第72話 結末

 1月10日。

 この日は十歳式が行われる。

「我が家の子供も無事に成長しました」と、周囲に広く知らせるためだ。


 子供達は最初に王宮へと向かう。

 そこで王に祝いの言葉を掛けられ、広間で子供達の交流が行われる。

 基本的に十歳式は王宮での式が終われば、それで終了となる。


 だが、慣例として侯爵家や伯爵家でも十歳の子供を祝うようになっていた。

 地方の領主は、傘下に子爵家や男爵家の貴族がいる。

 陣笠貴族の子供達を祝う事を通して、彼らのまとめ役である事を改めて教えるためだ。

 子供達の家族も出席するので、大変な出費ではある。

 しかし、財力とはもっともわかりやすい力の一つでもある。

 盛大なパーティーを開く事で力を見せるという事も、侯爵家としては必要な事であった。


 このパーティーは、毎年他の侯爵家とは日をずらして行われる。

 去年は最初に行ったので、ウェルロッド侯爵家では翌日の11日に開かれる。

 これはネイサンのような子供を親族に持つ者のためだ。


 ――他家に嫁いだ娘の産んだ子供を祝いたいが、自分の仕える王家(または上位貴族)の十歳式と被って出席できない。


 という声に応えて、わざわざ開催日をずらすようになったらしい。

 この事を聞いた時”昔の人々は大変お優しいものだ”とアイザックは思った。

 アイザックならば“どちらを優先するのか”で忠誠心を確かめるために利用するところだ。


 侯爵家で開くパーティーが近づくに連れて、屋敷内の空気は重苦しいものに変わっていった。

 特に顕著だったのは、屋敷の警護隊長であるバーナードの表情だ。

 顔を青褪めさせて、しきりに汗を拭いていた。

 これについて、誰も不思議に思う事は無かった。

 モーガン達はネイサンが式に出席するので緊張するのだろうと思い、メリンダはパーティーで行う事を考えて緊張しているのだろうと思ったからだ。


 メリンダの考えは正しい。

 だが、その矛先がどちらに向かうのかまでには考えが至らなかった。



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 1月11日。

 幸いな事に天気は晴れ。

 昼過ぎに開かれているとはいえ、寒空の下での野外パーティーは辛いものがある。

 大人は主に酒で、子供達は温かい飲み物で体を温めていた。


 この日のパーティーには、メリンダの実父であるディーン・ウィルメンテ侯爵と兄のフィリップ・ウィルメンテ、そしてフィリップの子であるフレッド・ウィルメンテも出席していた。

 彼らは親族枠での出席だ。

 侯爵家という事もあり、ウェルロッド侯爵家に近い上座のテーブルに座っている。


 その他、アイザックが仲良くきょうはくしなかったメリンダ派の中核も、その付近に固められている。

 十歳になる子供のいない家もあるが、ネイサンの祝いという名目で皆に招待状が出されていた。

 まさか彼らも、一掃されるために呼び出されたとは思うまい。

 これから行われる出来事を特等席で見れると思っているだけだろう。


 今回、クロードとブリジットの二人は出席していない。

 クロードが「去年爺様が迷惑を掛けたから十歳式には出ない。その代わりにあとでネイサンに祝いの言葉を掛ける」と言ったせいだ。

 ブリジット一人でエルフの代表として祝うのは負担が大きすぎる。

 クロードが出席を控えた時点で、ブリジットも欠席を選んだ。

 その代わり、ネイサンの額に祝いのキスをしてやっていたので、ネイサンにとっては欠席されてもプラスだったはずだ。

 だが、そのキスが最後の思い出になってしまう。

 そう思うと、アイザックは笑みを浮かべそうになってしまいそうだ。


(まだだ、まだ早い。さすがに人を殺すのに笑っていたら頭がおかしい奴だと思われてしまう)


 アイザックは歯を食いしばって笑みが浮かびそうになるのを我慢する。

 そして、ネイサンの方を見た。

 ネイサンはアイザックと反対側の席に座っている。


 ――メリンダ、ネイサン、ランドルフ、モーガン、マーガレット、アイザック、ルシア。


 このような席順となっている。

 ネイサンが十歳式に出席するので、アイザックも祝うために呼ばれている。

 メリンダが「あなた達も当然出席してくれるのよね?」と言ったので、ルシアが驚いていたのを覚えている。

 てっきり、モーガン達に言われて出席という形になると思っていたからだ。

 ルシアは「メリンダさんもネイサンの記念日が嬉しいのね」と思うだけだった。


 出席者は家族単位で丸テーブルに座っている。

 彼らの周囲では使用人達が忙しそうに動いていた。

 この日ばかりはウェルロッド侯爵家で働く者だけではなく、傘下の貴族からも使用人を貸し出してもらっている。

 彼らの手によってお菓子が運ばれている。

 主にチョコレートを中心としたお菓子だった。

 普段気軽に食べられない物なので、子供達はすぐに食べたそうにしている。

 だが、主催者の挨拶が終わるまではお預けだ。

 

 子供達は「まだ始まらないのか」とそわそわしていた。

 そんな子供達の様子を見て、モーガンが立ち上がる。


「諸君はそのままで結構」


 おしゃべりをしていた会場が一斉に静まる。

 椅子から立ち上がったりせず、座ったままモーガンに耳を傾ける。

 去年、マチアスの長話での立ち眩みを起こした子供がいたため、今年からは座ったままで聞いてもらう事にしたようだ。


「皆は十歳という一つの節目を迎えた。まだ大人の一員ではないが、これからは正式に貴族の一員となる。自分が取る行動の一つ一つが家名を高め、傷つけるという事を常に意識してほしい。王国貴族として恥ずかしくない生き方をできるよう大いに学び、健やかに成長して行ってほしい」


 座らせているので気にしなくてもいいと思うのだが、モーガンは短めの話で終わらせる。

 ネイサンに目配せをし、モーガンは座った。

 入れ替わりにネイサンが立ち上がる。

 十歳代表としての挨拶があるのだろう。


「僕達は十歳になった。お爺様が言われたように、今日は一つの節目だ。僕はここに宣言する。ウェルロッド侯爵家の後継ぎには僕がなるという事を!」

「なにっ!?」


 予定にない台詞にモーガンは驚く。

 ネイサンが右手を突き上げると、周囲から騎士が集まってきた。

 彼らはウェルロッド侯爵家のテーブルを囲む。

 警護隊長のバーナードが剣を抜き、アイザックに突き付けている。

 そこでモーガンはもう一度驚いた。


「なんだ、これは! メリンダ!」


 モーガンはメリンダの名を叫ぶ。

 呼ばれたメリンダはゆっくりと立ち上がった。

 この寒い中、ドレスにショールという恰好をしている。

 息子の晴れ舞台とあって、かなり気合が入っているのだろう。

 寒さを我慢して、見栄えのいい服を選んだようだ。

 彼女は会場中に聞こえるよう、大きな声で話し始めた。


「今日はいい機会です。継承権の序列について改めて考え直す事にしましょう。両親共に侯爵家であり、長男であるネイサンの方が後継者にふさわしいと思います。アイザックは廃嫡とし、正当なる後継者のネイサンを皆で盛り立てるべきでしょう。ですよね、皆さん」

「ネイサン様こそがふさわしい」

「子爵家の娘が産んだ子など、侯爵家の当主にはふさわしくない!」


「そうだ! そうだ!」と、メリンダの言葉に数人の男達が賛同する。

 その中の一人はメリンダの父であるウィルメンテ侯爵も含まれている。

 どうやら、前もって協力を要請していたのだろう。

 ……だが、それ以上続く者がいなかった。


「えっ……」


 これにはメリンダや賛同者達が驚く。

 すでに九割方の同意を得ていたはずだ。

 多数の支持をモーガンに見せつける事で、ネイサンを後継者に推す予定だった。

 なのに、彼らは動く気配がない。


「どうしてだ! お前も賛同していたじゃないか?」


 賛同者の一人が近くのテーブルにいた者に声を掛けるが、目を逸らすだけだった。

 彼らには何が起こっているのかわからない。

 だが、彼ら以外の者は理解していた。

 アイザックは、状況を理解できていない者達のために行動に出る。


「バーナード、君は家の命令で仕方なく従っただけかい? それとも、自分の意思での行動か?」


 皆の視線がアイザックに集まる。


「家からの圧力です」


 バーナードの視線は、賛同者の中にいる兄に向けられる。

 その目は恨みでも憎しみでもない。

 悲しみと哀れみの視線だった。


「そうか。ならば汚名返上の機会を与える。今、僕に向けている剣を渡せ。そうすれば罪には問わない」

「ハッ」


 バーナードはアイザックに突き付けていた剣を逆向きにし、アイザックに手渡す。


「メリンダ、ネイサンの両名は、武力によってウェルロッド侯爵家の後継者の座を不当に奪おうとした。バーナード、警護隊長として本来の職務を果たせ」

「反逆者とその賛同者共を捕らえよ!」


 まるで出来の悪い喜劇だ。

 メリンダの手駒と思われた騎士達が、逆にメリンダ達を捕らえ始める。


「無礼な、放しなさい! バーナード、よくも裏切ったわね!」

「裏切るも何も、私はウェルロッド侯爵家に仕える者です。あなたにではありません」


 言葉だけは立派だが、バーナードの顔は蒼白になっている。

 事の大きさに耐えられないのだ。

 膝も震えているが、尻餅をついたりしない程度の気力はあるようだった。


 アイザックは椅子から離れ、ネイサンのもとへ向かう。

 全てを終わらせるために。


「兄上、残念ですよ。野心が身を滅ぼしましたね」

「アイザック、お前……。罠にハメたな!」


 二人の騎士に肩と腕を掴まれ、身動きできないようにされたネイサンがアイザックと正対する。

 この異常な流れを見れば、子供でもどういう状況なのかがわかる。


 ――メリンダとネイサンの企みは前もって知られていた。

 ――だから、暴発を待ってアイザックが反撃に出たのだと。


「人聞きの悪い事を言わないでください。反逆を企てたのは兄上ですよ。僕は身を守っただけです」


 白々しい言葉だと、アイザックは自分でも思った。

 メリンダがこのような強引な手段を取ったのは、デニスを使って自分自身が裏で操っていたからだ。


 ――貴族の圧倒的多数の支持を得れば、強引な手段でもモーガンは認めざるを得ない。


 そのように思考を誘導し、多数の支持を取り付けられていると勘違いさせていた。

 メリンダとネイサンを暴発させたのはアイザックだ。

 可哀想だとは思うが、二人が存在するだけでアイザックの野望を成就させる妨げとなる。

 このまま、武力によって後継者の地位を奪い取ろうとした愚か者として消えていってもらわねば困るのだ。


「やっぱりお前なんか大嫌いだ! こんな――」


 ネイサンの言葉は途中で途切れた。

 アイザックが手に持った剣で胸を貫いたからだ。


「ネイサン!」


 ランドルフが叫ぶ。

 すでにネイサン達は捕らえられている。

 さすがにアイザックも殺しはしないと思っていたが、そのせいで油断してしまっていた。


 アイザックをネイサンから引き離そうとするが、騎士の手によってランドルフは止められた。

 ここはアイザックの独擅場。

「誰にも自分の邪魔をさせないように」と命じられている。


 アイザックは剣を抜く。

 胸から血を流しているネイサンは口をパクパクとさせ、やがて目から光が消えた。


 ――初めての殺人。


 しかし、アイザックに震えは無かった。

「反逆者の処罰」という大義名分が、アイザックの罪の意識を軽くしていたのかもしれない。


「ネイサーーーン!」


(姉さんじゃないよ、兄さんだよ)


 メリンダの叫びを、心の中で茶化す余裕すらある。

 次は彼女の番だ。

 アイザックはメリンダに近づく。


「やめろ!」


 ウィルメンテ侯爵が近くの騎士から武器を奪い取る。

 年老いたとはいえ、武門の家柄。

 下手な騎士よりも強いのだろう。

 さすがにこれはアイザックの計算外だ。


「よくもネイサンを!」


 ウィルメンテ侯爵の視線はアイザックに釘付けとなっている。

 会場では悲鳴が上がり、出席者達が距離を取り始めた。


(ヤベェ)


 本能的に危険を感じた。

 周囲に騎士がいるとはいえ、相手は侯爵家の当主。

 剣先が鈍る可能性がある。

 騎士の壁を突破したその先、アイザックにまで彼の剣は届くかもしれない。

 だが、ここでもう一つ計算違いが起きた。


 ――父を見習ってか、騎士から剣を奪っていた息子のフィリップが、ウィルメンテ侯爵の首を背後から切り落とした。


 これにはアイザックだけではなく、会場にいた者達もポカンと口を開いて呆けていた。


「今回の一件はメリンダが勝手に行動し、引き起こした事態です。ウィルメンテ侯爵家の与り知らぬところであります。ただいまの父の行動は孫可愛さからの暴走。ですが、それは身内の手で止めました事、お忘れ無きようお願い致します」


 フィリップは周囲の者が正気を取り戻す前に「反逆には関係無い」と言い放った。

 アイザックはその判断力に戦慄した。


(ほとんど考える時間がなかったというのに、形勢不利だと見てとっさに父親をトカゲのしっぽにしやがった!)


 ウィルメンテ侯爵がメリンダに賛同していた事自体は喜ばしい事だった。

「これでウィルメンテ侯爵家もウェルロッド侯爵家の乗っ取りに協力したといって力を削げる」と、思ったからだ。

 だが、それはフィリップの一手で防がれた。


 あくまでも「ウィルメンテ侯爵はネイサンを殺された事によって感情が抑えきれなかった」というだけ。

 ウィルメンテ侯爵家がメリンダと共謀して、アイザックを亡き者にしようとしたわけではないと訴えた。

 その証拠として、アイザックを殺そうとしたウィルメンテ侯爵を殺して暴走を止めている。

「当主を殺してまで無罪を訴えているんだから、それ以上の罪の追及をするな」と言っているようなものだ。


 アイザックは悔しがる。

 おそらく、モーガンは今回のメリンダの行動をウェルロッド侯爵家内の事として処理するだろう。

 たった一人の存在のせいで、十年後のための布石を邪魔されたのだ。

 不愉快にもなるというもの。

 アイザックはフィリップを睨み付ける。

 フィリップは微かに笑みを浮かべているように見えた。


(クソッ。ウィルメンテ侯爵よりも、あいつの方が厄介そうだな)


 脳筋の武闘派相手の方が相手をしやすい。

 今回の件でウィルメンテ侯爵家を弱体化させるのではなく、むしろ強化してしまったのではないかと悔やむ。

 だが、いつまでも睨んでいるわけにはいかない。

 幸いにも、鬱憤をぶつける相手は一人残っているのだ。

 そちらで憂さ晴らしをするべきだと考え、アイザックはメリンダに向き直る。


「この悪魔、あなたは悪魔の子よ! あなたが死ねばいいのに!」


 当然「次は自分の番だ」と思ったメリンダが暴れ始める。

 騎士達も押さえようとしているが、火事場の馬鹿力というものなのだろう。

 押さえるのに苦労している。

 こうなると、アイザックも困った。

 さすがに暴れている相手の心臓を上手く刺し殺すような技量を身に付けていない。

 手間取っているアイザックを見て、ランドルフが叫ぶ。


「やめろ、アイザック! メリンダは悪くない。ちゃんと押さえられなかった俺が悪いんだ。やめてくれ!」

「そうだ、アイザック。もうやめなさい。ネイサンは死んだ。もうお前の立場を脅かす者はいない。やめるんだ。これ以上、血を流す必要はない」


 モーガンもアイザックを止めようと説得する。

 これに応じるかのように、アイザックはメリンダに向けていた剣を降ろした。


(助かった……)


 そう思って動きの止まったメリンダの胸を、アイザックの剣が貫く。

 あばら骨で止まらぬよう、刃は水平に寝かされている。

 剣を抜くと、水が流れているホースを切り裂いたかのように血が噴き出した。


「生かしておいては将来に禍根を残す事になります。火種は取り除いておかねばなりません」

「メリンダーーー!」


 騎士を振りほどいたランドルフがアイザックを跳ね除けて、メリンダを抱きしめる。

 彼の耳にはアイザックの言葉など届いていなかった。

 ただ、メリンダの事だけが彼の頭の中を占めていた。

 だが、そのメリンダは心臓を貫かれたせいで、ランドルフを一目見て涙を流しながら、すぐに息絶えた。


「メリンダ、メリンダ!」


 ランドルフは何度も呼び掛けるが、メリンダからの返事はなかった。

 メリンダを呼ぶ声は、やがて泣き声へと変わっていった。


 そんな父の姿を見て「少しやり過ぎたか?」と思ったが、まだ全て終わっていない。

 アイザックは最後の仕上げに入った。


「正当なる後継者はこの僕だ。異議のある者は今この場で名乗りでろ!」


 どこからも反対意見は出てこない。

 むしろ、この状況で言える者がいれば、よほどの胆力を持つ者か、ただのバカだろう。

 アイザックはどこかで聞いたようなフレーズを使い、会場にいる者達に高らかに宣言する。


「僕を後継者だと認めたのならば、永遠に口をつぐめ! 二度と異議を唱えようなどと考えるな! このアイザック・ウェルロッドこそが正当なる後継者だ!」

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