第58話 今は前向きに頑張るだけ

 寂しさすら感じるウェルロッドの屋敷の中で、アイザックはルシアに話しかける。


「なんだか静かになりましたね」

「そうねぇ。色んな人とお別れしたもの」


 王都の屋敷では祖父母にティファニー一家やエルフ達がいた。

 ウェルロッドに戻り、多くの人達と離れ離れになってしまった。


 ウェルロッドに戻ると、エルフ達はひとまず自分達の村へ戻っていった。

 これには大使のクロードとブリジットも含まれる。


「故郷の味が懐かしいのよねぇ」


 というブリジットの意見を受け入れた形だ。

 何も無理に滞在し続ける理由はない。

 今はまだ交流を再開したばかりだ。

 里帰りでリフレッシュしてくるのもいい事だろう。

 お互いの文化に少しずつ慣れていけばいい。

 

 ……それは建前で「この機会にブリジットの代わりに、もう少しまともなエルフをクロードが連れてきてくれないかな」と、ちょっとだけ。

 本当にちょっとだけアイザックは願っていた。


 父ランドルフは領主代理としての仕事をしている。

 アデラとリサは、ウェルロッドに戻ってきたばかりなので荷物の片付けなどでこれない。

 これはほとんどの者が同じなので、アデラ達だけというわけではない。

 侯爵家の者だからこそ、アイザックはルシアとのんびりティータイムを楽しんでいられるのだ。


「騒がしいのは嫌だと思ってたんですが、意外と慣れるものですね」


 ブリジットと出会う前までと同じ静けさ。

 だが、今ではこの静けさに寂しさを感じる。

「使用人ではない者が傍にいる」という精神的な安らぎの前では、多少うるさいくらいは許容範囲だったようだ。

 今はアイザックがいるからいい。

「子供が生まれる前から、この静けさの中でよく暮らしていけたものだ」と、ルシアの心の強さに感心する。

 やはり、ランドルフとの愛が支えていたのだろうか。


「人は一人ではいけない。誰か一人でも傍にいてくれたら心強いのよ。アイザック、あなたはこれからも様々な人と関わる事になるでしょう。一つ一つの出会いを大切にね」

「はい、お母様」


 実際に寂しい思いをしてきた人物の言葉だけに無下にはできない。

 人生の先達としての言葉を大人しく聞き入れる。


 そして「出会い」という言葉で思い出した事がある。


「出会いと言えば、パトリックにもそろそろお嫁さんを用意してあげないといけませんね」


 アイザックのもとに来たのが生後どの程度だったのかわからないが、少なくともパトリックは三歳~四歳くらいになる。

 成犬として、つがいを見つけてやってもいい頃だ。

 だが、ルシアの顔が曇る。


「パトリックはね……。その……、去勢されているのよ。去勢っていうのは――」

「わかります。本で読んだ事があります」


 アイザックは言い辛そうにしているルシアの言葉を遮った。

 自分の振った話題で気まずい思いをさせたくなかったからだ。


(そうか、そうだよな。前世でも去勢するのは普通の事だったし、この世界でもあり得る事だった……)


 わざわざパトリックの股間を調べる必要などなかった。

 名前からオスだとわかっていたからでもあるが、メスだったとしてもわざわざ犬の股間を確認などしない。

 そのせいで去勢されているという事に気付く事ができなかった。


(前世の俺と一緒か。子供を残す事なく死んでいく。……いや、それどころか道具むすこが新品未使用で使う機会が無かったというところまで一緒か)


 そう思うと、犬の事なのに感情移入して悲しくなってしまう。

 前世なら「ペットだから仕方ない」の一言で済ませていただろう。

 しかし実際に飼って共に暮らすうちに、犬の事なのに他人事だとは思えなくなっていた。


 侯爵家という金持ちの家なら、去勢なんてする必要はないと思っていた。

 犬は複数の子供を産むが、一般家庭と違って育てる余裕がある。

 だから、いつかはパトリックの子供達に囲まれて暮らせると思っていたのだ。

 その夢が叶わないと知り、アイザックの気分は落ち込む。

 ルシアも「新しい犬を買えばいい」とは言わない。

 それはどこか間違っていると思ったからだ。


「パトリックが寂しくないように、僕が遊んであげます」

「ええ、そうしてあげなさい」


 アイザックの言葉に、ルシアは安心したようだ。

 モーガンに叱られたりするなど、様々な出来事を通して成長しているように思える。

「いや、アイザックは元々優しい子なのだ」とも思っていた。

 そのまま、ランドルフのようになってほしいとも。



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 ウェルロッドに戻っても、アイザックは剣や乗馬などは続けるつもりだ。

 いつかは必要になる技術だ。

 ただ、乗馬の練習は危険なのでクロード達が戻ってからとなる。

 それまでは、勉強に時間を割く予定だ。

 小学生レベルの問題だからといっても、問題がわからないのではなく、問題を読み違えるなどのミスもある。

 復習を繰り返す事で、ミスを減らす狙いだ。


 前世でもここまで本気で勉強に取り組んだのは受験前くらいだ。

 その真剣さは本物だが、先にノーマンが音を上げた。


「アイザック様、ここまでです。勉強をするなら、ちゃんとした家庭教師を雇いましょう」


 去年まで学生だったので”勉強を覚えている内に”と教師役をやらせていたが、限界が来たようだった。

 全教科満点ならともかく、ノーマンの成績は上の下か中の上。


 ――誤った答えを覚えさせたりしないか?

 ――そもそも、問題文はこれでいいのか?


 など、不安に押しつぶされた形となった。


「その通りだね。今までありがとう、助かったよ」


 一年ほどの試用期間を経て、ノーマンはアイザックの秘書官見習いとなった。

「近くにいるから」と教師役をさせていたが、専門家でもないので限界を迎えるのも仕方が無い。

 アイザックはノーマンが教師役を降りるのを認める。


「でも、いいのかなぁ。正式に婚約したばかりなのに、仕事を減らすなんて」


 ニヤニヤと意地の悪い顔をしながら、ノーマンをからかう。

 一年間、エルフの世話役の一人として働いていた。

 相手の両親がその事を高く評価し、娘とノーマンとの婚約を認めた。

 来年、王都で結婚式を挙げる予定である。

 なのに、自分の仕事を減らすなど、特別手当を減らす行為だ。

 だが、ノーマンに不安は見られない。


「本来の仕事をおろそかにしなければ大丈夫です。アイザック様も私をからかっている余裕なんてありませんよ」


 ノーマンはアイザックにスケジュール表を見せる。

 そこには面会の予定などが毎日書かれていた。


「……気のせいかな。予定がビッシリと書かれているんだけど」

「ええ、毎日ありますよ。正式に交流復活となり、交易所に参加したいという商人の陳情や、アイザック様とお近づきになりたい貴族の面会の申し出まで。色々とありますから」


 週に一日だけ空欄にしているのは、ノーマンの優しさだろうか。

 だが、それは慰めにならない。


「僕、子供だからわかんなーい」


 アイザックは現実逃避をした。

 それで何かが変わるというわけではないのに。


「何を言っているんですか。子供でもエルフ関連の責任者じゃないですか。以前は名目上だったとはいえ、今は実質的な責任者として見られているんです。逃げられませんよ」


 ノーマンも子供相手に厳しい事を言いたくないが、それでは大勢が困る事になる。

 心を鬼にして、己の職務を遂行する。

 これにはアイザックも観念したのか、現状を大人しく受け入れる。


「わかった。何とか頑張るよ」


 今までが暇だっただけに戸惑う。

 だが、前世とは違う人生を選んだのだ。

 面倒な事から逃げず、真っ向から対処していくのも新しい人生に必要な事だろう。


 ――将来に備えてレベルアップするための経験値稼ぎ。


 ゲーム感覚で考える事により、前向きに対処しようと考え直した。


「その意気です」


 ノーマンはやる気を出したアイザックを見て、拳をグッと握り締めてみせる。

 アイザックも拳を握り締めて、ノーマンに「頑張る」という意思を見せて答えた。


「私もまだまだ未熟ですが、頑張ります。アイザック様も一緒に頑張っていきましょう」


 ノーマンはエルフの世話役だったとはいえ、周囲との調整などの学院では学ばなかった事を学んだ。

 下っ端の雑用は雑用で、学ぶ事が多い。

 人手が足りないという理由だけで選ばれたわけではなかった。

 政務官や税務官ではなく、秘書官という仕事に必要な事を実地で学んできた。

 あとはその経験を活かし、アイザックの秘書官見習いとして必要な事を覚えていくだけだ。


「うん、頑張ろう」


 アイザックも「ベンジャミンの息子だから」という理由で採用したが、今では間違いではなかったと思っている。

 もし、最初からベテランが自分に付けられていたら、きっと息が詰まるような思いをしていただろう。

 共に悩み、成長していける者が傍にいた方が気が楽になる。


 いつかは自分が他人のフォローをしなくてはならない時が来る。

 そのときには「モーガンのやり方」に慣れているベテランよりも、ノーマンのような若い者に「アイザックのやり方」を覚えさせて、傍に置きたい。


 今はランドルフ達の支援を受けられる立場。

「失敗を恐れないのが若者の特権」という言葉もあるくらいだ。

 フォローしてもらえる内に、失敗しながら学んでいけばいい。

 大切なのは失敗しない事ではなく、成長する事なのだから。

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