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そういうわけで、瑛比古さんは小早川くんと一緒に(というか、勝手についてきた)、七日町商店街の老舗定食屋『みかん亭』にやって来た。
平日のせいか、時間も少し早いのでそこまで混雑していない。
店内には顔見知りの商店街のご隠居たちの顔がちらほら見える。テーブルにお膳だけでなく碁盤が載っているのを見れば、ランチというよりは寄合いに近い。
「おや、土岐田さんじゃないか」
「ご無沙汰してます」
美晴さんが健在の頃は時々家族で、休日のランチや夕食に訪れていたが、ここ最近はなかなか機会がなく、本当に久しぶりだった。
けれど顔なじみの店主は、当たり前のように笑顔で迎えてくれた。
「唐揚げかい?」
「はい!」
瑛比古さんの好みも熟知している男性店主は、そろそろ70歳近くなるだろうか。前より皺も増えて、もともと白髪だった頭部も、やや薄くなってきた気がする。
瑛比古さんがこの店で初めて食事をした頃から、すでに30年近く経っているのだから当たり前と言えば当たり前だが、老けたなあ、と感じる。
と同時に、この店だけでなく、商店街全体が少し寂れてきているのも感じた。
ご隠居たちの長居も賑やかしになる。店内に客が無いよりはマシなのかもしれない。
「ここって、美晴さんと初デートした場所なんスよね?」
「……なんで知ってるんだよ?」
瑛比古さんと同じく唐揚げ定食(プラスご飯大盛)を注文した小早川くんが、ニマニマと薄笑いを浮かべて言った。
「ナミくんが目指している唐揚げの味だからって言ってたっス。『お父さんとお母さんの思い出の味だから、絶対再現するんだ』って言ってたっスよ。いい子っスよね」
「……ナミがいい子であることを認めるのはやぶさかではない、が。お前に言われるとムカつく」
「えー?! ひどいっス! あの美晴さんと初デートが定食屋なんて渋いっスよね、って言いたいだけなのに」
「第一、お前、言うほど美晴のこと知らないじゃないか」
元気な頃、小早川くんは明知屋で美晴さんと遭遇しているが、明知探偵事務所の正式な所員となった頃には、すでに美晴さんは闘病中で、自宅か病院で過ごすことが多かった。なので、小早川くんは、その後一度か二度、お見舞いに来た時に短時間面会した程度である。
「だって、僕の恩人っスよ? 僕を『助けてあげて』って、瑛比古さんに頼んでくれたおかげで、今、僕はママとヨックンと幸せに暮らせているっス」
「いや、その場合、恩人は俺だろ?」
「そうっスけど、なんか素直に認めたくないんスよね」
「おい!」
何だかんだ言いながらも、仲のよい二人である。
「ほらほら、喧嘩すんなや。若けえイケメンの兄ちゃんらが来てくれたって、
「今度息子らも連れといでよ! ナミちゃんメイちゃんのお兄ちゃんたちも、おっきくなったでしょ?」
そう仲裁しながら店主が二人の唐揚げ定食を配膳すると、カウンターの奥の厨房から、店主の奥さんが声をかけてくる。
ちなみに、ここの料理は、店主の奥さんがメインでこしらえている。
「おお! ありがとうございます!!
「楽しみね。キリちゃん、県大会惜しかったね。でもベンチ入りして新聞に載っていたから、チラッと見たよ。お父さんそっくりのいい男になったね」
夏の野球部の県大会では、1年生ながらベンチ入りしていたので、新聞の特集記事に顔写真とプロフィールが掲載されてた。しっかり見ていてくれたらしい。
「まだまだ子供ですよ。それはそうと、ナミとメイ、もしかしてお邪魔してます?」
「ほら、『スーパータケウチ』によく来るから、その時に外で会うのよ。御馳走するから食べていきなさいって言っても、『今度家族で来ますから、その時にサービスしてください』って遠慮して。できた子ねぇ」
……『サービスしてください』ってちゃかり言っているあたり、さすがナミだな。
「『スーパータケウチ』と言えば、昨日は大変だったな」
ふと思いついたように店主がつぶやいた。
昨日のワゴン車の事故のことだろう。この近所の人間は、ほとんどがその事故に巻き込まれる寸前だった『スーパータケウチ』の娘のことを知っている。よくお手伝いをしている可愛らしい女の子だ。すれ違う時には、必ず笑顔で挨拶をしてくれる、と愛おしそうに店主は話した。
少子化の影響で、このあたりも子供の数が減っているうえ、付き合いが浅くなってきている。
いつもニコニコ笑顔で買い物に来てくれるナミと共に商店街にとってアイドルのような存在なのだ、と。
「だけどよぉ、最近、何かおかしいんだよな。あんな大きな事故じゃないけど、今までだったらなかったような、小せぇもめごとが、増えてきてんだ」
「もめごと?」
もぐもぐと、会話しながらも唐揚げを腹の中に収めていた瑛比古さんは、その言葉に箸を止めた。
「ああ。喧嘩とか、万引きとか……そりゃ、前からもたまにはあったけどよ。何って言うか、わけもなく増えてるっつーか、何でそんなことでやらかした? っていうか」
「まあ、ここ、一応繁華街ですしね」
美晴さんが勤めていた本屋でも、悪質な万引きが起きていて、それを解決したことをきっかけに個人的に親しくなれた。親しくなれたこと自体はよかったが、やはり許してはいけない犯罪である。ただ、警察沙汰になったことで、しばらくは商店街全体で万引き被害も減っていた。しばらくして元通りになってしまったのは、嘆かわしいことではあるが。
そう言えば、その時のお礼に美晴さんが食事をご馳走してくれるというので訪れたのがこの『みかん亭』で、それが結果的には初デートになった。
ちなみにこの店をリクエストしたのは、瑛比古さんである。
「まあな。だけんどさ、前は、曲がりなりにも理由があったのに、最近のは、それがどうもおかしいんだよ。なんでやったのか、って訊いても『何となく』とか、酷いのになると『その気はなかったけど、気付いたら』とか。それも、普段は真面目そうな、大人しそうなやつらなんだよ」
そうそう、と文房具屋と手芸店のご隠居が同意した。どちらも被害に遭ったらしい。
普段真面目そう、とか、大人しそう、とか、あんまりあてにならないけどな。
犯罪を犯した人間が、普段は善人ぶっていたり、鬱屈した感情を抱えていたり、なんてことはよくある。
仕事柄、犯罪めいたことに関わる機会が他人より多い瑛比古さんにとっては、一つの常識だ。けれど。
「
「まあな。これでも客商売だ。人の好さそうな顔をして、暴れたりやらかしたりする人間は見てきた。そういう上っ面とかじゃない、ちゃんと堪えることが出来る人間が、ってこった」
必ずしも善良な人間が、絶対重大な犯罪を犯さない、とは言い切れない。けれど、そのほとんどは、ギリギリのところで踏みとどまることが可能だ。
それでも罪を犯してしまうのは、踏みとどまれない何かがあり、そこから逃れられない状況まで追い込まれて心が正常ではなくなっているのだ、と瑛比古さんは思う。
理由があれば犯罪を犯して良いわけではない。けれど、善良な人間が罪を犯す背景には、やはり理由があると思うし、そう思いたい。
それとは別に、犯罪を悪いことだとは思わない、他者を傷付けることを何とも思わない人種が存在していることも、分かっている。
第一、瑛比古さんは『人間は基本善良』なんて思っていない。
一握りの『真に善良な人間』以外の『善良』な人間のほとんどは、『善良であるべき』という心の規制で他者を害さないように生きているのだ。それは、何も考えず善良であれること以上に、尊いことだと思う。
そして、店主の言う『堪えることが出来る』人間が、まさにそれなのだ。
今目の前で無邪気にご飯を食べている小早川くんの『過去』のことをふと思い出す。
犯罪組織に巻き込まれた小早川くんは、気が付かないうちに犯罪に加担させられ、その『善良』さゆえに心を病んで、善悪を判断できなくなるまで追い詰められていた。
その『罪悪感』から、闇を呼び込み、さらに心を痛め付けて。
悲鳴を上げていたその心に、感応力の強いハルが気が付いたおかげで、罪を償い、幸せな生活を取り戻すことができたが。
わんわんと泣きながら、罪を告白し、流されていた自分を責めていた小早川くんは、引きずり込まれる形とはいえ、結果的には罪を犯してしまった。けれど、ギリギリのところで、やはり『善良』でありたいという小早川くんの人間性があったからこそ、その叫びはハルに届いたのだ。
小早川くんは、弱い人間ではあったと思う。けれど、その自分の『弱さ』を知って、向き合う『強さ』を持つことができた、その『善良』であろうとする心を尊いと思う。
……本人には、口が裂けても絶対言わないけどな。
「まあ、そういうことのできない人間も、確かに増えちゃいるんだけどな。……そっちの兄ちゃん、ごはんおかわりすっか?」
いつの間にか茶碗を(大盛だったのに!)空にしていた小早川くんを見て、店主が気を利かせて尋ねた。
「いいっスか? よろしくお願いしまっス!」
「よしよし、また大盛りか? 育ちざかりなんだし沢山食えよ」
「いや! こいつとっくに成長期じゃないんで!!」
「そうか、わりいな!
一応、すでに中堅です、とは言わず、ニコニコとお代わりももらう目の前の『善良』なはずの、とっちゃん坊やをあきれて見ながら、瑛比古さんはおかずが残り少ないその皿に警戒し、自分の唐揚げを慌てて完食した。
ちょっと悔しそうに瑛比古さんの皿を見つめる……相変わらず年齢通りに見てもらえない小早川秀吉クン、28歳妻子持ちであった。
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