スーパーで昼食を
1
「おはよう、南海ちゃん」
「おはよう、ナミくん」
今日もナミくんが迎えに来てくれた。
今日も頑張れる。
のどかな地方都市の中心に近い商店街で起きた、少し大きな事故。
負死傷者が出なかったのが幸いではあるが、車1台と建物のシャッターが見る影もなくつぶれていた写真が新聞に掲載されたこともあり、その翌日は近隣の人々の関心をさらった。
しかし、のどかな地方とはいえ、それなりに新しい話題はあるので、1週間も経つと、誰も彼もががあいさつ代わりにそのことを口にする、という状況は静まってくる。
もっとも、当事者に近い人間の周囲の人々は、まだまだ思い出したように口の端に上らせてくる。その当事者が、なるべく忘れたいと思っている気持ちなんかお構いもせずに。
その当事者、の一人である南海さんも例外でなく、この1週間、人々の憐憫と好奇の視線に晒された。
まだ物問いたげに視線を送ったり、「大変だったね、でも何事もなくてよかった」と労わりの言葉をかけるに留めてくれる大人はよい、まだまし。
けれど、残念ながら小学6年生の南海さんの周囲にいるのは、絶対的比率でほとんどは小学生なわけで。
それも、興味津々、みんなが知っている一般的な情報よりも、もっと新鮮な生の状況が知りたくてたまらない! という好奇心丸出しの、おもに女子児童が多数。
もちろん、南海さんだって現役女子小学生だ。一応労わりの言葉をオブラートに話しかけてくる同級生相手に、当事者として衝撃の体験をリアルに語るくらいのサービス精神という名の処世術がないわけではない、が。
話したくても、話せないのだ。
事故のことについて訊かれると、喉がひりついたように痛くなって、背中を冷たい汗が伝う。
真夏なのに、指先が冷たくなって、目の前が白くなる。
「南海ちゃん、僕たち日直だよ。先生が呼んでる」 「南海ちゃん、今日、ウサギ小屋の掃除、手伝ってくれるんだよね? 今からいい?」
そんな時、決まってナミが、好奇心に満ちた集団から引っ張り出してくれた。
多少無理がある言い訳にも、ナミの全開の天使の笑顔で攻撃して、話を中断された不満を蹴散らす。
当のナミは、事故については一切訊かない。
まあ、時間差とはいえ、ナミも事故現場にほど近い場所で南海さんに会っているし、その時の様子を知っている、という理由もあるかもしれないが。
大体みんなだって、その時の状況だけなら、南海さんなんかから聞くより、よっぽど正確な情報がニュースでもネットでも知ることができるはずだ。でも、みんなが知りたいのは、そんなことじゃないのだ。
当事者の、ドキドキを知りたいのだ。
衝撃、驚愕、恐怖、その他諸々の感情の嵐を、面白可笑しく語ってもらいたいのだ。
他人事の悲劇など、無関係な人間にとっては、娯楽になりえるのだから。
無邪気で無慈悲な子供は、それをあからさまにぶつけてくる。
そのたびに、その感情をよみがえらせなければならない当事者の苦痛など、意にも介さず。
朝を迎えるたびに、「学校に行きたくないな」という思いが頭をよぎる毎日だった。
事故の翌日は、ナミが気を遣って迎えに来てくれた。
昨日の今日で、まだ気持ちが落ち着かない南海さんを迎えに来るために、わざわざ学区のはずれの自宅まで足を延ばしてくれたのだ。
けれど、翌日(つまり事故の翌々日)からは、事故防止対策として急遽集団登校に変更になった。
南海さんの家は学区の一番外れであるが、新興住宅地があるので児童の数が多い。
前日の騒ぎで辟易していた南海さんは、翌日も好奇心に満ちた児童に話しかけられ続け、30分ほどの通学時間中その苦行を味わう羽目になった。
夏休みまでのこり1週間余り、毎朝毎日こんな苦痛が続くのか、と思って気が重くなった、が。
「夏休みになるまでは、お店から通おうか?」
南海さんの疲弊した様子を察して、お母さんが学校に依頼して一時的に通学方法の変更を申し出てくれた。
事故の影響で不安定になっているので、学校近くの店舗まで親と一緒に来て、そこから通学したいと。
そして、ナミと同じ「七日町東」の登校班に入れてもらうことになった。
学校まで10分かからない近さと、登校中ずっとナミが事故とは関係ない(主に料理の)話をしてくれているおかげで、まず朝の苦行から解放され。
クラスで過ごす時間も、ナミがフォローしてみんなから引き離してくれる。
おかげで、なんとか欠席せずに1学期の終業式を明日に、というところまで来ることができた。
「毎日、ありがとう」
いつもはメイちゃんのお迎えに慌ただしく下校するナミが、ここ数日は南海さんと一緒に下校していた。ハル兄さんが一足早く夏休みになったので、お迎えは大丈夫というのが理由だったが。
『メイちゃんのお迎えに行かなくていいのなら、みんなと遊んで帰ればいいのに』
男子にだって付き合いはあるんだろうし。
そう憎まれ口を叩いた南海さんに、ナミはにっこり微笑んで。
『けっこうみんな塾だのスポーツクラブだの忙しいからね。それに、ハル兄ちゃんにメイちゃんのお迎えは任せられても、夕飯は無理だから』
まるで、ハル兄さんを自分の弟みたいに言って。
あの完璧なハル兄さんに、任せられないはずないのに。
いつもは忙しいからナミくんに任せているだけだよ。
きっと、私が負担に思わないように、わざとそんな風に言ってくれているんだな。
そんなナミの気遣いがこそばゆかったが、嬉しいので黙って好意を受け取らせてもらった。
(それが気遣いでもなんでもなく、本気でハルやキリの料理の腕が今一つ、いや今三つくらいであることを南海さんが知るのは、そう遠くない未来である)
「あのね、明日終業式で、半日でしょ? お母さんが、お昼ごはん、お店に来て食べないかって」
「いいの?」
「うん。あ、でも、ハル兄さんが待ってる?」
「大丈夫。昼間は学校に行って勉強しているみたいだから」
「夏休みなのに?」
「休み中でも自主的に勉強しないといけないんだって。看護師になるには、やることがいっぱいあるから、毎日少しでも机に向かわないといけないけど、家より学校の方が集中できるから、って」
「へえ、大変なんだね。看護師さんになるって」
白衣を着て優しく患者さんに接するハルの姿を思い浮かべたら、あんまりに似合いすぎてちょっとうっとりしてしまった。
あ、でも、救急とかでテキパキ動くのも、絶対似合う!
ドラマの場面を思い出し、心の中でうんうん、とうなづき。
ナミくんだったら……やっぱりコックさん?
あ、でも板前さんの格好も似あうかも。
キリっとして素敵。
あ、でもウェイターさん?
商店街の端にできたイタリアンのお店の店員さん、ギャルソンって言うんだっけ?
あの制服も似合うかも。
想像し始めたら思わずニヤニヤしてしまいそうになって、慌てて気を引き締める。
翌日の約束をして、南海さんは「スーパータケウチ」の店の前でナミと手を振って別れた。
今日は買い物はないので、また明日、というナミの姿を、名残惜しそうに見送ってから、南海さんは店内に入る。
ただいま、と店員さんたちに挨拶しながら、売り場を通り抜けて従業員控室を目指す、その途中で。
ふと、豆腐売り場で足が止まった。
正確には、その売り場の一角にある、油揚げの棚の前で。
油揚げ……明日、ナミくんが来てくれるなら……。
突然よぎった思い付きは、そのあとも南海さんの脳裏から離れることなく。
明日、ナミくんが付き合ってくれるなら、行けるかな?
事故の当日、お詣りした、裏小路の、お稲荷さんへ。
ナミくんと、一緒に。
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