第二章 継承権争い -準備編-

第21話 バレンタインデー

 新年も明けて一ヵ月。

 新年会からのパーティーラッシュが終われば静かなものだった。

 だが、二月にも当然イベントがある。


 ――バレンタインデーだ!


 別に聖ウァレンティヌスがいるわけでもないのに、二月十四日はバレンタインデーとして認識されている。

 ホワイトデーもだ。

 この世界でもこの日は女性が想いを伝える日として広く知れ渡っている。




 大昔、どこかの国の姫が騎士に恋をした。

 しかし、身分違いの恋。

 想いが叶うはずもない。

 そこで、自らの手で刺繍を施したハンカチを、他人に気付かれぬようにプレゼントした。

 せめて、自分の縫った物を持っていてもらいたくて。

 それが2月14日の事。


 プレゼントを受け取った騎士は、姫の想いに気付いた。

 しかし、身分違いの恋。

 想いが叶うはずもない。

 そこで、当時その国の王都付近を騒がしていた小型のドラゴンを倒す事にした。

 その狙いは成功。

 ドラゴンを討ち取った褒美として、姫との結婚を勝ち取る。


 ――それが三月十四日の出来事で、後にホワイトデーと呼ばれる日になる。




(ハードル上げられ過ぎて、普通の男には迷惑極まりないんだよなぁ……)


 アイザックはこの話を絵本で読んだ時、そのような感想を抱いた。


 この世界では、恋人のいない女性が想い人に刺繍の入ったハンカチを渡す日となっている。

 男性が女性の想いを受け取る場合、自分の実家や女性の実家に結婚の根回しをする。

 ドラゴンの首の代わりに、婚約という成果を女性に捧げるのだ。


 刺繍の入ったハンカチ一枚で、三倍返しどころではないものを要求される。

 世界は違うといえども、このイベントに関しては男性は不利となっている。


 これはリード王国でも常識となっており、王立学院を卒業する前の一大イベントとなっていた。

 卒業間際まで婚約者のいない者達にとっては最後のチャンス。

 それだけに必死であり、面倒だなんだと言ってはいられない。


 もちろん、そこまで必死にバレンタインデーを過ごさない者達の方が多数派である。

 家によって政略結婚が決まっていたり、学生の間に婚約者を見つけた者達だ。

 そういった者達はバレンタイデーを「女性が手料理を振る舞い、男性がささやかなプレゼントをお返しする」という過ごし方をするのが一般的だ。

 友チョコのように同性間でも振る舞われる場合もある。

 婚約者が決まっているか、決まっていないかで心の余裕が大きく変わる。


(まぁ、どうせ俺には関係ないけど……)


 アイザックは前世を思い出した。

 友達は「俺、今年は一個もらった」と言う者が多かったが、そのほとんどは母親からの物だ。

 それに対し、アイザックは「俺は二個だった」と返す。

 当然ながら女子に貰った物ではなく、母親と妹から貰った物だ。

 そのやり取りは、なぜか毎年行われ、お互い傷口を舐め合った苦い記憶として残っている。


 アイザックが、なぜこんな事を考えているのか。

 それは目の前にある漆黒の物体Xが起因する。

 物体Xの向こうには、リサが座っていた。


「新年会の時、似合ってるって言ってくれてありがとう。さぁ、どうぞ」


 リサが謎の物体をアイザックに勧める。

 おそらく、アイザックを愛しているとかではなく、友チョコのような感覚で持ってきたのだろう。

 だが、色と匂いから察するに、どう見ても炭化した何かだ。

 とても食べられそうにない。


(ホットケーキ? それともパン? お好み焼き?)


 丸い形をしているので、フライパンで焼いた物のように思われる。

 しかし、表面が焦げているので何かはわからない。

 焦げた匂いに混じる小麦粉を焼いたような匂いが、一応食べ物だった・・・と主張していた。


 アイザックは周囲を見回す。

 中庭のテラスにはアイザックとリサ、そしてアデラとパトリックしかいなかった。


「アデラ?」


 そこで、唯一助けを求められそうなアデラに救いを求める。

 しかし、スッと視線を逸らされる。


「リサが初めて作った料理です。一口でもお食べいただければ、この子も幸せでしょう」


 アデラは自分の娘の想いを大切にしたかった。

 本来ならば、アイザック相手にしてはいけない事だと理解している。

 だが、初めて料理を作る娘の姿を見て「一口だけなら……」と思わされてしまった。


(おいぃぃぃ! お前、俺の乳母だろう! こんな物を食わせようとするな!)


 当然ながら、その想いはアイザックに伝わらない。

 まだ幼い体なので毒に対する耐性も弱いだろう。

 焼け焦げた物を食べて、腹を壊したりしたら大事になる危険性だってある。


(メリンダに毒を盛られる前に、リサに毒殺されるとは……)


 ――本当の敵は身内にあり!


 今のアイザックは、明智光秀に裏切られた織田信長の気分だった。


「これ、リサお姉ちゃんが初めて作ったんだよね?」

「そうだよ。けれど、ちょっと失敗しちゃった」


 リサがエヘヘと可愛らしく笑う。

「頑張ったね」と言って頭を撫でてやりたいところだが、これを食べさせようとされるのは迷惑極まりない。

 アイザックは逃げる方法を必死に考える。


「リサお姉ちゃん、悪いけどこれは食べられないよ」

「えっ」


 アイザックの言葉に、照れ笑いをしていたリサの顔が凍り付く。


「初めて作ってくれて本当に嬉しいよ。できれば食べたい。けどね、僕が食べちゃいけないと思うんだ」


 深刻な表情でアイザックは言った。

 そして、続ける。


「将来、リサお姉ちゃんが結婚する人に料理を作って食べさせてあげる時に『初めて作ってあげたのは別の男の人』って言われると、相手の人が悲しむと思うんだ」

「で、でも。アイザックは弟みたいなものだし」


 リサは笑顔から泣きそうな表情に変わっている。


「それでもだよ。僕達は血が繋がってない。だから、あんまり良い気はしないと思う。リサお姉ちゃんの初めては、人生を共に過ごす人のために取っておいてよ」


 何か誤解を受けそうなセリフだなと思いつつも、アイザックは堂々と言い切った。

 こういう場合、言い切ってしまえば相手は「そういうものなのかな」と信じてしまう。

 中途半端が一番いけない。


「でも……。それじゃあ、これどうしよう」


 リサは悲しそうな目で炭化した何かを見つめている。

 さすがにアイザックも心苦しくなり、フォローをしてやる事にした。


「男の人にプレゼントとして渡すのはダメだとなると……。家族だったら良いんじゃないかな。いつも働いて頑張っている両親に初めて料理を作ってあげたっていうなら、きっと未来の結婚相手の人も優しい人だなって受け取ってくれると思うよ」

「そうしようかな」


 パァッと明るい笑顔になったリサは、謎の物体をどうやって持って帰ろうか考え始める。

 初めて作った料理だ。

「マズイ」と言われても、誰かに食べてほしかったのだろう。

 食べてくれる人犠牲者が見つかって、素直に喜んでいる。


 それに対して、アデラは驚愕の表情を浮かべていた。

 まさか、アイザックに返されるとは思ってもいなかったからだ。


(アイザック様……。やってくれますね)

(先に裏切ったのはアデラの方だよ。その報いは受けてもらう)


 二人は視線で会話をした。


 ――信賞必罰。


 アデラは、己の職務を忘れてアイザックを裏切った。

 なので、その罰としてリサの料理を食べてもらう。

 これくらいは受け入れてもらわねば示しが付かない。


(まったく、新しい人生でもバレンタインデーはロクでもねぇのか……)


 プレゼントを貰えるのは嬉しい。

 しかし、それにも限度がある。


(こんな炭と化した何かなんて食えねぇよ。『こんな物をよく食べさせようと思ったな』って当てつけで食うにしても、こんな物食う奴バカだろ。いくら可愛い女の子が作ってくれたとはいえ、さすがに食えねぇよ)


 アイザックは我が身が可愛いので、そんな事を考えてしまう。

 頑健な内臓と強力な胃薬があれば別かもしれないが、まだ五歳の体では不安で口にしたくない。

 申し訳ないが今回はパスだ。


(未来の旦那さんには悪いが、可愛い嫁さんを貰うんだからメシマズくらいは我慢してもらおう)


 それに、大人になる頃には料理の腕も上がっているかもしれない。

 本人の努力次第で未来は変わる。

 今がダメだからといって、将来もダメだとは限らないのだ。


 どうやって炭を持って帰ろうかと言うリサに、アデラは困っている。

 その姿をアイザックは微笑ましい物を見る目で見守っていた。

 そこへ、メイドが一人やってくる。


「アイザック様。キャサリン様がそろそろお帰りになられるそうです」

「わかった。ありがとう」


 これはあらかじめ伝えておいた事だ。

 キャサリンに頼みたい事があったからだ。


「ちょっとキャサリンに挨拶してくる。すぐに戻るから待ってて」


 アイザックはリサとアデラにそう言い残すと、屋敷の中へ入っていく。

 さすがにもう五歳。

 ちょっと挨拶に行ったり、トイレに行ったりするくらいでアデラは付いてこなくなっていた。


(さて、俺も努力をして未来を変えないとな)


 アイザックは少し悪い笑みを浮かべていた。



 ----------



 年末年始、ルシアは挨拶で忙しかったが、それはランドルフの妻だからだ。

 学生時代とは違い、侯爵に嫁入りした後は友人との縁が切れた。

 どう接すれば良いのか、誰もわからなかったからだ。

 媚びを売るためとはいえ、接してくれていたキャサリンがまだマシという状態だった。


 その事を知っているキャサリンは、バレンタインデーなのでルシアのもとを訪れていた。

 今はルシアの友人が少ないからだ。

 昔は多かったが、王党派の者もいたので、メリンダに配慮してルシアに会う事を控えられていた。

 そのため、キャサリンがシャンパンを持参して訪ねてきていた。

 ルシアが用意させたチーズとクラッカーを酒の肴にして、少し酒臭い女子会が開かれている。


「そろそろ帰るわ」


 キャサリンが帰ると言い出した。


「そう、残念ね。表まで送るわ」

「ううん、それはいいわよ。ダミアンを迎えに行かなきゃならないから」


 キャサリンは申し訳なさそうに言う。

 ダミアンは同じ王党派、同じ年という事でウィルメンテ侯爵家の跡取りであるフレッドに気に入られていた。

 その縁で、ネイサンのところへ遊びに連れていかれるようになった。

 本当ならダミアンはアイザックのところに遊びに行かせたい。

 家の都合でアイザックの遊び相手もしてやれない事を申し訳ないと思っていた。


 少し前のキャサリンなら「侯爵家跡取りの友達の座ゲットーーー!」と大喜びしていただろう。

 そうならない程度には、今までの態度を反省している。

 だから、せめて彼女はルシアの友人であろうと、メリンダのもとではなくルシアのもとに来ていた。

 人によっては「どっち付かずのコウモリ女」と思われるかもしれない。

 だが、これが彼女にできる精一杯の誠意だった。


「皆で仲良くできれば良いのだけれど……。またね」


 ルシアはキャサリンに別れを告げる。

 その時、メイドの一人が静かに部屋の外へ出ていった。


「ええ、春になる前にあと、一回か二回は来るわ」


 春になれば、領地に戻ってしまう。

 それからは手紙での連絡になるだろう。

 寂しくなるが、もう学生時代とは違って子持ちの母親。

 自分の都合ばかりを優先してはいられない。


 キャサリンが部屋を出ると、メイドが一人ネイサンの部屋まで先導する。

 たとえ客人であっても、屋敷の保安上の問題で一人では歩かせられないからだ。

 二人がネイサンの部屋まで向かう途中で、アイザックが待っていた。


「キャサリンさん、お帰りになるんですか?」


 何も含むところのない子供の笑顔。

 それがキャサリンの胸を殴り付ける。

 本当ならダミアンが遊んでいるのはアイザックだったのだから。


「そうですよ。アイザック様もお元気そうで何よりです」


 キャサリンは無難な挨拶を返す事しかできなかった。

 他に良い言葉が見つからないのだ。

 だが、アイザックはそんな事を気にする様子は無かった。


「ねぇ、エリザ。ちょっとキャサリンさんと話したいから外してもらってもいい?」

「かしこまりました」


 エリザと呼ばれたメイドが、少し先に移動する。

 その光景にキャサリンは驚いた。

 侯爵家の人間が使用人の名前を憶えているなど、他の家では無かった事だ。


 ――「おい」「そこの」「おまえ」「あなた」


 そういった言葉で呼んでいる家ばかりだ。

 珍しいものを見たと、キャサリンは目を見開く。


「ねぇ、キャサリンさん。お願いがあるんだけど聞いてくれる?」


 アイザックはモジモジとしている。

 もしかしたら、ダミアンと遊びたいと言い出すのかもしれない。

 そう思うと、キャサリンは胸が締め付けられる。


「聞ける内容なら喜んで」


 キャサリンはそう答えるしかなかった。

 嬉しそうな顔をするアイザックの笑顔が、より一層彼女を苦しめる。


「実はね、メリンダ夫人に伝えてほしいんだ。アイザックは後継者にふさわしくないし、ルシアも望んでいない。ネイサンこそが後継者になるべきだ。そして、第一夫人もメリンダ夫人こそふさわしいってね」

「それは……」


 ――絶句。


 それ以上キャサリンは言葉を続けられなかった。

 アイザックの家督放棄ともいえる言葉に、貴族としての常識を持つ彼女は非常に驚いた。


「キャサリンさんがそう伝えてくれると、僕やお母様のためになるんだ。お願いできますか?」

「……どうして私なの?」


 その言葉を絞り出すのが精一杯だった。

 彼女の喉が渇くのは、酒を飲んだせいばかりではない。

 わずか五歳児の言葉で動揺させられている。


「キャサリンさんはお母様の友達だからだよ。キャサリンさんはウォリック侯爵家側の人ですよね? だから、信じてもらえるかなって」

「……本当に良いの? お母様に相談した?」


 キャサリンの言葉に、アイザックは首を振って答える。


「なら、ダメです。勝手な事はできません」


 彼女の言う事は正論である。

 他家の家督相続に関する事に口出しをするなどできるはずもない。

 しかも、侯爵家の問題にだ。


「お願いします! メリンダ夫人に会った時、ちょっとした世間話程度で良いんです。この事が将来、僕とお母様のためになるんです!」


 アイザックは先ほどの笑顔から打って変わって、必死の形相になっている。

 それだけの思いがあるのだろうと感じさせる。

 これにはキャサリンも心が動かされた。


「……あくまでも世間話。それも、メリンダ夫人に媚びるための世間話。それでいいですか?」

「ありがとうございます! それで結構です」


 アイザックの顔に笑顔が戻る。

 少しホッとしているようだ。


(こんな子供なのに、家督争いで苦労しているのね……)


 キャサリンはアイザックを心配する。

 特にルシアとメリンダの問題は過去にもない例外。

 先例に頼ることもできないので、苦労もひとしおだろう。

 後継者争いに疲れて、降参しようとしているのかもしれない。

 そう思うと、アイザックがとても可哀想に思えた。


「ダミアンにもよろしくお伝えください」

「えぇ、また遊べるようになると良いのだけれど……。ごめんなさい」


 キャサリンは残念そうな顔をして謝り、ダミアンを迎えに行った。

 アイザックはその後ろ姿を見送る。


(やったやった。お袋の友達であるキャサリンに動いてもらえて良かった。友達だからこそ、その言葉が真実味を帯びるんだよな)


 特にメリンダの傍には「ネイサンこそが後継者にふさわしい」と、おべっかを使う者ばかり。

 そこにキャサリンが加わっても疑わないはずだ。

 それどころか「やっぱりそうか」と、確信を抱くはず。

 アイザックは、メリンダに確信を持ってほしかった。

 キャサリンに頼んだのは、布石の一つだ。


(布石っていうのは、行動を起こす直前に打っても効果がない。布石を打っておいて、行動を起こす時には相手が詰んでいる状態にしておかないとな)


 アイザックは自分に知識はあるが、才能がない事を知っている。

 だからこそ、地道に積み上げる道を選んだ。

 キャサリンも、まさか“アイザックは後継者にふさわしくない”という言葉が、メリンダ達を奈落に突き落とす布石だとは思うまい。

 仮に気付いたとしても、その時にはメリンダとネイサンは墓の中だ。


(少しずつだ。小さい事だが、少しずつ積み上げる。なぁに、気合と根性で努力し続ければ世の中なんとかなるさ)


 アイザックはあくどい笑みを浮かべて、キャサリンの後ろ姿を見送った。

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