第91話 領主の仕事
アイザックはウェルロッドに帰る道中、馬車の中から外を眺めていた。
今はすでに王家直轄領を抜け、ウェルロッド領内に入っている。
そして、領内に入った頃から不安が大きくなっていた。
(お飾りとはいえ、領主代理だからなぁ……。言動に気を付けないと……)
通行税の会議のせいでアイザックは祖父に怒られた。
「穏便な解決方法とは血を流さない方法だけを指すのではない。円満に解決する方法の事を言うのだ。騙したり、分断工作を図る事を穏便な手段とは断じて言わん!」
と叱られてしまった。
祖父のためとはいえ、勝手にやってしまったのが裏目に出た形だ。
そもそも、鉄鉱石の入札に誘った三商会は領内で大手に分類される商会だった。
その三商会にブラーク商会を足した荷馬車の通行量は多く、彼らの通行税を減税するのなら他の商会も一緒に減税してやっても減税による影響は少なかった。
談合をしていたという事も、少しくらいはお目こぼししてやっても良かった。
商人達も非情な者しかいないというわけではない。
良い対応をしてやれば「良い領主みたいだし、今度何かあったら手助けしてやろう」と思うだろう。
「情けは人の為ならず」というやつだ。
人を陥れるばかりでは誰も付いてこれない。
……いや、付いてこない。
それでは将来に備える事ができなくなってしまう。
――人に恐れられつつ、引かれ過ぎないように優しくもする。
という匙加減の難しい事をやり遂げなくてはならない。
自分で選んだ道なので誰にも文句は言えない。
(まったく、ネイサンが死ねば全部丸く収まると思ったのに……。信頼できる相談相手がいればなぁ)
アイザックは同乗しているノーマンをチラリと見る。
彼はまだ経験不足だが、ちゃんと教育を受けて常識もある。
アイザックが考えた事を話して、違う目線で注意をしてくれれば非常に助かる。
自分に不足するところがあるとわかっているのだ。
そこを補えばいいだけだ。
だが、ノーマンはまだ「アイザックに忠誠を誓う」とは言ってこない。
どこに忠誠を誓うかは人生の大問題だ。
そう簡単には口にできないのだろう。
アイザックも人材の確保を考えなければならない時期が訪れていた。
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「みんな、お疲れ様」
領主の執務室で、アイザックは留守を守っていたフランシス達秘書官や政務官達にお土産を渡す。
チョコレート菓子と花束だ。
これから大きな負担を掛ける彼らに、アイザックは付け届けは忘れていなかった。
「ありがとうございます。王都の件は何と言えばいいか……。ご無事で何よりでした」
王都での事は、すでに手紙で知らされていたフランシスが心配そうに声を掛けてきた。
「ありがとう。前もって知らされていると思うけど、これから僕が領主代理になる。大叔父のハンスさんがサポートしてくれるとはいえ、皆にも苦労を掛けると思う。お父様が復帰されるまでよろしくね」
「ハッ」
メリンダとネイサンの件については、会う人皆に言われ過ぎてそろそろ鬱陶しくなっている。
これからの事を話して、その話題から逃れようとした。
フランシスも長年秘書官をやっているからか、アイザックの感情を読み取った。
彼も話を逸らす事に乗ってきてくれた。
「ハンス様が一時的にとはいえ戻ってくるとは思いませんでした」
「知ってるの?」
「はい。とはいえ、覚えているのは家を出られる前の手鏡を持ち歩いておられた姿くらい……。あ、いえ。何でもありません」
「手鏡って……」
感慨深げに語っていたフランシスから「手鏡」という言葉を聞き、アイザックはハンスへの評価を大幅に下方修正する。
(メイドのスカートでも覗いていたのか?)
アイザックが「手鏡を持ち歩いている」というだけで、そのような事を考えてしまうのは前世の友人のせいだ。
『ミラーマン』という二つ名持ちの友人がいた。
彼は手鏡で近くの女子の胸元をガン見、太ももをガン見、スカートの中をガン見とエロに貪欲で、女体に興味津々だった。
「靴にカメラを仕込んで隠し撮りした方がいいんじゃないか?」と別の友人が質問すると「リアルタイムで見るから良いんだよ!」と熱く語っていた。
そのくせ、コンビニのエロ本も買えなかったシャイな男だ。
同じ友人グループにはいたが、正直言ってアイザックは彼の性嗜好を理解できなかった。
(この世界でそこまで性嗜好こじらせるとか相当だな……)
侯爵家の次男ともなれば、女には困らないはずだ。
なのに、そんな性嗜好を持ってしまうのはよほどの変態なのだろう。
前世の友人と同じ趣味を持つハンスの評価が下がるのも仕方が無い事だった。
「アイザック様、違います。手鏡を持っていたのはちゃんと理由があっての事なんです」
「そうなんだ」
(っていうか、心を読むなよ!)
アイザックは心の中でフランシスに抗議するが、彼は読心術など身に付けていない。
それだけハッキリとアイザックの表情に、ハンスへの嫌悪感が出ていただけだ。
「あぁ……。話すつもりはなかったのですが、こうなってしまっては仕方ないですね」
フランシスは深い溜息を吐く。
このままハンスの事を誤解させてしまえば、今後の関係に悪影響を与えてしまう。
ちゃんと誤解は解いておかなければならない。
「修道士になると言って家を出られる前は、廊下の角で手鏡を使って確認するようになられたのです」
「何を?」
「……曲がった先にジュード様がおられないかどうかをです」
「あー……」
理由を聞けばわからなくもない。
自分の姉が捨て駒扱いにされて殺された。
さすがに嫡男のモーガンまでは捨て駒扱いしないだろうが、予備であるハンスはどんな扱いをされるかわからない。
恐怖のあまり、父親と顔を合わせないようにしようとしていたのだろう。
しかし、そんなやり方は限界がある。
だから、修道士になるという思い切った選択を選んで、家を出ていくという人生を選んだ。
彼もある意味ジュードの被害者と言える。
「そういう事だったんだ。曽お爺様の子供っていうだけでかなり苦労してるんだね……」
「えぇ、まぁ……。ジュード様は色々と凄い方でしたから」
先代当主の事を悪く言えないので、フランシスは「凄い人だった」と言葉を濁す。
「ハンスさんは三日後に来るらしい。それから本格的に仕事する事になるからよろしくね」
ハンスはアイザックよりも少し遅れて王都を出発した。
アイザックの後見人となる事は、教会内部で公然の秘密として扱われている。
還俗していないので、表向きはウェルロッド侯爵領への寄付金集めの出向という事になっているからだ。
実際に寄付金は納められるので、教会も黙認するといった次第である。
ちなみに「ハンスさん」と呼んでいるのは、家を出て修道士になり世俗と縁を切ったので「大叔父様」と呼ぶのは建前上よろしくないと言われたからだ。
アイザックはこれから仕事する事になる執務机に向かう。
机の上には書類が置かれている。
フランシス達では処理できなかった分なのだろう。
上から一枚目を手に取って見る。
(何々『オルコット男爵家のトミーがウチの娘をかどわかそうとしているので、厳罰に処してほしい』か。ストーカー問題まで持ち込まれるのか……)
アイザックがウンザリしていると、フランシスが補足してきた。
「それは昨日持ち込まれた陳情です。同じような物がもう一枚ありますよ」
もう一枚あると聞いて、アイザックはもう一枚書類を手に取った。
そこには正反対の事が書かれていた。
(『バークレー男爵家のジュリアが我が家の息子をたぶらかそうとしています。あの淫売を息子に近づけないようにそちらから命令してください』……か)
「なんだこれ」
思わず思った事が口からこぼれ出てしまう。
お互いが非難し合う、相反する訴え。
こんな訴えをどうしろというのか。
「オルコット男爵家とバークレー男爵家は昔から仲が悪いんです。年に二、三回はお互いを訴えています」
「そうなんだ……」
(うわっ、めんどくせっ)
傘下の貴族同士の揉め事を仲裁するのも仕事の内とはいえ、こんな訴えまで相手にしなくてはならないとは思ってもみなかった。
帰り道の最中にこんな訴状を置いていくあたり、貴族というのは案外暇なのかもしれない。
それに付き合わされる方は鬱陶しい限りだが。
「今残っている案件は重要性が低いものなので、急いで処理する必要はありません。ハンス様が来られましたら少しずつ片付けていってください」
「うん、わかった。……そういえば、早く片付けないといけない案件は留守の間はフランシス達がやってくれてたんだよね? 別にこれからも――」
「ダメです」
フランシスは笑顔のまま即答する。
「でも、非常時だし」
「いけません。アイザック様がいる以上、アイザック様を差し置いて我々が処理する事はできないのです」
「わかったよ」
元々、人任せにしたら不正をされる恐れがあると考えていた。
本当に全部任せるつもりなどではなかった。
留守中に問題が無かったのも、貴族のほとんどが王都へ行っているからだ。
貴族が戻ってくる春以降は、フランシス達では解決し辛い問題が増える事だろう。
そうなれば、結局アイザックがやらねばならなくなる。
ならば、最初からやっておいた方がマシだ。
「サポートには期待してるよ」
「もちろんです。お任せください」
領主をサポートするのが本職。
無理に領主の仕事をやらせようとして、関係を悪化させる必要はない。
(楽をしようとせず、今回は領主の仕事を若いうちから学べると前向きに考えて真剣に取り組もう)
学ぶ重要性は理解しているつもりだ。
国王の影響力を知らなかったせいで、先代のウォリック侯爵の時のように、自分の行動が予想外の範囲に影響を及ぼす危険性がある。
将来は自分の物になる領地でよけいな混乱は起こしたくない。
よく学び、学んだ事を生かして慎重な行動を心掛ける必要があった。
父が心の病で働けなくなったのは残念だとは思っている。
だが同時に、新しい事に挑戦できるので心が躍っている。
そんな自分が心の中にいる事まではアイザックも気付いていなかった。
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