第74話 フィリップ・ウィルメンテ
1月12日。
この日はウィルメンテ侯爵家で十歳になった子供達を祝うパーティーが開かれる予定だった。
急遽予定を変更し、午前中に当主であるディーンの葬儀が行われる事となった。
今年の子供達を祝うパーティーは日を改めて開かれる事になる。
葬儀はしめやかに営まれた。
しかし、葬儀の時とは違い、これからの事を決めるために開かれた会議は紛糾する。
「直ちに報復を行うべきだ!」
「いや、今回はメリンダ様が悪い。今は様子を見るべきだ」
「この腰抜けが!」
「なんだと、先の事を考える事ができない無能が!」
「貴様!」
「なんだ、やる気か!」
二人の貴族が胸倉を掴み合い、それに合わせて周囲の空気も険悪なものとなる。
「やめぬか!」
フィリップが一喝する。
王のもとで当主の受け継ぎの儀式をまだ行っていないので、今はまだ正式な当主ではない。
だが、儀式を行っていないというだけで、嫡子のフィリップが実質的な当主である事は周知の事実。
彼の言葉は、ウィルメンテ侯爵家の言葉である。
ヒートアップしていた者達は渋々と手を放した。
「確かに諸君らの意見を求めた。しかし、仲間内でいがみ合うような事までは求めておらんぞ!」
出席者達は意気消沈する。
感情的になり過ぎて醜態を晒してしまったからだ。
「皆の父の事を思う気持ちは嬉しかった。それだけ厚い忠義を持つ者がいて父は果報者だ」
フィリップは過激な意見を持つ者達を褒め称えた。
「だが、会議の最初に話したように、ウェルロッド侯爵家と事を構えるつもりはない。今回の件は『暴走したメリンダを止めようとした父が、事故によってメリンダに殺された』という事でウェルロッド侯と話がついている。ウェルロッド侯爵家に報復したいという気持ちはわかるが、その思いの強さを突然の当主交代という事態に陥ったウィルメンテ侯爵家の立て直しに貸してほしい」
フィリップは話し終わると頭を深く下げる。
過激派の意見を報復という負の行いから、侯爵家の立て直しという正の行いに向けさせた。
それだけで、会議室の熱を奪い取ってしまった。
完全に納得していない者もいるが、彼らも武門の家柄であるウィルメンテ侯爵家傘下の貴族だ。
「態勢を立て直す」という事の重要性は知っている。
いずれ報復という行動を取るにしても、態勢を立て直せているほうがやりやすい。
そして何よりも「暴走したメリンダを止めようとしたディーンが、取り乱していたメリンダに殺された」という口裏合わせの存在が大きい。
メリンダが突然、騎士を使った武力行使による継承権の強奪を企てたせいだ。
多数派工作によって継承権を譲らせるだけならともかく、武力による脅迫はマズイ。
しかも、ディーンは剣を奪い取ってアイザックを傷つけようとした。
ウィルメンテ侯爵家絡みで「武力によるウェルロッド侯爵家乗っ取りを画策した」と言い掛かりをつけられても、言い逃れできない状況だった。
ウェルロッド侯爵家側の事情もあってか、モーガンの温情により「メリンダによってディーンが殺された」という事にしてくれた。
そのお陰で――
今回の事はあくまでもメリンダ個人の暴走。
ディーンは体を張って止めようとして死んだ。
――という事に表向きはなった。
モーガンとしては「アイザックが裏で何かを仕組んでいた可能性が高い」と思っており、必要以上に事を荒立てたくなかった。
フィリップは「自分がディーンを止めたとかいう事実はどうでもいいから、ウィルメンテ侯爵家ぐるみで他家の乗っ取りを画策した」と訴えられる事を避けたかった。
王党派といえども、国王エリアスが必ずしも庇ってくれるとは限らない。
それは昨年のウォリック侯爵家の出来事でよくわかっていた。
なので、最悪の場合はウィルメンテ侯爵家にも何らかの処罰が下される恐れがあった。
そこでフィリップは「メリンダに全ての責任を押し付け、ディーンが身を挺して防ごうとしたという事にしないか」と提案し、差し引きゼロという事にしようと考えた。
自分が手助けしたかどうかなど二の次だ。
家がお取り潰しになる危険を排除できるのならば、自分が何をしたかなどどうでも良かった。
なぜかモーガンが大事にしたくなさそうだったので、そこに付け込んだ形となる。
「ウィルメンテ侯爵家はウェルロッド侯爵家と事を構えるつもりはない。その事は皆にもわかってほしい」
「
一人の男がニヤリと笑う。
彼はジャック・カニンガム男爵。
フィリップの幼い頃からの友人だ。
「先を越された」と周囲の者達は思った。
フィリップは何らかの密約をウェルロッド侯爵家としているように見える。
おそらく、今回の件で恨みを残さないように、すでに約束をしているのだろう。
つまり――
ウィルメンテ侯爵家とは関係なく、個別での報復をしろ。
――というメッセージだったのだと多くの者が受け取った。
他の者達も個別での行動をすると宣言しようとしたところで、フィリップが先手を打った。
「何か行動を起こす前に言っておくが、ウェルロッド侯爵家に何らかの行動を取った家は問答無用で絶縁する」
「なっ!」
先走ったジャックが狼狽する。
「なぜですか!?」
「今回の件はメリンダが悪い。どうせなら、もっと上手く立ち回るべきだった。せめて企てが成功していればよかったが、失敗した以上は非はこちら側にある事を認めなければならない。それにだ、今は王国内部で争っている場合ではない」
フィリップは立ち上がり、周囲を見回す。
「昨年、ウォリック侯爵が倒れた事は記憶に新しい。そして、我が父ディーンも昨日倒れた。これは王党派の危機である。それに、ウェルロッド侯爵家に手出しをすれば、貴族派の連中に攻撃の口実を与えるようなもの。王国を二分する内戦になるような軽はずみな行動を取った者は、私が直々に制裁する。何か異論のある者はいるか? 特になければ、報復行為の禁止を決定として解散とする」
王党派筆頭となったウィルメンテ侯爵家の新当主であるフィリップに逆らえる者はいない。
勝手な行動をせずに大人しくしていろと言われれば、大人しくしているしかない。
それに、王党派の立て直しという、やらなければならない目的が目の前にある。
「制裁される覚悟」をしてまで、無理に報復行動を取る理由などない。
特に異論は出てこなかった。
「ならばよし。まずは新体制の確立を急務とする。皆、よろしく頼むぞ。ジャックは話があるからちょっと来い」
「はい……」
ジャックがフィリップに呼び出されるのを「可哀想に」という視線で見ている者達がいた。
彼らは勝手に報復行動を取ろうとしていた者達だ。
ジャックが先走ってくれたお陰で、満座の中で恥をかかずに済んだ。
直接助けるような事はなかったが、同情的な視線を送るくらいはしてやっていた。
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当主――これからはフィリップ――の部屋。
隣にある密談用の壁の厚い談話室に入ると、フィリップがソファーに座る。
そして、ジャックがフィリップの正面のソファーに深々と座った。
その姿に反省の色はない。
だが、フィリップがその態度を咎める様子は無かった。
「とりあえず、この度はご愁傷様でした。とだけ言っておこう」
「それはどちらの意味でだ?」
「もちろん、お父上の方さ」
ジャックの言葉を、フィリップが鼻で笑う。
「俺とお前との付き合いは長い。ウィルメンテ侯爵家……。いや、傘下の貴族を指しての言葉だろう? それくらいはわかっている」
「俺がああでもしなければ、誰かが先走って行動していただろう。これからもサポートに回るから、新当主として頑張ってくれ」
「すまん、助かる」
ジャックは決して無能ではない。
むしろ頭が良い方だ。
だが、貴族社会がその能力を発揮させてくれないという事もわかっている。
――当主の友人が意見を述べて採用される。
これがある程度有力な家の者ならば、先を見て擦り寄ってくる者もいるだろう。
しかし、カニンガム男爵家は末端中の末端。
裕福な平民と変わらぬ暮らしをしている。
ジャック自身もまだ若いせいで「力を認められる」というより「出る杭は打たれる」という対応をされるはずだ。
だから、あえて愚かなフリをして「何をしてはいけないか。行った場合にどんな処罰を受けるか」をフィリップに話させた。
この方法なら、他の貴族の反感を買わずに注意喚起ができる。
友人であるフィリップのために、ジャックは自ら進んで貧乏くじを引いたのだった。
「それで、アイザックはどうだった?」
「あいつか……。なんなんだよ、あのガキ! 俺やフレッドまで罪に問われないように父上を止めたところまでは良かった。その後、あのガキは悠長に俺を値踏みするような視線を投げかけてきやがった! こっちは問答無用で殺されたりしないかとビクついてたのにだ。自分の顔が引き攣っていたのをよく覚えてるよ」
命の危険を感じた事を思いだし、フィリップは両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
その姿を見てジャックは少し考え込む。
「責任を追及できないと思った……。いや、あえて見逃されたのかもな……」
「どういう事だ?」
ジャックの不穏な言い回しに、フィリップは顔を歪める。
「ウィルメンテ侯は直感型の人間だった。それに対し、お前は思考型の人間。もし、お前が敵対するのなら、どちらを相手にしたい?」
「思考型だな。直感型はどんな行動を取るのか予測し辛い……。そうか!」
フィリップはジャックの言わんとした事を理解した。
考えて行動する者は、常識という枠組みの中で行動する。
だが、直感で動く人間は枠組みを越えて行動する可能性がある。
予想し辛い相手より、何をするか予想できる相手の方がやりやすいに決まっている。
「そうだ。幼いフレッドがどういうタイプに育つかわからない以上、お前を生かしておいた方がやりやすいと判断したのだろう。まったく、九歳児とは思えない判断だな」
「クソッ、ハズレ年になるまであと十年はあると思ったのに! ジュード様だって名前を残し始めたのは、学院を卒業してからだったらしいじゃないか!」
――ハズレ年。
これはジュードのように、ウェルロッド侯爵家で三代毎に傑物が現れる時に使われる。
ウェルロッド侯爵家にとっては当たり年だろうが、頭を押さえられる他の貴族にとってはハズレでしかない。
ハズレ年というのはウィルメンテ侯爵家内での呼び方だ。
他の家では「災厄の時」だとか「暗黒の時代」と呼ぶ家もあるらしい。
顔を上げたフィリップは悔しそうだった。
彼らの勘違いであるが、ジュードという存在を知っているので、どうしても深読みしてしまう。
「メリンダの存在が覚醒を促したと考えるのが自然だろうな」
「まったく、母子揃ってロクでもない」
最近はネイサンの影響か、フレッドまで騎士との剣術訓練で勝てないとグズるようになった。
未来の当主のご機嫌を損ねたくない者は、わざと負けてフレッドのご機嫌取りをする。
それでは本当の実力がつかないというのに。
息子に嫌な癖を覚えさせた事を恨み、フィリップはネイサンの事を良く思っていない。
フィリップがメリンダの死をあまり悲しんでいないのは、薄情というわけではなく、それなりの理由があるからだ。
ひとまずメリンダへの不満を我慢して、今は話を進める事を選んだ。
「先ほど皆に言ったように、態勢を立て直す事が急務だ。ウェルロッド侯爵家とは手打ちをしているので、妨害はしてこないだろう。まぁ、妨害などする必要が無いというのもあるがな……」
ウォリック侯爵家の混乱は続いており、半身不随の状態だ。
ウィルメンテ侯爵家も突然の当主死亡により、しばらくは混乱する事が予想される。
わざわざ王党派を攻撃せずとも、安定を望む者は中立派や貴族派に鞍替えするので、勝手に衰退していくだろう。
「これからはどうする?」
もちろん、立て直した後の事だ。
目の前の問題を片付けるにしても、その先を見据えた立て直し方をしなければならない。
「嵐が過ぎるのを待つ。どうせ今は動けない。ならば、ジェイソン殿下など若い世代の台頭を待ち、対抗できる者が現れるのを待つしかないだろう」
「……現れると思うか?」
「今まで現れなかったからといって、今回も現れないとは限らんだろう」
言った自分が信じられていないのだろう。
フィリップは苦笑する。
今までハズレ年に対抗できる貴族がいたとは聞いた事がない。
王家の者に上手く制御してもらえるよう願うくらいしかできないとわかっていた。
「長い嵐になりそうだ……」
ジャックは天を仰ぐ。
彼は直接ジュードと話した事はないが、どんな人物かは知っている。
アイザックがジュードの後継者ならば、他の者にとって辛い時代が訪れたという事だ。
今は幼く、経験不足なので付け入る隙はあるかもしれない。
だが、下手に手出しをした場合、後々行われるであろう報復が怖い。
「触らぬ神に祟りなし」の精神で、下手に触れない方が無難だろう。
「九歳で頭角を現すってなんなんだよ……」
「エルフとの交流を始めた事を考えると、もっと前からだな」
「あぁ……、相手をしたくねぇ……。はぁ……」
フィリップは愚痴る。
ウォリック侯爵家が頼りにならない以上、王党派筆頭として自分が対応せねばならない。
――後を継いだと思ったら、先行きの暗い時代となっていた。
何の嫌がらせだろうか。
溜息の一つも吐きたくなる。
「そうだ、お前のところに三歳の娘がいたな? 養子にくれ」
「ウチの娘はどこにもやらん! どうせアイザックの婚約者にと考えているんだろうが、ダメに決まってるだろう! メリンダの事があったばかりなのに、ウィルメンテ侯爵家から妻を迎えるはずがない! 本当に娘を娶らせたいのなら、自分で作るんだな。ウィルメンテ侯爵家として正式に要請されても、絶対にウチの娘はどこにも出さないからな!」
「やっぱりダメか」
言葉とは裏腹に、フィリップに残念そうな表情はない。
本当に友好的な関係を築くのなら、養子よりも実子を送るべきだ。
断られるだろうというのはわかりきっていた。
沈み込んだ気持ちを、娘思いのジャックをからかって少し紛らわせたかっただけだ。
この後、軽い雑談をして話し合いは解散となった。
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ジャックが部屋を出ていくと、入れ違いにフレッドが部屋に入ってくる。
外で待っていたのだろう。
「お父様、アイザックとの決闘をさせてください!」
「おい!」
部屋に入って早々、とんでもない事を言い出した。
「ネイサンは従兄弟であり友達でした。仇を打ちたいんです!」
フレッドはフィリップの手を取り、強く握る事で思いの強さを伝えようとする。
だが、さすがにこの申し出を認める事はできない。
「今回の事はメリンダとネイサンが悪い。そういう事になったのだ。仇討ちなどもってのほかだ。認める事などできん」
「でも――」
「どうしてもやりたいというのなら、アイザックに負けない立派な大人になってみろ。誰もがアイザックと戦うのにふさわしい男だと認められるくらい立派になれば、考えてやらん事もない」
これは実質的な拒絶だ。
ウィルメンテ侯爵家とウェルロッド侯爵家では、武官と文官で土俵が違う。
フレッドは剣や槍に興味のある武官よりの子供。
いくら剣で強くなっても、頭脳派であるアイザックの相手にふさわしいとは思われないだろう。
しかも「決闘を認める」ではなく「考えてもいい」という答えだ。
フレッドが成長した時に「考えたけど、やっぱりダメ」と答えられるようにしている。
幼い子供相手に大人気ないと思うが、争いを避けたいフィリップとしては、まだ可能性があるように聞こえる答えをしてやるのが精一杯の優しさだった。
だが、フレッドにはそれで良かった。
納得はしていないが、可能性がゼロではないとわかっただけで今は十分だと考えたのだろう。
「わかりました。誰にも負けないくらい強くなります!」
「まずお前は王国の剣となり、盾となる事を目標にしろ。そのためには、勉強も頑張らないとな」
勉強という言葉に、フレッドは視線を逸らす。
「ガ、ガンバリマス」
「なんだか心が籠ってないような……。まぁいい。来年以降はアイザックと出会う事も増えるだろう。勝手に決闘を申し込んだりしてはならんぞ。それだけは忘れるな」
「……はい」
フィリップはフレッドの答えに不安を抱く。
十歳になってからは親の目が届かないところでの交流が増える。
アイザックを見かけたからといって、殴りかかるような事があってはウィルメンテ侯爵家が困る。
(子供か……。そうだな、もう少し作っておいてもいいだろう)
フレッドは良い子だが、少々思慮が足りない。
万が一の場合を考えて、予備の子供を用意しておく方が良いだろうとフィリップは考えた。
貴族である以上、最も優先すべき事は家の存続だ。
場合によっては、フレッドを切り捨てる選択を迫られる時が来るかもしれない。
(やれやれ、こんな事を考えないといけないとは。本当に嫌な時代だ……)
十年後には今以上に強い嵐が吹き荒れる時代になるのだが、さすがにそのような事まではフィリップに予見できなかった。
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