第71話 何気ない日常

 10月10日。

 アイザックは九歳の誕生日を迎えた。


 まもなくネイサン排除の騒動が起きて忙しくなる。

 それでも、自分の日々の成長を感じられて嬉しくなる。

 年を取れば取るほど、自由に行動できる事も増えていくからだ。

 大きく変化のある来年の誕生日が楽しみだ。

 十歳になれば、子供の同伴OKのパーティーなどにも出る事ができる。

 未来への人脈作りの第一歩だ。


 だが、大きくなるという事は、同時に新たに勉強の時間が増える事を意味する。


 例えば、ダンス。

 これは踊りの練習だけではない。

 女性をダンスに誘う作法なども含めて学ばされる。

 十歳式ではダンスを踊らないが、いつ必要になるかわからないので学ぶ必要があった。


 その他にも、今まで母親に教わっていた美術もワンステップ進む。

 王都に着いたら美術館巡りなどが予定されている。

 彫刻などを見て、美術品に関する目を鍛えるためだ。


 こうなる事はアイザックもわかっていた。

 貴族は支配階級だからといって、勉強ができて領地の統治ができればいいというものではない事を……。


(本当にどうしよう……。調子に乗ってピアノの演奏なんてするんじゃなかった……)


 ノーマンの口から家族に「素晴らしいピアノの演奏ができる」と伝えられたせいで、芸術面での期待が大きくなってしまっていた。

 ゾンビゲームの影響を受けて覚えただけで、アイザックが弾ける曲は一つだけだ。

 だが、演奏してみせたせいで、天才芸術家としての期待が急激に高まった。

 自業自得とはいえ、芸術に興味の無いアイザックには非常に辛い時間となる。



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 王都に着くと、翌日には美術館に本当に連れていかれた。

 これも全て子供とは思えない頭の良さを買い被られる。

「きっと芸術面でも大成する」と期待されている。

 知能と感性は別物なのだが、親馬鹿気味な両親には「できるはずだ」と思われてしまっていた。

 両親の期待が重い。


「ふぅ……」


 リビングでルシアと一緒にお茶を飲みながら一服する。

 こういう休憩時間には、かならずと言っていいほどブリジットは顔を出していた。


 美術館行きなどつまらない時間になるとわかっていた。

 なので、話し相手が欲しかったアイザックは「美術館に一緒に行こう」とブリジットを誘った。

 だが、その時は「親子でゆっくり楽しんできて」と言って逃げたのにだ。


 お茶を楽しむ時だけ顔を出す彼女の要領の良さは見習うべきなのかもしれない。


「ブリジットさんは芸術にご興味ありませんか?」


 ルシアがストレートな質問をする。

 皮肉などの混じり気無しなので、ブリジットはどう答えようか困惑した。


「えっと……、芸術はずっと残るでしょ? 人間よりも長くね。絵とかはそのうち見ればいいから、今は人間と過ごす時間の方が大事。だって、ほら。私はこれでも大使だから」 


 真っ向から「興味が無い」と答えれば角が立つ。

「大使である」という事を盾にして、ルシアの追及を受け流そうとした。


「それよりも、今年はなんだか屋敷の中の空気がピリピリしてない?」


 ブリジットは話を逸らそうとする。

 それは有効な手段だった。


 ルシアも去年までの雰囲気と違う事に気付いていたからだ。

 少し不安だったが、誰も話題にしないので自分の気のせいかと思っていた。

 ブリジットが口にした事で“自分だけではなかった”とわかり、ルシアは安堵する。

 そして、より一層の不安が押し寄せる。


「私もそう思います。何か嫌な事が起こらなければいいのだけれど……」

「やっぱりね。今年は何かあるのかな?」


 不安そうにする二人を見て、アイザックは黙っていられなかった。


「もう少しで兄上の十歳式があるからじゃないですか?」

「えっ?」


 二人は不思議そうな顔をする。

 ネイサンの十歳式があるからといって、ピリピリとした空気になる理由が思いつかないからだ。


「どういう事?」

「去年までは、ウェルロッド侯爵家傘下の貴族の子供達を祝うだけでした。けど、今年は兄上が参加します。色々とプレッシャーがあるんだと思います」

「あー、そういう事ね」

「それなら仕方がないわね」


 二人は納得する。

 主催者側の子供が参加するのだ。

 しかも、母親はメリンダ。

 失敗すれば、厳しい叱責を受けるだろう。

「失敗はできない」と、使用人達が緊張するのも無理はない。


「年明けまではこの調子かー」


 ブリジットがダルそうに呟く。

 十歳式の日まで今の空気が続くのは億劫だ。

 だが、十歳式は人間の子供達が一つの節目を迎える記念日だという事を理解している。

「今年は中止にしろ」と言えない事がわかっているだけに、諦めて受け入れる事にした。


 ブリジットはお茶菓子を頬張った後、お茶を一口飲む。

 こうして美味しい物を食べている時間が全てを忘れさせてくれた。

 

 アイザックは、そんなブリジットを見て「よく太らないな」と感心していた。

 エルフという種族自体が太りにくいのかもしれない。

 全ての自称「ポッチャリ系」の人々に真っ向から喧嘩を売る体質だ。

 遠い未来、エルフの遺伝子を解析して「太らない遺伝子」が解明される日が来るかもしれない。


「今年はまだいい方ですよ。来年はアイザックの十歳式。ジェイソン殿下と同じ世代なので、しくじらないように気を張り詰めるんじゃないかしら?」

「来年は村に帰ってようかしら……」


 ルシアの話をブリジットが嫌そうな顔をして聞いていた。


 来年は王子であるジェイソンを含め、四侯爵家の子供が十歳式を行うという珍しい年だ。

 それだけではなく、伯爵家以下の家も多くの子供を産んでいる。

 これは王妃が妊娠したと聞いて、各家が慌てて子供を仕込んだせいだった。




 リード王国では、王子も三年間は王立学院へ通う事になる。

 幼い頃からの友人役に選ばれた者以外にとって、王子と親密な関係になるのはそこだけだ。


 ――優秀な成績を収め、王子に側近として見出してもらう。

 ――身体能力に優れている事を証明し、近衛騎士への推薦をもらえるように好印象を与える。


 領地持ちではない貴族にとって、王族の近くで働けるというのは高収入を保証されるという事。

 そして何よりも、それは非常に名誉な事であった。


 ――どうせ子供を産むのなら、出世のチャンスのある時期に産んでやりたい。


 そう思うのは親として当然だった。

 そのため、ジェイソン世代と呼ばれる子供達が来年一斉に十歳を迎える。

 王子と同世代という事で、各侯爵家では十歳式の気合の入り方が例年以上のものになると予想された。


 だが、ここでブリジットが気にしていた「屋敷の中に充満するピリピリとした空気」はネイサンの十歳式が行われるからというだけではない。

 それ以上の理由があるからだったが、言える内容ではないというのもあり、アイザックはあえてその事を言わなかった。


「屋敷の空気が居心地悪いのなら、王宮に行ってもいいんじゃない? 喜んでくれると思うよ」


 アイザック達が屋敷に着いた、その日のうちに王宮から使者が訪れた。

 昨年はマチアス、一昨年はアロイス達エルフの使節団。

 今年はどんな客人が来るのかと期待していたようだが、クロードとブリジットだけだと知ってガッカリしていた。

 二年続けてお祭り騒ぎができたので「今年も!」と期待していたようだ。

 それでも、ブリジットが王宮に大使として出向けば喜んで迎え入れてくれるだろう。

 何らかの理由をこじつけて、お祭りの主役に祭り上げてくれるはずだ。


「嫌よ、そんなの。見世物みたいになるよりも、ウェルロッド家の人達とお茶を飲んでいる方がいいわ」

「今の発言、大使としての仕事を全否定してるんだけど……」

「仕事はクロードがやってるから大丈夫なの!」


 どこが大丈夫なのかわからないが、ブリジットとしては「大丈夫」ラインの内側に入っているらしい。

 クロードの苦労が忍ばれる。


「……今のは聞かなかった事にするよ。クロードさんにも言わない」


 言えばクロードに必要のない心痛を与えるだけだ。

 ブリジットのためというよりも、クロードのために忘れる事にする。


「そうしてくれると助かるわね」


 ブリジットも言ってから「しまった!」と思っていた。

 クロードの耳に入るとまた怒られる。

 黙ってくれるというのはブリジットにもありがたい事だった。


 そんな二人の様子をルシアが微笑んで見守る。

 人間の年齢でいえば、ブリジットはお婆さんを通り越している年長者だ。

 だが、アイザックよりも子供っぽいので、見た目通りの年頃の親戚の娘でも預かっているかのような錯覚を起こした。

 ルシアは大人として、ブリジットに対応する。


「ブリジットさんもアイザックと一緒に芸術の造詣を深めませんか? 貴族というものは同格以上の相手はともかくとして、自分より下だと思った相手にはとことん見下します。今はまだ交流を再開したばかりなのでいいですが、いつまでも知らないままだといつかブリジットさんが困る時が来るでしょう」

「うっ……」


 ルシアの言葉には、ブリジットも思うところがあった。

 去年、マチアスのお供をしていた時に「三百年前の彫刻です」と見せられた事がある。

 さっぱりわからなかったが、その時は「今まで長い間交流が途絶えてましたから」と笑って流してくれた。

 しかし、これから十年後、二十年後も知識不足を同じように笑って流してくれるとは限らない。

 勉強はしておいた方が良いに決まっている。


 それに、ブリジットは今の待遇を気に入っている。


 ――人と仲良くしているだけで給料がもらえる。


 そんな仕事があるとすれば、他にはお水のお姉ちゃんくらいだろう。

 大使としての本格的な仕事はクロードに任せるにしても、いつまでも「何もできない・知らない」では村に送り返されるかもしれない。

 自分の出番が来た時に最低限の働きができるように、勉強をしておく必要はあるかもしれないと考えた。


「そ、そうね。少しくらいならまぁ……」

「クロードさんが知らない事を知っておけば、サポートできるようになるので頼りにされますよ」

「それはいいわね!」


 やる気の出なさそうだったブリジットの様子を見て、ルシアはやる気を出させようとする。

 それは村に送り返されないよう、自分の価値を保ちたいと考えていたブリジットにとって最高の言葉だった。


「交流のあった時代に生きていた大人を連れてきた方が早いような気が……」

「何言ってるの! 私達若い世代が新しい関係を作っていくのよ!」


 大人の中には人間社会で働いていた者も多く残っている。

 そんな者達を呼び寄せられたら、本当にブリジットが大使の役目を解任されるかもしれない。

 アイザックに痛いところを突かれた事で、ブリジットに危機感が芽生える。


「アイザック、あんたねぇ……。私達、何年の付き合いだと思ってるの。なんで他の人に変えようとするのよ!」


 ブリジットがアイザックの冷たい対応に腹を立てる。

 だが、言われている方は極めて冷静だった。


「友人として付き合うのと、友好大使としての付き合いは別ですから」

「まったく、もう。本当に薄情ね。本当にルシアの子供なの?」


 ブリジットがアイザックに呆れる。


「血の繋がった子供だよ。けど、血の繋がりが子供の性格を形成する全てじゃないと思うけどね」


(特に魂とか……)


 アイザックは全て話さなかったが、その口にしなかった部分が一番大きいように思えた。

 その後も三人は軽口を交えながら、ティータイムを過ごす。


 ――取り留めのない事を楽しく話す。


 それだけの事。

 だが、のちに何気ない日常こそ大切だったのだと、アイザックは思い返す事になる。

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