第78話 ジュードの正と負の遺産
ブリジットともひとまずは和解ができ、その成果は夕食の時によく実感できた。
モーガンは出かけており、ランドルフは自室での食事。
ルシアはランドルフに付き合って共に食事を取っていた。
メリンダとネイサンも居なくなった。
そのため、マーガレットとクロード、ブリジットの三人と一緒に食事をしている。
メリンダとネイサンを殺した翌日は酷かった。
まるでお通夜のような状態で、アイザック自身も「一人でいいから部屋で食べたいな」と思うくらいだった。
それが少しだけ和らいだ。
クロードは元々騒いでいなかったのでともかくとして、マーガレットとブリジットの二人の空気が重苦しかった。
だが、一度話し合ったお陰で、今日は少し会話をしながら食事ができた。
小さな一歩だが前に進んでいる。
アイザックも、今はそれだけで満足していた。
食後、アイザックは自室で祖父の使いを待っている。
アイザックの胸が緊張で高鳴る。
「アイザック様、モーガン様がお呼びです」
「わかった。今行く」
ノックの後、伝言を告げられる。
アイザックはドアの向こうに返事をしながら、椅子から降りる。
(ここからが本番だ。やっぱり、現当主との関係改善は大切だしな)
人としては両親との和解を優先するべきかもしれない。
だが「権力を握る」という一点においては、現当主である祖父との関係を優先した方が良かった。
万が一にも「お前には家を任せられん」と廃嫡され、親戚から子供を養子にでも取られたりしたら全てが台無しだ。
アイザックにとって、モーガンの待つ部屋に向かう一歩一歩が夢を叶えるための権力への道程であると同時に、死刑台へ向かう気分でもあった。
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アイザックがメイドに案内された部屋に入る。
そこには、ワイン片手にモーガンがソファーに座って待っていた。
「お待たせしました」
「あぁ、そこに座れ」
モーガンはアイザックに正面に座れと言った。
アイザックは言われるがまま、ソファーに腰掛ける。
「さて、何から話そうか」
そう呟きながら、モーガンはワインを一口飲む。
彼にしてみれば、素面で話すのは辛い事なのかもしれない。
「あの……、今回はお騒がせしてすみませんでした」
まずは謝罪から入る。
最初に謝罪する事によって、モーガンの態度が軟化する事を狙ってだ。
モーガンは軽い溜息を吐く。
「お騒がせか……。そうだな、お前にはその程度の事だったのかもしれんな」
残念ながらアイザックの謝罪は逆効果だったのかもしれない。
「いえ、そのような事は――」
「マーガレットとは話した。今はお前を怒っているわけではない」
――ただ呆れているだけだ。
そんな声が聞こえてきそうだった。
確かに今は怒ってないのかもしれないが、以前と同じというわけにはいかなさそうだ。
「では、あの時はウェルロッド侯爵家の後継ぎの予備を殺した事を怒ってらしたんですか?」
アイザックは祖母との話を思い出した。
彼女は「嫡流の子供の予備をキープしておきたかった」と言っていた。
祖父も同じような事で怒っていた――というわけではなさそうだ。
モーガンの返事を待つ。
「それもある。だが、家族を手に掛けたという事に対しての方が強い」
アイザックの予想通り、予備を殺した事に対してだけではなかった。
だが、それはそれで疑問が出てくる。
「……どうしてですか? それならば、お爺様がもっと関係改善に力を尽くしてくださっても良かったではありませんか?」
――当然の疑問。
「家族を殺すな」というのであれば、殺さずに済む環境作りが必要だ。
その義務があるのは当主であるモーガンだ。
マーガレットに任せていたと言っても「当主が行う」のと「当主に任された者が行う」のとでは大違いだ。
当然ながら、当主自ら行った方が効果がある。
その事がわかっているのか、モーガンは渋い顔をする。
「その事に関してはすまなかったとしか言えないな……」
モーガンはワインをグッと飲み干す。
そして、ワインを注ぎながら話し出した。
「私の父、お前にとって曾祖父にあたる先代当主ジュードの事を知っているか?」
「もちろんです。といっても、本で読んだ範囲だけですが」
アイザックは、なぜここで曾祖父の事が出てくるのかわからなかったが大人しく聞いておく事にした。
まずは話を聞かなければ何も進まないと思ったからだ。
「では、私に姉が三人と弟一人が居た事は?」
「お爺様に弟がいたのは初耳でした」
アイザックの答えにモーガンは首を傾げる。
「あぁ、そうか。ハンスの奴は二十歳になる前に父上を恐れて修道士になったからな……。家系図くらいにしか名前が残ってないのかもしれん。お前が知らないのも無理もないか」
モーガンは、アイザックがハンスの事を知らない事に納得する。
(ハンスっていたかな……)
ウェルロッド侯爵家の歴史を書き残した本には「〇〇年 ××が□□する」といった内容が書かれている。
もしかすると「〇〇年 ハンスが生まれる」とでも書いていたかもしれないが、その後出てこなかったのでアイザックが忘れているだけの可能性もあった。
しかし、彼の事はさほど重要でもなさそうだ。
モーガンは気を取り直して話を続けた。
「姉三人は全員死んだ。他国との内通が疑われた者達をおびき寄せる道具として嫁に出され、彼らと共に毒殺された。家族であろうとも、道具として使い潰す姿が怖かった……」
またモーガンは一気にワインを飲み干した。
酒に強いのか弱いのかわからないが、アイザックからすると早いペースに思える。
モーガンはアイザックに「来い」と手招きをする。
言われるがままに近づくと、抱き上げられて膝に座らされた。
アイザックの顔にかかる息が酒臭い。
「マーガレットと私の仲は悪くない。むしろいい方だ。そして、後継ぎの確保の大切さもわかっている。なのに、ランドルフ一人しか子供がいないのはなぜだと思う?」
(なぜって言われても……)
この話の流れなら、答えは一つしか思い浮かばない。
「子供を曽爺様に利用されないためですか?」
「そうだ。とはいえ、嫡子であるランドルフも婚約者の選別という方法で利用されそうだったがな……」
やはりアイザックの思った通りだったようだ。
「ランドルフはこうして膝に乗せてやる事もできなかった。褒めるか、頭を撫でてやるかくらいだ。情が移れば、何かあった時に辛くなるからな……。だから、全てマーガレットに任せていたのだ」
モーガンはアイザックの頭を撫でる。
その目には涙が浮かんでいた。
「お前とネイサンの関係改善をするべきだったと言ったな? どうすれば良かった? 息子のランドルフですら、マーガレットが一人で育てたようなものだ。子育てすら満足にできない私には孫の扱い方などわからない……」
「えっと……、メリンダ夫人に兄上を後継者にするのをやめさせるとか?」
どうすれば良かったかなど聞かれても、子供のいた経験のないアイザックにはさっぱりわからない。
そこは自分でなんとか考えてほしいと思っていた。
だが、モーガンにはモーガンなりの考えがあったようだった。
「それはできなかった。父上は長男だった。その三代前も、その前もみんな能力を発揮した者は長男だった。だから、ネイサンが本来の後継者だという考えを拭い去る事などできなかった。頭角を現したあとのお前を見て奮起したネイサンの成長は目を見張るものだった。人の成長は早熟であったり遅かったりして千差万別。ネイサンが本来の後継者かもしれないという可能性もあり、もう少し大きくなるまで競わせて様子を見ようと思っていたのだ」
モーガンは深い溜息を吐いた。
「それが間違いだったな……。ブラーク商会に対する行動はランドルフを思っての事。お前は花を愛し、お菓子作りに口を出し、異種族との友好を求める。心の優しい子だと思っていた。だが、私の無策のせいでお前の本能を呼び起こしてしまったのだろう。お前は己の行動によって、ウェルロッド侯爵家の正統な後継者である事をこれ以上ない形で証明した。もう誰もお前以外の者を担ぎ上げようなどと考える者は出てこないだろう」
またしてもモーガンはワインを飲み干す。
きっと彼もわかっている。
アイザックよりも「様子を見る」といって何もしなかった自分の方が悪かったという事を。
だから、こうして酒を飲んで気を紛らわしているのだろう。
酒に逃げてもアイザックとの対話から逃げない。
その事から、ちゃんと向かい合わなければいけないという姿勢が窺える。
一方、アイザックの方は気まずくて逃げ出したくなっていた。
一つの可能性に気付いてしまったからだ。
(あぁ、そうか。『シックスメンズ』とかいうメンバーに含まれている隠しキャラはネイサンだったのかもしれないな……)
もし、アイザックが生まれなければ、順当にネイサンが学院に入学していたはずだ。
メインキャラはニコルと同学年ばかりだが、サブ攻略キャラには教師もいたりする。
隠しキャラが一つ年上のネイサンであってもおかしくない。
他のキャラの性格を考えると、不良系というか怖い系の攻略キャラがいない。
成長したネイサンが、ジュードのような怖い系のキャラになっていたかもしれなかった。
――やはり自分は平穏な家庭に割り込んで生まれてきた異物。
そう思うと、いたたまれない気持ちになってしまう。
だが、すでにネイサンはメリンダと共に殺してしまった。
もう後戻りなどできない。
前に進んで、己の願いを叶えるという道しかアイザックには残されていない。
「メリンダ夫人はウィルメンテ侯と連絡を取って、ウェルロッド侯爵家を乗っ取ろうとしていました。騎士を使って武力でとかはともかくとして、そちらは許されない行為ではありませんか?」
あまり使いたくない手だったが、アイザックはメリンダを悪者にする。
自分がデニスを使って尻を叩いたせいで彼女は動き出してしまった。
どこか後ろめたさがあるが、死者の事よりも今生きている者の方が大切だ。
「いや、あの時ウィルメンテ侯がメリンダの言葉に賛同したのはその場のノリだったように見える。メリンダの兄であるフィリップはあの時賛同していなかったから、ウィルメンテ侯爵家ぐるみではないと思う。ただ、メリンダとウィルメンテ侯の間だけで何かを話し合っていた可能性もあるのではとも思える……。お前はどう思う?」
「確証はありませんが、相談していた可能性は高いと思います」
アイザックはデニスやバーナードを使ってネイサン派の貴族を切り崩していた。
だが、メリンダの手紙までは検閲していない。
というよりも、手紙を調べるという発想にまではたどり着いていなかったというのが正確だろう。
アイザックは「手紙」という形に残る物を恐れた。
何を考えているのか見た者には丸わかりだからだ。
だから、メリンダも手紙に重要な事は書いていないと思っていた。
しかし、ここは前世と違って情報管理の甘い世界だ。
「封蝋した手紙を覗き見る者などいない」と思って、手紙で重要な内容を連絡し合っていた可能性は高い。
今思えば、全くないとは言えないのだ。
「お前もそう思うか……。なんでこんな事になったのだろうな……。生まれてこの方、他家が絡むトラブルなどなかった。なぜ今になって……」
モーガンが天を仰ぐ。
その目からは涙が流れ落ちていた。
その姿を見て、アイザックは申し訳ない気持ちになる。
(俺が生まれてきたからだろうな……)
頭の中で「因果関係」という言葉が浮かぶ。
アイザックが生まれた事で、周囲に何らかの影響を与えた。
もちろん、アイザックが権力を求めて動いていた事も影響があるだろう。
様々なものが複雑に絡み合って今の状況を作った。
その根本となるのが”アイザックが生まれた事”だと思っていた。
(謝るべきか?)
だが「生まれてきてごめんなさい」というのは口にするのも辛い言葉だ。
それに、なぜそのように思ったのか聞かれても、正直に全てを話す事はできない。
今話しても「頭がおかしくなった」と思われるくらいだろう。
因果関係の説明は、前世の話をしなくてはならない時が来るまで黙っておかねばならない。
(因果関係……)
アイザックはその言葉に引っ掛かる物を感じた。
「あっ!」
アイザックが何かに気付いた。
「どうした?」
手で涙を拭いながら、モーガンがアイザックに問い掛ける。
「お爺様の人生で問題がなかったのは曾爺様のお陰ではありませんか? 少なくとも、曾爺様が生きている時は他家が手出しをしようなどと考えなかったはずです」
「!?」
モーガンも今更になって気付いたようだ。
他家からの干渉が今までなかったのは、ジュードを恐れての事だと。
さすがにジュードも「廊下で肩がぶつかった」という程度では何もしなかった。
だが、ウェルロッド侯爵家に何かしでかそうとする者は別だ。
悪巧みを考える者は一人残らず徹底的に叩き潰されていった。
そのお陰で、モーガンが生まれて物心がつく頃には、ウェルロッド侯爵家に何かを仕掛けようと考える者は消え去っていた。
だから、平穏な暮らしができていたのだ。
その事に今更ながら気付いた。
「そうか……。父上に守られてもいたんだな……」
モーガンの記憶では、ジュードは恐ろしいだけの存在だった。
父の威光に守られているなど思いもしないほどに、ただ恐ろしかった。
「つまり、この騒動の責任は全て私にあると認めざるを得ない……、か」
――アイザックがメリンダとネイサンを罠にハメたから。
――メリンダがネイサンを後継者にしたいと思ったから。
そういった言い訳はもう使えない。
当主が代わるまでは問題が無かったのだ。
「子供への接し方がわからない」という事に関しては「子供を政略の道具に使われる」とモーガンを怯えさせたジュードに責任があったのかもしれない。
しかし、それは家庭内の混乱を抑えきれなかった言い訳にはならない。
当主になった時から能動的に動き、何とかしなければならなかったからだ。
ここまでの事態になるまで、十年ほど時間があったので尚更責任は重い。
この時、アイザックはモーガンに対する感情が変わった。
アイザックの中から「実は廃嫡されたりするんじゃないか?」という恐れなど欠片もなくなった。
今、目の前にいるのは「偉大過ぎる父に怯え、子供との接し方もわからずに仕事に逃げるしかできなかった哀れな男」でしかないからだ。
怯えなどよりも、同情が湧く。
「すまなかったな、アイザック。私がもっとしっかりしていれば、お前に手を下させる事もなかったのに……」
「いえ、いいんです。経験が無かった以上、仕方なかったんだと思います。僕も頑張りますので、お爺様もこれから一緒に頑張りましょう」
「……そうだな」
モーガンはアイザックを抱きしめる。
酔っていて加減がわからないせいか力が強い。
身体が悲鳴を上げそうだが、これも思いの強さだと思いアイザックは我慢する。
「お前だけではなく、ランドルフが落ち着けば奴ともゆっくり話し合う事にしよう。もう二度と誰かに付け込まれないよう、家族の隙間を埋めていかないとな」
失われていた時間を完全には取り戻せないだろうが、今のままではまた何か起こるかもしれない。
これ以上悲しい思いはしたくないので、モーガンは不器用であっても話す事を選んだ。
「僕にできる事があれば言ってください。いつでもお手伝いします」
「あぁ、必要な時は頼む。とりあえず、明日お前も王城に呼ばれているから早起きするようにな」
「えぇっ! そういう大事な事は先に言ってくださいよ」
「家族の話も大事な事だ。お前とはまだまだ話さなければならない事がある。これからはゆっくり話していこう」
モーガンはアイザックの頭を一撫ですると、膝から降ろした。
今日はもう解散という事なのだろう。
「頼りない祖父ですまなかった」
「いえ、僕もやり過ぎてしまって申し訳ありませんでした。おやすみなさい」
「おやすみ」
アイザックが部屋を出ていく時にモーガンの様子をチラリと見た。
またワインを飲んでいる。
酒の肴にするには辛すぎる内容だ。
嫌な事から気を紛らわせるために飲んでいるとするなら、あまり飲み過ぎないように注意するべきだろう。
(まぁ、今日くらいはいいか)
毎晩浴びるように飲んでいるのなら止めればいい。
一晩や二晩飲んだくれるくらいは仕方のない事だと、アイザックは考えた。
(まだ完全に関係を改善したわけじゃない。少しずつだ。少しずつ関係を改善していけばいい)
アイザックにとって、モーガンは家族だ。
前世とは違う行動をしようと決めているが「前世では家族仲が良かったから、今世では家族を破滅させてやろう」などという鬼畜染みた行為をするつもりはない。
家族で仲良くできるのであれば、それに越したことはない。
気長に少しずつでも仲直りしていこうと、アイザックは思った。
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