第27話 ティファニーの婚約
入札を始めて二ヵ月。
四月に始まった入札も五月、六月となるにつれ、気温だけではなく入札も熱くなっていった。
二度目の入札は、ワイト商会のヘンリーが落札した。
落札金額は1,400万リード。
ほかの商会も、今回は1,000万前後の勝負になると読んでおり、近い金額を提示していた。
続けて二度もワイト商会に落札された事により、他の商会は危機感を覚える。
あと二回落札されれば、ほぼ勝利確定ラインとなる。
その焦りは、三回目の入札に表れた。
三度目の入札は、グレイ商会のイアンが落札する。
落札金額は4,600万リード。
他の商会が、3,200万リードと2,700万リードと3,000万前後の勝負と読んでいたのに対し、予想金額の五割増しの値を付けて強引に落札した。
これは落札者の金額が発表されない事による不安によるせいだ。
――自分が考えている以上に、ワイト商会は多額の入札をしているのでは?
そう思ったイアンが、予想金額を大きく上回る額を入札した。
これはアイザックが望んだとおりの結果だ。
不安を煽り、入札額を跳ね上げさせる。
通常の競争入札とは違い、落札者の金額が正確にわからないからこそ、このような事が起きる。
アイザックには、彼らから搾り取ろうというつもりはない。
だが、無理のない範囲で徴収しようとは考えていた。
金はいくらあっても困らない。
金を貯めるだけでも、その金を目当てにした者達が近寄ってくる。
人が集まれば、彼らの人脈を使ってさらに仲間を増やしていくのも可能だ。
それに金の使いどころを間違わなければ、さらに大きな結果を残す事ができる。
将来必要な時に働いてもらうため、護衛の騎士や兵士達にボーナスを配っていた。
まだ落札金額が少ないのでボーナスを配るのは痛手だったが、金は貯め込めば良いというものではないとわかっている。
それでも、庶民的な感覚の抜けきらないアイザックには身を切る思いだった。
だが、それも仕方ない事だと我慢する。
金を貯めるのが目的ではないからだ。
今回の目的は、ブラーク商会への制裁である。
金が貯まるのはその副産物に過ぎない。
ならば、ネイサンを追い落とす時のために使っておく方が良い。
後継者になれば、使った金以上の物を得られるのだから。
アイザックの思い通りに商人達が動いてくれるのには理由がある。
全てウェルロッド家、三代の法則とジュードの存在のお陰だ。
ジュードが戦死して、まだ十年も経っていない。
彼らの脳裏には、ジュードの存在が記憶に深く刻まれている。
――ジュードから三代先のアイザックが能力の片鱗を見せた。
「アイザックが後継者になる姿を思い浮かばされた」のも「母親の実家の力など関係無しに継承権を守り切る」と思わせたのも、彼らにジュードの存在が記憶にあったからだ。
そのせいで、先入観を持ってアイザックを見定めてしまった。
アイザックは彼らが“本来のアイザック”に気付く前に、本物の力を身に付けなければならない。
だが、力を見せねばならないのはアイザックだけではない。
今後も良い関係でいたければ、商人達もその実力を見せねばならなかった。
そのためのガバガバルールだ。
商人達は、アイザックの不興を買わないようなやり方で競争相手を出し抜く事を求められている。
双方共に、今後もパートナーとして付き合えるかどうかを証明しなくてはならなかった。
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とはいえ、アイザックも入札の件にばかり構ってもいられない。
五歳で遠出を許された代わりに、屋敷にいる間は家族と過ごす時間が増えた。
離れている分の時間を取り戻そうとしているのだろう。
特にルシアに、その傾向が見られた。
今までアイザックは一人で本を読んだり、パトリックと遊んだりしていたが、何かにつけて自分の傍に置くようになったのだ。
7月7日。
この日も、ティファニーの誕生日を口実にお茶会を開き、ルシアは自分の隣にアイザックを座らせていた。
出席者は主役であるティファニーとカレンの母娘と、リサとアデラ母娘である。
「お誕生日おめでとう」
アイザックは花束をプレゼントする。
従姉妹であり友達でもあるティファニーには、使用人達に渡す花束よりも花が少し多めになっている。
「ありがとう」
ティファニーは笑顔で花束を受け取る。
まだ子供とは言え女の子だ。
こうして花束をプレゼントされるのは嬉しい。
特にアイザック本人が花の世話をしているのを知っているのでなおさらだ。
「アイザックは花壇の世話を休まないなんて凄いね。よくお出かけしてるのに。そういえば、私もお出かけしてみたい」
「あなたは女の子だからダメよ。アイザックは男の子だから許されているのよ」
「私も連れていって」という雰囲気を作り出すティファニーを、母親であるカレンがたしなめる。
そう言う彼女のお腹は大きくなってきている。
跡取りとなる息子を求めて仕込んでいるのだろう。
「ティファニーは王都で家族とお出かけしていたんじゃないの? 僕は王都の見学に出かけられなかったから、そっちの方が羨ましいな」
王都ではティファニーと会う回数が減っていた。
それを「家族で出かけているからだろう」と思っていたので、羨ましく感じていた。
僻地に出かけるよりも、華やかな場所を散策する方がずっと良い。
良く言えば自然が綺麗。
悪く言えば何も無い場所。
ティリーヒル周辺で変わった物といえば、松林が広がる一帯があるだけだ。
それも「あっ、松だ。懐かしい」と少し思っただけ。
特別、松に何かの思い入れがあるわけでもないので「王都でウィンドウショッピングでもしたい」という気持ちの方がずっと強かった。
王都での話が出た事でティファニーは何かを思い出したんだろう。
エヘヘと照れ笑いをする。
「何かあったの?」
「んっとねー。実はね、婚約者ができたの」
「本当に!?」
アイザックとリサが驚きの声を上げる。
大人達は特に反応が無いので、そういう話があるというのは知っていたのだろう。
それからティファニーは照れ笑いをするだけばかりで話を聞けなくなった。
代わりにカレンに視線が集中する。
「どんな相手なの?」
「相手はアダムス伯爵家嫡男のチャールズよ。伯爵家とはいっても、領地を持たない宮廷貴族だけれどね。つい先日、正式に婚約しようという手紙が来たから、今年の冬には確定するわね」
カレンの言葉に、アイザックは目を見開いて驚くしかなかった。
(チャールズっていうと、ゲームでティファニーの婚約者だった奴だ! 俺が居ても流れに影響を与えないのか?)
「自分の存在がティファニーに影響を与えるかもしれない」と思っていたアイザックは、原作通りの方向に物事が動いている事に驚く。
それはそれでいい。
だが、自分の存在が周囲に何も影響を与えない無価値な物にも思えてしまうのが残念だった。
驚いているアイザックを尻目に、アデラが話に加わる。
「アダムス伯爵は財務省で未来有望と言われている官僚ですよね。凄い良縁に恵まれましたね。どうやったんですか?」
大きな力を持たない地方貴族の娘が「未来は事務次官」と目されている有力者の息子と婚約する。
十分に玉の輿と言える婚約だった。
まだ婚約者を見つけられていないリサのため、この機会にコツを聞いておこうとアデラは考えた。
カレンは軽い溜息を吐く。
「こちらから特別何かをやったわけじゃないのよね。アイザックの従姉妹っていう事で選ばれた面が大きいわね」
「えっ、僕ですか?」
ティファニーの婚約に自分が関わっていると聞き、アイザックはまたも驚かされる。
「そうよ。少なくとも、あなたの従姉妹だからウェルロッド侯爵家ともまったくの無関係じゃない。むしろ、近い立場にいるのよ。アダムス伯爵は中立派だから、政治的配慮とか色々とあるんじゃないかしら」
カレンの説明にアデラは納得した。
たとえネイサンの継承権が優先されるような事があっても、ランドルフの第一夫人であるルシアの姪という肩書きは強い。
一応は正当な後継者であるアイザックもいるので、興味を惹かれるものがあったのだろう。
ハリファックス子爵家よりも、
アデラは「まだティファニーも幼いのに、なかなか早い決断を下したものだ」と感心する。
そして、アイザックが驚いたのは自分が関係して婚約が決まった事だ。
原作にはいないと思っていた自分が関係して、ティファニーとチャールズの婚約が決まった。
その事が意味するものを考える。
(つまりゲームに出ていないが、裏設定みたいな物で存在はしていた? だから、俺がいる事で婚約が決まったのか? 俺がいる事前提でメインストーリーは進んでいる事になる?)
考えれば考えるほど不安になってしまう。
ウェルロッド侯爵家の名前は出ていたが、自分やネイサンの出番は無かった。
それにゲームをプレイしたわけではないので、攻略ページなどの情報を軽く見ただけだ。
攻略キャラ周辺の事は知ってはいても、書かれていないキャラの事までは知らない。
今までは“アイザック・ウェルロッド”など存在しないと思っていた。
だが、実は存在していて、現れていないだけのキャラだとしたら……。
(そうか『シックスメンズ』だ!)
アイザックは、あり得ないほどダサイネーミングに含まれている六人目の男の存在を思い出す。
隠しキャラでありながら、プログラムのミスによりフラグが立たずに出現しない攻略キャラ。
修正パッチ待ちで攻略ページにも情報は出ていなかった。
パメラ、アマンダ、フレッド……。
他の侯爵家のメンバーが登場しているのに、四つ目の侯爵家のキャラが出てこない事を不思議に思っていたが、これで合点がいく。
(俺は転生者で幽霊っぽいしな)
シックスメンズに含まれるにはちょうど良い。
アイザックは意外なところで、意外な事実に気付いてしまった。
そして、それは――
(っていう事は、俺がニコルに狙われる可能性があるって事か!)
――新たな悩みとなる。
ニコルのようなキツネ目の女はあまり好みではなかった。
顔立ちは悪くないと思うが、アイザックの好みでいえばモブ顔のメイド達の方が可愛いと感じている。
ニコルに付きまとわれるような事は勘弁願いたい。
思わず溜息が出る。
「あら、ティファニーが婚約して残念だった?」
その溜息を見逃さず、カレンがアイザックに質問する。
「確かにティファニーは可愛いと思います。ですが、どちらかと言えば妹みたいな存在なので、残念というよりは寂しいといった感じですね」
「アイザック、私の方がお姉ちゃんなんだからね。背だって私が高いし」
ティファニーがアイザックに抗議する。
三ヵ月差とはいえ、そこは譲れないらしい。
「あと十年もすれば身長は追い越すさ。覚えとけよ」
「私の方が背が高いもんねー」
アイザックはアイザックで、身長の事を気にしていたので言い返す。
ランドルフがスラリとした長身なので不安はないが、同い年のティファニーに負けている事を少し気にしていたからだ。
“せっかく整った顔立ちで生まれたのだから、高身長も”と、少し欲張っている。
子供の成長は差があるとはいえ、あまり背が伸びなかったらどうしようと危機感を抱いていた。
そして、危機感を抱いている子供がもう一人いた。
「ねぇ、お母さん。ティファニーに先を越されちゃったんだけれど……」
――リサだ。
彼女は十歳になり、王都では少しずつパーティに顔を出すようになったが、まだ婚約者が見つかっていない。
今日六歳になったばかりのティファニーに先を越され、自分の将来に少し不安を覚えた。
「ティファニーは子爵家の娘で、アイザック様の従姉妹。アイザック様の乳姉弟とはいえ、男爵家の娘であるあなたの婚約者が決まるのは十五歳前後になるわ。焦らなくても大丈夫よ」
「うーん。大丈夫かなぁ……」
アデラの言葉に嘘偽りはない。
誰だって子供の婚約者は良い家から選んでやりたい。
侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家といった順で婚約者が決まっていく。
リサはアイザックの乳兄弟なので相手が決まる序列は早い方だろうが、それは男爵家という枠組みの中での事。
やはり、ティファニーのようにアイザックの血縁であるという事と爵位の差は大きい。
「大丈夫だよ。リサお姉ちゃんは可愛いから、良い人が見つかるって」
アイザックがフォローする。
少し悩んでリサの表情は明るくなった。
「うーん、そうよね。遅くても王立学院を卒業する頃には相手が見つかっているだろうし、焦る必要ないよね」
「そうだよ」
そうではなかった。
もし、今のリサのセリフを卒業後も婚約相手が見つからず、働きながら婚活している者が聞けば否定しただろう。
――もっとガッツリ行って、良い相手を見つけないと後悔すると。
だが、この場にいる者は既婚者ばかり。
リサを諭してやれる者は不幸にも誰一人としていなかった。
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