第23話 ブラーク商会のデニス

 家族会議の翌日。

 嗅覚の優れた者達が、ご機嫌伺いに訪れ始めた。

 アイザックはもちろん、ルシアも誰にも話していない。

 メリンダやネイサンも話してはいないようだった。


 アイザックは気になったので祖父に聞いてみた。

 どうやら、ランカスター伯と共にモーガンが王宮に呼び出された事から推測されたらしい。


 ウェルロッド侯がランカスター伯と共に王宮に呼び出された。

 ↓

 今は人事異動の季節だから、きっとそういう方向の話だろう。

 ↓

 ランカスター伯は最近体調が優れないらしい。

 ↓

 外務大臣の後任にウェルロッド侯が選ばれたのではないか?


 という連想をしたことより、お祝いを贈りに来たそうだ。

 こういう嗅覚に優れているからこそ、王宮で生き残れるのだろう。


 アイザックはこの話を聞き「王都の貴族は権力の匂いに敏感だな」と感じていた。

 それもそのはず、爵位はあるが官位の無い貴族は、多少裕福な平民程度の暮らしをしている。

 王家が爵位に応じた年金を払っているが、それだけでは「貴族らしい生活」はできない。

 領地を持たない宮廷貴族にとって「役職持ちになる」という事は「金持ちになる」と同じだった。


 特に外交官などは旨味がある。

 リード王国は周辺国と比べて大国である。

 他国の駐在大使にでもなれば、付け届けだけで一財産を築けるとまで言われていた。

 電話やメールが無い世界なので、駐在大使の報告は非常に重要視される。

 様々な理由で大使の印象を良くしようと、賄賂が横行していた。


 外交官を任命するのは外務大臣だ。

 なので、次の大臣となるモーガンに今のうちから付け届けを行っている。

 モーガンも人を選びながらとはいえ贈り物を受け取っているので、それがこの世界では当然の事なのだろう。

 その事にアイザックはカルチャーショックを受けた。

 しかし、悪いばかりではない。

 収穫もあった。


(権力に擦り寄るって事は、俺が国を奪った時に貴族全員が下野する事は無い。ある程度まとまった数が残るだろう。国を動かせる程度の官僚が残っていてくれたら、それでいい)


 アイザック達が王都にいる今、ウェルロッド領を運営しているのは官僚だ。

 周辺国で怪しい動きがある場合は親族を代理の領主として立てるが、今の情勢は安定しているのでいない。

 この世界では、教育に金を使えるのは王侯貴族や平民の富裕層のみ。


 ――王位の簒奪者には従えない。


 そう言って気概を見せられて辞職されるよりは、風見鶏のように風向きで旗を変える人間の多い方が都合が良い。

 人材を一から育てている間に国が乱れてしまうからだ。

 官僚として働いてくれるのなら、気高い志を持たずとも問題にはしないつもりだった。


(ちょっと早い社会見学だ。色々と学ばせてもらおう)


 アイザックにも不正を憎む心はある。

 だが、前世では不正であっても、今の世界では不正と認識されていない事がある。


 付け届けもそうだ。

 前世なら賄賂として逮捕されるような事も、話をスムーズに進める潤滑油でしかない。

 という事は、それは不正ではない。

 ならば、目くじらを立てる必要もない。

 少し抵抗はあるが、そういうものだと受け止めてしまえばいいだけだ。


 他の貴族がどういう原理で行動するのかを学ぶ良い機会だ。

 祖父や父から話を聞くなどして、将来の糧とする。

 曾祖父のような化け物じみた智謀はいらない。

 努力で身に付けた知識と、その応用で高みを目指す。


 アイザックはその一歩を、踏み出し始める。




「お父様の働きぶりを近くで見てみたいのですがいいですか?」

「あぁ、もちろんだ」


 ランドルフは領主代理として、張り切っていた。

 彼のもとにも多くの来客があり、挨拶だけではなく交渉も行っていた。

 だから、息子に仕事ぶりを見てもらうのは気合が入る。

「友達と遊ぶから」とネイサンに断られたのは残念だが、ランドルフのやる気は頂点に達していた。



 ----------



 ランドルフの見学を始めて一週間が過ぎた。

 誰も遊びに来ない日は、父の仕事ぶりを大人しく見学するようにしていた。

 口出しせずにジッと見ているアイザックの事を、来客者は「あぁ、子供に見て学ばせる英才教育か。まだ幼いのにスパルタだな」くらいにしか思っていなかった。

 誰一人、アイザックが自主的に見学しているとは思いもしない。


 そして、ある日の事。

 アイザックが頭を悩ませる出来事が起きた。

 相手はブラーク商会の会長であるデニス。

 ウェルロッド家のお抱え商人だ。

 元々は木材を取り扱う商会だったが、百年程前の当主が当時の商会長の娘を妾にする際にお抱え商人にした。

 それ以来急成長を遂げ、日用品から贅沢品までのほとんどを幅広く取り扱っている。


 本来ならば、取り立ててもらっているウェルロッド家に足を向けて眠れないはず。

 だが、今回は違った。

 お祝いと言っているが、そのじつランドルフを試そうとしている。


「――というわけでして、本日は儲け話を持って参りました」


 デニスはランドルフが領主代理として仕事を任された事を祝うと、本題を切り出した。

 

「我が商会から、安い宝石を一億リードで購入していただきたい。来月になれば、こちらのエドガーが二億リードで購入致します」

「ウェルロッド家所有の品だったというだけで価値は上がります。かならず買わせていただきますので、ご安心ください」


 デニスの持ちかけた話は、ささやかではあるがランドルフに手柄を立てさせたいというものだった。

 領主代理になって早い段階で利益を出せば周囲に顔が立つ。

 その手助けをしたいというのだ。

 ランドルフは、この話に乗り気だ。

 やはり手柄は欲しい。

 しかし、アイザックはその本質を見抜いた。


「詐欺だ! 詐欺ですよ、お父様!」


(知ってる、俺は知ってるぞ!)


 アイザックとて無知ではない。

 テレビや新聞で似たような詐欺の方法があると見た覚えがある。

 必死にランドルフに注意を促す。

 しかしながら、息子の注意をランドルフは笑い飛ばした。


「何を言っているんだ。ブラーク商会が私を騙すはずがないだろう? そもそも、ウェルロッド家は一億リードくらいなら騙し取られても揺らがない」


 ランドルフのセリフに、デニスも相槌を打つ。


「まだお若いので、お金の価値をわかってらっしゃらないのですよ。きっと、家が傾くような金額を想像しているのでしょう」


 まるで信頼する者の間で一万円を貸し借りするかのように言う。

 実際に彼らには、その程度の認識なのかもしれない。

 だが、アイザックは父が騙されようとしているのを見過ごす事はできない。


「なら、契約書を。そちらのエドガーなる者が購入しなかった場合、ブラーク商会が全額払い戻すと一筆書かせましょう」


 せめて損害の補填を約束させればいい。

 そう思うが、ランドルフは首を振る。


「アイザック、我々は信用で取引をする。我々はウェルロッド侯爵家・・・だ。リード王国に四家しかない侯爵家・・・なんだぞ。この程度の金額の取引でうろたえていては面子に係わる」


 ランドルフは少し厳しい声で叱りつけるように言った。

 今までは黙って見ていたから良かったが、口を挟む事は許されない。

 これは大人の取引なのだから。


「ですが、お父様。どう考えても詐欺です。手柄を焦る気持ちはわかりますが――」


 アイザックが話している最中に、バチンと平手打ちが飛んできた。

 放ったのはランドルフだ。

 ランドルフにも少しは手柄を立てたいと焦る気持ちもある。

 それを見透かされて、思わず手が出てしまった。


 子供の体で大人の平手打ちは痛い。

 アイザックは歯を食いしばって泣き声を上げるのを堪えたが、こぼれる涙までは抑えきれなかった。


「自分で金を稼いだ事もない子供が知ったふうな口を利くんじゃない! 話の邪魔になる、すぐに出ていきなさい」


「少しやり過ぎたか」と、ランドルフは後悔する。

 初めてアイザックに手を出してしまった。

 だが、まだ幼い子供に諭されるような事を言われるのには耐えられない。

 せめて、あと十歳は年を取っていれば別だったが、五歳の子供の言う事を受け入れにくかった。


 アイザックは父を見て、その後でデニスを殺すような視線で睨む。

 そして、大人しく部屋を出ていった。

 泣き喚く姿を人に見られたくないという思いが強かった。

 子供なので人前で泣いても構わないのだが、前世の記憶がある分恥ずかしいという思ってしまう。


 アイザックはパトリックのいる部屋へ向かう。

 そこで泣いて、パトリックに慰めてもらうつもりだ。

「モーガンやルシアに泣きつくのは情けない」という思いから、その選択を選んだ。


「さすが侯爵家だけあって、子供のしつけも厳しいですね」

「いや、普段から甘やかしすぎたようだ。すまなかったな。さて、話を進めようか」


 部屋に残った者達は商談を進め始めた。




 ――しかし、一ヵ月後。エドガーは姿を現さなかった。


 デニスは1億リードを返そうと申し出たが、ランドルフはその申し出を受けなかった。

 デニスが金を返そうとした事で、ランドルフの「アイザックの言う通り騙されたのではないか」という思いは消えてしまった。

 本当に騙すつもりなら、金を返そうとはしないからだ。

「今回の事は勉強代だ」と、見栄を張って金を受け取らずに納得してしまった。

 こういう対応をすると予想してか、それとも本当にランドルフを試すだけだったのかはわからない。

 それでも、アイザックにわかる事がある。


 ――今後、ランドルフが食い物にされるという事だ。


 人が良いのは立派な事である。

 だが、それは相手を選ぶべきだ。

 誰にでも優しい態度を取るのは、人が良いのではなく頭が悪い。

 今年はまだモーガンがいるので大丈夫だろうが、いなくなる来年以降どうなるかわからない。

 アイザックは自分が何とかしなくてはいけないと思い始めた。


 これは「自分が継ぐ時に家の力を失っている」という事を恐れてではない。

 ランドルフは自分の父親だ。

 親をコケにされて黙ってなどいられない。

 顔を引っ叩かれてもだ。

「オレオレ詐欺に騙されて振り込もうとしているお年寄りを止める」ような気分だった。


(まずは実績だ。親父に自分で金を稼げるっていうところを見せないとな。そうしないと説得力がない)


 幸い、王都でどう稼げば良いのかを学んだ。

 そして、その方法を実行できそうな場所を見つけた。

 あとは実施だけ。

 だが、それが難しい。

 五歳児に自由な行動が許されるかどうか……。

 モーガンに理と情で訴えかけるしかない。


(覚えておけよ、デニス。誰の親父をコケにしたのか思い知らせてやる。……数年後な!)


「今すぐに」と言わないだけ冷静に判断ができている。

 そう思う事で、自分の計画が上手くいくと信じようとしていた。

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