第12話 花束を選んだ理由

「帰ってくれば帰ってきたで嫌になるな」


 モーガンは自分の執務机に載せられた書類を見てボヤいた。


「それでも重要度が低くて急がなくてもいいものだけです。少しずつ片付けていってください」


 秘書官のベンジャミンがモーガンに言った。

 留守を任された以上、与えられた権限でやるべき仕事は全てこなした。

 やらなくても良い仕事は後回しにして、優先度の高いものを処理した結果。

 領主が処理しなくてはいけないが、内容自体はどうでもいい案件だけが残っている。

 モーガンも休み明け早々に、どうでもいい仕事をやる気にはなれなかった。


「別にやってくれても良いんだぞ?」

「残念ながら閣下が帰ってこられた以上、私には処理する権限がなくなりましたので」


 手が回らなかった簡単な仕事くらいは自分でやってくれなければ困る。

 モーガンがいない時だけ、という条件で留守中に案件を処理する権限を与えられていた。

 その事を持ち出して、ベンジャミンは押し付けられようとした仕事を断った。

 彼は秘書ではあるが、奴隷ではない。

 譲らなくても良い時は自分の意思を優先する。

 これにはモーガンも苦笑いで返すしかない。


「なら――」


 ――権限を与えてやろうか。


 椅子に座りながら、そう言おうとしたところで執務室のドアがノックされる。


「誰だ」

「アイザックです」

「入れ」


 ドアが開かれると、アイザックとメイドが一人立っていた。


「どうした? やはり、ネイサンの件で何か言いたい事でもあったか?」


 モーガンがアイザックに訊ねた事は、誰もが最初に思い浮かぶ事だろう。

 ネイサンに対して何かしてほしいと、祖父を訪ねてきたという事くらいしか考えられない。

 だが、アイザックは首を横に振った。


「いいえ、兄上に関しては何も言うつもりはありません。今日はベンジャミンに用事があって来ました」

「私に?」


 ベンジャミンはモーガンと顔を見合わせる。

 何か頼み事があるのなら、祖父であるモーガンに頼んだ方が早い。


 ――いったいどんな用事なのか。


 それはメイドが手に持っている花束が答えてくれそうだ。

 アイザックがメイドから花束を受け取ると、ベンジャミンの前まで歩み寄った。


「お爺様の留守中、お仕事お疲れ様でした。それと、一週間遅れましたが誕生日おめでとうございます」


 ベンジャミンは呆気に取られながらも、アイザックから花束を受け取る。


「ありがとうございます。……ですが、なぜ今なんですか?」


 誕生日プレゼントなら、先週渡してくれれば良かった。

 わざわざ、今持ってくる理由がない。


「初めてのプレゼントはお爺様達に渡したかったから、帰ってくるまで渡せなかったんだ」


 アイザックはニコリと笑ったので、ベンジャミンも笑顔で返す。


「これからもお爺様をよろしくね」


 アイザックはベンジャミンに手を伸ばす。


「もちろんです。お任せください」


 ベンジャミンはアイザックの手を取った。

 言われずとも、職務には励むつもりだ。

 だが、こうして頼まれるのも悪い気はしない。

 子供の柔らかい手。

 そして、高めの体温によるぬくもりを感じながら、モーガンのために働く事を改めて誓う。


「お爺様も長旅のあとなんだから、無理はしないでね」


 バイバイ、とアイザックは手を振って執務室を出ていった。

 ベンジャミンも手を振って答える。


 モーガンはアイザックが出て行って、しばらくしてから執務机に拳を叩きつけた。

 部屋にいた秘書達はビクリとする。

 空気が凍り付いていたようにすら思えた。


「なんで祖父の私が十本で、お前が二十本以上の花束なんだ?」

「……誕生日プレゼントだからじゃないですか?」

「クソッ」


 またモーガンは机を叩く。

 そして、両手で頭を抱えた。


「なぜ私は誕生日じゃないんだ……」

「八月生まれだからじゃないんですか?」


 ただの親馬鹿――いや、祖父馬鹿――か……。

 理由が判明した時から、部屋の空気は弛緩する。

 ただ羨ましいだけで、何かに怒っているわけではないとわかったからだ。


「大切にするように」

「ええ、自宅でちゃんと飾らせていただきますよ」


 ベンジャミンは答えながら、どこに飾ろうか考えていた。 

 人目に付く玄関か食卓か。

 切り花は一週間程度で枯れてしまうので、その短い寿命の間どこに飾ろうか迷ってしまった。




 そう、ベンジャミンが悩んでいるように、アイザックが数多くある物の中から花を選んだ理由は「日持ちしない」という理由からだ。

 枯れた花を捨てても、それは不敬でもなんでもない。

 処分のしやすさが選んだ理由だ。


 ――友人の結婚式で貰った新郎新婦の写真がプリントされた皿。

 

 そんな物を貰った経験から、そういった物品は扱いに困るとわかっていた。

 腐らないし、残している限り空間を占有する。

 だが、捨てられない。

 自分の手で壊すのもはばかられる。

 非常に迷惑な存在だった。

 恋人などから貰ったのならともかく、他人から貰う物はなくなる物の方が良い。

 お菓子をプレゼントしてもいいが、万が一食中毒にでもなられたら評判が下がる。


 ――食品と同じで日が経てば無くなる物。

 ――プレゼントしても、相手が困らない物。

 ――それでいて喜んでもらえる物。

 ――何よりも、この世界で手に入る物。


 様々な検討の結果、アイザックは花を選んだ。


 花ならば誕生日に限らず、人にプレゼントしてもおかしくない。

 立派な贈り物ではないので、接触したい相手に気軽にプレゼントできる。

 それでいて、アイザックが自ら育てているのでそれなりに価値もある。


 ――手軽さ、気軽さ、価値。


 全てのバランスが取れた良い選択だったと、アイザックは思っていた。

 ベンジャミンに花束を渡した後、最近誕生日だった者達に花束を渡して回った。



 ----------



 翌日、一晩休んだアデラとリサがやってきた。

 彼女らも貴族の端くれ。

 モーガン達と同様に王都に行っていた。

 今はリサがアイザックに土産話をしてやっている。


「王都の中にも、このお屋敷くらい広いお屋敷があるのよ」

「凄いね」


 リサが訪れた王都にあるウェルロッド家の屋敷。

 広いだけではなく、王城の近くにあるというので、前世で考えれば千代田区内に広大な屋敷を構えている事になる。


(この屋敷も庭を含めるとかなり広い。首都のど真ん中にそんな屋敷を持ってるなんて、やっぱり貴族って凄ぇ)


 ウェルロッド家の本館は行政府も兼ねているので、かなりの広さがある。

 玄関前には馬車の停留所や兵士が集合する場所まである。

 まだ子供なので、敷地がより一層広く感じられた。

 そのせいで正確にはわからないが、少なくとも前世では住む事が考えられない広さだという事だけはわかっていた。

 

「それにあっちはあっちでたくさんの使用人がいるから、アイザックも覚えるのは大変だと思うな」


 リサはアイザックが使用人の名前を憶えている事を知っている。

 リサ自身、ルシアの別館で働く使用人は覚えているが、本館の分までは覚えていない。

 王都の分も覚えるとなると、アイザックでも無理なのではないかと思っていた。


「それは少しずつ覚えるよ。ねぇ、王子様と会ったりした?」


 アイザックは王都で最も気になる事を聞く。

 しかし、リサは「ない、ない」と手を振った。


「会えるわけないじゃない。殿下はあなたと同じ四歳なのよ。そもそも、私は地方貴族の男爵家の娘よ? お母さんが乳母をやってなきゃ、こうしてアイザックと会う事だってできないんだから。王子様と会うなんて、まず無理ね」


 アデラはハリファックス子爵家が任されている街の近く。

 農村を任されている男爵家の出身。

 幼い頃から、ルシアの友達として遊んでいた。

 今のアイザックとリサの関係と同じようなものだ。

 その縁でアデラが乳母をやることになった。


 リサがアイザックの遊び相手に選ばれたのも、その縁があったからだ。

 縁もゆかりもない王子に会えるはずがない。

「わかってないわね」といった感じに、リサはやれやれと首を振る。


「そうかー。どんな人か気になったんだけど、仕方がないね」


(まぁ、それもそうか。ゲームの主要人物はまだ四歳。人前に出るような年齢じゃない)


 アイザックは少し焦り過ぎたかと反省する。

 まだ四歳という事で早く成長したいとも思うが、ネイサンを追い落とすためには時間も必要だ。

 何とも言えないもどかしい思いが胸の中に渦巻く。


 残念そうにするアイザックを見て、リサも思うところがあったのだろう。

 少しだけ王子の話をしてやる事にする。


「噂で聞いただけだけど、殿下も頭が良いそうよ」

「えっ」


 頭が良いと聞いて、アイザックは驚く。


(もしかして、王子も生まれ変わりとかだったりしたら……)


 前世では特別優秀というわけでもなかった。

 相手の王子も人並みの頭脳を持った人間が生まれ変わっているのならば、玉座を奪う事ができないかもしれない。


 ――方針転換もやむなしか。


 そうアイザックが悩んでいたが、リサの言葉で安心する事ができた。


「なんでも、もう足し算ができるようになったそうよ。……でも、掛け算までできるあなたには負けるわね」


 リサがアイザックの頭をツンツンと突く。

 まだ四歳であるアイザックの頭の中身がどうなっているのか……。

 彼女は気になって仕方が無かった。


「割り算もちょっとできるよ」

「……なんか自信なくしちゃうわね」


 リサが自信を無くすというのも当然の事。

 四歳で割り算までできるアイザックの存在は異質。

 身近にいるだけに、リサはアイザックとの知能の違いを痛感させられる。

 同年代の男の子など、幼稚な存在にしか見えなかった。


 この国の貴族は基本的に家庭での教育が中心になる。

 十六歳から入る王立学院は、基礎学力を身に付けているか確認するだけ。

 一から勉強を教えたりする場ではない。

 基本的に基礎の確認と学力が足りない者の支援が中心となる。

 同年代の若者が集まる社交の場としての面が強いので、小学生レベルの学力があれば問題ないとされているようだ。


 ゲームでは、学力として数字が表示されるだけだった。

 この世界に生まれ変わり、その実態がわかった時は学業に専念する必要がないと安心したくらいだ。

 おかげでアイザックは、この世界の歴史の勉強をするだけでよかった。


「アイザックと殿下がいるから、この国の未来は安泰ね」


 自分とは違い頭の良い年下の子供達。

 その存在が少し妬ましく感じるが、何よりも頼もしい。


「うん、良い国にするよ」


 だが、アイザックは国王になる事しか考えていなかった。


(あぶねー、忘れてた。大きくなった時に誰が国王になっているかはわからないけど頑張るよ。色々とね)


 王になった後、どんな国にするかまでは考えていなかった。

 この時、リサと話した事によってどんな国をつくるかを考え始めるようになる。

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