品を売りに行く、行商人のような事をし始める者も現れるかもしれない。

 なまじ力があるからといって政治の力で何とかしようとするのではなく、自然の流れに任せた方が良さそうだった。


「人間はエルフほどの寿命がないとはいえ、お前はまだ若い。焦らずにじっくりとやっていけ」


(そんな事を言われても、あと十年以内に地盤固めとか色々やらなくちゃいけないんだよなぁ……)


 もちろん、そんな事は口には出せない。


「自分じゃあわからないから、僕が焦り過ぎだと思ったらクロードさんが教えてよ」


 本当の事を言えない代わりに、クロードにストッパー役を頼む事にした。

 急ぎ過ぎた時に止めてくれる者がいれば、ある程度は安心して急ぐ事ができるからだ。


「構わないが……。人間の大人に頼んだ方が良いんじゃないか?」


 クロードの言葉にアイザックは首を横に振る。


「だって、今はこのウェルロッド侯爵領で一番偉いのは僕だよ? 大人の人達はやっぱり遠慮が出ると思うんだよね。上司とか部下とか関係なく、ズバッと言ってくれる人が欲しいんだ」

「あぁ、そういう事か。ならば、必要な時に言わせてもらおう。ただし、種族が違うという根本的な違いがあるから、俺の注意が正しいとは限らないという事は忘れないでくれ」

「ありがとう。遠慮はしなくていいからハッキリ言ってね」


 周囲に恐怖を与えるという方法は、誰かに手出しされないためというには良いだろう。

 だが、部下が「正しい」と思った事すら進言するのも邪魔してしまう。

 きっと曾祖父のジュードも、誰かブレーキをかけてくれる人がいれば、どこかで違う選択をしていた可能性がある。


 アイザックはすでに色々とやらかしている。

 おそらく周囲の大人達もきつく注意し辛いはずだ。


 ――一歩離れたところから見て、間違いがあればちゃんと注意をしてくれる。


 そういう人物にクロードがなってくれれば非常に嬉しい事だ。

 たとえ少しだけであっても、自分のために何らかの役割を担ってくれるというだけで、今のアイザックにはかけがえのない存在だった。

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