第90話 商人達への牽制

 商人達による談合。

 その対策案は、モーガンによって作り上げられた。

 解決方法自体は至ってシンプルなもの。

 しかし、それを実行するには費用がかさむ。

 実行するのならば、ある程度相手を選別する必要があった。

 そして、その選別はアイザックが行う事になる。


 四月一日。

 この日、中規模以上の商会から商会長を呼び出していた。

 対象はウェルロッド侯爵領から、貴族の移動に合わせて王都に来ている者達。

 冬の貴族の移動に合わせて移動せず、領内に留まるような商人は基本的に小規模。

 個人商店の店主といったものが多い。

 彼らはあまり気にしなくても良いという判断だった。


 これから商人達を集めての会議が始まる。

 ウェルロッド侯爵家の代表者はアイザックだ。

 その他、ノーマンを始め数名の秘書官が付き従うのみ。

 重要な話にもかかわらず、モーガンもハンスも出席しないという不思議な状況だった。




 アイザックが会議室に入ると、三十名ほどの男達が待っていた。

 彼らは皆、商会を代表する者達だ。

 最前列には、グレイ商会やワイト商会、レイドカラー商会の代表といった見知った顔もいる。


 最前列に座る者の中に、ブラーク商会の新商会長となったオスカーの姿もあった。

 彼はデニスの従兄弟。

「デニスの兄弟から新会長を選ぶと、不必要にウェルロッド侯爵家の不興を買うかもしれない」と、ブラーク商会の維持のために選ばれた。

 もっとも大変な時に後を任されたので、それ相応に能力もあるのだろう。


 アイザックは彼らを一瞥すると、上座に座る。

 その向かいには、多くの出席者達が椅子に座って待っている。

 まるで記者会見を行う広報官のような気分だった。


「皆さん、お忙しい中良く来てくださいました」


 アイザックはペコリと頭を下げる。

 そして、その視線は机に置かれた紙へ向けられる。

 本当は必要ないのだが、何を話すかをまとめられたカンニングペーパーだ。


 ――カンニングペーパーを確認しながらでないと、まともに重要な話もできない領主代理。


 そう思わせて、侮らせるのが目的だった。

 ギャップがある方が、本当の事を知った時の衝撃が大きい。

 面倒な演出だが、これも必要な事だ。


「今回は商品の価格についてお願いしたい事があります。あんまり値上げしないでほしいんです。領民の皆が困ってしまいますし、ウォリック侯爵領みたいに混乱してほしくないんです」


 困った子供のような声でアイザックは懇願する。

 その姿と声は、年相応に見えた。


 ――本性を知らない者には。


「商品の価格は仕入れ値であったり、その時の価値で変動するもの。これは法で縛られてはいません。儲け時に儲けられないのは商人にとって死活問題。見返りはあるのですか?」


 アイザックに質問したのはオスカーだ。

 ブラーク商会はお抱え商人から外されたとはいえ、その規模はウェルロッド侯爵領随一。

 当然、商人達の中においても発言力も頭一つ抜けている。

 彼が質問する事によって、他の者達も同意の声を上げる。


「もちろんです。それぞれの商会に珍しい馬を一頭差し上げます。それが気に入らないというのなら、出ていってくださっても結構です」


 ――珍しい馬。


 その言葉に会場はどよめく。

 中規模な商会だけではなく、ブラーク商会くらい大きな商会にも魅力的な提案だった。

 エルフと関係のあるアイザックが「珍しい馬」というのだ。

 きっとユニコーンの事だろうと考えた。

 馬自体が必要が無ければ、そのまま売ってしまえばいい。

 数が少なく価値があるので、もらって困る事はない報酬だった。


「では、実際に見てもらいましょうか」


 アイザックが合図をすると、商人達の背後のドアが開かれる。

 そこには、年老いた一頭の鹿がいた。


「なんだ? 鹿じゃないか!」

「いやはや、何とも立派な馬ですね。ありがとうございます」

「お前、正気か?」

「素晴らしい馬じゃないか」


 商人達の間で賛否両論となる。

 否定的な意見が七割。

 アイザックに感謝しているのは、グレイ商会やワイト商会といった入札に関係した商会と、それらの商会に声をかけられた一部の商会だけだった。


 最初にブラーク商会のオスカーが黙って立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。

 

「我らも出ましょう」

「そうです。いくら何でも馬鹿にしすぎだ」


 最大手のブラーク商会が真っ先に出ていってくれた事で、談合組も気が大きくなったようだ。

 いくら凶暴で知られるアイザックでも、領内の経済を考えれば全員を処罰するような事はできないとわかっているからだ。

 一人で出ていって自分だけがウェルロッド侯爵家に睨まれるのは怖いが、皆で出ていけば怖くない。

 談合のまとめ役であるマルーン商会のピーターに声を掛け始める。


「……よし、我らも出よう」


 ピーターが立ち上がる。

 あのような年老いた鹿を、珍しい馬といって報酬にしようなどというのは馬鹿にし過ぎだ。

 いくら貴族相手でも、ここまでコケにされれば退出するのもやむなしだ。

 その言葉に応じて、他の商会の代表が足早に部屋を出ていった。


「残念です。我らも話し合うつもりはありました。交渉をダメにしたのはアイザック様の方です。その事をお忘れなきよう」


 ピーターはうやうやしく一礼をする。

 そして、彼も部屋を出ていこうとした。


「ああ、本当に残念だよ」


 アイザックはピーターや部屋を出ていっている者達を憐れむような眼で見る。

 それはグレイ商会のラルフ達も同様だ。

 部屋に残った十人ほどの者達が、部屋を出ていく者達に憐れみの視線で見送っていた。

 その視線に気付いたピーターの足が止まる。


「どうした?」

「いや……、少し気になる事がある。やはり、話は最後まで聞いた方がいいのではないかと思ってな」

「ハハハ、心配性だな」


 一度笑ったあと、ピーターと話していた者が小さな声でささやく。


「常軌を逸した子供といっても、我らに手出しはできん事くらいは理解している。我々がまとまって行動している限り安泰だって、あんた言ってたじゃないか」

「あぁ、そうだ。だが、常軌を逸した子供だけに何かあるんじゃないかと思う」

「わかった。それじゃあ、あんただけ残って話を聞いてくれ。俺達は商売を自由にやるという意思表示のために出ていく」

「そうするとしよう。詳しい話はまた後日」


 どうしても視線が気になったピーターが一人残る事にした。

 価格の統制を受けるかどうかはともかくとして、もうしばらく付き合ってやろうと考えたからだ。

 無難と思える安全策をとった事が、彼にとって致命的となる。


「なんだ、残ったのは一人だけかぁー」


 つまらなそうにアイザックが呟く。 

 露骨な視線を向けていたのに、それに反応したのが一人だけでは面白くない。

 だが、視線の意味を疑うような者に残ってもらわないと困るのだ。

 そういう勘が鋭く、感情で動かない者を分断するのが目的なのだから。


「もう入っていいよ」


 アイザックが自分の背後にある扉に声をかけた。

 そこからオスカーが姿を現す。


「な、なんで……。不満を持って、真っ先に出ていったはずじゃあ……」

「不満があるなんて一言も言ってませんよ。偶然、あのタイミングでトイレに行きたくなっただけです」


 ピーターの問いかけに、オスカーは平然と答える。

 どう考えても彼の言い分は嘘だ。

 トイレに行っただけならば、出ていったドアの方から戻ってくるはずだ。

 しかし、オスカーが戻ってきたのは、侯爵家の者が使う会議室の奥側のドア。

 どう考えても、アイザックと申し合わせての行動だとしか思えなかった。

 最初に座っていたところに座り直すオスカーの姿を、ピーターは両目を見開いて見つめていた。


「さて、わざわざ言うまでもないでしょうが、価格を現状維持してもらう見返りが鹿一頭ではありません。今この場に残ってくださっている商会の荷馬車。一年間は通行税を半額とします」

「なっ!?」


 ピーターは驚く。

 領内を移動するだけでも商会の馬車は通行税を支払う。

 それが半額となれば、商品の価格を現状維持のままでも利益が増える。


「なぜそれを最初に言ってくださらなかったのですか! 先に言ってくだされば皆は大人しく従ったものを!」


 当然、ピーターは抗議する。

 こんな好条件ならば断る者はいないだろう。

 特に他の領土から商品を仕入れたりして、馬車の移動が多くなる商会は諸手を挙げて喜んだはずだ。

 反発するような事はなかった。


「でも、皆減税したら税収が減るでしょ」


 しかし、アイザックの言い分はもっともなものだった。

 だが、もっともな言い分だけにピーターには受け入れがたいものでもある。


「しかし、それでは反発は大きくなります。他の商会が減税で儲ける分、自分達は値上げで稼ごうとするはずです」

「いいよ、勝手にすれば?」

「なんですと!」


 アイザックの言葉を、ピーターは理解できなかった。

 値上げによる混乱を恐れていたはずが、今では値上げをしろという。

 あまりにも支離滅裂な言い分。

 だが、それにはちゃんとした理由があった。


「ここに残った面子を見てみなよ。彼らが商品の価格を現状維持するっていうんだ。値上げした商品を誰が買う?」


 先ほどの子供っぽい声ではなく、嘲るような声でアイザックは言い放った。

 ピーターは残った面子に視線を向ける。

 食料品のワイト商会、鉄製品のグレイ商会、装飾品のレイドカラー商会……。

 そして、様々な分野で多大な影響力を持つブラーク商会。

 ここでピーターは敗北を悟った。


 領民が必要としている量の大半を彼らで賄えるからだ。

 稼ぎ時だからと談合して一斉に値上げをしてしまっても、誰一人値上げした商品に見向きもしないだろう。

 商品が似た品質なら、誰だって安い方で買う。

 彼らが今まで通りの価格で商品を販売すれば、他の商会も値上げを控えなくてはならなくなる。


 ブラーク商会が値上げの抑制に反対して出ていったから、他の商会も「ブラーク商会が値上げをする」事を見込んで部屋を出ていった。

 先代商会長のデニスのいざこざがあったので、ウェルロッド侯爵家とは距離を置いているものと思っていたので、オスカーの行動をなおさら信じ込んでしまった。

 しかし、ブラーク商会が価格の統制に賛同するのなら、話はまったく違ってくる。

 相場を動かそうにも、大物にどっしりと構えられては非常に難しくなる。


 ここに来てようやく、ピーターは自分達がハメられた事に気付いた。

 談合など考えてしまったばかりに、甘い汁を吸い損ねた。

 それだけではない。

 自分の立場が危ういと気付いたのだ。


「そ、それでは、今回の事は勉強代とさせていただきます」


 ピーターは慌てて退出しようとする。

 それをアイザックは引き留めた。


「まぁ、待ってよ。いつから減税するかとか聞かなくていいの? ここに残っている以上、マルーン商会も減税の対象なんだよ」


 ――マルーン商会も減税の対象。


 アイザックはピーターが恐れていた事を口にした。

 これではまるで談合した者達を裏切って、自分だけが良い思いをしようとしたように思われる。

 今後、仲間内で――いや、もう仲間と呼べなくなる間柄になってしまうかもしれない。

 彼は部屋に残るという選択をしてしまった事を悔やんだ。


「いえ、もったいない事ですが、減税は辞退させていただきます」

「この場にいる全ての商会を減税するって言っちゃったしね。そちらが辞退しようが関係なく、マルーン商会から通行税は半分だけ受け取るよう徴税する者に伝えておくよ。きっと、その人の口から、マルーン商会は減税の対象だっていう話が自然と漏れて広がるだろうけどね」

「くっ」


 ピーターはさっきの視線の意味を悟った。

 あの視線が気になる事を計算して、部屋に残るように仕向けられていたのだと。

 これは談合組の分断工作。

 まとめ役が裏切ったとなれば、当面の間誰も信用できなくなるだろう。

 少なくとも、まとまって何かをする事はできなくなる。


 そして何よりも「マルーン商会が談合組から外れて、一人寝返った」と噂される事が厳しい。

 商人同士、横の繋がりを頼れなくなる。

 一攫千金を狙ったはずが、手痛い授業料を支払う事になってしまった。


「ねぇ……。えーっと……」

「マルーン商会のピーターです」


 名前を名乗りあっていないので、アイザックはピーターの事がわからなかった。

 その様子を見て、素早くノーマンがアイザックに耳打ちする。


「ピーターさん。僕は自分に従う人には利益を与える。けど、僕は従わない人の分までパイを切り分けようとは思わないんだ。これから先、パイの分け前にありつきたかったらどうすればいいかわかるよね?」

「……はい」


 家中の混乱に紛れて儲けようという不届きな真似を考えずに、いつもと変わらぬ普段通りの商売をする。

 談合して稼ごうなどと考えてはいけない。

 それだけの簡単な事だ。


 問題があるとすれば、ピーターはこれから他の談合組に「裏切り者」として恨みを買う事だろう。

 普通に商売ができるのかわからなくなってしまっている。


「それでは皆さん。一年間通行税が安くなるので物価は現状維持でお願いします。グレイ商会のように、素材が値上がりしている場合は常識の範囲内での値上がりを許可します」

「はい!」


 ピーターと彼以外の者達では表情が違う。

 ピーターはこれからの事を儚んで落ち込んでいるが、彼以外の者達は喜色満面の笑みを浮かべていた。

 通行税は活発に活動しようと思えば思うほど重荷となる足枷だ。

 それが半減するとなれば、かなり楽になる。

 しかも、ウェルロッド侯爵家の不興も買わずに利益を得る事ができる。

 特にオスカーは、お抱え商人ではなくなった分を取り戻そうと勢い込んでいた。


 彼らの姿を見てアイザックは祖父を見直した。


(やっぱり、穏便な方法は爺ちゃんに聞けば早いや)


 通行税の減額はモーガンの提案だ。

 税を下げる分、値上げを我慢させようとしていた。

 多少は税収が下がっても、ウォリック侯爵領のように混乱するよりはマシという考えからだった。

 脅しつけなくとも、単純な話し合いで解決できる方法を教えられて感心していた。


 アイザックには税を軽減するという発想がなかった。

 領主代理とはいえ、そこまで手を付けていいのかわからなかったからだ。

 本来の領主であるモーガンだからこそできる手段だった。


 途中の鹿を馬と言ったり、オスカーに退出させる案はアイザックのものだ。

 きっかけは、モーガンが「全部の商会を減税するとなると、かなりの痛手だな」とこぼした事だった。

 そこでアイザックが考えたのは出席した商会をふるいにかけ、必要な商会だけ残すという方法だった。

 裏でこっそりブラーク商会など従順な商会だけ通行税を減らすという方法も考えられたが、それは却下された。

 そんな事をすれば他の商会が不満を爆発させる。

 こうして会議室に集め「自分が話を最後まで聞かず、途中で退出したせいで減税措置の対象にならなかった」とワンクッションおく事が必要だと諭された。


(これでウェルロッドに帰っても大きな問題はないはず……だよな?)


 王都に居る間に必要な事は終わらせた。

 あとはハンスから領主の仕事を学ぶだけ。

 アイザックはそう考えたが、これだけ色々あったあとなので安心する事ができずに不安を覚えていた。

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