第2話 生まれ変わって
激しい衝撃。
――死んだ。
修がそう思った時、目を瞑った。
(あれ、どうした? ……なんで目が開かない)
来るべきはずの衝撃の後に来る結末。
それが来ない事を不思議に思い、確認しようとしたが瞼が重く開かない。
バチンッ!
何故なのかと思い始めた時、背中に痛みが走る。
バチン、バチンッ!
「うぁ~~~、あぁ~~~」
誰かに背中を平手打ちされている。
止めてくれと言おうにも言葉にならず、うめくような声しか出てこない。
「仮死状態から息を吹き返しました」
「本当っ! 良かった……」
若い女とやや年を感じる女の声が聞こえる。
(仮死状態からって事は、ここは病院か。……昌美はどうなった!?)
事故に遭ったのなら、助手席に座っていた妹も当然怪我をしているはず。
妹の心配をした修だが、思わぬ言葉に思考を飛ばされた。
「それでは抱いてみますか?」
「ええ、もちろん」
(えっ、抱く!? ちょっと待って。怪我もしてるし、心の準備がっ。顔が見えないけど美人なのかな? いやいや、こんないきなりはさすがに……)
状況の把握や妹の心配、何よりも今の自分の体を心配するべきだったのだが、『抱く』の一言で全てが吹き飛んだ。
女性経験のない男の余裕のなさが、その思考を停止させる。
だが、それも一瞬の事。
体の浮遊感が思考を再開させる。
「それでは落とさないようにしっかりと。そうです、首はひじの内側で支えて……」
年を取った女の説明に合わせて、温かい何かがゆっくりと慎重に修の体を包み込む。
頬に柔らかい何かが触れるのが印象に残った。
「なんだか優しく抱いていても傷つけそうで怖いわね。……赤ちゃんってもっと元気なものだと思ったのに、ずっと思っていたよりも大人しいわね」
(えっ、赤ちゃん?)
「そうですね。個人差があるとはいえ、もっと泣いたり動いたりするはずなんですが」
事故に遭い入院していると思っている修は、実は生まれ変わっているという今の状況を呑み込めていない。
もちろん、即座にそのような判断ができる者はまずいないだろう。
なので、彼が状況を把握するために受け身になるのも仕方ない。
それが泣き声も上げず、身じろぎもしないという結果になったのだ。
「子供が生まれたって!」
一人の男がドアを勢いよく開け、部屋に入るなり大きな声で叫ぶ。
驚きでその場に居た者達の体が硬直する。
当然、母親も同様でビクついた体が修の体を強く締め付け、軽くうめき声を上げる。
「ランドルフ、いきなり入ってこないで。赤ちゃんが驚くじゃない」
「すまない、けど生まれたって聞いて待っていられなくてさ」
「あなたには初めての子じゃないでしょうに」
「ルシア、君とは初めての子じゃないか。お疲れさま、本当に嬉しいよ」
そして、おそらく抱き合っているような衣擦れや、口づけを交わしてるであろう音が、修の頭上から聞こえてくる。
(ランドルフ? 初めての子? いや、なんで人の頭の上でイチャついてやがんだ!)
「あぁ~~~」
抗議の声を上げようにも、うめき声にしかならない。
だが、今回はそれで十分だった。
自分達の世界に行っていた二人に、その存在を知らしめることができたのだ。
「おっと、済まなかった。お前の事を忘れてたわけじゃないんだよ。……男の子か? 女の子か?」
「男の子だそうよ。名前は考えているの?」
「男の子なら名前はアイザック。そう考えていたんだ」
「パパだよ~」と言いながら、ランドルフは修の頬をつつく。
イヤイヤと身じろぎする我が子の姿を見ては、またつつく。
我が子を愛しているだろう事は、その表情から察せられる。
だが、嬉しさのあまりついつい構いすぎるのだ。
「あぁ~~~」
「ランドルフ! アイザックが嫌がってるでしょう」
「いやぁ、可愛くってつい」
「子供はおもちゃじゃないんですよ。もうっ」
微笑ましい光景だが、それどころではない者もいる。
修――アイザックだ。
名前を呼ばれて頬を突かれた事で、自分が赤ん坊だという事に気付いた。
(俺がアイザック……、生まれ変わったのか? 英語っぽい名前なのになんで日本語で話してるんだ?)
救急病院だと思ったら生まれ変わっていた。
予想外の事態に、修は頭が追い付かなかった。
----------
生まれてからしばらくは、情報を集めることに集中した。
集めるといっても、両親と乳母やメイドの話に聞き耳を立てる事しかできなかったが。
前世の両親や妹の事は心配だったが、今どうなっているかを知る方法がないので諦めるしかなかった。
それよりも前世の記憶を持って生まれ変わった。
同世代の子供達とは違う、有利な状況からの生まれ変わりを有効活用しようと前向きに考えていた。
今度の人生は、勝ち組を目指したいからだ。
彼が聞き耳を立てて手に入った家族の情報はこうだ。
父はランドルフ・ウェルロッド。
ウェルロッド侯爵家の跡取り。
良くも悪くもお人好しで、祖父のもとで未来の領主としての勉強中。
母はルシア・ウェルロッド。
ランドルフの第一夫人でハリファックス子爵家出身。
恋愛結婚をしたが、子爵家出身ながら第一夫人という立場故に、第二夫人との関係が最悪の状態になっている。
第二夫人のメリンダ・ウェルロッド。
ランドルフの第二夫人でウィルメンテ侯爵家出身。
他国へ嫁ぐ予定だったが破談、同格の侯爵家でお人好しのランドルフが押し付けられる事となった。
すでにルシアと恋愛結婚をしていたため、ランドルフの強い希望により第二夫人という立場でやむなく輿入れする。
第二夫人の息子のネイサン・ウェルロッド。
アイザックの兄で一歳。
初めて名前を聞いた時は姉がいるのかと思ったが、他の者がネイサンと呼ぶのはおかしいと思い、名前だと気付いた。
(俺が生まれて継承権が父のランドルフに次ぐ二位になって、ネイサンが三位に下がった……か)
これは非常に危険な状態だ、とアイザックは考える。
子爵家出身の第一夫人と侯爵家出身の第二夫人。
これだけでも十分不穏なのに、長男であるネイサンが次男のアイザックに継承権で劣後する。
その事はメリンダにとって許容できない事だろう。
結婚する際にルシアとの間の子供に継承権を優先するとしたらしいが、そんなものはウェルロッド家とウィルメンテ家の力関係次第で覆る。
(それに気づかなかったのは、ルシアへの愛ゆえの盲目か。それとも、思いつかなかっただけか……)
アイザックにとって、継承権の優先自体は今のところはそこまで欲しいとは思わない。
継承権を所持していようがいまいが、家を継ぐ時にネイサンを排除しておけばいいだけだ。
今、問題なのは彼自身の暗殺である。
彼の脳裏にふと浮かんだのは「織田信行」と「伊達小次郎」だ。
家督争いの結果、兄に殺された弟。
それを考えると他人事ではない。
今、自分の身が危ない。
アイザックは継承を優先される。
だが、信行や小次郎も家督の継承を望まれていたが、兄に殺された。
――ネイサンがどのように育つか。
それを確認するまで彼は待つつもりはない。
優秀だろうがゴミクズのように育とうが、能力差など関係なく権力と財力で覆す事くらいできる。
ならば、できるだけ早い段階でネイサンを排除する事が求められる。
せっかく侯爵家に生まれたのだ。
後継者の座を誰にも明け渡すつもりはない。
今後重要な事は、命を狙われないように能力を隠すか。
それとも子供の頃から能力の差を見せつけ、暗殺されないように周囲の者を味方に付け盤石の地位を築くかのどちらかだ。
非常に悩ましいところだった。
文化レベルがわからないが、平均的な大学生レベルの知識があれば、子供の頃はまず間違いなく神童扱いされる。
『十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人』
そんな言葉があるように、いつまでもトップを走り続けられるわけではない。
それでも、アイザックには二十四年分のアドバンテージがある。
努力を怠らなければ、同世代では上位に居続けられるだろう。
だが、それはずっと努力し続けなければいけないという事だ。
(……それでも、あのブラックな居酒屋で働くよりはずっと良い。もっと勉強して、もっと良い大学に入っていれば、まともな会社に入って良い暮らしもできた。若い頃の努力はするべきだ。そう考えればあの社会人生活を経験したのは無駄じゃなかったかもしれない。だったら、この世界では頑張って、より高いところを目指すのも悪くない)
拘束時間が毎日十五時間以上。
そんな生活で苦労するよりは、勉学を始めとした身になる努力で苦労する方が良い。
食べて寝るしかできない状態は、アイザック――ごく普通の一般人であった修――に今後の人生について考える時間を与え、大きな影響を与えた。
(良くて後継者、悪ければ命を失うなんてまっぴらだ。どちらにせよ、お家騒動は起きる……。俺が起こすか向こうが起こすかの違いだけ。だったら、こちらから仕掛けて有利な状況を作るしかない。ウィルメンテ侯爵家が口出しできない名分を作って、メリンダごとネイサンを始末しないといけないな)
新しい人生。
ならば前世とは違う生き方をしようと決意した。
――無難に大人しく生きる人生。
それは平凡ながらも魅力的な人生である。
だが、それは社会としての枠組みが固定されていた現代だったからだ。
本で読んだ日本やヨーロッパ、中国、それぞれの戦国時代。
ここがそんな時代であれば、上手くやれば王や皇帝にもなれるかもしれない。
支配体制をガチガチに固められていれば厳しいかもしれないが、そうでなければワンチャンスあるだろう。
とはいえ、すぐに別の生き方をしようと思ってできるわけではない。
――一般人が突然政治家になって一人でやっていけるか?
無理だ。
できるはずがない。
前世ではそれなりに真面目に勉強を頑張り、大学を卒業した以上基本的な学力はある。
ならば、まずやるべきことは、この世界での知識を身に付ける事だ。
判断の基準となるものがなければ、どうしようもない。
特に今回の人生はそうだ。
――一地方公務員の息子が、侯爵家という由緒正しい上級国民様として生きていけるか?
非常に難しい事だろう。
身分に合わせた振る舞いをいずれ学ぶにしても、前世の記憶がある以上はそちらの影響もでるかもしれない。
この世界で学ぶ知識と前世の知識のすり合わせをする必要もある。
(人の使い方が重要だな。貴族の跡継ぎなら自分で全てをやろうとせず、人に上手く仕事を振り分ける方法を考えた方がいい。前世の知識もメモにまとめたいし、それに――)
プリプリプリ。
赤ん坊の体は飲む、食う、出す、寝るを繰り返す。
そして肛門の締まりも弱く、本人の意思とは関係なく、自然と排泄物が零れ出てしまう。
「あぅ~~~」
だが、慣れたもので声を出すことで意思表示を行う。
声を出せば、そばに居る乳母のアデラが近寄ってくる。
「あらあら、お腹が空きました? それともおむつ?」
「あぁ~~~」
アイザックが大の字になる。
これは漏らした時にするいつもの仕草だ。
「おむつね。それじゃ交換しますわね」
そう言っておむつを外すと排便の臭いが、乳母のアデラの鼻につく。
だが、アデラがフレーメン反応を起こした馬のような顔をしていたのは排便の臭いか、それともアイザックが言葉を理解しているという事に気づいたからか。
アデラがそのような反応をしているとは、おむつを交換される羞恥心で頬を赤らめ、目を閉じているアイザックにはわからなかった。
今、彼が理解している事はただ一つ。
友人が熱く語っていたおむつプレイ。
その良さがまったくわからないという事だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます